怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

好かれていない神父

2016年10月07日 | カテゴリー分けするのに飽き
八日に東京へ出発する女性のお母さんとはドイツ語教室で知り合ってかれこれ5年の付き合いだ。
数ヶ月に一度程度、招かれて一緒に彼女の手料理をごちそうになっている。
小さい街に住む私たちだ。共通の知人がどんどん現れてくるのはあまり驚かない。
今回知ったのは、義父と親しくしている卓球仲間の一人が、彼女の知人だったことだ。
「ちょっと待って、彼のことかしら」
と20年ほど前の写真を持ち出してきて、私に見せた。

「あら、若い!」
と私が驚いた。
彼はここの地域のポーランド人のためにポーランド語で説教をする神父だ。

「彼の説法はポーランド語で聞いても外国語のように全然わからないのよ」
「神父を家庭の食卓に招いたりするのだけれど、彼を招く気にはならないの」
要するに、嫌われているらしい。

その神父は、ウチにも出入りしている。
週に一度程度、義父と卓球の練習をしているんだ。
「ああ、参った!説教めいた話になっちゃったよ」
とときどき義父がこぼしている。
義母は「彼は狂信的なのよ」とちょいと避けているようで、いつも正午に練習を終える彼を一度も昼食に招いたことは無い。

要するに、ウチでもあまり好かれていない。
つまり、この神父はあまり、人気が無い・・・多くの人々に避けられている、とも言える。

私は彼とは直接の接触はあまりないけれど、なんとなく孤立している印象はあった。
神父という特殊な仕事だから、と思っていた。
拝み屋の一種である神父(こんな風に表現するとすでに存在してその歴史が長い彼らに失礼だが!)が人に好かれないというのは大きなマイナスだ。

「彼はきょうだいが四人いるのだけれど、一人を除いた三人が皆、神父なのよ」
ひえー、そ、それは熱心なキリスト教徒の家庭に生まれたのだろうな。

義母にこの話を伝えると、いつもの通り、彼女のこの神父に対する感じ方を一方的に話し始めた。
一度で良いから「あら、それは面白い偶然ね」とか何とか私の話を面白がってくれよ・・・

すでに高齢なこの神父。
何かきっかけで、もっと親しみやすい人物に変化する可能性は少ないかもしれない。
熱心な信仰心で、彼は彼なりに幸せなのかしら。
誰か、彼を食卓に招いてやってくれ、と思った。


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