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『生と死』
生と死を知るということは、人生の秘密を知るということである。
生を知らんと欲せば、まず死とは何ぞやを問わねばならない。
また、死とは何ぞやを知らんと欲せば、すなわちここに生の意味を明らかにせざるをえまい。
人びとよ、あなたがたは生とは何かを明確に定義することができるか。
はたまた死とは何かを定義することができるか。
その定義の内容があなたがたの今生の悟りと呼ばれるものなのだ。
もし、生も死もさだかには定義しかねる、というあなたがたであるならば、静かに私の語る言葉に耳を傾けてほしい。
まず心おだやかに生きよ。
つぎに心優しく生きよ。
さらに心深く生きよ。
この三つを生と死の意味を解く鍵としてほしい。
よしや生と死の本義を道破することができなかったとしても、結果は同じとなろう。
あなたがたは幸福な人生を生きたといえよう。
そして他の人びとも、おかげさまで幸福な人生でしたと、口々にあなたがたにあいさつにくることだろう。
『一歩を進む』
自分にはもうこれ以上の力は出せない、と嘆息している人もいるであろう。
そして、往々にして、嘆息することがいかにも当然であるかのごとくその理由を列記してみせる人さえいよう。
そのような話につりこまれてゆくと、ついつい同情したい気になり、うっすらと目に涙さえ浮かべることになるが自然な人情かもしれない。
しかし私は思うのだ。
これでは不景気が拡がってゆくのと同じではないのかと。
あたかも、一つの会社が赤字を出して倒産すると、連鎖反応が起きて、不況の波に飲み込まれてゆく会社が続出するかのようだ。
不況はくい止めなければならない。
この三次元世界においても。ましてや心の世界の不況は、蔓延させてはならない。
他人の心の中に赤字決算を見たならば、愛のアドバイスをせよ。
いかにすれば黒字に転化するかを親身になって考えるのだ。
人間にはこれ以上は駄目かと思った時に、なにくそっ、と一歩を進んでゆけることもある。
真理伝道も同じだ。
もう与えるべき愛など何一つ残っていないと感じられた時に、一歩を進めて、目の前のドアを押してみよ。
その部屋で仏はあなたがたを待っているのだ。
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