怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

ザルツブルクへ遠足

2011年09月10日 | 風景


ドイツに来てから、初めての外国旅行に行ったぞ、ザルツブルク

近所在住アルゼンチン人R子さんのお母さんと親族が来独していて、彼女らと一緒に行くことになったのだ。
「私の家族は皆おしゃべりでね」
R子さんの説明と、私の南米生活の経験で、だいたい彼女らの雰囲気を想像できた。
待ち合わせた駅前で車から降りてくる3人の発する濃厚な空気にぎょっとしながら、前夜に復習したスペイン語の挨拶をしようとしたが、すでに彼女らのペースに巻き込まれてなかなか言葉にならなかった。
お決まりの(南米全土か?)両頬のキッスに「ちゃんと歯を磨いてくるべきだった」と反省した私。

さて、そんな彼女らが電車の中でやおら取り出したのは、お茶。
マテ茶だ
「私たちはどこでもこれが必要なのよ」


日本の生活では、南米土産でいただいたり、近所の日本茶専門店でマテ茶の扱いがあったりして、私はけっこう日常的にいただいていたものだ。このお茶、日本人の味覚にも合うらしく、外国の飲食物がまるでダメな実家の家族にも好評だった。
そういうわけで、懐かしい、とか珍しい、とかいう感情はなかったのだが、この専用容器で飲むのは本当に久しぶりだったので思わず撮影したのさ。
新品の茶葉(500グラム入りパッケージをいくつも持ってきたのだろうな、ああ、欲しいな)を空け、容器にいっぱい入れ、静かにお湯を注ぐ。
砂糖少々を加えていたが、これもおいしい。
実家では日本茶のように急須でいただいていたが、それでもちゃんとおいしさを味わえる。
日本の皆さんにも勧めたい、マテ茶。

さて、ウィキにもあるように「パラグアイ・アルゼンチン・ウルグアイ・ブラジル南部では、一組の茶器を使い複数人がマテ茶を回し飲みする習慣がある。ホスト役が茶器とボンビーリャを使いマテ茶をたて、一煎めは自分で飲む。二煎目からは順番に参加者に回していき、各人が満足するまで何杯でも回し続ける」のだ。
私が要求しなくても、ちゃんと回ってきた。

おいしかった・・・
実を言うと、この遠足で、一番印象的だったのはこのお茶の経験だ・・・うほほほ・・・・

すでにドイツ生活の長いR子さんはそうでもないが、アルゼンチン直輸入の3人の女たちは推定年齢50歳以上で、南米人ということを考えなくてもその年代の女性は最強になる。
べらべらおしゃべりしながらのお茶の後は彼女たち、カメラを持って車内見学にでかけた。
すると、検札がやってきた。大人5人グループで有効な割引運賃を使っているわたし達、残り3人が別の場所にいることを検札の男に伝えると、
「ああ、あの人たちですね~」とすぐにわかってくれた。
彼女らの存在感は突出して目立っていたのだぁ。


この日はR子さんの二人の子連れだ。当然子守も順番になされる。
R子さんのお母さんは60歳代半ば。いろいろなスペイン語の歌を孫に披露していた。
窓の外の風景に山が多くなると自然にこの歌が出るのか??あの主題歌。確かに似ているぞ、あの作品の風景に。
スペイン語版にも当然なっている、今では世界で愛される、あの番組!

ひいぃぃぃ~
もしかして、現在30歳代半ばのR子さんが子供の頃に視ていたのかな。で、彼女のお母さんも自然に覚えてしまったのだろう、この歌を。
凄すぎる。彼女はこの作品が日本のものだとは知らないだろうなぁ。
スイス原作の物語が日本でアニメになり、日本にとっては「地球の裏側」のアルゼンチンで放映され、その主題歌をオーストリアに向かうドイツの電車の車内でスペイン語で歌われる・・・・
ああ、世界は一つ、人類みな、きょうだいさぁ~


現地に到着。
いかにも学級委員長をやっていたような性格のR子さんは、集団を仕切るのが得意である。
見学のスケジュールを立てているところ。

ウチから電車で3時間ほどのここ、地形の違いに圧倒された私、ぐるぐる周囲を見渡していた。

R子さんと彼女のお母さんはなにやら大声で言い争っていた。
風景に見とれているのと、スペイン語会話がわからないことで無視をしていた私。

が、いきなりR子さんは私に向かって言った。
「わたし、家に帰ります!!」
訳がわからなかった私は「あ、そうですか?」と恥ずかしいくらい間抜けな返答をした。
ああ、R子さんは思っているだろう~「りすさん、空気読めない、ばか・・・・」
お母さんはすでに3度もザルツブルクに来ているそうで、彼女からすれば「見飽きた場所」なのだそう。
それを娘に主張するものだから、寛容な彼女もぶち切れたらしい。
確かに切れている雰囲気はわかったが、私的にはめったに無い遠出、珍しい風景、そちらに集中してしまって親子の争いにまで気が回らない~うほほ~

ザルツブルクは国際的な観光地。
スペイン語、中国語、英語、日本語さえ飛び交っていた。
道幅の狭いショッピング通りは東京周辺の私鉄沿線駅前通の雰囲気で、なんだかとっても懐かしい・・
って、違うか。高級ブランド店と土産物店が並ぶ。
喧騒の中を歩いている間に親子喧嘩は解消された様子だった。ほっ

後姿が一目で日本人とわかるご夫妻。退職後の悠々自適な空気を感じる。夫人の服装が流行の丈のブラウスであることに驚く。義母は私にその服を許さない。「あなたは少女ではありません」ってね。

モーツァルトが生きていた時代もこうした街中の建築物の外観は現在とさしてかわらないのだろうな。凄いよな。


正午過ぎに到着し、約5時間のザルツブルク滞在を楽しんだ。
右の写真に入っている建物はカラヤンの生家。

帰りの電車の中では「きっと子供は寝るだろう、私も寝る」と予定していたのに。
ラテンパワーはますますハイテンション。赤ん坊はわめくし、4歳のL子ちゃんはひっきりなしに叫ぶように喋りまくり、そのキンキン声に負けないよう大人4人が語りあうのだからたまったものではない。
呆然とする私に登ってくる赤ん坊と子供。
この赤子、むやみに重い。現在、わたしには珍しい軽い腰痛に悩まされているのはこの重たいA介君が原因だと思う~

ドイツ生活4年目にしてとうとう達成された外国旅行。
せっかくの親族だけの旅行に私を交えてくれたR子さんには感謝。子守で発生した腰痛は「鍛え方が足りない」ってことで今後の生活改善の材料にぃ~


更に南米土産さえいただいてしまった。
アルファホーレスと呼ばれるあちらのお菓子だ。日本語で検索するといろいろな情報を得られるが(さすが日本人!)簡単に私が説明すると「やったら甘ったるい日本人の味覚には合わないお菓子」となる、うほほ。
挟んであるミルククリームが狂ったように甘いのだ。

義母のケーキ攻めで甘いお菓子については鍛えられていると思ったが、これを齧って更に甘いことに驚いた。

ところが・・・・
このアルファホーレス、ただ甘ったるいだけではなく、美味い・・・
撮影しながら一気に3個食べてしまった。
もしかして、南米はお茶もお菓子もドイツよりレベルが上か???

と感じたザルツブルク旅行・・・
いや、ヘンだな。やっぱ、一人で旅行したほうが現地を知ることが出来るのだろうな、同行した人たちに感動しまくった一日だった。