時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(百九)

2007-02-12 16:57:42 | 蒲殿春秋
その頃、信濃佐久郡の平賀義信から再び知らせがもたらさせた。
義信の叔父岡田親義が信濃国府を占領したのである。
親義の領地は信濃国府に程近く、父祖代々勢力をその地に培っていた。
親義も以仁王の令旨を受けていたのである。
その令旨を奉じて信濃でも反平家の挙兵が行われた。
数日のうちに、その占拠された国府に木曽の住人で在庁官人中原兼遠が子息らを指し添えて永らく手元で養育していた「木曽義仲」を送り込むのであるが
そのことを知る者はまだ少ない。

この義信の通知は甲斐源氏の行動をより一層具体化させた。
現在の状態でそのまま駿河に侵攻した場合手薄になった甲斐が周囲の平家勢力に攻め込まれる可能性がある。
ここはひとまず、甲斐に隣接する南信濃を占領し、背後の安全を確保する。
できれば、甲斐と遠江を結ぶ地域を自分達のものにしたい。
甲斐の北に隣接する佐久郡は盟友平賀義信の領地である。そこは安全であろう。

選ばれた進軍の道は
諏訪を通り、伊那地方を占領するということだった。
南信濃手に入れるためには進路に君臨する一大勢力諏訪大社を無視できない。
諏訪地域に広大な所領を持ち、多数の兵力を抱えている。
当時の寺社は一大武装勢力でもある。
正面きって戦うより味方に引き入れたほうが得策である。
諏訪大社に武田信義と一条忠頼、加賀美遠光の名において
味方するよう依頼する文書を発した。

諏訪大社の所領の本所は八条院である。
八条院が庇護をした以仁王の名と八条院領を預かる加賀美遠光の名前が
大社側の態度を柔和にした。
また、信濃における反平家勢力の活発さをみた。

甲斐に諏訪大社の快諾の返事がもたらされた。
その結果、九月初旬武田信義と一条忠頼は軍を率いて甲斐を出て
諏訪へ向かうこととなった。
範頼らが信義と出会ったのはこの行軍の最中の出来事であった。

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