今年発足から31年を迎える幸福の科学。
その歴史は、ひとえに、大川隆法総裁という御仁の、卓越した思想、そして指導力や経営力の歴史であります。
また、大川隆法総裁という方の、人柄そのものが幸福の科学の歴史です。
幸福の科学の歴史から抽出される大川総裁のお人柄は、”全く私心がない”ということです。
それだけは間違いのないことです。
たとえば、私心にまみれた私ならば、判断に迷う岐路において、大川隆法総裁のような決断はできないです。(笑)
宗教界ではまず教祖殿を作り、それを総本山とするというのがセオリーですが、大川隆法総裁は、まず、信者職員の研修施設を建てて、それを総本山化しました。
その間御自身は、賃貸マンション生活だったのです。
総本山研修施設は栃木県内にたくさん造られ、今思えばそれは、世紀末の惨事から、首都東京を守る結界の意味があったとしか考えられません。
なぜならば、栃木県は東京の東北部(鬼門)にあり、大川隆法総裁は、宇都宮在住までして、首都を護ったと推測します。
晴れて1999年夏、大川隆法総裁が、頑なに拒んでいた教祖殿が、東京に大悟館として建立され、総裁は初めて、ご自身の自前の居に入られました。
これも今思えばですが、1999年の夏という、人類の悪想念がピークに東京入りですから、また自らご自身を、東京の結界の一部になさったのやも知れません。
いやきっとそうでしょう。
大川隆法総裁は、そういう御仁なのです。
以前の記事で書いた、繁栄の法大献本の折には、大川総裁は東京住まいだったのですね。
大悟舘と同年、1999年建立、聖地四国正心館礼拝堂 http://shoja.jp/shikoku/
念願の教祖殿入りした大川隆法総裁ご一家。
これで教祖様ご自身に、よい環境が与えられたのですから、「もっとお働きになっていただける」と、私は簡単に考えておりました。
しかし、世紀が明けてからの総裁は、今から思えば、何か元気なかったように見えました。
講演会も、大会場を使ってのものは少なくなり、正心館や総合本部ビルを使っての、ビデオ公演のような形での開催が増えました。
そして大川隆法総裁のお声も、今から思えば、絞り出すような感じでした。
前世紀のような、はつらつとした若々しさが薄らいだのです。
当時の大川総裁は、40台半ばだったと思いますが、私はそう感じておりました。
今から思えば前世紀末に、大川隆法総裁は、相当のエネルギーを消耗なさったのだと思います。
大川隆法総裁は、命を削っていたと思うのです。
それまでの激務が祟ったのです。
大川隆法総裁の心臓は、完全には、動いていませんでした。
心室細動といって、痙攣のように動いてはいるけれども、血液を全身に送るポンプ機能がないので、現実的には心停止状態だったのです。
しかし、総裁はその医学的には、完全に亡くなっている状況にもかかわらず、生きているのです。(笑)
これは、医学界の奇跡でした。
この、「心臓が止まっているにもかかわらず、元気に生きている人。」という演目で、大川隆法総裁は、世界に医学論文に発表されています。(笑)
いや、現に今でも、大川隆法総裁の心臓は、動いていないかもしれません。(笑)
後日その件について、大川隆法総裁、至極あっさりと曰く。
「医者が何と言おうと、使命のある者は、死なないんですよ。」
「あーはははははははは。」
倒れた次の日総裁は、すでに食事が取れるほどに回復なさっていました。(心臓が止まっているにもかかわらず。)
「ああ、美味しかった。」と合唱し、食事を終えた総裁は、おもむろに筆記用具を取り出し、次々と執筆活動を始めたのです。
それが、今幸福の科学の月刊誌の冒頭に載っている、オープニングメッセージなのですね。
そして総裁は、以前のご著書「太陽の法」で書いてある、ご自身が亡くなると予言された期日までの、月刊誌オープニングメッセージを、すべてこの危篤状態のときに書き上げたのです。
そのお心は、もう推測する以外にないのですが、総裁はこのときに、ご自分の死を覚悟なさったのではないでしょうか?
「万一今、自分が亡くなっても、人類が路頭に迷わないように、せめてオープニングメッセージだけは残しておきたい。」
そういったお心で、危篤状態でオープニングメッセージを、書き残されたのではないでしょうか?
つまり、毎月私たちが触れることができる、月刊誌、「月刊幸福の科学」のオープニングメッセージは、大川隆法総裁からの、人類への遺言なのです。
毎月この月刊誌の到着を、心から楽しみにしていらっしゃる80代のご婦人が、私が担当している地区にいらっしゃいます。その方曰く。
「この月刊誌の、最初のお言葉(オープニングメッセージ)が大好きなのよ。」
「大川先生はお若いのに、先生のお言葉は、死んで行くだけの私たちより深いものがある。」
「私は、この最初のお言葉を読むと、何も怖くなくなるのよ。」
「私は、大川隆法先生の大ファンよ。」
そう言ってそのご婦人は、入会してしてくださいました。
命を削り、私財を投入にてまで、破滅を回避した大川隆法総裁。
そして死の間際においても、「せめて人類に遺言を。」と思えるこの御仁。
このお方が、仏陀・救世主でなくてなんなのでしょうか。
いや、もうそういう表現だけでは、浅薄な言葉にしかならないと私は思うのです。
(ばく)
仏の心 ―大川隆法総裁 心の指針124―
隠された力 ―大川隆法総裁 心の指針116―
『無限のパワー』
さあ、信じるがよい。
人間のパワーが無限であることを。
無限であることを信ずるがゆえに、
無限のパワーが出てくるということを。
自分でそれを有限と信じてどうなる。
それで、幸福になった人が一人でもいるか。
しかし、わたしは言おう。
無限のパワーを信じてこそ、
無限のエネルギーを放出させうるのだ。
無限に大きな仕事をした方など、歴史には数限りなくいる。
死してなお、その名が、その言葉が、その思想が、
仕事をしつづけているのだ。
我が言葉を信じよ。
あなたの力は無限である。
あなたは無限界人間となれるのだ。
仏の子に限界などないのだ。
「無我なる愛」(オープニング・メッセージ第二集)
Come what may - たとえ何があろうとも -