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◆【東京新聞社説】坪井直さん死去 核廃絶をあきらめない

2021年10月29日 10時52分07秒 | ●YAMACHANの雑記帳
 坪井直(すなお)さんは、ヒバクシャの象徴だった。日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員などとして、その名の通り真っすぐに「核廃絶」を願い続けた人生だった。口癖は「ネバーギブアップ」。その志は次世代に受け継がれていくだろう。
 あの日二十歳の坪井さんは、爆心地から約一・二キロの近距離で原爆の閃光(せんこう)と爆風を浴びた。気が付けば周囲は地獄絵図。自らも大やけどを負っていた。
 左目の視力を失い、熱線に背中をえぐられながら、母親の手厚い介護もあって奇跡的につないだ命。回復後は教員の道に進んだ。がんや心臓病など原爆の重い「後遺障害」と闘いながら、数学の授業の合間を縫って、教え子たちに、原爆の恐ろしさ、悲惨さを語り続け、「ピカドン先生」と慕われた。
 被爆者団体の活動に身を置いたのは、教員を定年退職後。国の内外で証言活動を繰り返し、「赤い背中の少年」で知られる長崎の谷口稜曄(すみてる)さんとともに、被爆地の平和運動、なかんずく核兵器廃絶運動をけん引する存在だった。
 核軍縮の流れの中で、世界が保有する核弾頭の数はピーク時だった一九八六年の七万発超から一万三千発にまで減った。だが一発でも落としたらどうなるか、身に染みて知るのが被爆者だ。核は廃絶するしかない。
 今年一月、すべての核兵器を違法とする核兵器禁止条約が発効した。しかし日本は唯一の戦争被爆国でありながら、米国の「核の傘」の下にいて、条約への署名さえ拒み続けている。
 病床にありながら、そんな政府の姿勢を厳しく批判し続けていた坪井さん。心残りも多かろう。
 被爆者の平均年齢は八十三歳を超えた。盟友の谷口さんも四年前、一足先にこの世を去った。被爆の実相を体験として語り継ぐ証言者は減っていく。
 しかし坪井さんは「核兵器が廃絶されるのをこの目で見たい。でも私が見られなくても、後世の人に必ず成し遂げてもらいたい」と希望を語っていたという。
 ネバーギブアップのバトンを受け継ぐ若い世代がある限り、坪井さんの魂は「核のない世界」をあきらめない。

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