小木港のたらい船乗り場の前にこの博物館がある。筆者は11月22日(月)の午前9時頃にこの博物館を訪ねてみた。たらい船乗り場には7-8人程度の観光客が群がっていたが、この博物館に足を運ぶ人は皆無だった。1階の受付で入館料の200円を支払い2階へと向かった。入り口部に「館内撮影はご遠慮下さい」との佐渡市教育委員会名の張り紙があったが、筆者がデジ一を右手に携えているのを見た受付のおねーさんは特にとがめだてなどはしなかったので、後学のために撮影しても問題ないと思われる部分だけをフラッシュを焚かずに撮影させてもらった。多分、高価な船箪笥などにフラッシュが当たると傷みやすいのでそのような処置がなされたのだと思っている。この船箪笥、たとえ船が難破しても、その中に収めた重要書類や金銀の財宝などが外に漏れ出ないような造りになっているそうだ。船箪笥の日本での三大生産地は、小木、酒田(山形県)、三国(福井県)である。なかでも小木産の船箪笥は品質が高く、各地から多くの引き合いがあったと言う。小木で船箪笥の生産が盛んになった理由として、箪笥職人が多数いて、箪笥の原材料の木材が背後の山から潤沢に採取でき、そして箪笥を購入できるだけの経済力を有する町民が多数いた事などが挙げられよう。
小木港の入り江は二つに分かれている。佐渡汽船カーフェリーのターミナルになっている部分が外の間(サンズイ有り)と言われ、小木漁港になっている部分が内の間と呼ばれていた。そして両方の弯を結ぶ水路を作り、この水路を利用して両弯に稽留した船を風向きに応じて行き来させ安全に両湾を使い分けていたと言う。これを掘割と呼んでおり、埋めたり掘ったりを繰り返したという。現在の佐渡市役所小木支所前付近がそれにあたるようだ。現在ではコンクリート製の道路が走り、何軒もの民家が建っている。両弯を結ぶ水路があったなどとは今回初めて知った次第だ。いやあ~、博物館見学はほんと、勉強になるなあ~。
筆者は今回の訪問で小木港にゆかりのある二人の人物に興味を抱いた。一人は河村瑞賢である。彼は西回り航路開設のため、自ら調査員を引き連れて日本海と瀬戸内海沿岸を踏破し、各地に漕務所を開設した。漕務所とは今で言う海上保安庁の管区海上保安本部に当たるものかもしれない。漕務所は主に出入りする船の監視、連絡、救難などの業務を行った。西回り航路が発達するにつれて漕務所の利用は増し、所在地は賑わい、航路の安定性を確たるものにしたと言う。今一人は、小木が発展途上の元和期に佐渡奉行を勤めた竹村九郎右衛門である。彼は、小木港の整備に全力を尽くし、更に相川・小木間の道路を整備した。港と道の整備の両方に功績のあった功労者である。彼の供養塔は小木の光善寺にある。