時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(五百十八)

2010-08-31 05:57:39 | 蒲殿春秋
頼朝がそのようにいって唐糸に再び問い質した。
だが、唐糸の答えはやはり「知らぬ存ぜぬ。」の一点張りである。
もしかしたら唐糸も義高の行き先はこの逃亡の背後関係は本当に知らないのかもしれない。

そうしているうちに唐糸の居間からは伯父諏訪盛澄からの書状が見つかったとの報告が入る。
唐糸が伯父からの指示で動いていることは明白であった。
唐糸もそのことを認めた。だがそれ以上のことは何も答えない。
もしかしたら、唐糸は義高を鎌倉から出す指示だけを伯父から受けていて詳しいことは本当に何も知らないのかもしれない。

頼朝は唐糸下がらせた。唐糸は預かり人の元に幽閉された。

義高の行き先は聞き出せなかった。

ただ義高が鎌倉を脱出した、その事実があるだけだった。

頼朝は幾人かの御家人を呼び出した。
その御家人たちに義高捜索を命じた。

「なんとしても探し出せ。」
と頼朝は厳命した。
木曽義仲の遺児志水冠者義高の血筋は信濃においては絶大な価値がある。
その価値ある少年が何者かと結びつくとやっかいなことになる。
少なくともこの逃亡の背後には乳母唐糸の伯父諏訪盛澄がからんでいる。

諏訪氏、義高この両者に何ものかが絡みついたら頼朝にとっては大きな脅威になりかねない。
何が何でも義高を取り返さねばならない。だがそれが叶わぬときは・・・

「義高をなんとしても連れ帰れ。ただし、何者かの手の内にあって生きて取り返すことが叶わぬときは、やむを得ぬ。
その場合は義高が利用されぬよう義高を殺しても構わぬ。」
この命令は、鎌倉殿としては正しい命令だった。だが、一人の娘の父としてはこの言葉を発したことを頼朝は一生後悔し続けることになる。

頼朝の命を受けた者達は即座にその場を退出し義高捜索へと出発していった。
その御家人たちの中に伊豆国住人堀藤太がいた。

何日か義高捜索が進められたが義高の行方は杳として知られることはなかった。
一方母のいる小御所に引き取られた大姫は、何も知らずに義高が「務め」を果たすことを一心に祈っていた。

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蒲殿春秋(五百十七)

2010-08-28 06:01:11 | 蒲殿春秋
頼朝は唐糸を面前に呼び出し、直々に尋問した。
「義高はどこへ行った?」との問いにも、「誰か他に関わったものはいるのか?」
という問いには一切答えなかった。

唐糸は何を答えても答えは「知りませぬ。」の一点張りだったが、
「何ゆえに義高を鎌倉から出そうと思ったのか?」
という頼朝の質問に対してのみは明快な返答を行なった。

「それは御曹司の命が危ういと思ったからです。」
と唐糸は答えた。
「鎌倉殿は御曹司の命は絶たず大姫さまの婿として遇するとおっしゃいました。
けれども、鎌倉殿は木曽殿の嫡子である御曹司をこのまま本当に生かすおつもりだったのですか?
鎌倉殿のご様子を見ていると御曹司はいつか殺されるのではないかという疑念がわいて参ります。」
「・・・・」
「鎌倉殿は御曹司からすぐ目をそらされます。御曹司を見るとき辛そうな顔をなさいます。
鎌倉殿は本当は御曹司を殺すおつもりだったのではないですか?」
この唐糸の言葉に頼朝は表情を曇らせた。
唐糸が言った言葉は頼朝の心の中をえぐった。
「本当に殺すつもりはない。ただ、わしはどうしても今の義高を見るとついそなたがいったようになるのじゃ。
その理由は誰にも言えぬがな・・・・」
言えない、義高を見ると過去の辛かった思い出が湧き上がってくるからという、鎌倉殿にあるまじき心の弱さを誰にもさらすわけにはいかない。

「本当に御曹司を殺すおつもりはなかったのですね。」
唐糸は真剣な眼で頼朝をにらみつけた。
その眼を頼朝はそらさずに受け止め頼朝は答える。
「そうじゃ。義高はわしの大切な婿。この先もわしの婿として遇する気持ちは変わらなかった。」

唐糸はさらに頼朝に向かって切りつけるように言葉をぶつけた。
「もし、御曹司が見つかったらいかがなさいますか?」
「大切はわしの婿じゃ。わしの婿として遇し続ける。
だが、わしの敵として立ち上がったり、わしの敵と手を組んだときは容赦はしないがな。」
頼朝は鋭い眼光で唐糸を見据えた。
「わしは大切な婿を敵として殺したくはない。
今なら間に合う。義高の居所を教えて欲しい。今ならば義高はわしの敵とならずに済む。

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蒲殿春秋(五百十六)

2010-08-24 06:40:43 | 蒲殿春秋
義高が去った後の大姫の邸は何事もなかったかのように一日が過ぎようとしていた。
義高と共に鎌倉に来た海野小太郎はそこに義高がいるかのような振る舞いをし、義高の乳母唐糸もまるで義高がいるかのように振舞っていた。
そして、大姫自身が義高がいない事実を受け入れていた。父が命じた役目を行なうと信じて。

しかし、夜になってことは発覚する。
大姫の侍女たちが不自然さを感じて大姫の母政子に何事かを告げたのである。
政子は自ら娘の邸に現れ様子を探った。
政子は異変を察すると大姫に単刀直入に尋ねた。

「志水冠者殿はいかがしましたか?」
「義高さま?」
大姫は事態が飲み込めない顔をしている。
「母上には言えません。」
大姫は唐糸の言った言葉を信じている。義高は大姫の父頼朝の命じた役目を密かに果たす。
だから母にもこれは言ってはいけないことと思っている。

政子は顔色を変えた。

「直ぐに殿にお知らせを!」
政子は側に控える雑色に命じた。

やがて頼朝がじきじきに大姫の邸に現れた。

頼朝は静かに邸内を見渡した。
そして義高がいるはずの居間に入る。居間には海野小太郎がいたが一緒にいるはずの義高がいない。

後ろからそっとついてくる大姫を振り返る。
頼朝は娘の顔の高さにあわせるようにそっと座り娘に尋ねる。
「姫、義高はどこへ行った?」
大姫は、満面の笑みを浮かべ父の耳に手を当てて小さな声で答えた。
「大丈夫ですわ、父上。義高さまは父上から命じられたお役目を果たすために今朝無事にここを出発されましたわ。」
「何と!」
「父上、私義高さまが無事にお役目を果たせるように誰にもこのことは言いませんでしたわ。
唐糸に言われたとおり義高さまがこっそり邸を出れるようにお手伝いしたのもこの私ですわ。だって私は義高さまの妻ですもの。」

頼朝は唖然として娘を見つめた。
そして義高の居間に控えている義高の乳母唐糸を厳しい目で見つめた。

それからすぐ大姫は母のいる小御所に連れて行かれた。
大姫が去った邸内には武装で身を固めた兵達がどっと乱入する。
唐糸と海野小太郎は直ぐに身柄を拘束された。

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蒲殿春秋(五百十五)

2010-08-22 23:05:01 | 蒲殿春秋
その計画は密かに進められていた。
計画が進んだある日、志水冠者義高の乳母唐糸は主の幼い妻である大姫にあることを持ちかけた。
「此度若君は姫様のお父上からあるお役目を内々にお命じになられました。
お父上からのお役目を果たすために姫さまのお力をお借りしたいのです。」
そう言われた大姫は無邪気な瞳を唐糸に向けた。

「義高さまが、お父上から命じられたこと?姫が義高さまのお役に立てるのですか?」
「さようにございます。」

大姫は唐糸を真っ直ぐに見つめる。
「いいわ。義高さまのお役に立てるなら姫はなんでもします。姫は義高さまの妻ですもの。」
七歳の少女は何の疑いもなく唐糸に明るい言葉を返した。

「明日、姫様の侍女が何人か宿下がりするやに聞いております。その侍女たちの中に若さまを加えていただきたいのです。」
「・・・?」
大姫は不思議そうな顔をした。
「何で?義高さまは男よ。なんで義高さまは女の中に入らなければならないの?」
「お父上さまのお役目を果たすためです。」
「?」
「このお役目は誰にも知られてはならないお役目なのです。こっそりとお邸を抜け出さねばできないお役目なのです。」
「ふーん。」
大姫はまだ納得しない顔をしている。けれども
「そのことが義高さまの為になるの?」と問うたら
「さようにございます。」と唐糸が答えたので、大姫は納得して
「ならばいいわ。」
と答えた。

翌朝事は決行された。
大姫に仕える侍女が何人か宿下がりをする。その一団の中に侍女の姿に身をやつした志水冠者義高がいた。
侍女たちは夫々自分の帰るべき場所へと散っていく。
その中から義高もそっと離れた。そして前もって聞いていた場所に馬がつながれていることを確認した。
義高は静かに馬を出す。馬のひずめは布にくるまれていて馬が歩んでも音が出ない。
義高は馬を北に向けた。
その先には義高が味方と信じきっている人がいる。
その時義高は鎌倉を脱出することが自分が生き残る唯一の方法だと思っていた。
やがて馬は鎌倉を離れて人里はなれたある場所に出る。
そこには伊豆なまりのある一人の武士が控えていた。
その武士は義高を今度は身分の低い雑色の姿に変装させ、自身は義高の前に馬を進め義高を先導していく。

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蒲殿春秋(五百十四)

2010-08-21 06:40:43 | 蒲殿春秋
反平家を標榜して立ち上がった者達のうち義仲と共に平家の都落ちさせて入京したの際には各国の「国守」に任ぜられた。
その時点で彼等は官位の面では「前兵衛佐」にしか過ぎない頼朝の上位者となっていた。
しかし、このたび頼朝は「知行国主」となることで平家都落ちの際に「国守」となったものたちよりも頼朝は上位者になることができる。
何しろ国守を任免する権利を得るものとなるのだから。
そして、五位程度の位階に相応しい「国守」より上の「四位」の位階を有する。

今は亡き源三位頼政を除くとこの位階と知行国主の地位は、
「反平家」で兵を挙げたのどの武門のものよりも上位のものである。

そしてその知行国はどこを希望するかということは既に頼朝の心の中では決まっている。
だが、その希望を通すためにはどうしても邪魔な男が存在する。
その男をどのようにするか・・・・

その思っていた頼朝に能保は良くない知らせを伝える。
「武蔵守」となっている一条忠頼が間なく都を出る、というのである。

邪魔な男がいよいよ東国は戻る。
その男をどのようにするのか、頼朝はその処置を既に考えてある。

余分な血を流さず、余計な混乱を起さずに済む最良の方法を・・・・

この優雅な観桜には一条能保のほかに何人か招かれていた。
その中に、平時家がいた。
時家は平家と行動を共にしている平時忠の子。平時忠は清盛の妻時子の弟で平家一門の実力者である。
しかし、その時家は継母の陰謀で以前に上総に流され紆余曲折を経て現在は頼朝の保護を受ける身の上になっている。
その時家の側には時家の相婿である加賀美長清や、現在上総国を管理している足利義兼がいる。
加賀美長清は頼朝の側に近侍するものであり、足利義兼は頼朝の相婿である。
頼朝にとって信頼に足りるこの二人を頼朝はしっかりと見つめていた。

そしてあと数人、伊豆から頼朝に随行してやってきたものたちも頼朝らの警備と称してここにいる。この者達もまた今回の謀に加わってもらう・・・

頼朝の計画は着々と進行していた。

数日後一条忠頼は都と出た。
それと同じ頃、頼朝が正四位下の位階を得たことを知らせる書状が鎌倉に届いた。彼の義兄一条能保も左馬頭の官位を得た。
忠頼に警戒しつつも頼朝はこの位階の獲得を喜んでいた。

だが、この時頼朝は気が付いていなかった。
こともあろうに自分の娘の邸の中である事が密かに進められていることを。

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蒲殿春秋(五百十三)

2010-08-19 05:54:46 | 蒲殿春秋
「さて、わしは今回は任ぜられる官職はないな。」
という頼朝に対して
「さよう。鎌倉殿が鎌倉におられる限り今回得られる位階に見合う官職は無きものと思っていただきたい。
国守以上の任官は全て京官。都におられなければ受けること叶いませぬので・・・
さりとて、鎌倉殿は鎌倉を離れるおつもりはござらぬでしょう。」
「さよう・・・」
そういって頼朝は少し寂しそうな顔をした。

「知行国の方は?」
「そちらはうまく行きましょう。何しろ鎌倉殿は朝敵を二度打ち倒したのでございますから。
しかしながら、その身が都にない方が知行国をお持ちになるということは前代未聞のことでございまするなあ。」
「さようか?」
「そして、一度も国守の経験をお持ちにならずに知行国主になられるということも。
さりながら、鎌倉殿はこの後も前代未聞のことを色々とお始めになりたいのではないかと推察いたしまするが・・・」
その能保の問いにはあいまいな笑みをもって答えた頼朝。
知行国が得られる、しかもその知行国をどこにするかといくこと頼朝の希望を受ける方向で動いてくれる。そのことは朗報であった。

知行国ーー院政期を語るには欠かせない一言である。
院や女院、そして摂関家さらには院近臣などの有力貴族は知行国を有する。
指定された国の国守を推薦する者ーーそれが知行国主である。
かつては全て朝廷内部で行なわれていた国守の任免。
しかし、院政期になるとある特定の人物がある特定の国の守を推薦する権利ができあがる。
つまり都の有力者は公然と自分が知行国主として権限を有する国に自分の息のかかった人物を国守として送り込むことができるのである。
知行国主とその国の国守はある種の主従関係ができあがる。

その知行国主は簡単にはなれない。
皇族は摂関家ならぬ一般の宮廷人は、自身や親族がある国の国守を何度も努めて既成事実を作ってからその国の知行国主となるのである。
ただ、一度だけ例外がある。
平治の乱の戦後の行賞で清盛は東国に知行国を増やした。
頼朝にとっては忌むべき記憶を想起させる前例ではあるが、これは前例として使える。
これを前例として頼朝は数カ国の知行国を得ることを朝廷に申請したのである。
それが受け入れられようとしていると能保は言う。

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蒲殿春秋(五百十二)

2010-08-16 06:08:25 | 蒲殿春秋
四月に入ると源頼朝は朝廷との折衝を精力的に行なった。
一方朝廷の方も頼朝を放っておかなかった。
いまや朝廷にとって頼朝は最大の武門の実力者であり、対平家の切り札ともいうべき存在となっている。

この頃廷臣の大物達も個人的に頼朝に接触を図るようになっている。
その中でも摂関家の人々は頼朝に近づこうとしている。
現摂政近衛基通、そして前摂政の父松殿基房など。
だが頼朝が実際に近づきたい摂関家の男はその人々ではない。そしてその目当ての男は頼朝に対しては露骨な接触を図ろうとはしない。

この日大蔵御所の桜が見事に咲いていた。
この桜を頼朝は都における最大の盟友となるべき男と共に眺めていた。
頼朝の義兄一条能保である。
昨年の秋に大納言平頼盛と共に能保は東国にやってきた。
後白河法皇の使者の一人として。それ以来能保は鎌倉に滞在し続けている。

頼朝も能保もこのように鎌倉において共に桜を眺める日がくると思ったことは無かった。
二人で共に上西門院に仕えていた頃はその身は都にあったし、頼朝が伊豆にいた二十年の間はこうして会うことは叶わなかった。
去年二人は二十数年ぶりに再会した。
少年だった二人は、三十後半の立派な男となって再会した。
この二人は共に楽しく桜を眺めていたものの、彼等にとって大切な一人の女性がいないことを内心寂しく思っている。
能保の妻であり頼朝の姉である女性がここにはいない。
頼朝はもう二十数年母を同じくする実の姉にあっていない・・・

意識的にこの事実に触れることを避けつつ二人は桜を愛でながら、優雅さとは程遠い話をする。
能保は都から逐次もたらされる情報を頼朝に伝える。
一つは朗報である。
頼朝になんらかの官位の恩賞が与えられそうなこと。そして以前頼朝が申請した大納言平頼盛の復権が実現しそうなこと、
そして能保自身の昇進の事。
「一条殿、官位のことはふたを開けて見なければわからぬよのう。」
「さよう。しかし、今回は鎌倉殿のご意向を汲まねばならぬようになりましょう。
何しろまだ平家は讃岐におりまするゆえに。」
今回の恩賞は前回の義仲追討の恩賞とは扱いが違うというのである。

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蒲殿春秋(五百十一)

2010-08-11 05:37:15 | 蒲殿春秋
寿永三年(1184年)四月、源頼朝は伊豆を引き上げ鎌倉に戻った。

ある日源頼朝は娘に与えた家を訪れ、娘夫婦の様子を眺めていた。
娘の大姫はまだ七歳。この娘が夫から片時も離れず仲睦まじく遊んでいる。
その夫、志水冠者義高は十二歳。義高の方も年上らしく大姫を気遣いながら相手をしている。

だが、その義高が時折みせる表情が頼朝の胸をつかえさせた。
あの表情は辛さを押し殺して無理やり明るく振舞うものの表情である。

━━ やはり

頼朝は義高の心情を思いやった。
それはかつての自分の心情と重なる。

まだ十四歳だった。
父や兄を戦で失い、自らは父や兄を死に追いやった者達の手の中に捕えられていた。
敵の中にあって囚われの身ゆえに父の命を奪ったものに対して抗議一つすることができず、敵の前で父を喪ったことに対する涙の一つも流すことも出来なかった。
涙を流さないのは敵に対する一つの意地でもあった。
そして命をいつ奪われるのかという不安。
流刑になったと聞かされても、伊豆に到着するまでその事実を真実と信じることが出来なかった。

義高も現在父の命を奪ったものの手の中にある。
その義高の父の命を奪ったのは他ならぬ頼朝である。

義高は父の死については何も言わず、頼朝や周囲に恨みがましい言葉は何一つ言わない。だが、その心のうちはどのようなものかは手に取るようにわかる。
義高には、婿としてこの後も遇するからと頼朝は宣言はしている。だが、義高はその言葉を信じきっていないだろう。
いつ自分の命が奪われるかわからないという不安に日々おびえているだろう。

頼朝は義高から目を背けた。
伊豆にいてかつての流人だった事実と向き合う決意をしたものの、十四歳のあの日々のことだけは思い出したくない。
囚われの身で、父や兄や郎党達の死を聞き、けれどもその死を表立って悼むこともできず、死の恐怖と戦っていたあの日々のことだけは心の奥に封じ込めて目を背けつづけたい。
現在の義高を見るといやでもあの囚われの日々のことを思い出してしまう。
これ以上義高の姿を見てはいられなかった。

頼朝はやがてそっとその場を立ち去った。
その様子を義高とその乳母は不安げな目で見つめた。大姫のみが無邪気な表情で義高を見つめている。

頼朝は立ち去りながら自分の心の弱さを笑った。

一方義高と乳母は、疑念の想いを一層深くした。
頼朝は実は義高の命を絶ちたいのではないか、と。

そのような中、ある男が密かに乳母の元を訪れる。

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蒲殿春秋(五百十)

2010-08-05 05:26:57 | 蒲殿春秋
金刺盛澄は結局その郎党の言う通りにすることにした。
木曽義仲の遺児志水義高を鎌倉から脱出させ一条忠頼の手に委ねることにしたのである。
頼朝に対する遺恨や不審は無い。
だが、井上光盛が去り際に行った一言が盛澄を動かすことになった。
義高の保護に協力しない場合、一条忠頼は諏訪下社に対してどのように出るかの保証はないと。
一旦は下社と誼を通じると言った忠頼であるが、それは義高保護に協力するならばという前提つきのものであったのである。

この一言は盛澄にとって衝撃だった。
甲斐国と信濃国の距離、そして武田信義、一条忠頼父子のかつての行動が盛澄に脅威をもたらす。
甲斐国を西へでるとすぐ諏訪に到達する。
武田信義、一条忠頼は以仁王の令旨を受けて挙兵するとすぐに信濃国諏訪に進出した。
そして諏訪上社の協力をとりつけて、諏訪近隣を平らげた。

今一条忠頼の父武田信義は甲斐国にある。
そしてその一条忠頼の言葉を拒むと、武田信義が甲斐国からすぐに諏訪に押し寄せる。
さらに諏訪上社は武田信義と提携している。

金刺盛澄は一条忠頼の言葉を受け入れざるを得ない。

頼朝は保護してくれるといっても彼は鎌倉にいる。そして鎌倉と信濃の間には甲斐がある。
迂回しようにも東海道の駿河は一条忠頼の支配下にあり、北陸に回ろうにもその途中の武蔵国は一条忠頼が武蔵守として君臨する。

盛澄にとって鎌倉の頼朝より一条忠頼の脅威の方が大きい。

盛澄は井上光盛の郎党を呼び出して、一条忠頼の申し出を受けると返答した。
その夜その郎党は都へ向かった。
また、盛澄は郎党の指示に従い、使者を鎌倉に出した。その使者は義高の乳母を務める彼の姪の元へ向かった。

数日後一条忠頼は井上光盛から、志水冠者義高奪取計画の推移を聞いた。
忠頼は満足げに頷く。
現在頼朝の婿となっている義高を頼朝から切り離す。
このことによって頼朝の信濃国に対する干渉は大きく後退することになるであろう。
忠頼は今度は自身の郎党を伊豆に走らせた。義高奪取計画を進めるためである。

そして忠頼は都にある間、畿内の協力者となるべき小松一門の人々と密かに連絡を取り合う。

屋島を去り熊野に入った維盛、そして戦いの前に福原を脱出した侍従忠房。
彼等は忠頼との連絡をとりつつ次なる行動の機会を待つ。

忠頼は武蔵守としての都での諸手続きを終えようとしている。
一条忠頼が武蔵守として東国に乗り込むのは間もなくである。

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蒲殿春秋(五百九)

2010-08-03 06:17:57 | 蒲殿春秋
諏訪下社の人々は頼朝の言葉に安堵した。義高を保護してくれる以上義仲に近い自分達も敵視されることはない、と。
その頃ある一人の武士が諏訪下社を訪れる。
その武士は、信濃源氏井上光盛の郎党だった。井上光盛は義仲の盟友であった男である。
この光盛の郎党はこういった。
「このたび一条次郎殿が武蔵守になられた。武蔵守様はかつての諏訪社両社との誼を忘れてはおられぬ。
上社、下社ともに重んじられる。よって、下社とも今後とも誼を通じたいと願っておられる。」

この言葉にも諏訪下社の人々は安堵した。武田信義ー一条忠頼父子と木曽義仲の因縁を知る故に、義仲寄りだった下社が一条忠頼に敵視されないかの危惧があった為である。

鎌倉殿源頼朝、一条忠頼この両者から敵視はされない━━━その安堵感に浸る諏訪下社の祝金刺盛澄の元に井上光盛の郎党が再び現れた。
「志水冠者義高殿がこのままでは危うい。」
郎党は金刺盛澄にそう言った。
義高はまぎれもなく義仲の子である。義仲は朝敵として追討された。
その朝敵となった義仲の係累に対しては縁座の罪に問われる危険性がある。
現在朝廷は義仲の子に対しては深い追求をしては来ないが、何かのおりに義高の何らかの処罰を求めてくる可能性がある。そうなると鎌倉殿もそれを拒めないであろう、というのである。

「何しろ鎌倉殿は院のお心を掴んでいる。その院のお心に背くことはできまい。」
と郎党は言う。

確かに頼朝が並み居る東国の武家棟梁たちよりも優位に立つことができた背景の一つに、他の棟梁達よりも後白河法皇の信頼を得ていたという事実があった。
その後白河法皇は法住寺での合戦の屈辱を決してお忘れにはならないだろう。法住寺の合戦を行なった義仲に対する御憎しみは浅いものではないと皆が推察する。
そのように考えると頼朝に義高を生かす意志があっても院からの命があれば義高に対して何らかの処分を下さざるを得なくなるかも知れない。この時点で頼朝が院に逆らってもいいことなどなにも無い。
金刺盛澄はしばし顔を伏せ考え込んだ。

「武蔵守さまは志水冠者殿をお守りしたいと願っておられる。」
その言葉に金刺盛澄はパッと顔を上げた。
「武蔵守さまならば鎌倉殿の手の及ばぬ場所に志水冠者さまをお匿いすることができる。」
しばし沈黙が続いた。

「もし、志水冠者さまを本当にお守りしたいのならば私をお呼び出しください。しばらく諏訪におりますゆえ。」
さらにもう一言、金刺盛澄に対して衝撃の一言を言い残して郎党はこの場を去った。

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