長岡京エイリアン

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在りし日の名曲アルバム  鬼束ちひろ『いい日旅立ち・西へ』

2015年06月24日 23時11分12秒 | すきなひとたち
鬼束ちひろ『いい日旅立ち・西へ』(2003年10月29日リリース 東芝EMI )

 『いい日旅立ち・西へ(いいひたびだち にしへ)』は、鬼束ちひろ(当時23歳)の9thシングル。
 オリコンウィークリーチャートでは、同年にリリースされた7thシングル『 Sign 』に並ぶ自己最高の第4位を記録した。
 鬼束は、先立つ2003年9月に声帯結節の切除手術を受け、本作リリースの直前に同年内の休養を発表していたため、10月に予定されていたイベントライブも中止となり、本人が稼動するプロモーション活動はいっさい行われなかった。また、タイトル曲のレコーディングは手術前に済ませていたが、カップリング曲のレコーディングは間に合わなかったため、カップリングには『月光』のライブ音源が収録される運びとなった。
 谷村新司によるタイトル曲のセルフカバーは、コンピレーションアルバム『アリガトウ』(2003年12月リリース)と、42ndシングル『風の暦』(2006年9月リリース)に収録されている。

 翌2004年に、鬼束はデビュー以来契約していたレコード会社と所属音楽事務所を離れているが、2007年におけるインタビューによれば、移籍の発端となったのは2003年に声帯結節を発症してからの活動の流れに違和感を覚えたことで、このことについて、「『いい日旅立ち・西へ』のあたりから周囲と波長が合わなくなってきた。」、「楽曲自体には問題はなかったが、周囲を信用できなくなってきて無理が生じた。」と語っており、所属事務所との作品制作に関する確執が起きていたことを示唆している。


収録曲
プロデュース …… 羽毛田 丈史

1、『いい日旅立ち・西へ』(作詞&作曲・谷村新司)4分35秒
 山口百恵の代表的名曲『いい日旅立ち』(1978年11月リリース)のリメイク。作詞・作曲者である谷村新司のラブコールによって実現した楽曲である。カバーの際に JR西日本のキャンペーンソングとして起用されることが決まっていたため、原曲の歌詞を西日本を舞台に作詞し直している。谷村によると、「『いい日旅立ち』は北へ向かう心の内への旅、そして『いい日旅立ち・西へ』は西へ向かう安らぎの旅である。」という。
 原曲の『いい日旅立ち』は変ロ短調であるが、本曲はキーが1つ下げられ、イ短調になっているのが特徴である。

2、『月光 from ULTIMATE CRASH'02 LIVE AT BUDOKAN 』(作詞&作曲・鬼束ちひろ)4分40秒
 2002年11月に開催された日本武道館ライブ『 CHIHIRO ONITSUKA ULTIMATE CRASH'02』の音源を CD化したバージョン。



 なんとなくですが、「のちのちのいろいろの始まりになった」というような印象のあるシングルですね。

 大々的にキャンペーンソングとして発表された手前なのか、なぜ「新曲が1曲しかない」という中途半端な段階で、映画『風の谷のナウシカ』のドロドロ巨神兵みたいな(このたとえ本当に大好きです)状態でこのシングルがリリースされなければならなかったのか?
 非常に惜しい……もし鬼束さんの声の状態が万全で、この『いい日旅立ち・西へ』をカップリングか両A 面扱いにして別の新曲といっしょにドーンとリリースするような勢いだったのならば、鬼束さんのその後も、現在とはまったく違うものになっていたのではなかろうか。そんな儚い想像をいだいてしまう、まさに分岐点な1枚だと思います。
 せめて、オリジナル版の『いい日旅立ち』を鬼束さんが唄ってみて……みたいなレコーディングもできないくらいに、当時の鬼束さんのおノドはひどかったのでしょうか? よりによって、なぜ耳にタコができるほどに聴いた『月光』をつけたのか? なんでもいいから未発表曲のひとつでもなかったのか!? 『いい日旅立ち・西へ』が名曲であるだけに、なおさら悔やまれるこの組み合わせなのです。

 『いい日旅立ち・西へ』は、まさしく泣く子も黙る超名曲である『いい日旅立ち』の、実に四半世紀ぶりの「続編」ということになる作品であります。単なるカバーでもなくリメイクでもなく、かといって内容を前作とからめたアンサーソングでもないという、かなり不思議な「つかずはなれず」の関係にある続編ですよね。歌詞の中に前作との関連をにおわせるものはほとんど見当たらないのですが、『西へ』のほうの歌詞に「再びの風の中」というフレーズがあって、そこくらいがかろうじて前作の存在をちらほらさせる程度にとどまっています。

 前作と『西へ』との作品世界の違いを観てみますと、まずはっきりわかるのが、前作『いい日旅立ち』が各番でのサビ部分で繰り返し、

「母の背中で聴いた 歌を道連れに」(1番)
「父が教えてくれた 歌を道連れに」(2番)
「子どものころに唄った 歌を道連れに」(リピート部分)

 といった歌詞を用いて、唄う主人公のノスタルジックな感傷を具体的に描いているのに対して、『西へ』では一貫して、

「今も聞こえるあの日の 歌を道連れに」

 に統一して、あえて抽象的な言いまわしでまとめている、という違いではないでしょうか。
 これによって印象が変わってくるのが歌の「主人公」の年齢で、もちろん作中ではどちらも主人公の性別や年齢といった部分はまったく語られていないわけなのですが、やっぱり主人公が道連れにしている「歌」に関する情報が多い前作のほうが、主人公が若い印象になりますよね? それに対して、「今も」という時間の経過をほのめかす程度におさえている『西へ』のほうが、それなりに成熟した印象を与える、ような気がするのです。

 というか、前作のほうが若いというよりもむしろ「幼い」くらいのむきだしのおセンチを唄っているわけなのですが、これはもう唄い手の山口百恵さんが当時19歳だったのですからまったく無理がありません。えっ、今うっててビックリしたんですが、百恵さんあの歌声ではたち前だったわけ!? すごいなぁ~、つくづく。

 それに対して『西へ』を唄った鬼束さんは、当時23歳になったかならないかくらいなので年上は年上であるのですが、それにしても、実際に旅に出ている自分自身の心情はほとんど語らずに、ただひたすら「遥かなしまなみ」「錆色の凪の海」「セピアの雲」「朝焼けの風の中」といったシブい情景描写をつらねていく『西へ』の世界は、20台前半とはとても思えない達観した精神年齢を感じさせるものがあります。

 そこらへんを、作詞した谷村新司さんのそれぞれの制作時期での年齢から考えてみますと、前作では30歳手前で自身のソロ歌手としての活動も軌道に乗ってきたタイミングでの、新境地に挑む楽曲提供ということで、百恵さんが唄うという前提をそうとう加味した歌詞になったかと思われるのですが、『西へ』のほうは、もはやそんな遠慮はまったくせずに、54歳のひとりの作詞家としての自分を存分に投影した人物を主人公にしているような気がします。そこに鬼束さんが唄うという点についての配慮は、一見するとまるで払われていないようにもうかがえるのですが、逆に考えれば、そういった枯れた雰囲気の歌詞にしてしまっても、鬼束ちひろの歌声ならば十二分に許容してその世界を謳いあげてくれるだろうという、全幅の信頼があったとも言えるのではないのでしょうか。まぁ、歌詞だけじゃなくて鬼束さんの声も枯れてたんですけど。

 でも、この詞と唄い手との距離感こそが、この作品が鬼束さんのキャリア中でも特異性をはなっているポイントたるところで、それまでってほら、『月光』を例に挙げるまでもなく、鬼束さんの創る歌詞世界って、なにはなくともその時の主人公の想いとか状況解釈の告白ばっかりで、まわりの風景がどうとか、そんなに言ってなかったじゃないですか。ただひたっすらに、「私のことを聴け!!」だったわけです。これはもう、ここまで徹底すればもう商売道具なんだからいいだろ、くらいの勢いでのごり押しですよね。「鬼束さんだからしかたがない。」という話です。
 それに対して、完全なる別人で、しかも年齢も性別もまったく違う作詞者の世界を唄うという『西へ』の試みは、鬼束さんにとって非常に新鮮でおもしろい経験だったのではないのでしょうか。
 現に、この『西へ』の歌詞の中には、「蛍」や「陽炎」といった、のちのち本当に年齢を重ねて成熟した鬼束さんが唄うこととなる、主人公の心情と作品としての情景描写の鮮明さを見事に融合させた名曲のタイトルがちらほらしています。

 おそらくこの『西へ』は、決して鬼束さんの作品としては真っ先に名前が挙げられるものではないかもしれませんが、それ以後の鬼束さんの作詞法に対して、じわじわとですが確実に新しい影響を与えるものになったのではないのでしょうか。まぁ、そんな新風も取り入れなきゃ、思春期を過ぎたあとも作詞なんてやってられませんよね。ただし、これをもって鬼束さんがガラッと大人になった、というわけでもないのが鬼束さんの実におもしろいところなのでありまして、まさに「こじらせた」としか言いようのないおっそろしい作品の数々も、ちゃーんとまだまだ続くのでありました! 永遠の子どもか、はたまた疲れた二重まぶたのおねえさんか!? 天才の苦悩の旅路は、いま始まったばかりなのでありました……

 もうひとつの『月光』の日本武道館ライブバージョンについては特に何も申すことはないわけなのですが、もはやノリにノッているとしか言いようのない2002年時点での歌唱なので、シングル版と比較してのレベルの上がり方は格段のものがあるわけです。その点ではシングルのカップリングとして収録するのもまったく問題はないのでしょうが、私はここで声を大にして言いたい。


1万人くらいのお客さんの拍手を受けて唄う『月光』なんて、『月光』じゃねぇ!!


 いや、それは天下の日本武道館でのライブ音源なんですからお客さんの反応が収録されるのは当たり前なわけなのですが、ひとりの人間が孤独な状況の中で誰かの存在を求めて唄うからこそ『月光』なんであって、そんな、鬼束さんがいくらうまく唄ってるからといって、拍手してくれるような共感者がうじゃうじゃいる場所で唄ってもよう! そんなに親身になって話を聞いてくれる人が山ほどいるんだったら、そもそも『月光』を唄う意味がなくなっちゃうって話ですよ。
 それはもう、『月光』が鬼束さんの代表曲みたいな印象が世間一般に広く流布しているんですから仕方はないのでしょうが……拍手はなぁ~。なんか気分が冷めるというかなんというか。そりゃまぁライブなんだからいいんでしょうけど、それ CDで聞きたくはなかったなぁ、みたいな。

 それに、これは完全に私の経験からくる主観でものを言うんですが、せっかく日本武道館でやってるのに、反応が拍手くらいっていうライブって、なんか物足りなくない!?
 そこはやっぱり、サイリウム振りまわして「ち・ひ・ろ~!!」くらいはいきたいよなぁ。さすがに「オイ! オイ! オイオイオ~イ!!」って合いの手を入れられる曲はそんなにないだろうけど。

 あぁ、日本武道館も、もうぜんぜん行ってないなぁ。あの当日券待ちで並ぶ感じ、夕方過ぎの開場にあわせてグングンお客さんが増えてくる勢い、会場まで近くの芝生広場でやたら原色のTシャツを着たおじさんたちがねそべってる光景、そして、カフェ「武道」の老練なるおばさん!!
 なにもかもがなつかしい……ちょっと暮らす場所と職場が変わっただけなのに、こんなに存在が遠くなるものなのかね、しかし!?

 また行きたいなぁ、私も、「今も聞こえるあの日の歌を道連れに」、いつかあの江戸城北ノ丸公園に旅立つぞ~!!
 と言いつつ、また明日からも身動きの取れないお仕事の日々は続くのであった。


がんばれ、第9代リーダー・譜久村聖体制!!


 鬼束さんぜんぜん関係なくなっちゃったよ、これ。

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