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林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

筆塚

2007-11-18 | 高麗便り

 ........「大澤舎新井家」の前に出せば良かった記事ですが。

巾着田へ行く道の右手、少し高くなった所に筆塚がある。
筆塚とは、使い古した筆の供養のために、筆を地に埋めて築いた塚、のこと。
文化的な活動をした故人を顕彰する意味合いもあるようだ。

以前から気になってはいた。
字が読めないので見過ごしていたが、最近、説明看板が設置された。

それによると、新井家11代新井丈右衛門定孝寛斎翁を顕彰する石碑、と分かった。
石碑中央の「筆塚」という文字は勝海舟のものである。
だいたい「筆塚」と書いてあることさえ読めなかったのだから情けない。

大澤舎を訪れる前に気付き、HPを見て見学申込をした時は、金属棒に取り付けただけの無機質な設置方法だったような気がする。
ところが写真を撮るためにまた行って見ると、丸太に囲まれて設置してある。

説明看板は以下のとおりです。

 

扁額とは普通、門戸・室内などにかける細長い額のこと。
この場合は石碑上部の長方形のことのようである。
扁額部分は七卿落ちの一人東久世道禧の揮毫で「宿老庵貫斎翁」と書いてあるそうだ。

その他、宿老、年寄役は、辞書を見て今まで知っていたこと以外の意味が分かった。
勝海舟、七卿落ち等は日本史でおさらいをしなければならない。
人物調査や同一人物の名前を書く順番など、調べ始めたらキリが無い。
調べていないから「林住記」の書き方はいい加減です。

以前「三筆」に触れた際、元祖、寛永、幕末といろいろあって、調べようとしたがそのままになっていた。
今度もそのままになってしまうだろう。

筆塚の傍には夜笙庵新江こと13代新井繁五郎定孝の句碑。
岡上一斎こと菊翁こと新井五郎兵衛定儀の墓碑。
などがあるこちらも曰く因縁がどっさりで、誰が誰やら何だか間違っていそうだな。

高麗は狭い地域だが懐が深い地域である。
もっと、大切にしなければ、ね。



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