昼食を食べ終えた後、筆者は、路面電車乗り場(大浦天主堂下)へと向った。この電車は距離に関係なく1回の乗車料金は120円である。筆者は今回の長崎旅行で3回乗っただけなので一日乗り放題券(500円)の購入は結果的には不要だったが、いちいち小銭を出す煩わしさから解放されたので、購入したメリットはあった。大浦天主堂下から電車に乗り、6駅目が賑橋電停で、筆者は中島川に架かる眼鏡橋を訪ねるためにここで電車を降りた。路面電車は中央部から乗車し、前方部から降車する決まりになっている(東京の都電荒川線はこの逆の乗降方法である)。眼鏡橋とは二連式のアーチ型の石造りの橋で、皇居の二重橋と同じ構造だが、川面に橋の姿が写り込むとその名の通り、眼鏡のように見える事からこの名が付いた。だが、冬の寒い時期以外は川面にその姿が写り込む事は稀で、夏に眼鏡型に写真を撮る事は非常に難しい。筆者の訪問目的は橋そのものを見る事ではなく、橋の袂の石塀に埋め込まれたハート型の石を見つけて撮影する事であった。案の定橋の裏側へ行くと、観光客らしき若者集団が、このハートストーンを指差しながら記念写真撮影に興じていたので場所はすぐに分かった。グラバー園ではハート型の敷石を発見出来なかったから、これでようやく重荷が降りた気がした。
この眼鏡橋は1634年(寛永11年)に、興福寺2代目住職・黙子如定禅師(もくしにょじょうぜんし)によって架けられた、長さ22m幅3.65mの日本初のアーチ型石橋である。国の重要文化財で、昔は、江戸の日本橋、岩国の錦帯橋と並び、日本三大名橋と呼ばれていた。昭和57年の水害で一部が崩壊したが、見事に復元された。
昔、中島川には14のアーチ式石橋が架かっていたが、昭和57年の大水害で8橋が流失したりその一部が崩壊したりした。完全に復元された橋もあるが、一部はコンクリート橋や昭和の石橋に変化し現在に至っている。岸辺には柳も植えられていて、たのしいプロムナード公園になっている。ローマで考案されたアーチ式石橋技術はポルトガル船によって日本に伝わり 貿易商末次一族の手で長崎の石橋郡として定着したとされている。
路面電車の運転席
蛍茶屋行き
正覚寺下行き
賑橋電停で降りて眼鏡橋へと向かう
人だかりがしているのですぐに場所は分かった
これが眼鏡橋
冬なら眼鏡型に写るはず
眼鏡橋の由来
観光客の集団が石塀を指さしながら写真を撮っている
ハートストーンだ!
ハートはここ一か所だけ
中島川の石橋群
眼鏡橋の裏手にこの石がある
この階段を下る
川に置かれた飛び石を渡る女の子
こちらは兄弟かな?
ハートストーン前に居た鳩
長崎観光地図
先ほどの兄弟
木陰で休む観光客
長崎は鯨でも有名
ここも老舗のお店っぽい
中島川の石橋群案内図
シーボルトの桜
長崎銀行本店
石橋行きの路面電車
横から撮った路面電車
こちらは青色の電車