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幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

幸福の科学の、高知の信者による共同ブログです。
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古代日本の都が奈良なのはなぜ?

2018-01-21 00:27:27 | 古代文明

 

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平昌オリンピックが近づき、アイスホッケーの南北共同チーム結成だとか、「あんたら、戦争当事者じゃないの?」と、耳を疑うことが取だたされていますし、一方では、アメリカの原子力潜水艦の寄港を韓国が断ったりと、「韓国さん、滅びたいの?」と、はたまた亡国の悪癖が出てしまっていて、日本ではそれを、平和ムードととらえる、一見平和主義的なアッポッポーな見解の人たちもいて。

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6269150

そのような危うい隣国と隣合わせの日本はどうあるべきか。

日本は、日本のあるべき姿を取り戻し、目指す未来の構築のために、戦略的に為すべきことを為すべきです。

いくらインフルエンザが蔓延しようと、免疫力が強ければ感染しないように、隣国が危うかろうが、凶暴だろうが、その国々より、正しく強ければ良いのです。

日本の長い歴史があり、有史ではそれを示せないほどです。

日本の歴史の大きな特徴は、「最後は正しい結論を出し続けてきた。」ということだろうと思います。

だからこそ、世界最古と言われる、長い歴史を歩んでいるのです。

かつて古代日本では、神武東征というものがありました。

私は『東征』と言われるような軍事行動ではなく、その大部分は、日本神道の宗教アイテムでもある、『米と酒による外交』だと考えています。

というのも、栗を主食にした縄文時代から、急速に全国に米を主食にした弥生時代となるのですが、この時代に英雄伝がありません。

軍事行動が大きければ大きいほど、それは武勇伝なり英雄伝として語り継がれるものですが、弥生時代と思われる時期は、静かすぎる日本大変革なのです。

その米作を、九州以外の地域に伝えて、同盟国として仲間を作り、ヤマトの国=倭国を、その後の大和の国の道筋を創ったのが、天照大神の肉体子孫として、日本神道の最高の神官でもある『かつての天皇』ではないでしょうか?

口を漱ぎ手を洗い、柏手を打つのが日本神道の習わしですし、鎮守の森の中にお社を構えるのが神社ですけれども、それらは、『交渉の前に行う行事』や、『交渉を行う場所』だったのを示しているのかも知れません。

また、いつの間にか、米作が始まり、いつの間にか、卑弥呼が魏志倭人伝に登場し、いつの間にか、神武東征が始まり、そして、いつの間にか、大和朝廷ができあがっています。

これら、静かすぎるのに、あまりにも変化の大きなこの時代を、当時の朝鮮半島情勢を踏まえた上でシミュレーションするとするならば、この神武東征外交は、『米と酒を中軸とした外交と遷都』という結論になると思います。

なぜならば、仮想敵国である朝鮮半島諸国には、遷都は、”絶対に、知られては困る”内容だからです。

あくまで、九州にヤマト国は存在しているように見せながら、秘密裏に、東方縄文系諸国との外交を成功させなければ、朝鮮諸国に付け入られ、攻め込まれる危険が大きいのですね。

私がそう考えるに至ったのは、神武東征が成功し、ヤマト国が都を構えた場所が、”奈良盆地”であったからです。

ではなぜヤマトの国は、奈良盆地を都に選んだのでしょうか?
こう言っては、奈良にお住まいの方に失礼かも知れませんが、新たな都を構え、全国にお触れを出す土地として、奈良盆地は果たして、的確な場所なんでしょうか?

元来、奈良盆地に居を構える豪族が、全国制覇したのならいざ知らず、遠方から来た侵入者が、わざわざ奈良を拠点するのは、どうもつじつまが合わないのです。

現代とは違い、舟や徒歩しか移動手段のない時代、奈良は、交通の便が悪すぎるのです。



邪馬台国近畿説から言えば、元来大和朝廷の原型が奈良発祥ということになるのでしょうが、私はそれはありえないと思います。
なぜなら、奈良盆地で発見される都市群全てが、完全な計画都市だからです。
奈良盆地の都市群は、すべて計画があって新しく作られた痕跡があり、自然発祥的な都市ではない証拠です。

通常ならば、首都機能を持つような都市を造ろうとすれば、もっと”交通の要所”になる地を、選択するのが常なのではないでしょうか?

たとえば、出雲の国(島根県)ですね。
ここには西から海流が流れており、当時朝鮮から貿易などには、とても適した便利な土地ですね。

もしも、アジア大陸など、当時の先進国家群との交流を、まず念頭に置いた国づくりをするとしたならば、首都機能は、絶対に日本海側にないといけないのです。

朝鮮からの影響力が嫌ならば、吉備の国(岡山県)でもいいですね。
ここには当時、吉備の国という大きな”くに”があったようです。
自然災害も少ないですし、東西南北、そして海運の拠点には最適です。

しかし、ヤマト国の新たな都は、奈良盆地でした。
なにわ(大阪府)ではなく、更に奥深い奈良まで入っています。



しかも、最初に居を構えたであろう、纏向(まきむく)と言うところは、奈良盆地の奥の奥、山裾の地です。
当時の都市水運には欠かせない、大きな川(大和川)も、遺跡からは微妙な場所にあって、これは川を運搬に使っていたというよりは、堀として防御に使っていたように、私には思えますね。

和歌山県側からの進入ルートに使えそうな紀ノ川は、奈良纏向(まきむく)の地の近くでは、川幅も狭くなり激流となります。
運搬輸送の交通ルートとしては使えず、むしろ侵入者を阻むような地形構造です。

ヤマト国の新首都が奈良盆地。
これは、「隠れ住んでいた」とか、「篭城した」としか、私には見えないのです。
そうであるならば、納得が行くのですね。

奈良は、防御にはもってこいの地形であり、言わば『天然の要塞』のような土地だからです。

奈良の地は、朝鮮半島から見ればどういう位置づけになるのでしょうか?

九州には、ヤマト国の正規軍が残っています。
海流に乗り、山陰地方に向かえば、同盟国であったであろう出雲の国(現・島根県)が控えます。
出雲を破り、中国山地を南下すれば、そのにはやはり同盟国格だったと思われる吉備(きび)の国(現・岡山県)が待ち受けます。

九州ヤマト軍を切り抜け、関門海峡を通り抜けて、瀬戸内海から東征すれば、これまた同盟国の吉備の国が迎え撃ちます。

瀬戸内海は島に囲まれ、海流の流れが複雑な、海の難所です。
当時であれば、地元民以外、東西への通り抜けなど不可能です。
縄文系の、優れた航海術を持つ水軍を整備すれば、瀬戸内海での朝鮮軍船の東進を十分阻止できます。



たとえ、朝鮮軍が大阪湾に辿りついたとしても、今度は、奈良盆地の周囲の山々が、”防御壁”となって立ちはだかります。
盆地は山があるので、大軍の陸路からの進入経路を限定することができます。

つまり盆地は、大軍を無力化できるのです。

また、海軍として来るであろう朝鮮軍は、そのまま大和川に入ることはできません。
川が微妙に小さく、また河口から奈良盆地にいたるまでには、必ず急流があるので、船を小さく作り変える必要が出てきます。

盆地ならば、大量の軍隊の侵入は、絶対にできないですし、盆地のような山岳地帯は、地元民が絶対に有利です。
盆地は巨大な外壁ですから、攻め込むのに大量の軍隊を要するのですが、その軍隊の進入ができないし、無数の抜け道があり、地元民ならば、いくらでもゲリラ戦法による防衛が可能です。

古代日本の新首都が奈良盆地なのは、奈良盆地は、朝鮮半島からの攻撃に対する、鉄壁の防御が可能な土地だからだろうと思うのです。

「ヤマト国の東征は、弥生化が遅れていた、東国への陣略目的ではなく、当時の朝鮮半島国家軍からの、防御を目的とした大規模な遷都」

これが、奈良の地理的な条件を踏まえた、私なりの歴史考察です。 

本日は、2月3日(土)開催される大川隆法幸福の科学グループ総裁の宮崎講演会のお知らせに続き、経典『愛から祈りへ』(幸福の科学出版)より、アトランティスやムーといった伝説の古代文明と現代日本について説かれた部分のご紹介です。 

            (ばく)

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大川隆法講演会サイト(https://ryuho-okawa.org/sp/mission/lecture/20180203 

☆大川隆法総裁先生 第1回講演会☆  

「情熱の高め方」 

日時:2月3日(土)13時~ 

会場:宮崎県都城市総合文化ホール(本会場)および、全国支部・精舎にて衛星中継  

高知支部精舎〒781-8105 高知県高知市高須東町2-11   

TEL:088-882-7775 

高知西部支部精舎〒781-1202 高知県高岡郡越知町2519-7   

TEL:0889-26-1077 

高知朝倉支部〒780-8062  高知県高知市朝倉乙988-11   

TEL:088-850-7774 

高知四万十支部〒787-0012  高知県四万十市右山五月町2-22 

TEL: 0880-34-7737 

【北朝鮮・国防編】幸福の科学・大川隆法総裁 2009年 提言集

 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=157

アトランティス文明が滅び、巨大な文明、文化国家が地上から姿を消したわけですが、アトランティス文明の末裔たちは、「なんとかして、自分たちの国を再現したい。かつての繁栄を取り戻したい」という気持ちを強く持っていたのです。

そこで彼らは、大西洋の近くにある地中海を中心として、アトランティス文明の再興を図りました。

そして、いまから数千年前、エジプト文明の発展と同時に、ギリシャにも、一つの発展、繁栄を見ようとしたのです。すなわち、ギリシャ精神の根底に流れているのはアトランティス文明なのです。

そして、このアトランティス文明と対極にあるのがムー文明です。

かつて太平洋にあったムー大陸は、いまから一万五千年ほど前に沈没しましたが、ムー大陸で文明を栄えさせていた人びとは、その文明をどこに持っていくかを考えた結果、インドや中国、日本などに文明を栄えさせてきたのです。

結局、「西洋の原点はアトランティスにあり、東洋の原点はムーにある」と言うことができます。

現在、西洋文明と東洋文明という二大文明があり、それぞれ数千年の歴史を持っているように言われていますが、その原点は、アトランティスとムーという二大大陸に栄えた文明にあるのです。

そして現在、アトランティス文明とムー文明が、数万年の歴史を経て融合し、一つになろうとしている──このように理解してよいのです。

ギリシャという国が創られ、発展していく前には、天上界で高級諸霊が数多く集まり、ギリシャの指導神、ギリシャの神々となりました。

アトランティスの時代に光の指導霊だった人びとが集まって、ギリシャという国を創っていくという決意をし、西洋文明の源流を創ってきたのです。

一方、かつてはムー大陸で文明を創っていた光の指導霊たちは、東洋文明を創っていくという決意をし、東洋の地に磁場を創り、インドや中国、その周辺に、さまざまな勢力圏を創ってきたという歴史があります。

このように、ムー文明が東洋の源流をなし、アトランティス文明が、ギリシャやその後の西洋の源流となったのです。(中略)

そして、いま、西洋の流れが日本という国に流れてきて、東洋の流れと合致しました。

結局、この日本が、今後、アトランティス文明とムー文明とを合わせたような新文明を創っていくための淵源地、原点となるのです。

われわれは、いま、そのような運命を担っているのです。
『愛から祈りへ』(幸福の科学出版)P193~197


日本よ、朝鮮半島に翻弄されるなかれ。

2018-01-14 22:28:49 | 古代文明

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北朝鮮が、平昌オリンピックに参加する見込みです。

それに伴ってか否かは存じませんが、2015年突然合意した日韓合意が、韓国側の以降で事実上の反古になろうとしています。

日本は外交が下手なんでしょうけれども、朝鮮半島国家の外交は危うい。

危なっかしくて見ていられないのですが、この危うさが、彼の国々にの方たちには、どうも理解できないらしいから困ったものです。

どうしてこう近視眼的なんでしょうか?

そういう「目の前の小さな利益」とか、「国内の一時の評判」というような、ちっぽけな基準に基づいた判断が、国際的に信頼を失うことが、ここはいつになったら理解できるのでしょうか?

そうやってこの国々は、いつも外交を間違い、国難にあい、国家をいくつもいくつも滅ぼしてきたのです。

それが今も続いていると思いますし、何もこういうことはここ最近始まったことではありません。

朝鮮半島国家群の内乱により、日本に助けを求めてきたのは、日本最初の歴史書である『古事記』にも記載があることですから、少なくとも、もう千数百年の歴史があることです。

古事記は、当時まで口伝えで語られていた神話をまとめた歴史書です。

そこには神功皇后による三韓征伐まで書かれていますので、聖徳太子の前の時代から、今も変わらぬ状況なわけです。

「三韓征伐なんてあったはずがない。」というのは簡単ですが、少なくとも、古事記の書かれた1300年前の日本が、韓半島の国家軍を認識していたのは間違いない『史実』です。

まぁ彼の国々がどのような道を選択しようが、私には興味はございませんが、しかし日本と近すぎる地理的な問題から、「朝鮮半島国家群からのとばっちりをいかに防ぐか」が、古来からの日本の基本的外交指針であったと思うのです。

なぜかと言うと、そういう視点だと、日本の歴史の全ての謎が解けるから。

今は日本の歴史教科書では、朝鮮半島にあったとされる任那(みまな)日本府は、「なかった」ことになっています。

けれども、古事記にあるように、朝鮮半島の百済(くだら)から援軍の要望があったのなら、百済と任那が隣接していないと、海を渡って、はるばる日本まで援軍を求める意味を成さないですよね。

 、

また、日本各地に存在する前方後円墳は、朝鮮半島にも存在するので、古墳が墳墓、つまり墓であるならば、これは古墳時代の日朝が、宗教を同じくする間柄、つまり神話を同じくする間柄であった確固たる証拠に他ならないのです。

また、弥生時代のものだと言われている古墳だけでなく、その前の縄文時代の縄文土器も、朝鮮半島から出土しますので、文化圏経済圏としての日朝のつながりは、千数百年では済まないものがあると思わなければなりません。

1万年以上続いたことがわかっている縄文時代、驚くべきことにその遺跡からは、全く武器が出土しないので、1万年以上に渡って戦闘行為がなかったのが縄文時代です。

朝鮮などの外国との戦闘どころか、村同士の内乱すらなかったのが、縄文JAPANなんです。

1万年以上に渡って、ドンなぎの平和社会であった縄文JAPANが、弥生時代に急速に武装化したのも、アジア大陸で、「国家」が出現したことによる、アジア大陸の急速な武装化への対応や、「国家」という仕組みを必要としたのなら、日本の古代の歴史の謎が紐解けます。

古代日本は、アジアからの軍事的脅威があったはずです。

そしてそれによって、朝鮮半島等の古代日本の文化圏や経済圏が、ジリジリと撤退せざるえなかったのではないでしょうか。

そして古事記なども神話には、九州から神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)、後の神武天皇が神武東征によって、今の奈良の地に都を構えたことになっていますが、これもアジアの軍事的緊張から、天照大神の子孫を、軍事的脅威の及ばないところに移すという行動ではなかったでしょうか。

このように私は、神武東征というのは、事実上の遷都ではなかったかと考えております。

というのも、奈良盆地は、防衛にはもってこいの地形だからです。

しかしそれでも、数々の謎があります。

朝鮮半島からの防衛が神武東征の大きな要因ならば、九州の軍事力を東征に使うことができません。

そんなことをすれば、朝鮮半島から敵軍がなだれ込んでくるからです。

ですので、神武東征というのは、ほとんどは『交渉』だったと思うのです。

その『交渉』の痕跡が、日本神道の宗教行事に残っていると私は考えます。

本日は時間がなく、なかなかその実例まで至れませんが、この古代日本のミステリーや、日本国家の成り立ちが、今後の日本の未来を考える上で、とても大切だと思いますので、いつかまた書かせていただけたらと思います。

ともあれ、朝鮮半島国家からの災いをいかに防ぐかは、日本の幸不幸に直結します。

ですから日本の皆様は、確固たる信念と、正しい指針を求める姿勢を失ってはいけないと思うのです。

日本の先祖が、この確固たる信念を持つ努力と、正しい指針を求め続けたからこそ、度々国家が変わり、外憂の歴史を続けたお隣の中朝韓の国々とは違う歴史、数千年にも及ぶ歴史を、日本の国は歩んで来たのだと思いますから。

では本日は、Libertyweb記事をご紹介します。

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日韓合意をちゃぶ台返し!韓国の反日の裏には北朝鮮!?【ザ・ファクトニュースセレクト2018.01.13】

「オオヒルメノムチの霊言」―天照大神のルーツとその教え―【CM動画】

韓国が日韓合意に新方針 「慰安婦」も「北朝鮮」も、解決のカギは日本にある

《本記事のポイント》

  • 韓国政府は日韓合意に関する新方針を示し、合意を事実上反故にした
  • 河野談話で発信した「虚構の歴史」を喝破しない限り、慰安婦問題は解決しない
  • 北朝鮮問題を解決するためにも、日本は韓国に強いリーダーシップを発揮すべき 

日韓合意が「なかったこと」になろうとしている。 

韓国の康京和(カン・ギョンファ)外相は9日午後の記者会見で、いわゆる慰安婦問題をめぐって2015年に締結された日韓合意に対し、韓国政府の新たな方針を示した。これにより、日韓合意に基づいて設立された「和解・癒し財団」の財源10億円は、日本政府ではなく韓国政府が拠出することとなった。 

また、康外相は、日本政府に対して合意の再交渉を求めないとしながら、「(元慰安婦らの)名誉、尊厳の回復と心の傷の癒しに向けた努力の継続を期待する」と述べた。 

日本政府が資金を出さなくていいのであれば万々歳だという見方もできるかもしれないが、結局は「たった10億円で解決できると思うな」と言っているに等しい。 

2015年12月に締結され日韓合意に基づき、日本政府は元慰安婦支援のための「和解・癒し財団」に資金を拠出した。しかし、合意に異を唱える元慰安婦や韓国の市民団体は、日本政府からの資金を受け取ることに反対していた。 

こうした声を受け、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は4日、元慰安婦8人らと懇談し、「あなたたちの意見も聞かず、意向に反する合意をしたことについて申し訳なく、大統領として謝罪する」と述べた。文氏が日韓合意に不満を持っていることは明白だ。 

日本からの資金提供を拒否したことで、事実上、合意を反故にした形だ。 

「合意」では解決できない慰安婦問題

本欄で指摘してきた通り、日韓合意では慰安婦問題を解決できない。 

日本政府は、合意によって慰安婦問題は「最終的かつ不可逆的に解決」され、今後、両政府は国連など国際社会でこの問題の非難、批判を控えるとしたが、合意締結後も、韓国はオーストラリアやアメリカ、フィリピンなどで次々と慰安婦像を建てている。 

そもそも、日韓の戦後賠償問題は、1965年に締結された日韓基本条約により全て解決済みだ。結果的に、2015年の日韓合意は新たな論争の火種をつくっただけになってしまった。 

さらに言えば、本誌・本欄で繰り返し述べているように、慰安婦問題は、日本叩きのためのプロパガンダ(政治宣伝)にすぎない。日本軍が慰安婦を強制的に徴収したという事実はなく、数多くの資料がそれを証明している。 

にもかかわらず、1993年の河野談話で、日本政府は日本が「従軍慰安婦の強制連行」をしたと発信してしまった。 

結局、これが「虚構の歴史」だと喝破しない限り、慰安婦問題は終わらない。日本政府に求められるのは、合意ではなく、正しい歴史の発信だ。弱腰の姿勢では、正常な日韓関係を築けない。 

慰安婦問題も北朝鮮問題も、解決は日本次第

北朝鮮問題を解決するためにも、日本は韓国に対して強いリーダーシップを発揮することが求められる。 

合意に対する新方針を発表した9日午前、南北の軍事境界線上にある板門店では、約2年ぶりの南北会談が行われた。 

会談に参加した韓国の代表団は、平昌(ピョンチャン)で行われる2018年冬季五輪に北朝鮮が正式に参加表明をしたと発表した。北朝鮮の五輪参加により、米韓は3月のパラリンピック終了まで合同軍事演習を延期する方針だ。 

ドナルド・トランプ米大統領が武力行使も辞さない姿勢を示したことにより、北朝鮮は表面的に態度を軟化させてはいる。しかし、これまでの経緯をふり返れば、合同軍事演習が停止している間にも、北朝鮮が核・ミサイル技術を磨くことは明らか。日本政府は、対話を重視する韓国に対して、北朝鮮問題は金体制の崩壊でしか解決できないと説得すべきだ。 

日本が韓国に正々堂々と意見を言える国になれば、慰安婦問題も北朝鮮問題も解決に近付くはずだ。アメリカや国際社会に判断を委ねる外交は、終わりにすべきだろう。

(片岡眞有子)

 

【関連書籍】

幸福の科学出版 『従軍慰安婦問題と南京大虐殺は本当か?―左翼の源流 vs. E.ケイシ―・リーディング』 大川隆法著

https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=824

 幸福の科学出版 『南京大虐殺と従軍慰安婦は本当か―南京攻略の司令官・松井石根大将の霊言』 大川隆法著

https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1272 

幸福の科学出版 『神に誓って「従軍慰安婦」は実在したか』 大川隆法著

https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=957 

【関連記事】

2015年12月29日付本欄 歴史を20年後退させた慰安婦問題の日韓合意 安倍首相は真実の前に謙虚であれ

https://the-liberty.com/article.php?item_id=10703 

2014年8月号 幸福実現党・釈量子×故・渡部昇一氏 愛国対談【再掲】

https://the-liberty.com/article.php?item_id=13624 

Web限定記事 南京大虐殺、従軍慰安婦をめぐる論争に終止符を打つ衝撃レポート

https://the-liberty.com/article.php?item_id=4962

木花開耶姫(このはなのさくやびめ)のテーマ


神々がつくった世界最古の国日本

2017-11-10 00:02:01 | 古代文明

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本日は、幸福の科学布教紙、「WHAT's幸福の科学」をご紹介します。

国之立神(くにのとこたちのかみ)は、『日本書紀』では、国之立尊(くにのとこたちのみこと)と表記され、天地混沌の折に最初に登場する神です。

『古事記』では、神代七代の最初の神とされ、玉置神社(奈良県)や、熊野神社(神奈川県)などに祀られています。

戦後70周年を超えた日本は、『古事記』や『日本書紀』が伝えるように、神代の時代から続く2600年以上の歴史を有する”世界最古の国”です。

太平洋に浮かぶ小さな島国が、様々な文化を輝かせてきた背景には、建国から現在に至るまで、天上界から日本を見守り、導いてきた神々の働きがあります。

もしも今、その神々の言葉を聞けるとしたら。

そんな奇跡が今、実際に起きています。

幸福の科学グループ創始者大川隆法総裁の「公開霊言」によって、現代人に語りかける神々の言葉が数多く降ろされ、映像や書籍で伝えられています。

本日は、その一部をご紹介します。    (ばく)

 

http://info.happy-science.jp/magazine-class/whats/ 

『日本書紀』で最初に現れる神 

国之立神の霊言 

建国後わずか200年余りのアメリカと、「古代・中世・近代・現代」と何層にも積み重なった歴史を持つ日本とでは、その違いは明らかですね。

年輪のように層が重なって出来上がった歴史を持っている国は、神々の、並々ならぬ努力の賜物であるわけです。(略)

あなたがた日本人は、もっと誇りに思ってよいし、世界は、もっと日本のことを学ぶべきだと思いますね。

 

http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1106242227/

国之常立神・立国の精神を語る 「降伏」か、それとも「幸福」か


国難から始まる日本神話 いまふたたび

2017-11-09 00:51:42 | 古代文明

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ドナルド・トランプ米大統領が、日本・韓国訪問を終え、中国に赴きました。

日本滞在中のトランプ大統領が終始ご機嫌だったのに対し、韓国では終始不機嫌そうな表情だったのが印象的です。

北朝鮮と直接国境を接するのが韓国です。米韓両国で、首脳同士の意思の疎通がなければ良いのですが。

もしも、韓国そして在韓米軍が北朝鮮にやられるようなことがあれば、日本は対岸の火事どころではなくなります。

日本国憲法などかなぐり捨てて、しゃにむに国を守らなければなりません。

日本が、米韓と意思を一つにし、きっちりと後ろ盾が行えれば、心配することはないと思いますが、もし日本に迷いがあり、米韓の後ろ盾ができないようなことがあれば、半島の米韓両国はゆでガエル状態となる恐れがあります。

それは日本の危機というだけにとどまりません。

それは即ち、朝鮮半島を基軸とした、第3次世界大戦の可能性が出てきます。

未来の東アジアの命運を分け、世界の平和のカギを握るのは日本です。

このような半島有事は、今に始まったことではなく、遠い昔、大和の国開闢の折りより、これまで再々に渡って起こってきたことです。

一回のブログ記事で紹介はできませんが、現実問題として、「日本の歴史における外交指針のほとんどは、対朝鮮半島問題であった」と考える方が、日本の歴史を読み取りやすくすると言い切れます。

つまり、「日本にとって、朝鮮半島からの国防対策というのは、それだけ重要だ。」ということであり、「今この時は、日本にとっての危機のときなのだ。」ということなのです。

  

有史以降の日本というだけでは語り切れません。

むしろ、日本という国家発祥の動機こそ、対朝鮮半島からの国難回避と言えるのではないかと思っております。

と申しますのも、日本の古代には縄文時代という特異な時代が長くあって、これは少なくとも1万年前から始まっているのですが、その間、縄文遺跡からは「武具」が出て来ないという、完全なる絶対平和主義の時代でした。

縄文遺跡が北海道から沖縄、そして朝鮮半島から出土することから、かなり広いエリア、今の日本の国土よりも広い地域の文化圏があり、栗のクッキーを主食とする時代だったのを、拙ブログではカテゴリー「古代文明」で書いております。

それが、約3,000年ほど前から、日本は米を主食とする文明へと変貌します。

この「米」の広がる時代こそ、弥生時代と言われるものです。

この日本の弥生化は、九州地方から始まっていて、これは大陸では、秦や漢と言った、巨大国家誕生の時代と重なります。

このことから、日本の弥生化は、大陸漢民族国家や朝鮮半島国家からの、国防の必然性から生まれたものではないかと考えます。

というのも、古代の日本は朝鮮半島に勢力圏を持っていたから、当時の日本人は、大陸の実情を詳しく知っていたと思われるからです。

任那(みまな)と呼ばれる地域ですが、朝鮮半島に残る古墳などを見る限り、かなり広い地域で、日本の勢力圏があったのが、だんだんと押される形で南下してきて、それまでの縄文式ドン凪の平和路線をかなぐり捨てて、軍備増強路線を引くと共に、大陸と同様、「国家形成」をして対抗しようとしたのが、後の大和朝廷ではないかと思います。

またその脱縄文、つまり弥生日本の新しい国つくりのリーダーが、日本神道の中心神、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)や、天照大神ではなかったかと思います。

ともあれ弥生時代の遺跡からは、急速に武具が発展すると共に、それらは朝鮮半島国家で使われていたものの後追いや、その改良系が増えてきています。

九州佐賀県の吉野ケ里遺跡 物見櫓があり、物々しい雰囲気がある。

古事記などに書かれている事柄から推測しますと、神武東征と言って、その後九州のヤマトの国は、今の奈良県に向けて東征したことになるわけですが、おかしなことがあります。

それはこの時代、日本における唯一の軍事大国が九州地域ですので、「攻め込むまでもないのでは?」と思ってしまうことです。

そして、九州の武装化から端を発する日本の弥生化ですが、それが大陸や朝鮮対応の結果であるならば、九州から軍事力を移動できないのですね。

ヤマト軍が東に移動すると、朝鮮から九州に、敵の軍隊がなだれ込んでくるからです。

つまり、兵法から見た神武東征は、「九州に軍事力を温存した状態での東征」という、謎だらけの奇跡の歴史なのです。

どうやって、こんなことができたのでしょうか?

そして、どうして奈良に、新たな都を定めたのでしょうか?

それは「朝鮮半島からの襲来という事態を想定したとき、奈良が最も防衛に適していたから」と考えると、全てのつじつまがあってしまうのです。

なぜ都が奈良なのか?

邪馬台国はどこにあったのか?

この時代発祥であろう、日本神道の神話や儀式の意味は?

出雲大社はなぜ別格なのか?

伊勢神宮は、なぜ大切にされているのか?

米と祭りの因果関係とは?

この時代、そしてその後、天皇がはたしてきたこととは?

などなどです。

時間の関係上、本日はこれまでとさせていただきますが、また折りに触れ、日本の古代ミステリーに挑戦していたいと思っています。

それは、日本の歴史の奥深さ、平和を愛する心、そして真に、日本の方々の自信と誇りの復活につながるものと信じます。

本日は、経典『未来の法』(幸福の科学出版)より、一部抜粋をお届けいたします。

そして今また、新たな国難を迎えている日本を舞台に、新たな神話が始まっているのです。

            (ばく)

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自虐史観を払拭するために~女性アーティスト・恍多が「英霊」に歌う【ザ・ファクト】

 

「エル・カンターレ信仰は希望の光」日本語スピーチコンテスト2012

 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=862

「和をもって貴しとなす」ということが尊重されている、大和の国でありながら、この国の中心指導霊である、天御中主神という方は、霊言集(中略)を読めば分かるように、発展・繁栄を非常に強く訴えかける神です。

そして、日本神道では、この方がいちばん偉いのです。

女神である天照大神のほうは、どちらかといえば、おっとりした調和型であり、日本の精神性の面では、彼女の個性のほうが支配的なのかもしれませんが、日本の国を中心的に引っ張っている霊人は、発展・繁栄が好きな方なのです。

そのように、発展・繁栄型と調和型の二人の主導神が中心になって、日本を牽引してきているのです。(中略)

天照大神が説くことは、主として、「穢れなき心」や「清らかさ」です。

「罪や穢れがある者は禊祓いをして清らかになりなさい」ということを、まず言います。

これは、仏教的に言えば、反省の心でしょう。

そうした清らかな心を持つことと、「みなが協調して、仲良くやっていけるような世界にしなさい」という、和の心を説きます。

それは、ある意味でのユートピアでしょう。

そういう考え方と、発展・繁栄の考え方、この両方によって、実は国体が成り立っているのです。

そして、学問的な部分については、日本オリジナルのものだけでは十分ではないところがあったので、仏教が移入され、仏教研究がずいぶん行われました。

その担い手が学者のはしりです。

そういう学者がたくさん出てきて、知的レベルも上がったのです。

知的レベルとしては、もちろん、奈良仏教にもそうとうなものがありますが、平安仏教においても、空海の書いた本を見ると、のちのカントやヘーゲルも驚くような、非常に高いレベルの観念論を展開しています。

思想的には、すでに完成の域に達していて、それ以上発展の余地がないぐらいのレベルまで行っています。

日本は、そういう国だったのです。

その意味で、日本の国全体、国民全体が、日本の歴史というものを、もう少し正当に見直す必要があると思います。

もちろん、日本には、失敗したところもありましょうが、日本の美点を見直し、諸外国の歴史ともよく見比べてみて、「自分たちは、こういう民族であり、こういう人々であり、こういう国なのだ」という、正しい自己認識、アイデンティティー(独自性)を持たなければいけません。

例えば、「メディアが、こう言った」「マスコミが、こう書いた」「外国から、このように言われた」などということで、あまりグラグラするのではなく、自分たちの歴史については、自分たちで、きちんとした認識を持つ必要があります。

それが「自信」の部分につながってくるのです。

やはり、自国の歴史をきちんと知った上で、外国のことを勉強して自国と比較し、その善悪などを公正な観点から見ていくことが大事だと思います。
『未来の法』(幸福の科学出版)P127~137


東アジア情勢から見た日本神話と『奇跡の法』

2017-10-07 01:54:42 | 古代文明

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日本は今、「大きな判断」を求められていると思うのです。

北朝鮮がミサイルを日本上空に飛ばしているからです。

心ならずも、衆議院は解散しました。

政府は、解散などせず、国防の充実を図るべきでした。

北の金正恩は高笑いでありましょうよ。

日本では、国民は主権者です。

政府は、主権者である国民の、雇われ経営者であり、召使でしかありません。

主権者である日本国民は、「このような有事に対応しない政府など、容認するべきではない」と判断するべきだと思います。

日本は、自信がなさ過ぎると思います。

先の大戦で負けたからといって、なぜ、今を生きる国民の生命と安全と財産を護ることを、躊躇しないといけないのでしょうか?

「宗教が何を言う」と言われるかも知れませんが、「国防の充実」というと、「侵略国家への道」と条件反射的に思ってしまうのならば、それは何か、悪い思想の洗脳が効いているのではと思うのですが。

さて一般的に習う教科書的な古代日本の姿は、東アジアの遅れた島国的な扱いだろうと思います。

しかしこれには、重大な知識が欠落しています。

・主食の栗のクッキーを焼けるだけの、高性能万能調理器具だった縄文土器の存在。

・南樺太・千島列島~沖縄本島、そして朝鮮半島を含む、広大な文明圏(縄文・古墳時代)の存在。

・縄文時代は、万年単位で武具が出土しない、完全平和社会であったこと。

などです。

つまり、東アジアの遺跡等を分析する限り、縄文や古墳時代の古代日本は、当時の東アジアの広い地域に、豊かで平和な文明圏を有していた可能性が高いわけです。

これらを総括すると、東アジアが、匈奴(モンゴルなどの北方民族)などの侵攻に備え、国家という組織システムを形成したことで、東アジアの広範囲に、武力による古代日本文明圏の縮小が行われたと言えると思うのですね。

ですから、韓国などがうるさいからか、「古代朝鮮半島に任那(みまな)という日本府があった」という記述が言われなくなっているようですが、歴史の流れから言うと、「もっと以前は、もっと広い地域が任那だったのが、じりじりと韓半島南端まで、勢力が追いやられていった。」というのが真相だろうと思います。

つまり、「1万年も戦いのない古代日本は、東アジアの戦国化の波に抗し切れず、任那と九州から武装化せざるを得なかった」というのが、日本の国家の始まりだと思うのです。

左翼的歴史観では、日本の大和朝廷を侵略国家的な扱いをしているとも取れる表現をしていますが、私はそうは思いません。

侵略的な意思での武装ならば、当時の日本国内では、九州のみが、唯一の、そして突出した軍事大国化となった理由が説明できません。

侵略的な意図ならば、全国各地に武具が出土しておかしくないはずですが、古代では、九州以外の地域で、戦闘を意味する遺跡が発見されません。

これは、九州を要塞化している陣形であると思います。

何が言いたいかと申しますと、「現代のような、朝鮮半島がらみの国防の危機は、今に始まったことではない。」ということです。

そして日本は、「平和を基軸とする日本の歴史において、その歴史の合間に度々訪れる、厄介な隣人(朝鮮半島国家)からの災厄を、国家のイノベーションをすることで乗り切ってきたのだ。」ということです。

さあ今日本は、どう自己改革するべきなのでしょうか?

それは、「自分の国は、自分で守る!」という決意以外ないと思います。

ですから私は、幸福実現党を応援します。

経典『奇跡の法』(幸福の科学出版)の一部抜粋をご覧ください。

             (ばく)

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大川隆法総裁 大講演会2016 「信仰と繁栄」(大阪城ホール)より

 

 

「美し国の旅人」~恍多-Koutaが英霊に歌う

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(前略)霊的な眼で観て、「先の戦争は悪魔が指導していたのかどうか」という点をチェックする必要があると思います。これが分かるのは、いま地上では私しかいません。

霊的な眼で観るかぎり、日本神道の神々の七、八割ぐらいは、先の戦争に賛成していました。地上の軍人の独走ではなかったのです。
当時の日本は、「大東亜共栄圏」や「八紘一宇」など、さまざまなことを言っていましたが、その思想自体は日本の民族神からストレートに出ていたものであり、地上にいる人たちはそれを受け取っていたのです。これは間違いありません。

いま日本全国に、社(やしろ)、神社が、八、九万ぐらい建っています。明治時代には十数万ありました。

日本神道の神々とは、そこで祀られている神々のことです。これが、「八百万(やおろず)の神々」といわれる日本の民族神です。

日本神道の神々のうち、二、三割ぐらいは戦争に反対していましたが、反対といっても消極的で、「負けるのではないか」という程度の意見だったため、主戦論に押しきられてしまいました。

したがって、日本神道の神々にも、当然、先の戦争に関する責任があるのです。

その結果、日本が満州や朝鮮などに建てた神社等は、第二次大戦後、焼き払われてしまいました。

指導している国が戦争で負けた場合、当然、その国の神々は責任を問われ、格が落ちます。なぜなら、人々の信仰心が薄れるからです。

ただ、日本の神々は、明治維新で神道にもとづいた王政復古に成功し、日清戦争と日露戦争に勝ち、第一次世界大戦にも勝っているので、四つほど勝ち点があります。

まだ一回負けただけなので、その勝ち点が全部消えてしまったわけではありません。

あと一、二回負けると、人々の信仰心がゼロになり、勝ち点が完全に消えてしまうと思いますが、まだ四勝一敗なので、ゼロにはなっていないのです。

そのかわり、当然ながら、日本人の心には非常に深い傷が残りました。

これが、戦後の日本人に意識調査をして、「あなたは信仰を持っていますか」「あなたの宗教は何ですか」という質問をすると、「無宗教です」という答えが数多く返ってくる理由です。

この無宗教論と戦わなければいけません。

これは日本の国家神道が背負っている負の遺産なのです。

『奇跡の法』幸福の科学出版)P90~92

 

幸福実現党 JR宇都宮駅にて街宣 成田さん(2017/9/26)


神話の国日本の、絶対平和主義からのイノベーションと『未来の法』

2017-10-04 01:42:06 | 古代文明

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ああ、またしても衆院選報道は、定番の、「選挙をにらんでの政局」に変わってきました。

後にご紹介する大川隆法幸福の科学グループ総裁著『未来の法』にあるように、日本人は自分たちの歴史に自信を持つべきだと思うのです。

恐らくは、先の大戦以降の歴史教育の中で、長く厚い歴史を持つこの国の本質を見失ったのだと思うんですね。

だから浅薄な価値観で、判断しようとするのではないでしょうか?

私は国粋主義者でもありませんし、信仰する幸福の科学とて国粋主義的な教団ではありません。

全世界100カ国に教団支部を持つ、国際的宗教ですので、発祥地とは言え、日本のみが尊いという価値観でないです。

私は地理や気象やものつくりが好きなので、その方面から日本の歴史を見る限り、「これは5大文明に入らんといかんぜョ!」と思っているだけであり、心底、日本人であることを誇りに思っているのです。

しかしだからと言って、他国の人を見下したりしていませんし、「自国を誇る=他国を見下す」というのは、日本には古来よりなかった価値観です。これはお隣の国、朝鮮半島に根強い価値観であり、その方面からの恣意的な影響を受けた考えではないかと私は考えております。

日本は自国を誇るのに、他国を見下す必要などないと思います。

それだけの厚みと遺跡があり、それは今現在の日本人への影響を見るに、「教訓」というものも含まれていると考えます。

韓国では歴史捏造が行われているようですが、そのようなものは長く語られることはないと思います。なぜならば、フィクションには、教訓が生まれる余地がないので、語り継ぐ価値がないからです。

さて縄文土器や神津島の黒曜石などから推測される縄文文明の範囲は、樺太南部から沖縄本島、そして朝鮮半島に及び、その間、武具が遺跡から出て来ないことから、絶対的な平和社会であったことが推測されます。

そしてさらに大きな特徴として、「時代が変化しても、文明の質が変化しない。」というものがあります。つまり、1万年と言われる期間、ほとんど変化なく、進歩もなかったのが縄文文明です。

これと似たのがエジプト文明で、壁画などから推測するに、「過去ほどレベルが高い」と思われるのですね。つまりエジプト文明は、だんだんと文明の質が落ちて行った文明です。

ということから、縄文もエジプトも、過去の高度な現文明を引き継いだ、「継承文明」の可能性が高いと言えます。 

 

さて、縄文時代の後は弥生時代とも言われますが、その頃には、全国で古墳が造られてもいて、別名「古墳時代」とも言われることもあります。

古墳は墳墓、つまり「墓」であったことがはっきりしています。

これは大きな意味を持ちます。

そしてその規模ですが、例えば最大級の仁徳天皇陵古墳は、面積だけならエジプトのクフ王のピラミッドより大きいので、ピラミッドが墳墓であるかはまだ研究の余地ありとは言え、世界最大の墳墓は日本にあるということになります。

これは、「古代日本には、それだけの大規模な施設を造るだけの、経済的、富の集中があった。」という絶対的な証拠になります。

大事なことは、この古墳が、日本のみならず、朝鮮半島にも造られているということです。

古墳は墳墓ですので、「同じ墓がある」ということは、「死生観が同じ」ということを意味します。つまり、「宗教が同じ」ということです。

つまり、縄文時代を終え、弥生古墳時代において、「日本全国と朝鮮半島は、宗教が同じであった」つまり、「神話が同じであった」ということで、「国(当時、国というものがあったらですけど)が同じであった」ということになるわけですね。

私が習った時代の日本の古代の歴史では、「かつて朝鮮半島南部に任那(みまな)と呼ばれる日本府があった」と言われていましたが、今ではどうやら教えられていないとのことですけれども、「転覆しない舟」を持つ縄文時代の驚くべき航海術から推測しても、また縄文遺跡や古墳にしても、「朝鮮半島南部に任那があった」ということの方が、むしろ自然なのですね。

http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/e/033b10a5224397b63bad5b4dfa236d8f

  韓国光州広域市の前方後円墳https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E5%8D%8A%E5%B3%B6%E5%8D%97%E9%83%A8%E3%81%AE%E5%89%8D%E6%96%B9%E5%BE%8C%E5%86%86%E5%BD%A2%E5%A2%B3

そして古代日本においては、1万年単位で絶対平和主義だった縄文時代が終わり、弥生時代が始まって、いつの間にか奈良を中心に、天皇のいる国家へと変貌しています。

私たちは日本の歴史として、ここから公的には学んできたのですが、その間のことが「神話」として伝承されているだけで、「神話なら教えるにあたわず」という、唯物的な教育の結果、日本人は民族としての大きな心のよりどころを失ったのだと思います。

しかし、ここを取り戻さない限り、日本人は「日本を取り戻すことができないのだ。」と私は考えます。

では「神話の時代」に、日本に何があったのでしょうか?

それは時代を限定し、日本を取り巻く東アジア社会を含めた眼で見れば、遺跡や痕跡だけでも推測できるのです。

ただし、常識で考えられているような、「東アジアにひっそりと存在した島国ではない」ということを前提にしなければ、絶対に真実は見えてきません。

「前時代である縄文日本は、超海洋大国であった」という、歴史における確認作業が必要です。

そういった視点で見たならば、縄文時代が約3000年前に収束したとして、その時東アジアでは何が起こっていたか?

そう、中国では、「国家」が形成され始めていたのです。

夏・殷・周などの王朝です。

それらは、匈奴(きょうど・モンゴル人)の侵攻に備え成立したと思われますが、当時日本において、「国家」という概念や組織がなかったとしたら、軍事的にも経済的にも太刀打ちできないはずで、1万年に及ぶ、絶対的、慢性的な平和ボケ状態であったろう縄文日本にとっては、それはまさに「国難」と呼ぶにふさわしいものではなかったかと推測されるわけです。

だとすれば、古代日本において、九州がまず軍事大国化したのもうなずけます。

そしてそのような古代の危機の時代、九州高千穂の地域らに、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)や天照大神が生まれ、新時代の日本構築のために国つくりに尽力なさったのではないでしょうか?

ということで文字数制限が近いので、本日のコラムはこれまでですが、大川隆法幸福の科学グループ総裁経典『未来の法』の一部を抜粋をお届けいたします。

               (ばく)

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http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170909/soc1709090018-n1.html

 

自虐史観を払拭するための戦い―幸福実現党・釈量子【ザ・ファクト】

 

日本人のDNAが中国・韓国人とは異なる

 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=862

「和をもって貴しとなす」ということが尊重されている、大和の国でありながら、この国の中心指導霊である、天御中主神という方は、霊言集(中略)を読めば分かるように、発展・繁栄を非常に強く訴えかける神です。そして、日本神道では、この方がいちばん偉いのです。

女神である天照大神のほうは、どちらかといえば、おっとりした調和型であり、日本の精神性の面では、彼女の個性のほうが支配的なのかもしれませんが、日本の国を中心的に引っ張っている霊人は、発展・繁栄が好きな方なのです。

そのように、発展・繁栄型と調和型の二人の主導神が中心になって、日本を牽引してきているのです。(中略)

天照大神が説くことは、主として、「穢れなき心」や「清らかさ」です。

「罪や穢れがある者は禊祓いをして清らかになりなさい」ということを、まず言います。

これは、仏教的に言えば、反省の心でしょう。

そうした清らかな心を持つことと、「みなが協調して、仲良くやっていけるような世界にしなさい」という、和の心を説きます。それは、ある意味でのユートピアでしょう。

そういう考え方と、発展・繁栄の考え方、この両方によって、実は国体が成り立っているのです。

そして、学問的な部分については、日本オリジナルのものだけでは十分ではないところがあったので、仏教が移入され、仏教研究がずいぶん行われました。

その担い手が学者のはしりです。そういう学者がたくさん出てきて、知的レベルも上がったのです。

知的レベルとしては、もちろん、奈良仏教にもそうとうなものがありますが、平安仏教においても、空海の書いた本を見ると、のちのカントやヘーゲルも驚くような、非常に高いレベルの観念論を展開しています。

思想的には、すでに完成の域に達していて、それ以上発展の余地がないぐらいのレベルまで行っています。

日本は、そういう国だったのです。

その意味で、日本の国全体、国民全体が、日本の歴史というものを、もう少し正当に見直す必要があると思います。

もちろん、日本には、失敗したところもありましょうが、日本の美点を見直し、諸外国の歴史ともよく見比べてみて、「自分たちは、こういう民族であり、こういう人々であり、こういう国なのだ」という、正しい自己認識、アイデンティティー(独自性)を持たなければいけません。

例えば、「メディアが、こう言った」「マスコミが、こう書いた」「外国から、このように言われた」などということで、あまりグラグラするのではなく、自分たちの歴史については、自分たちで、きちんとした認識を持つ必要があります。

それが「自信」の部分につながってくるのです。

やはり、自国の歴史をきちんと知った上で、外国のことを勉強して自国と比較し、その善悪などを公正な観点から見ていくことが大事だと思います。
『未来の法』(幸福の科学出版)P127~137

 

木花開耶姫(このはなのさくやびめ)のテーマ

 


日本人は、筋金入りの平和主義者なのかも⁉という昔のお話。

2017-10-01 01:42:56 | 古代文明

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北朝鮮から、次々とミサイルを国土の上空に飛ばされていて、一か月の間に、2回もJアラートという、現代の空襲警報を鳴らされていて、日本国民は不安と屈辱の逢い混ざり合った心境です。

しかし肝心かなめの与党自民党は、その対応をするでもなく、「今なら勝てるから」と国会を解散してしまいました。

こういう有事の際に、きちんと対応できるよう、日本国民は300もの議席を与えたというのに。

しかもそれをマスコミが問いただすわけでもなく、安倍VS小池の対決のシナリオを描いているようです。

それに乗って、小池新党に鞍替えする候補者が多数いて、議席獲得という名の就職活動の結果、民進党は事実上消えました。

これでは希望の党ならぬ、選挙活動党でありますわね。

結果、与党も野党もマスコミも、この国の国民は、誰も信じなくなって来ていて、これまで信じていた民主主義というものが、ガラガラと音を立てて崩れていく様を、リアルタイムで見ている面持ちです。

そういう中にあって、日本国民はまだ冷静さを保ってはいます。

普通の国のならば、とっくに核武装に入っているだろうし、民主主義国の為政者ならば、せめて自分の任期中は平和が保たれるようにする、何らかの具体的行動を行うものですし、そうでないと国民が許さないでありましょう。

これら一連の動きは、日本においては一種の「価値観」が背景にあるわけで、それを単純に、戦後教育のせいにしたり、市中で行われているであろう、中国や朝韓の画策だけでは、説明しきれないものがあると思い、私は「日本人の価値観の根底に、もっと根深い歴史的背景がある」と考えているのです。

それは、このブログで時折取り上げている日本の古代文明、そう、縄文時代に遡らなければならないと思うのです。

日本にかつて存在した縄文時代、これは事実だけを並べるならば、現代では作成できない、クッキーを焼けるだけの高温に耐える土器があり、千島・樺太南部~沖縄本島、そして朝鮮半島までに渡る、当時世界最大の文明圏であったことが分かっています。(カテゴリー・古代文明をご参照ください)

最低でも1万年前には存在し、3000年前の弥生時代まで、恐らく1万年は続いていたであろう高度な縄文時代ですが、その縄文遺跡群からは、絶対に出なければならなものが出土しないのです。

それは何か。

「武器」です。

1万年を超えると言われる長い期間の間に、全く武器が進歩しないということは、一体どういうことなのでしょうか?

それは、この1万年以上の縄文時代に、戦争がなかった証拠なのです。

これ以外、考えられないんですね。

時期の重なるメソポタミア文明やエジプト文明では、石から青銅へ、そして最終的には、鉄製にまで武具は発展します。
また移動機関も、馬や馬車による戦車など、時代を追うごとに、武具だけは、かなり進化・高度化した形跡が見られます。

建築物や生活物品などのレベルは、年々落ちていくのですが、軍事関係だけは、逆に進歩し発展して行くのがエジプト文明です。
それは、エジプト文明が「周囲国との争いを経験した」という明らかな証拠ですね。

一方縄文文明では、黒曜石の鏃(やじり)などがみつかりますが、これなどは、猟で使っていただろうと思います。

黒曜石の切れ味は、ナカナカのものではありますが、すぐに割れますので、戦闘には不向きです。
何せ、手で簡単に割れます。(笑)
これでは、武器としてはまったく使えません。(爆笑)



戦闘があれば、双方が武具の性能を競い合うはずです。これは、必ずそうなるのです。
縄文文明のように、どこの地域でもいつの時代でも、基本的に同じく、黒曜石製の鏃(やじり)しか出てこないというのは、縄文文明下の日本というのは、極めて平和な時代が、何千年も続く時代であったはずです。

武器が出て来ないということは、純粋に遺跡だけをみるならば、今の日本より広い縄文Japanにおいては、日本以外の国との戦いではなく、内戦すらなかったのです。

ここに日本人の、平和に対する原風景があるのではないでしょうか?

よく教科書では、
「縄文人には、国家という概念はなく、平和に暮らしていた。」
「人々は皆平等で、階級などはなかった。」
「その後の日本人が、争いという概念を持ち込んだ。」

みたいな表現をしておりますけど、半分は当たっていると思います。
国家という概念は、縄文人には恐らくなかったでしょうね。

私の予想では、縄文文明は”海洋型文明”です。
恐らく小さな集落が、海岸線の周囲に、北海道から九州まで(一説によると沖縄・朝鮮半島まで)点在しているような分布で、縄文の人々は、暮らしていたのではないでしょうか。

その点在する集落を、舟を使って移動する、”行商人”のような人がいて、

彼らが当時の日本全国を、縄文ネットワークでつないでいたのではないか?と想像いたします。

一つ一つの集落は、主食である栗やドングリを栽培するための、林で区切られている形です。

ですから近くの集落とは、実はあまり接点がなかったのではないか・・・とも、思っております。

接点がないので、お互いの利害が衝突せず、争うことも余りなかったのではないでしょうか?

栗やドングリを計画的に栽培し、それをクッキーなどにして食べる縄文人です。

ですから、それなりの組織は、集落内であったはずです。

縄文集落には、曲がりなりにも、”高度な仕事”がありますからね。

仕事のあるところには、必ず組織はできるのです。

組織がある・・・ということは、何らかのリーダー的存在はあったはずです。 

それがどういう形態の、組織なのかはわかりません。

しかし必ずあったはずです。

縄文人には、仕事があるからです。 

ですから、一般常識で言われている、「縄文=原始共産主義社会」というのは、共産主義者の幻想だと思います。

何度も言いますが、縄文人は決して、原始人ではなかったのです。

縄文人=原始人という思い込みが、科学的思考を停滞させていて、真実の姿を見えなくさせていると思います。

しかし、他の集落とも、あまり接点を持たずとも、争いは少なく、それなりに楽しく暮らせたのが、縄文文明ではなかったかとは思います。

日本という国は、平安時代や江戸時代など、数百年単位で平和な時代を経験していますし、戦後も70年以上、戦争を経験していません。

このような国は他に例がなく、日本は筋金入りの平和主義の国だと思うし、日本人の基本的な想念として「平和」があるのだと思うのですね。

であるならば、今の苦境を何としてでも克服しなければならないと思うのです。

それは、世界に未来に「平和創出の方法論」であるとか、平和の遺伝子構築であるとか、そういうメッセージを届ける使命が日本にはあるはずだからです。

戦争と戦争の合間が「平和」という価値観しかない、永遠の戦国時代しか経験んしたことのない世界は、本当の意味で日本の平和の遺伝子を望んでいるし、それができるのは日本しかないと思うのです。

「基本想念が平和」ということは、「打つ手が遅い」という欠点もあります。

何とか、日本を知り、世界の現実を知ることで、日本の欠点を克服しないといけないと思います。

その選択こそ、衆院選であり、幸福実現党こそが、その任を果たせると思います。

本日は、元寇に対峙した鎌倉幕府第8代執権北条時宗と、徳川幕府を開いて戦国の世を終わらせた徳川家康の霊言の一部をご紹介いたします。

            (ばく)

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【避難シミュレーション①】もし北朝鮮の核ミサイルが飛んで来たら?【屋外編】

大和魂で、国防を語る 幸福実現党 釈 量子党首(沖縄維新の会)

★大川隆法先生 御法話

ご演題「危機のリーダーシップ」-『自分の国は自分で守れ』講義②-

◆日時・場所◆

【日  時】2017年10月1日(日) 13:30~15:30

【本会場】名古屋正心館・礼拝堂 

【衛星会場】支部・精舎

https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=945

すでに、元はスーパー大国で、世界一の超大国だったわね。
ヨーロッパとイスラム圏が、「十字軍」で戦って決着がつかず、何百年も戦い続けていたけど、その彼らを、丸ごと侵略してしまうぐらいの力があったわけですからね。(中略)

だけども、私は、単に拒否していただけではなく、攻めてきたときのための備えもやっておりました。
例えば、北九州などに防塁を何重にも築いて、攻めてきたときの戦い方を考えていましたが、実際に、あれは大きな役目を果たしています。そういう“防波堤”をつくっておいたために、彼らは、すぐに日本が占領できなかった。(中略)

鎌倉は、少し遠かったかもしれないけども、ヨーロッパを支配できたぐらいですから、とりあえず、九州を起点にして東征し、足の速い馬を使った騎兵で日本を占領する計画は持っていたと思うんです。

ヨーロッパへ行くまでの距離を考えれば、日本列島の主要都市を押さえるぐらい、わけがないことですよね。

ただ、海の戦いがあるので、造船しなければならず、それに何年か、かかっているわね。だから、その間に、こちらのほうは、防衛の準備をしていて、防塁を築き、九州の兵たちも鍛錬し、鎌倉武士たちも、西のほうに続々集結させつつあったわけです。(中略)

「国家意識」が芽生えてはきていたわね。

つまり、「国を守らなければ危ない」ということに対しては、九州の人も鎌倉の人も、意見は変わらなかったわけだ。(中略)

やはり、「武士社会があった」ということが、最大の強みだったね。
日本の武士道が根づいたのは「鎌倉時代」だと思いますけれども、うまいこと、日本の神様がたは、武家社会をつくる時代に入られたわけです。

まあ、(元寇を)予知されていたのだとは思うけども、そうした「武士の精神」ですよね。

たとえ、武器性能は向こうより劣っていたとしても、日本刀をつくる技術もあれば、甲冑をつくる技術もあり、また、弓矢をつくる技術も、槍をつくる技術もあったわけだし、向こうの馬には劣るかもしれないけれども、日本の馬もいたわけではあるのでね。そういう意味で、「侍社会があった」ということは、基本的には、「防衛体制を敷いていた」ということです。

今あるような“平和主義”で言えば、「海を越えて攻めてくるわけがないから、平安時代のまま、貴族社会をやっておればいい」ということになるだろうが、平安時代を滅ぼし、もともと武士だったにもかかわらず貴族化しかかった平家まで滅ぼして、源氏の世に変えた。

やはり、日本の神々のお考えは、「次に来る国難から、この国を救う」ということだったわけだ。

それを考えると、京都に近い所にいたら堕落して貴族化するので、鎌倉から幕府を移さなかったのは、頼朝以下、鎌倉幕府の将軍および執権たちの見識の賜物であったかなと思う。

そういう意味で、時代的要請に合っていたし、運がよかった。でも、運だけではなくて、「自力の部分があった」ということですね。
『北条時宗の霊言──新・元寇にどう立ち向かうか』(幸福の科学出版)P41~45

 

 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=893

 

君らは、「経済・貿易は平和なもので、軍事は戦闘的で悪いものだ」と思うておるかもしらんが、軍事的なものと経済的なものは、そんな簡単に分けられるものではなくてね。「経済で交流がある」ということには、これが、いつ、政治問題や軍事問題に転化するか、分からないところはあるのよ。

今の日本では、「中国との経済を拡大したいし、中国とアメリカも、お互い大きな経済相手国になっておるから、経済的には離れられないだろう」と思うておるだろうけれども、政治的にぶつかった場合には、経済問題なんか全部棚上げにして、戦いに入りますからね。(中略)

「貿易をやっているから」といって、平和が来るとは限らない。それは、知っておかねばならんことだよな。(中略)

最近の戦争でも、そういうふうに言われているようではあるけど、「貿易相手国だからといって戦争が起きないわけではない」というのは、ヨーロッパでも、よく分かっていることだ。だから、日本人にとっては、「今の貿易や経済の規模を維持すること」と、「政治」のところを、あまり一緒にしないほうがいいかもしれないね。

相手の中国なんかは一緒にしていないよ。むしろ、ある意味では、経済の拡大や貿易量の拡大を、相手を取り込んでいくための政治・軍事的戦略の一環としてやっておる。

これを、民間主導だけでやると、うまいことやられてしまう。

国家主導の国に対して、「貿易を盛んにすると豊かになる」という民間主導の思想だけでやっていると、あっという間に取り込まれてしまうことがある。(中国は)それも狙っていると思いますね。(中略)

このへんの考え方には難しいところがあるから、用心深い性格だと、“窓口”をあまり開けないようにする。当時は、オランダ貿易に絞っていったが、オランダからでも情報は取れたし、輸入もできたわけだけど、「洋風化を避けた」というのは事実ではあるな。(中略)

また、「武士の世」として理想とすべきものの一つは鎌倉幕府の時代にあって、やはり、「貴族化した場合には短期で滅びる」ということは分かっていた。

直前の秀吉さんは、下から這い上がって武将になり、太閤になってからは、すごく派手な性格になって、金貨の雨を降らすような生活をしたけども、最後には、あっという間に滅びていった。

それを見て、「武家の世は、やはり、質実剛健でなければ続かない」と考えたし、「貿易も大事だけれども、貴族化しないためには、『単に国を富ますことだけがすべてではない』という考えも必要だ」と思った。そんな短期で滅びるような政権ばかりつくってもしかたがないからね。

それに、外国からの占領を受けても困る。

だから、(対外的には)「今は『侍の世』『侍の国』である」ということにして、“窓口”を絞っておき、日本の実態戦力が分からないようにしていたところがあるかな。
『徳川家康の霊言――国難を生き抜く戦略とは』(幸福の科学出版)P38~42

 


「安倍さん、日本を舐めたらいかんぜョ!」と「縄文日本海洋文明説」

2017-09-27 00:36:49 | 古代文明

 

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衆院解散の動機が「消費増税の使い道の変更の是非を問う」とのことです。

北朝鮮のミサイルが日本上空を飛び交う中、「それって、今問われないといけないことなの?」と、一主権者として思うのですが。

また、少子高齢化社会が問題ならば、消費税をなくした方が良いです。

消費増税すれば人口が減るからです。

なぜなら、人口=消費だから。

国民は消費増税すると、無意識に人口調整に入ります。

アルコール依存症の方とか、「犬が吠えても酒を呑む理由になる」と言われますけれども、さしずめ今の日本の政治は「増税依存症」ですな。

安倍さん、日本国民の見識を、舐めとるんと違いますろうか?

確か政権奪取した際の自民党のキャッチフレーズは、「日本を取り戻す」でしたけれども、そもそも、日本を舐めとるんと違いますろうか?

その根底には、ひょっとして、「日本は世界史の中で、常に世界の後ろをついてきた、遅れた国家」という認識があるのと違いますろうか?

そういった意味で、このブログは幸福の科学の布教ブログではありますが、有史以前の「縄文」という時代にスポットを当て、「日本は世界史の中で、常に世界の後ろをついてきた、遅れた国家」という認識に、大きな風穴を開けてみたいと思うがです。

その日本の歴史の持つ重みや厚みを日本人が取り戻すとき、私は今日本で行われている政治が、なんと薄っぺらく、なんと国民や神々を愚弄してきたかが明るみに出る時だろうと思うのです。

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/208981

さて、日本の神話時代以前の話を、ブログ記事で書いていることになります。

これはまだ、幸福の科学では語られていないことですので、その点ご容赦を。

さて縄文文明は、一般的なイメージ、(古代人=原始人)とは違い(笑)、その文明度は、かなりの高水準なレベルに、達していたと推測しております。

「文明のテクノロジーが違うだけで、実は一昔前の日本と、そう変わらないんじゃないのか?」
極端に言えば、私はそう考えているのです。

文明には建築物が付き物ですが、縄文式建築物は、いわゆる 『竪穴式住居跡(たてあなしきじゅうきょあと)』 しか、発見されておりません。

大型竪穴式住居(復元・三内丸山遺跡 青森県)


竪穴式住居は木造ですので、現物はなく住居跡ですが、縄文人が、石で巨大建築物を造らなかったということです。
日本は季節での温度や湿度の変化も激しく、木が豊富にありますので、一般的な住居は木造だったと考えます。

ですから縄文文明には、文明の痕跡である建築物の遺跡がありません。

その建築物に使用した木は、主食でもある『栗』です。

その栗を縄文土器でクッキーにしていたのが縄文文明であって、この字縄文土器をこの文明の特徴とするならば、これは立派な文明の域に達していると思います

縄文文明は、ぶっちゃけた表現を使うならば、『栗文明』なのです。

だとすれば、その後の弥生以降は、『米文明』だと言えますね。

この縄文文明は、とにかく、その文明圏が広い!

北海道~九州まで、同様の縄文式土器が発見されます。
いや実は、沖縄や朝鮮半島でも縄文式時は発見されます。
これは文明圏で言えば、当時恐らく世界最大です。

世界の4大文明と言われる、メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明などは、大きな河川の流域のみの、”限局文明”です。
しかし縄文は、文明圏で言えば、大体今の日本の国土と変わらないか、それ以上の広さを持ちます。

 

さあ、これだけ広い文明圏を形成するには、移動手段が不可欠ですよね。
メールやテレビなどの情報伝達機関がなければ、人が移動しない限りは、広い文明圏を形成することは、到底不可能だからです。

では、どのような移動手段を使って、縄文人は全国を移動していたのか・・・???
それはどうやら、『舟』らしいのです。
舟を使って移動する海洋型文明が、実は縄文文明の正体なのですね。
舟の動力源は、人力でしょうが、ひょっとしたら帆船だったかもです。

そしてその構造は、丸太を切り、くりぬいた 『丸太舟(まるたぶね)』 であったことはわかっております。

そして最近、どうやら「その丸太舟は、転覆しない機能を持っていた 」という、驚くべき仮説が、考古学で発表になっております。

では、どうしてこの、何の変哲もない丸太舟は転覆しないのか?

それは、カヌーのような丸太舟を、横に2艘連結だったのです。
そうすれば、理論上、絶対に転覆しないのですね。
大波で、大きく揺れることはあっても、絶対にひっくり返らないのです。

この2艘立てのカヌーで、どうやら縄文人は、古代日本を北から南まで、縦横無尽に駆け巡っていたらしいのです。



その証拠に、縄文遺跡からは、カツオやマグロなど、魚のゴミが見つかります。

これらカツオやマグロなどの魚は、黒潮の流れる外洋でしか捕れません。

ということは、縄文人は、外洋に出られる航海術を有していたことになります。

それも、通常の生活レベルで、です。

これが日本近代で実現したのは、江戸時代中盤になってからです。

いずれにしても縄文人は、恐るべき航海術を、有していたことには間違いありません。



そして、驚くべき事実はまだあります。

それは、全国各地から、同じところから出土した石が見つかるのです。

伊豆諸島の神津島(かみづしま)で採取される黒曜石(こくようせき)ですが、この神津島産黒曜石がなんと、全国各地で発見されるのですね。

黒曜石は火山性の石で、パリっと割れるのが特徴です。
切れ目はとても鋭利になるので、黒曜石はよく切れます。
古代の包丁が、この黒曜石なのですね。



この黒曜石ですけど、全国各地で結構採れるのです。
もちろん神津島以外の伊豆半島でも採れるますし、関東地方でも採れます。

しかし、他の地方の黒曜石は、縄文遺物からはそれほど出てこないのに、なぜだか、神津島の黒曜石だけは、全国で見つかるのです。

これは、なんらかの方法で、神津島産黒曜石として、”価値ある商品として普及していた証拠”ですよね。
この神津島の黒曜石は、当時のブランドとして確立していたとしか考えられないのです。

「包丁はやっぱり、神津島産の黒曜石よね。」
「きゃぁ、神津島の黒曜石よ。あなた、買ってェ~。(ハートマーク)」

なぁ~んていう会話が、全国の集落のあちこちで、交わされていた可能性が高いのです。(笑)

となると、流通システムの他に、
何らかの経済活動が、縄文時代には存在していた可能性がありますね。

貝殻や、勾玉(まがたま)、何らかの宝石の類・・・などを使った、当時なりの経済があったかも知れませんね。

まぁ、こういった、フィールドワーク的手法から導き出される推測される事実は、
一般的な常識からは想像もできないような、縄文時代の高度な生活様式ではあります。



世界には、もっとすごい証拠も。

日本の風土病で、ATLA(成人T細胞白血病)という病気があります。
HTL-Vというウイルス感染による白血病です。

この日本の風土病ATLAが、実は、南米ペルーでも見つかるのですね。

ATLAの感染経路は 【 母乳 】 です。
つまり、授乳行為以外では感染しません。 

ATLAは、インフルエンザ(飛沫感染)のような、伝播型の感染症ではないので、母子関係、またはそれに,極めて近い人間関係がなければ、感染できないのです。

日系移民が感染源?と考えることもできるのですが、日系人が移入したことのない、奥地の村落からもATLAが見つかります。

そしてどうやら、かなり昔から、この病はペルーにあるらしいのですね。
免疫学観点から調査したところ、ペルーのATLAは、日本人のHTL-Vと全く同じタイプのウイルスでした。


しかも、1万年前の日本人と同じ株のウイルスだったのです。

この調査結果を、マジメに解釈するならば・・・、古代日本の縄文人は、はるか太平洋を越えて、沈まぬ舟に乗り、日本のみならず、全世界を駆け巡っていた・・・ことになるのですね。

あらら、凄~~いことに、なってきましたねぇ。(笑)

遺跡から見えてくる古代日本は、結構、いや、かなりスゴイ!

日本が持つ奥深さは、ここ数百年単位で、出来上がったものではないらしいです。 

 

ということで、この国の為政者の方や、マスメディアの方々は、日本の真の奥深さ、そして分厚い見識の根底にある、歴史的重みをよくご存じないようなので、「あんまり舐めたまねをしていますと、手痛いしっぺ返しを、主権者である日本国民から返されますよ。」と御忠告申し上げたいです。

古事記・日本書紀や、卑弥呼伝説や神武天皇即位伝説の前に、この国には、まだまだ秘められた歴史が存在するのですから。

ということで、恐らく日本の政治組織の中で唯一、日本の奥深い歴史に敬意を払っているであろう幸福実現党。

この幸福実現党のことを、日本の皆様に、もっとよく知って頂きたいと願いつつ、動画とLibertyweb記事をご紹介いたします。

               (ばく)

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今回の衆議院解散に大義なし!【ザ・ファクト FAST BREAK】  

幸福実現党 次期衆院選の候補予定者及び政策発表(抜粋版)2017年9月25日

安倍首相、国連演説は北朝鮮一色 そんなに言うならなぜ今、解散!?

http://the-liberty.com/article.php?item_id=13519

安倍首相、国連演説は北朝鮮一色 そんなに言うならなぜ今、解散!? 

《本記事のポイント》

  • 安倍首相は国連で「対話ではなく、圧力を」と訴えた。
  • 一方、国内の政治はウソやごまかしだらけ。
  • 次の衆院選では、「国防の哲学」を持った政党を選ぶべき。 

安倍晋三首相は米ニューヨークの国連総会で20日、一般討論演説を行った。「論点をただ一点、北朝鮮に関して集中せざるを得ない」と、その内容のほとんどが北朝鮮問題に費やされた。 

安倍首相は、「『すべての選択肢はテーブルの上にある』とする米国の立場を一貫して支持する」と語った。また「対話とは、北朝鮮にとって我々を欺き、時間を稼ぐため、むしろ最良の手段だった。(中略)対話による問題解決の試みは無に帰した。(中略)必要なのは対話ではない。圧力だ」と断じた。 

トランプ大統領の「(脅威が迫れば)北朝鮮を完全に破壊する以外に選択はない」という演説も踏まえると、安倍首相はアメリカの軍事行動も支持することを示唆している。実際、アメリカは、北朝鮮への軍事行動について国連常任理事国5カ国から承認を取りつけており、北朝鮮の包囲網は完成したという説もある。 

「戦後政治」はもう終わらせたい

だが威勢のよい国連演説とは裏腹に、国内における自民党の政治には打算が蔓延している。 

安倍首相が10月に総選挙を決めるのは、民進党が混迷し、小池新党も立ち上げ準備が間に合わないのを見越してのこと。しかし、北朝鮮は、選挙期間を「最も攻撃しやすい時期」として狙ってくる可能性も高い。 

また、自民党が20日に明らかにした衆院選の公約骨子案によると、重要政策は「アベノミクス推進」「人づくり革命」「働き方改革」「北朝鮮対応」「憲法改正」の5項目。 

北朝鮮対応では、「最大限の圧力」をかけるとするものの、憲法改正については、自衛隊の存在を明記するのみ。争点のメインとして強調するのは、2019年秋の10%への消費増税による財源を、教育無償化などに充て、「全世代型」の社会保障を実現するということだ。これは、民進党の支持者をも取り込もうという魂胆だろう。 

北朝鮮や憲法改正を強調しない自民党は、「北朝鮮問題、憲法9条の改正を選挙の争点として戦えば、負ける」と思って保身に走っているだけだ。このような腑抜けの姿勢では、日本を守ることはできないだろう。 

「自分の国は、自分で守る」という姿勢

今、日本に求められるのは、「国防のための哲学」を持った政治だ。 

長年、北朝鮮の脅威から目を背けてきた自民党には、それがない。「国防のための哲学」を持っているのは、2009年の立党以来、国防強化を訴え続けてきた幸福実現党だけなのだ。 

釈量子党首は、本誌11月号(9月30日発売)の「釈量子の志士奮迅」の中で、次のように指摘している。 

「幸福実現党は、宗教政党です。だからこそ、独裁国家が軍事拡張し、未来の日本人が人権弾圧の憂き目に遭うかもしれない中、『選挙受け』のために、国防の議論を後回しにする政治を、見過ごすわけにはいけません。今、日本は国の安全を、アメリカに依存する危険性を、肌で感じています。『自分の国は、自分で守る』体制をつくるために、核装備やミサイル防衛の強化、憲法9条の『加憲』ではない抜本的な見直しなど、本質的な議論に踏み込む時です」 

10月の衆院選では、同党の飛躍を期待したい。

(山本泉)

 

【関連書籍】

幸福の科学出版 『自分の国は自分で守れ』 大川隆法著

https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1916 

【関連記事】

2017年9月20日付本欄 トランプ米大統領の国連演説 その本心はすでに語られていた

http://the-liberty.com/article.php?item_id=13516

 

2017年9月20日付本欄 【そもそも解説】首相の「伝家の宝刀」 衆院解散の法的根拠はどこにある?

http://the-liberty.com/article.php?item_id=13515


ハンパない縄文土器の性能と『黄金の法』

2017-09-22 02:04:47 | 古代文明

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今日本は、北朝鮮問題等で、苦境に喘いでいます。

日本人は、日本という母国に対して、自信を失ってはいないでしょうか?

私が思うに、日本人は母国に対して、評価が低すぎると思うのです。

日本の人々は、日本という国家が、世界の片隅で、ひっそりと生き続けてきたと思っているかも知れません。

しかし私は、違うと思います。

私がいつも思うのは、「真実が知りたい。」ということです。

主観や、風潮や、レッテルに左右されず、ただありのままに、真実を知りたいのです。

そうした「可能な限り、まっさらな眼」で日本を観たときに、「これはスゴイことなのでは?」と思う事実に、日本ほど溢れている国はないと思っています。

そして、単なる劣等感などではなく、真の意味において、生まれた国を愛し、生まれた国を誇り、この国に「後世に残すべき素晴らしさ」を発見したら、「もっと強くあらねばならない」と、私は強く思うのです。



ということで、古代日本、縄文時代の話をしてみたいと思います。

縄文時代の始まりは、よくわかっておりません。

少なくとも、1万年前には存在していたのは分かっております。

私はこの、日本の縄文時代というのは、世界の5大文明に入れるべきだと考えております。

それは、この時代のテクノロジーが只者ではないからです。

たとえば、有名な縄文土器と、後代の弥生式土器、どちらの性能が優れているかご存知でしょうか?

答えは、圧倒的に縄文式土器なのです。

実は、現代技術をもってしても、縄文土器は作ることができないのです。

その形はつくることはできても、その機能を再現できないのです。

皆さま、縄文人の主食を御存知でしょうか?

答えは『栗』です。

栗を粉にし、それでクッキーにして食していたことが分かっています。

驚くべきことにこの栗は、今の季節で行われているような、栗拾い的な自然採取されたものではなくて、人工的に栽培されていたのです。
縄文人たちは、集落の周囲を栗林で囲み、収穫し備蓄していたのです。
これだけでも凄いことでしょう?(笑)

そして栽培した栗を粉にして、クッキーを焼いて食べていたのですね。

クッキーにすると、保存ができるからです。

となると、つまり縄文土器は、土器のくせに、クッキーを焼く温度に耐える性能を、持っていたことになりますよね。

教科書らのイメージで言いますと、縄文土器は、なんだか古い時代の”ただの壷”のような印象で、紹介されていますが、ところがどっこい、その正体は、”万能調理器具”です。

煮るのはもちろん、焼く、揚げる、炒める、一台で何でもできる機能を持っております。

クッキーを焼く温度というのは、1000℃以上の高温です。

それくらいの高温に耐える性能を持った調理器具を、土から作る技術は、現代では存在いたしません。
全て、鉄製のはずです。

もちろん、縄文より新しいはずの弥生式土器は、煮る以外の調理方法はできません。
実は縄文土器のテクノロジーは、人類史から失われた技術なのですね。

縄文人=原始人のイメージしか、多くの日本人は有してはいませんが、狩猟はあくまでオカズです。



日本では鹿やイノシシなどは、どこにいても、そしていつでも狩ることができます。

また川や海からは、幾種類もの魚介類が年中取れ放題です。

また縄文の地層からは、ゴミが出土するのですが、その縄文地層のゴミは、2週間で成分が変わるのですね。

『2週間』というのは、何かと申しますと、『旬』 です。
2週間で生活ゴミが変わるということは、その時々の”旬の食べ物”のゴミに変わるのであり、縄文人が、その時期の旬の食べ物を食していたということがわかります。

その時々の旬の食べ物が、ある一定以上出土するのが、古代日本の集落遺跡の、大きな特徴です。
栗を主食に、野生動物や旬の山菜、豊富な魚介類などを、縄文土器で調理して食べていたのが縄文人です。

これらから推測すると、当時の世界で、最も食べ物の豊かな文明が、日本の縄文時代であった可能性が高いのですね。

しかし、『当時』と一概に、ひとくくりにできないところがあります。

なぜなら、縄文時代というのは、少なくとも1万年前から始まっております。

教科書的な歴史では、メソポタミア文明で7000年。
エジプトや、黄河、インダス文明あたりで5000年前くらいです。

そしてこれらの文明圏は、1つないし2つの川の流域のみの、”限局文明”です。

しかし、縄文文明の証拠である縄文土器は、北は南樺太・千島列島、南は沖縄本島、そして朝鮮半島の一部にまで、当たり前のように出土いたします。

そう、縄文土器が出土する縄文文化圏は、今の日本の国土より広いのです。

これはイデオロギーでもなんでもなく、現実に出土する遺跡を、何の既成概念なく見て考察すると、こういう結果になってしまうのです。


ということは、縄文文明は、文明圏としては世界最大です。

また、教科書的比較すれば、世界最古の文明に相当してしまいます。

しかも、驚くべきことは、その失われた技術、脅威のテクノロジーでできた縄文土器は、ごく極限られた所から出土するのではなくて、全日本列島の一家に一台が当たり前のように出てくるのですね。

当時の王侯貴族的な、限られた富裕層だけが使用していたのではなく、全国各地の一般庶民が、ごく当たり前に使っていたのが縄文土器なのです。

現代技術をもってしても作ることができない、この超テクノロジーの土器が、現代のアルミ鍋やフライパンのように、全国どこでも、まったく考古学的に珍しくもなく出土してくるのが、日本の縄文時代なのです。

この事実から推測できることは、古代日本の縄文時代というのは、現代文明でも作れない高度なテクノロジー作品である縄文土器を、誰もが同じように作れる文明であったか、もしくは、とある場所で大量生産し、全国に流通させるシステムがあったとしか、説明できない文明なのですね。

ねえ、日本って凄いでしょう?(笑)

ということで、つぶさに事実だけを読み取って行くとき、単純な時系列で見た歴史観、つまり、「過去は今より劣っている」という、言わば、進化論的歴史観は間違っていると私は思うのです。

あらら、気が付けば、もう文字数制限が近いです。(笑)

いつかまた、縄文の「驚くべき流通」に関して、発表させていただければと思います。

ということで本日は、経典『黄金の法』(幸福の科学出版)より、天上界にある過去から未来を見通せる『アカシックレコード』について記された部分をご紹介いたします。

                (ばく)

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黄金の法「天台智顗」、一念三千。

 

 https://www.irhpress.co.jp/upload/save_image/02021754_510cd43e059ab.jpg

あなたがたが実在界に還れば、そこには、「アーカーシャーの記録」(アカシック・レコード)というものがあります。

そして、それを読み取る力のある人が見れば、人類の歴史は、まるで手に取るがごとく分かるのであり、また、ほとんどの人は、人類の秘史におどろかされるはずです。

このアーカーシャーの記録は、如来界以上の人でないと、読めないことになっています。

つまり、八次元、あるいは、九次元の住人でないと、この記録を閲覧できないのです。

なぜならば、人類の歴史を知るということは、仏の計画を知るということであり、人類の未来社会の見取図まで分かってしまうため、世人のだれもが見るというわけにはいかないからです。

近代で、生きながらにして、このアーカーシャーの記録を実在界で見て来た人としては、十八世紀の北欧の神秘家・スウェーデンボルグがおります。

近年では、人智学のルドルフ・シュタイナー。両者とも、八次元如来界の人です。

古くは、イエス・キリストの時代に、「黙示録」のヨハネが、光子体離脱をして、つまり、生きながらにして魂が肉体を抜け出して、アーカーシャーの記録を見て来て、それについての報告をしております。ヨハネもまた、八次元如来界の人です。

ただ、このアーカーシャーの記録は、文字に書かれた一冊の書物ではないため、だれもが同じ理解をしているというわけではありません。

許可を受けると、その記録が、立体映画のように眼前に展開されるのですが、見る人の悟りの段階に応じて、理解できるようになっています。

たいていは、象徴的なピクチャーを見せられて、そこから、各自が感じ取るわけです。

「黙示録」のヨハネが見て来たという、新約聖書にある人類の未来図も、ひとつの象徴であって、完全なヴィジョンではなかったと言えます。

ただ、彼が見て来た人類の終末的様相は、この二十世紀末から、二十一世紀初めに人類を襲うことになっている危機的状況のヴィジョンであったことは真実です。

現在、八次元では、エリヤ、「黙示録」のヨハネ、ノストラダムスなどが、アーカーシャーの記録を管理するという仕事をしております。

そして、九次元宇宙界で、この記録の鍵を持っているのが、ゴータマ・シッダールタ(釈尊)やイエス・キリストです。

このように、時間というものは、単に三次元の時計によって計られるものではありません。

時間とは、実在界のアカシック・レコードが回されるときに奏でられる音楽のようなものなのです。(中略)

人類的な時間の秘密、歴史も、ここに理解の鍵があると言えます。

つまり、過去の歴史とは、すでに回転を終えたレコード盤の何枚かなのです。

未来の歴史とは、まだ回転させないでいるレコード盤なのです。

通常人であれば、これが曲として演奏されなくては、どんなものかが分かりません。

しかし、盤面を見ただけで、一瞬にして、曲全体を読み取る能力者にとっては、人類の未来がかなり明確に分かってしまうということなのです。
『黄金の法』(幸福の科学出版)P19~23

 

- 虹色の願い -

 


日本人のルーツは、神代の時代を超えて。(古代文明日本編)

2017-09-15 00:33:11 | 古代文明

 

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日本人は、本当の意味で、日本を知っているでしょうか?

日本を、ただ戦後急速に発展しただけの、国家とお思いでしょうか?

日本人は、本当の日本の姿を、知らなければなりません。

それには、日本人は、日本という国家の、ルーツを知らなければなりません。 

戦前は、神道系の教育があり、古事記や日本書紀を学校で学ぶのは当たり前でした。

戦後教育は、宗教色を払拭しましたけれども、それは、日本神道の払拭でした。

 それはある意味で、信教の自由を広げましたけれども、一方で、日本人としての、麗しき精神性をも失わせました。 

科学は発展し、戦前よりも多くの知識を、我々日本人は得ましたが、それを得るために、失った代償も大きかったと思います。

 

日本人とは何か。

その調べにも似た美しき本性を、力の限り、綴って参りたいと思いました。

よく巷で言われる、「戦後日本は急速に発展し、云々」という議論があります。

私はこれを、払拭したいのです。

「ブログ記事ごときで何ができる。」という声もあろうかとは思いますが、まずは事実を得なければ、自虐史観を払拭できないのです。

戦後急速に発展した日本。
この概念の中には、「日本は、遅れていた国だった。」というニュアンスが含まれております。

そうではなく、日本は、最近の戦後からだけでなくて、遥か昔から、レベルの高い国であったと思われます。

私はそれを、数々の謎解きをしながら、解明し、証明してみたいと思うのですね。

よく誤解されるのですが、「昨日より今日、去年より今年、という風に、歴史というものは、年代が新しくなればなるほど進んでおるものだ。」という思い込みが、一般的にはあるように思えるのです。

私も以前は、そう考えておりましたが、実際はどうかというと、「必ずしも、そうはなっていない。」というのが現実です。



一般的な思い込みで語られる、この上記のフレーズというのは、恐らく、進化論的な感覚から来ているものだと推測します。

たとえば、「縄文時代と弥生時代、どちらが文明・文化として高度であったか?」と聞かれれば、恐らく現代日本人の全員が、「弥生時代」とお答えになるでしょう。

時系列で言えば、縄文時代が終わって、弥生時代が始まるからです。

しかし、驚くべきことに、年代の新しい弥生時代が、それよりも古い縄文時代より進んでいたのは、実は、 ”摂取カロリー” だけなのです。

日常的に使っている、道具などのテクノロジー、交通手段、流通システムなどは、もうほぼ全てにおいて、縄文時代の方が、圧倒的に進んでいると思われるのです。

意外ですが、弥生よりさらに古い縄文時代の方が、文明としてのレベルで言えば、実際は、遥かに高いと思われるのです。

はっきり言えば、縄文時代などは、世界5大文明として、教科書で教えなければならないレベルだと思います。いや、世界最高の古代文明の可能性もあります。

この証明は、後の記事に譲るとして、今後この、日本から失われたルーツに対して、私なりの見解を述べて参ります。

それはひょっとすれば、今の時点においては、幸福の科学の見解と違うのかも知れません。

ただ、考古学資料や、軍事的知識、また古事記や日本書紀に書かれている謎、そして伝説の神武東征や、邪馬台国に関する私見を述べることで、誇るべき日本の歴史を、多くの方が取り戻せる機会となればと願います。

縄文や弥生時代、そして大和朝廷の発足など、日本の歴史が持つ、意外な時間の流れ、ミステリーや驚きが、歴史を探っていくと随所に散りばめられているのです。
それを発見することは、とても楽しいことです。

そしてそれは、日本という国家、そして日本人の奥底にある、本来の煌めきを発見することに通じると、私は深く信じます。

まことに申し訳けございません。本日は、前説だけで時間切れです。(笑)

まったくここの幸福の科学布教ブログの編集長(私)といったら、まっこと、口数ばかり多くて、本論に行く前に文字数制限とは。(大爆笑)

それではせっかくお越し下さった皆様に申し訳ないので、経典『太陽の法』(幸福の科学出版)より、ムー文明に関する部分のおすそ分けをさせていただきます。

              (ばく)

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「美し国の旅人」 恍多 - Kouta

 

御法話 「自らを人材に育てるには」  

日時:   9月17日(日)開催時間日中(予定決定次第報告します) 
本会場: 新居浜(完全予約制) 
衛星会場:四国内の支部・精舎・拠点・衛星布教所  

 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=153

ムーは、太平洋上に浮かぶ大陸でした。

その出現自体は、ラムディア大陸よりも古く、いまから三十七万年前ごろ、海上に姿をあらわしました。

それ以後、大陸の形は、さまぎまにかわりましたが、ラムディアの末期ごろには、現在のインドネシアあたりを中心にして、オーストラリアの二倍ぐらいの面積をもつ大陸でした。(中略)

ラムディアの人々は、大きな帆船の大軍団を組み、いまから二万八千年ぐらい前から、ムー大陸の諸都市を植民地化しはじめました。(中略)

植民都市ではあったとはいうものの、ムー大陸にも、ラムディアの文化は浸透してきておりました。

そして、ラムディア文明が滅失したあと、静かにではありましたが、ムー大陸にも、文明のきざしが見えてきました。

いまから約二万年のむかし、このムーの地に、ゾロアスターの前身が出ました。この方のそのときの名を、エスカレントといいます。(中略)

この大聖エスカレントは、太陽の科学的なエネルギーを重視しました。(中略)

都市の中心には、一辺の長さが三十メートルの正三角でできたピラミッドがあり、それが銀色に輝いています。

ここで吸収、増幅された太陽エネルギーが、各町の中心にある山辺の長さ十メートルのピラミッドに放射され、そこからさらに各家庭の屋上にある一辺の長さ十メートルの小ピラミッドに供給されていたのです。

このピラミッド・パワーは、のちのアトランティスにもひきつがれます。

この太陽エネルギーの巨大増幅装置は、現在ピラミッド・パワーなどといわれているしくみにとてもよく似ています。

ムー大陸が、その最盛期を迎えるのは、ラ・ムーの時代でした。

すなわち、いまからおよそ一万七千年近く前のことです。

そのころ、ムーは、太陽信仰と太陽科学万能の時代を迎えておりました。

この時期に、ラ・ムーが、肉体をもって生まれたのです。

ラ・ムーとは、何代か前の釈迦の過去世です。

また、ラ・ムーとは、「ムーの光大王」という意味をもっています。

ラ・ムーの時代に、ムー大陸は、巨大な大帝国となったのです。(中略)

 しかし、やがてラ・ムーが没し、その偉大なる教えが形骸化してくると、ムーの全盛にもかげりが出てきました。

しかも、悟りの力を否定し、あやしげな動物霊信仰の邪教がはびこりはじめました。

悪しき霊能力信仰が、「愛と慈悲」の教えを嘲笑し、大陸全体に大きな想念のくもりがかかってきたのです。

こうして、このムー大陸は、いまからおよそ一万五千三百年前、三段階にわたる大陸の沈下によって、海中に没しました。

ラ・ムーの名前からとった巨大な近代都市ラムーも、この大陸の沈下によって、当然のことながら、太平洋中に沈没してしまいます。

しかし、ムー人たちの一部は、なんとか逃げることができました。

そのなかのある人々は、船で北上して、ベトナム人、日本人、中国人の源流になりました。

また、ある人々は、東へと進み、太平洋をわたって、南米アンデスの山に住みつきました。

さらには、大西洋へと逃れ、大西洋上のアトランティス大陸へと、新天地を求めて行った人々もおります。
『太陽の法』(幸福の科学出版)P261~269

 

Visiting the Happy Science Temples in Japan

 


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