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筆者は米国帰国後から、ある旧制七帝国大学(現在では独立行政法人化しているが)の教官職に付いた。そして、その後ある私大の助教授にまで登りつめた。ある日、組織のボスの部屋に呼ばれ、一枚の紙を手渡された。その紙には「天才は凡才を知らず、衆望を得ず。凡才は凡才を知り天下を獲る」と書かれていた。アメリカ帰りで何かと目立つ行動の多かった筆者を戒めるための忠告だった。同時に「うちの組織のボスには凡才こそがふさわしく、君のような天才肌の人間は他の組織に活躍の場を求めた方がいいのでは」と言う暗示でもあった。このボスの口癖は「俺は競争が嫌いなんだ」であり、彼にはさしたる輝かしい業績は無かったが、その温厚な性格と人当たりの良さで衆望を得、教授の地位に就いていた。
その頃、民間会社三社から「うちへ来ないか」と誘いを受けていた。既に、自身の属する組織に対する執着は無かったので、三社の面接に応じる事にした。面接の結果、三社の中では最も年俸の低い現在の所属会社に入職する事を決めた。提示された年俸額は1700万円であった。筆者がこの会社を選んだのは、面倒見の良さと、給料以外の厚遇であった。今でもその時の決断に誤りはなかったと思っている。この会社に就職してから早10年、その間、永年勤続の表彰を受けたし、昇給もあった。筆者が現在の地位を得られたのはひとえにこの会社のお陰である。
画像は米国留学中にお世話になった教授を日本に招き、京都を案内した時に、教授夫婦が宿泊した老舗旅館「柊家」さんのメモ用紙に、教授が手書きでしたためたお礼状である。これは筆者の宝物の一つでもある。筆者の生まれ故郷であり、筆者を育ててくれた懐深い国、米国、その国に対する恩返しがいまだにできないままである。
「天才は天才を知る」とはよく言われるが。。。