飛騨の山猿マーベリック新聞

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【宮台真司×小林よしのり】 憲法改正を語る

2017年10月23日 23時12分31秒 | ●YAMACHANの雑記帳

【宮台真司×小林よしのり】 憲法改正を語る

※荒川強啓 デイキャッチ 2015.4.24放送の音声です。 チャンネル登録はこちらからhttps://www.goo.gl/IYUYYR
 
 
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平成★「緑のタヌキ」の変~衆院選で起きた“民意と選挙結果とのかい離”~

2017年10月23日 19時07分16秒 | ●YAMACHANの雑記帳

平成「緑のタヌキ」の変 ~衆院選で起きた“民意と選挙結果とのかい離”~

始まりは、隣国、自民国の城主アベが起こした突然の挙兵だった。自民国では、城主の「身内」や「お友達」を偏重するやり方に対して領民の批判が強く、しかも、それらの問題への対応が不誠実なものであったことから、城主への不満が高まりつつあった。いずれ、城主アベは、領民の信任を失い、城を追われるのではないかと見られていた。そのような自民国の状況は、対立を続けていた民進国にとっては、城主アベを打倒する千載一遇の機会であったが、内部対立に加え、家臣の離反や不祥事が表面化し、対応に追われていた最中に、城主アベが突然挙兵したのだった。もともと、「挙兵」には決まりがあった。領民を戦いに巻き込み、多大な負担と苦痛を負わせることになるのだから、余程の理由がなければならなかった。しかし、城主アベは、適当な口実をつけて、挙兵を宣言、近隣諸国との戦争準備を始めた。大混乱に陥ったのが民進国の城内だった。家臣の離反や不祥事で混乱している最中に、アベ軍が攻め込んできたのでは、城を守れない。城主マエハラも家臣たちも、頭を抱えた。そこに登場したのが、「私についてきなさい。城主アベを討ち取ってしんぜましょう。」などと言って現れた「緑の国の女城主」のユリコだった。自民国の出城を攻めて「黒いネズミ」を討ち取って大勝利を収めた「女城主ユリコ」の武勇伝は、瓦版などで広まっており、民進国では、城主マエハラが、「今、アベに攻められたのでは城がもたない。民進国が打ち揃って、緑の国の下に入り、ともにアベと戦おうぞ!」と家臣に呼びかけた。家臣たちは、城主マエハラから渡された軍資金を手に雪崩を打つように城を離れ、「緑の国」をめざした。アベ軍が押し寄せてきても、ユリコ率いる緑の軍が圧勝するだろうと信じて疑わなかった。ところが、民進国の家臣達が「緑の装束と甲冑」を与えられて戦争準備に入った頃から、城主ユリコは、不可解な行動を取り始めた。民進国の家臣をすべて引き取るのではなく、「考え方の合わない人は緑の国から排除します。」と言って、城を閉ざすことを明言したのである。「排除」の対象となった家臣達は、独自に「立憲民主国」を立ち上げて、自民国との戦争準備に入った。そして、城主ユリコは、「アベを討ち取る」と言っていたのに、そのアベを支持する浪人を召し抱え、城に引き入れたりもした。決定的だったのが、城主ユリコ自身が、出陣する気配を見せないことだった。家臣達に対して「アベを倒せ!」と叱咤激励して応援するだけだった。「ユリコ殿、そろそろご出陣を。」を促されても、「最初からそんな気はないと言っているじゃありませんか。私には、トウキョウトの領民がいます。」などとうそぶいている。さらには「緑の軍」の総大将も決めようとしない。「戦が終わってから相談します。」と言うだけだった。そうこうしているうちに、民進国の家臣たちの中から、「ユリコは『緑のタヌキ』だ。我々は騙されたんだ。」と言って離脱する動きが出てきた。「やはり騙された。『緑のタヌキ』に化かされて、民進国家臣の地位も失い、身ぐるみ剥がされた。」しかし、もう時間がなかった。アベの大軍は、すぐそこに迫っていた。そして、10月22日、戦いの火ぶたは切られた。立憲民主国は、「エダノ丸」を築いてアベ軍を迎え撃ち、城主エダノンを中心に奮戦し、アベ軍に各地で打撃を与えた。ユリコから「排除」された者、早く離脱した者も奮戦し、多くが生き残った。しかし、「緑の軍」の方はといえば、戦う前から勝負はついていた。敗北を見越した城主ユリコは、前日に国外に逃亡。ユリコの腹心ワカサは、自民軍先鋒の若武者コイズミに、一撃で討ち取られた。「緑の軍」が新たに召し抱えた武将たちは、ほぼ全滅。民進国の家臣たちの多くが、緑の甲冑をつけたまま、自民軍の格下武将に討ち取られた。以上が、今回の衆院選をめぐって起きた平成「緑のタヌキの変」の顛末である。この「変」は、日本の政治に、そして、日本の社会に何をもたらすことになるのか。直接の「被害者」は、「希望の党」に加わったがために落選の憂き目にあった民進党所属の前衆議院議員達である。しかし、「緑のタヌキ」に化かされて、公約が公表されてもいないのに「公約を遵守する」「党側が要求する金額を拠出する」などという「政策協定書」に署名したのは彼らなのであり、まさに自業自得である。しかも、途中で「化かされた」と気づく局面はいくらでもあった。民進党を事実上解党して、希望の党に合流することを正当化する唯一の理由は、前原氏も言っていたように「いかなる手段を使っても安倍政権を倒す」ということだったはずだ。しかし、「希望の党」は、必ずしもそのような方向で一致結束していたわけではなかった。小池氏は「安倍一強」を批判するが、「情報公開の不足」などの自分の主張に我田引水的に結びつけようとするだけで、具体的な安倍批判はほとんどなかった。原口一博元総務大臣が、公示の直前になって、「小池氏が出馬しないなら安倍支持」などと放言した中山成彬氏の九州比例ブロックでの扱い等に反発して、希望の党を離脱した際には、希望の党が「安倍打倒」に一枚岩になれていないことは十分に認識できたはずだ。その頃、私は、RONZAに、【希望の党は反安倍の受け皿としての「壮大な空箱」】と題する拙文を寄稿し、その中で、「原口氏の決断を重く受け止め、今回の衆議院選挙に向けての最大の目標が安倍政権打倒であることを、党の公認候補の間で改めて確認する行動を希望の党内部で起こすべきだ」と述べた。「安倍政権打倒をめざすことの確認文書への署名」を全立候補者に求めることも一つの方法であり、前原氏は、そのためにリーダーシップを発揮すべきだと述べた。この時、民進党前議員達が、「血判状」に署名するぐらいの気概を持って、「アベ政権打倒」と、そのためのアベ批判の論陣について認識を共有し、一致結束していれば、局面も変わっていた可能性がある。関ケ原の戦いで西軍が壊滅した後、西軍に加わっていた島津軍は、徳川本陣を敵中突破し、九死に一生を得て薩摩に生還した。希望の党に加わった民進党前議員には、逆境を乗り越えるため、安倍政権打倒のための決死の行動が必要だった。それとは対照的に、立憲民主党が純粋に政治信条と理念を守り抜く姿勢は、多くの国民の共感を得た。1年前にNHKの大河ドラマ「真田丸」が大人気だったのと同様に、日本人は、「逆境にあっても信念を貫き、戦い抜く姿勢」に好感を持つのである。このような平成「緑のタヌキの変」で恩恵を受けたのは、自民党・安倍首相のように思える。しかし、果たしてそうであろうか。今回の選挙での共同通信の出口調査では、比例代表投票先を回答した人に安倍晋三首相を信頼しているかどうかを尋ねたところ「信頼していない」が51・0%で「信頼している」の44・1%を上回ったとのことだ。それなのに、自公で3分の2を超える圧勝だ。森友・加計疑惑で窮地に追い込まれた末に、事実上首相に与えられている解散権を悪用して、政権維持のための「最低・最悪の解散」に打って出たことには、自民党内からも多くの批判があった。本来であれば、選挙で国民の厳しい批判を受けて当然だったのに、「緑のタヌキ」の「化かし」によって、結果的に救われただけだ。さすがに安倍首相自身も、そのことは認識しているのだろう。選挙での圧勝にもかかわらず、笑顔はなかった。そして、何と言っても、この「変」の最大の被害者は、国民だ。安倍政権に対する民意と選挙結果が余りに大きくかい離してしまったことは、日本の社会にとっても不幸なことだ。しかも、今回の解散総選挙を通して国民の多くが安倍首相に抱いた不信は、ほとんど不可逆的なものと言える。そのような状況で「国難」に対処することこそが「国難」と言うべきだろう。今後、安倍政権に対する対立軸として純化された立憲民主党を中心とする野党勢力が、森友・加計問題への対応への批判を強めていけば、選挙結果への反動もあって、内閣支持率は低下していくだろう。そのような状況でも、自民党は結束して安倍政権を支え続けるのだろうか。来年の総裁選を控え、自民党内でどのような動きが出てくるのであろうか。

共産党を重視した、野党再編しかない。

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★2017総選挙について志位委員長の会見 &新潟・自民惨敗

2017年10月23日 16時37分23秒 | ●YAMACHANの雑記帳

2017総選挙について志位委員長の会見

新潟 自民惨敗

野党共闘が追い詰める

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-10-23/2017102311_02_1.html

6選挙区中で当選2人だけ

 新潟県の六つの小選挙区では、前回総選挙で新潟3区以外の五つの小選挙区で議席を獲得した自民党は今回、4選挙区で敗れ当選は2選挙区だけと惨敗しました。

 昨年の参院選、県知事選に続く“政権、新潟ショック”を再び起こそうと、市民と野党の共闘を「本気の共闘」にさらに発展。前回総選挙では民進党公認だった候補者も、今回は野党共闘でたたかうなど、五つの選挙区で共闘体制がつくられました。そして安倍自公政権を追い詰める結果となりました。

 憲法9条を守る、安倍強権政権下の改憲NOなど県民の意思が示されました。

 東京電力柏崎刈羽原発6、7号機の再稼働が最大の争点となった県知事選に続き、原子力規制委員会が再稼働へ審査書案を了承し、東電を「適格」とするなか、福島原発事故の検証なしなどの柏崎刈羽原発再稼働は認められないとの県民世論も明確に示されました。

http://www.niigata-nippo.co.jp/news/politics/20171023353247.html

衆院選、県内6小選挙区の議席確定
野党側4勝2敗で勝ち越す

15人が立候補し、県全域で「自民対野党共闘」の図式となった県内6小選挙区は22日の即日開票の結果、野党側が4勝2敗で勝ち越した。1、2、4の3選挙区では、民進系の前職が2009年選挙以来、8年ぶりに小選挙区の議席を奪還。3区は「野党統一候補」となった民進系の無所属前職が、自民前職との大接戦を制した。自民党は5区で元知事の新人が「オール野党」が支援した無所属新人を破り、6区で前職が議席を守ったものの、小選挙区の議席を三つ減らす結果となった。

 県内小選挙区の投票率は62・56%。戦後最低だった前回の52・71%を9・85ポイント上回った。22日午後11時時点の推計で、山形県の64・10%に続く全国2番目の高さとなった。

 1区は立憲民主党から出馬した民進系の前職西村智奈美氏が競り勝ち、議席を奪い返した。自民前職石崎徹氏は無党派層などへの浸透を図ったが一歩及ばず、比例で復活した。

 2区は民進系の無所属前職鷲尾英一郎氏が後援会を固め、全国最少差で敗れた前回の雪辱を果たした。組織戦を展開した自民前職細田健一氏は、燕市などの大票田で伸び悩み、比例での復活となった。

 3区は民進系の無所属前職黒岩宇洋氏が野党共闘の効果を発揮し、50票の僅差で逃げ切った。自民前職斎藤洋明氏は県議らによる分厚い陣立てで臨んだがわずかにおよばず、前回に続き比例復活となった。

 4区は無所属で出馬した民進系の前職菊田真紀子氏が、「原発ゼロ」を掲げ各野党から支持を得て6度目の当選。自民前職金子恵美氏は所属派閥から全面支援を受けたが、差を詰められなかった。

 5区は元知事の自民新人泉田裕彦氏が知名度を生かして与党支持層を固め、優位に戦いを進めた。「オール野党」態勢を敷いた元魚沼市長の無所属新人大平悦子氏は終盤、追い上げたが、振り切られた。

 6区は自民前職高鳥修一氏が糸魚川市などを中心に支持を集め、4度目の当選を決めた。野党共闘で挑んだ民進系の無所属新人梅谷守氏は知名度不足などが響き、わずかに届かなかった。

 
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