「久しぶりに江戸川乱歩でも読みたいなあ。『二銭銅貨』なんて、どうだろう」
と思いながら上海の本屋さんをブラブラしていたら、
中国語版の『二銭銅币』を発見。
「おおっ、縁がある」と思い、手にとってみたものの、
やはり日本人作家の文章の翻訳とはいえ、
推理小説を外国語で読むのは、とてもとても骨が折れる。
ということで、買わなかった。
乱歩は、ポオの作品を原書で読んでいたんだよな。
あの時代の人はみんなそうだったのだろうけれど、すごいなあ。
すぐ挫けた後ろめたさゆえ、というわけではないんだけど、
『日本渉藏史』と『辛亥革命人物画伝』という本を買った。
小説を読むほどの読解力はないけれど、
歴史を述べている本なら、中国語でも読むことはできる。
昔から歴史の本は好きだったので、よく読んでいたけれど、
小学3年生の頃から、母に「小説を読みなさい」と何度も言われた。
それで「よし、小説ね」と思って選んだのが、
少年探偵団やホームズ、ルパンという子供用の推理小説だったので、
「もっと、人物を描いている本を読みなさい。
歴史でも歴史小説にしなさい。推理小説はロジックだからダメ」
と言われたっけな。
いまだに小説が苦手なのは、そういうことだろうと思うし、
もしかして漫画を読むのが苦手なのも、
物語を読む力が不足しているからかもしれない、と思えるときがある。
それに最近は、何が推理小説なのかがわからなくなってきた。
「ミステリー」という文字が帯に踊る本を買っても、
読み終わってから「これって、ミステリー?」と思うことがある。
例えば、先日読んだ『チーム・バチスタの栄光』も、
もちろん物語としては面白いけれど、ミステリーかというと、
「ミステリー度低」と言いたくなる。東野圭吾さんの文章もそう。
登場人物の誰かに感情移入しながら読み進める人死にが出る物語というか。
どちらかというと、キャラ萌えに近い感覚だな。
キャラ萌えよりも、発想のきらめきで、ハッと思う文章が好きだなあ。
とはいえ、母も私も、少年探偵団、ホームズ、ルパン、すべてにハマり、
小学生の頃、よく登場人物の話で盛り上がった。
ミステリーでも、よかったんじゃないでしょうか。と、母に言ってみたい。
と思いながら上海の本屋さんをブラブラしていたら、
中国語版の『二銭銅币』を発見。
「おおっ、縁がある」と思い、手にとってみたものの、
やはり日本人作家の文章の翻訳とはいえ、
推理小説を外国語で読むのは、とてもとても骨が折れる。
ということで、買わなかった。
乱歩は、ポオの作品を原書で読んでいたんだよな。
あの時代の人はみんなそうだったのだろうけれど、すごいなあ。
すぐ挫けた後ろめたさゆえ、というわけではないんだけど、
『日本渉藏史』と『辛亥革命人物画伝』という本を買った。
小説を読むほどの読解力はないけれど、
歴史を述べている本なら、中国語でも読むことはできる。
昔から歴史の本は好きだったので、よく読んでいたけれど、
小学3年生の頃から、母に「小説を読みなさい」と何度も言われた。
それで「よし、小説ね」と思って選んだのが、
少年探偵団やホームズ、ルパンという子供用の推理小説だったので、
「もっと、人物を描いている本を読みなさい。
歴史でも歴史小説にしなさい。推理小説はロジックだからダメ」
と言われたっけな。
いまだに小説が苦手なのは、そういうことだろうと思うし、
もしかして漫画を読むのが苦手なのも、
物語を読む力が不足しているからかもしれない、と思えるときがある。
それに最近は、何が推理小説なのかがわからなくなってきた。
「ミステリー」という文字が帯に踊る本を買っても、
読み終わってから「これって、ミステリー?」と思うことがある。
例えば、先日読んだ『チーム・バチスタの栄光』も、
もちろん物語としては面白いけれど、ミステリーかというと、
「ミステリー度低」と言いたくなる。東野圭吾さんの文章もそう。
登場人物の誰かに感情移入しながら読み進める人死にが出る物語というか。
どちらかというと、キャラ萌えに近い感覚だな。
キャラ萌えよりも、発想のきらめきで、ハッと思う文章が好きだなあ。
とはいえ、母も私も、少年探偵団、ホームズ、ルパン、すべてにハマり、
小学生の頃、よく登場人物の話で盛り上がった。
ミステリーでも、よかったんじゃないでしょうか。と、母に言ってみたい。