桂歌丸師匠が亡くなった。
歌丸の訃報を聞き、赤い派手なシャツ姿で号泣する林家こん平師匠を見た。
リハビリのため、永らくご無沙汰している落語家だ。
森生は50年も前、こん平のラジオ番組に出演したことがある。
事前に番組裏方の詳細な取材があり、出演直前に、箇条書きした簡単な台本を渡された。
台本に沿い番組は進行したが、一緒に出演した女子が森生のリクエスト曲を横取りする手違いがあった。
だが、こん平の巧みな捌きで番組は成功したと思う。
あの時の体験は、その後の仕事に3回も役に立った。
こん平師匠が泣くのを見て、森生も涙がこぼれた。
大喜利の司会者としての歌丸は、ややもすると常識を振り回すので、好きではなかった。
下ネタが多い小遊三や、ボケが売りの木久扇には座布団をあまり上げなかった。
歌丸は横浜で生まれ、横浜で成長した。
森生のふるさと鎌倉は横浜に近く、年齢差1歳なので同じ風景を見、同じような体験をしていたはずだ。
だが成し遂げたものは歌丸師匠の方が遥かに大きい。
歌丸師匠のご冥福を祈ります。
180704
今の真打の方々がまだ前座だったころ、偉かった噺家さん・・・
三遊亭円生(六代目)、古今亭志ん生(五代目)、柳家小さん(五代目)あたり
名人と言われた桂文楽は聞いたことがない。
歌丸師匠は「大喜利」で楽しませてもらった。
いちばん好きだったのは 月の家円鏡(後の橘家圓蔵)です
ちにかく面白かった
古今亭志ん生も良かった
小さんは 蕎麦を食うのが巧かったけれど あまり面白くなかった
林家さん平はキライで たい平は贔屓にしています
円生と文楽は覚えておりません