長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

緊急ごめんなさい企画 映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』は稀代の大傑作です!!

2023年11月19日 19時34分21秒 | ゲゲゲの鬼太郎その愛
 どうも、みなさんこんばんは! そうだいでございまする。

 いや~、まいった! 今回はもう、興奮冷めやらぬうちにさっさと記事にしちゃえという内容でございます。
 あの、私、前回の記事の序盤に『ゲゲゲの鬼太郎』の映画最新作の出来が心配だとかなんとかぬかしていたのですが。

全然、杞憂もいいところ! 驚くほど高い完成度の大傑作でした!!

 これ! これを申したくて、取り急ぎ話題にあげさせていただきました。
 ほんと、すごいぞ、この作品は……


映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』(2023年11月17日公開 105分 東映)
 『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』は、東映アニメーション制作によるアニメーション映画。TVアニメシリーズ『ゲゲゲの鬼太郎』第6期(2018~20年放送)の劇場用作品。水木しげる生誕100年記念作品。PG12指定。
 昭和三十一(1956)年の孤立した村を舞台に、製薬会社一族に起こる凄惨な連続殺人事件からゲゲゲの鬼太郎の誕生へと続く、鬼太郎の父(のちの目玉おやじ)と会社員・水木の運命を描く。
 『ゲゲゲの鬼太郎』第6期の世界観を下敷きに、貸本マンガ版『墓場鬼太郎』シリーズ(1960~64年)から 『幽霊一家』、『墓場の鬼太郎』を元に描かれる新たな物語となっている。

あらすじ
 廃刊間近の雑誌の記者・山田は、廃村となった哭倉村(なぐらむら)へやって来た。山田は、村へやってきた鬼太郎、ねこ娘、目玉おやじに取材しようとつきまとうが、鬼太郎たちを見失い廃屋敷の穴の中へ落ちてしまう。
 時を遡り昭和三十一年。復興を目指す戦後日本の財政界を牛耳っていた龍賀一族の当主・時貞が死去する。東京の血液銀行に勤める水木は、龍賀一族の経営する龍賀製薬ともコネがあり、時貞の訃報を聞いた水木は、龍賀一族が暮らす哭倉村へと向かう。
 哭倉村へ到着した水木は、東京に憧れている龍賀沙代と沙代の甥にあたる長田時弥に出会う。水木が龍賀邸へ向かうと、龍賀製薬社長の龍賀克典やその妻・乙米をはじめ一族が集まる場へ招かれ、時貞の遺言書が読み上げられたのだが……

おもなスタッフ
監督 …… 古賀 豪(?歳)
脚本 …… 吉野 弘幸(53歳)
キャラクターデザイン …… 谷田部 透湖(?歳)
音楽 …… 川井 憲次(66歳)

おもな登場人物
水木 …… 木内 秀信(54歳)
鬼太郎の父(のちの目玉おやじ)…… 関 俊彦(61歳)
龍賀 沙代 …… 種﨑 敦美(?歳)
長田 時弥 …… 小林 由美子(44歳)
龍賀 乙米 …… 沢海 陽子(61歳)
龍賀 克典 …… 山路 和弘(69歳)
長田 庚子 …… 釘宮 理恵(44歳)
長田 幻治 …… 石田 彰(56歳)
龍賀 丙江 …… 皆口 裕子(57歳)
龍賀 孝三 …… 中井 和哉(55歳)
龍賀 時麿 …… 飛田 展男(64歳)
龍賀家の使用人ねずみ …… 古川 登志夫(77歳)
龍賀 時貞 …… 白鳥 哲(51歳)
ゲゲゲの鬼太郎 …… 沢城 みゆき(38歳)
目玉おやじ   …… 野沢 雅子(87歳)
猫娘      …… 庄司 宇芽香(38歳)
山田      …… 松風 雅也(47歳)


 いやもう、あたしゃ実に恥ずかしい! 前回にやたらめったらいらぬ心配ばっかりつぶやいちゃって。

 時系列順に話していきますと、まぁ先週の時点では、記事の文章の通りに「 TVアニメの放送終了から数年経っている」、「全年齢向けアニメの劇場版が PG12指定で大丈夫なのか」、「水木しげる生誕100周年記念作品という割には話題になっていないようなのだが?」といったあたりからくる不安が、勝手に私の中で渦巻いておりました。
 とはいえ、我が『長岡京エイリアン』の諸記事をご覧いただいてもおわかりの通り、「映画を観ない」という選択肢などあろうはずもない妖怪&水木しげるファンの私は、昨夜、土曜日の仕事終わりに映画館にふらっと立ち寄って、その前日17日から封切りになっている『ゲゲゲの謎』の様子を偵察しにいったわけなのです。それで何気なく物販コーナーをのぞいてみたら、どうだいあんた! こんな貼り紙が。

『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』のパンフレットは只今売り切れております。再入荷をお待ちください。

 ええ~!? 昨日封切りでしたよね!? 2日目でパンフ売り切れ!? なんだ、その購入率は!!
 ちょっとこの衝撃によって、自分の中で「あれ? これ、風向きが変わってきたぞ……」といいますか、俄然期待値が『欽ちゃんの仮装大賞』のランプバー状に「プッ、プッ、プププププッ!」と急上昇してきたのでありました。このたとえよ。
 まぁ、わざとパンフレットを少なめに印刷して売り切れを話題にする作戦の可能性もあるのですが、それでもコアなファンであればある程パンフを買うという経験則を鑑みるだに、今回の『ゲゲゲの謎』が、かなり猛烈に観る者の心を揺さぶる作品であろうことがほの見えてきますね。これは姿勢を正して観ねば。

 そんなわけで、内心もうちょっと時間が経ってから観ようかなどと考えていた先週の日和見気分は一瞬で吹き飛び、日曜日の本日朝イチの回で鑑賞してきたわけだったのであります。年取るとガマンがきかなくなってきていけねぇや!
 それで観てきたわけなんですが……

ラストで泣いちゃった。個人的2023年内ベスト1、2を争う大傑作!!

 いや~……ズルい! この映画、クライマックスから終映後に館内の照明がつくまでの流れが感動、感動のつるべ打ち!! 涙腺サンドバッグ状態。
 しかも、私にとって、映画の最後のエンドロールって、どんなに涙を絞る内容の映画だったとしても、その涙をひかせて表情を元に戻すクールダウンの時間だったんですよ。どんなに泣いても、照明がつく頃にはスッキリ落ち着いているようにするための。
 それが一体なんだね、この『ゲゲゲの謎』は! エンドロールの脇に流れる絵の数々もそうとう泣けるのですが、エンドロールの後にいぃ~っちばん泣けちゃう伝説的名場面がきちゃったよ!!
 やめてよ~! 大泣きしてるその瞬間に明るくするんじゃないよ!! 恥ずかしい……

 ほんと、この映画はですね、そういったクライマックスに持ちこむまでの本編のおよそ8割がた、救いが全くない最低最悪の展開のオンパレードであります。公開直後の作品なのでほんとにネタバレは避けたいのですが、まさに主人公・水木の「地獄めぐり」といった様相を呈していて、んまぁ~画的にもストーリー的にも陰惨な悲劇の連打、連打! そりゃ PG12にもなるわな、むしろそれ以上の制限にならなくて良かったなという、あの御茶漬海苔先生もかくやという惨劇描写の数々であります。だからこそ、そのはきだめの中から生まれた「鬼太郎誕生」というまばゆい奇跡や、それに命を懸けて寄り添う目玉おやじの愛に、激しく魂を揺さぶられてしまうのです。

 いったんお話は映画の内容から離れてしまいますが、あと私は、同じ回を観ていた観客のみなさんにも地味に感動してしまいました。
 なにしろ客層が若い! そして女性客が多い! これ、私はなかなか体験したことのない光景でした。私自身そうですが、たいてい一緒に見てるのは中年世代かそれ以上の年齢の男性がほとんどですから。
 これは、1960年いらい半世紀以上続いている「鬼太郎サーガ」のファンが、確実にご新規さんを取り込んで新陳代謝してるってことなんじゃないでしょうか。そして、男性よりも女性の方が人的ネットワークもお財布の中身もおおむね豊か! 活気づいてるんだなぁ。
 たぶんこれ、ご両親がアニメシリーズ第4・5期(松岡鬼太郎&高山バーロー鬼太郎)で好きになった世代で、小学生高学年らしきお子さんがたは第6期(キュアスカーレットふ~じこちゃ~ん鬼太郎)を観てたんだろうなぁ、という鬼太郎サーガならではの感慨も、熱く胸をよぎりました。ちなみに私は言うまでもなく、愛と勇気だけが友達でウッディ大尉が婚約相手の戸田パンマン鬼太郎の第3期ファン……っていうか、第1次青野ぬらりひょん信者!! おのぅれェ鬼太るぉォオ!!

 さぁ、この『ゲゲゲの謎』を観て、第6期からファンになった少年少女達の心に根ざしたものは、これからどういった大樹に育っていくのでしょうか。決して、見た目の残酷さだけに気を取られて嫌いになって欲しくはないです。幸い、私の観た回で途中退席したお客さんはいなかったように見えたのですが、正直言ってこの作品は、昨今なかなか観られなくなった直接的なグロテスク表現が結構じかに描かれており、人によってはかなりダメージの大きい鑑賞体験になってしまうような劇薬であると思います。

 ダメージというのならば、1980年代生まれの私にとりましては、中年になった今もなお忘れられない、いろいろな衝撃的映像体験がありました。記憶している限りで最古のものは1984年版『ゴジラ』の冒頭の巨大怪虫ショッキラス……というかその被害者のミイラ遺体でしたし、アニメ映画『アキラ』もそうとう怖かったし、80年代は TVの世界でも『カメラが捉えた決定的瞬間』とかでリアルな人の死がバンッバン放送されてましたから、いや~な映像がいっぱい心にグサグサ刺さっておりました。週末に家族でホテルに泊まりに行くっていうのに、そのわずか2~3日前の『木曜スペシャル』で、大規模ホテル火災の惨劇を見せられる恐ろしさと言うたら……
 でも、今回の『ゲゲゲの謎』のインパクトに衝撃の性質が最も近い過去作品は何かと思うだに、それはやっぱり、あの「旧エヴァ」こと、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air / まごころを、君に』(1997年)であるような気がします。理由は……まぁ、双方を観ていただいたら、だいたいわかるんじゃないでしょうか。えげつな~!!

 ただし『まごころを、君に』と決定的に違っているのは、『ゲゲゲの謎』には、水木同様に最後まで我慢して地獄の旅を続ければ、ゴールには「鬼太郎誕生」という輝ける希望が待っている点です。そこに至るための長い長い試練の時として、一連の醜悪な人間描写と、これでもかという悲劇の応酬があるわけなので、その負荷が重ければ重いほど、生まれる「奇跡の子」ゲゲゲの鬼太郎の異常なまでの強さと目玉おやじの愛の深さに説得力が備わってくるのです。鬼太郎の強さ……いや、同じ読み方でも「勁さ」と表現した方が当たっているかと思いますが、踏まれても蹴られても、溶かされてもかまぼこにされても、生コン詰めにされてもハゲさせられても全くへこたれない、その生命力!! そりゃそうだ、あんな目に遭っていても決して未来を諦めない父と母の間に生まれた子なんだもの。そのくらいで死ぬわけがないのです。

 ネタバレにならない一線に配慮しながら、この作品の良かった点についてくっちゃべっていきたいのですが、ポイントを絞って、今パッと思いつくところだけ触れておきましょうかい。


〇水木しげる風タッチでないのに水木しげるの画風(特に貸本時代)を心得ている導入のカメラワーク

 これは、特に冒頭から水木の龍賀邸入りまでの、哭倉村周辺の自然描写でつとに感じ入ったのですが、登場するキャラクター自体は明らかに現代アニメ的な谷田部透湖デザインなのですが、「人物と背景」の距離感や遠近関係、そして色彩設計、特に「赤」と「黒」の濃さという点で、本作は明らかに水木しげるの作風を自家薬籠中のものにしているのです。水木しげるの画風を単純にトレースしているという手段を取らなかったのは、すでにその手を使ったアニメ版『墓場鬼太郎』(2008年1~3月放送)という先例があったからだと思うのですが、あくまでアニメ第6期から派生した劇場作品であるという意味もあったのではないでしょうか。そのルールを守りつつも、なおかつ水木しげるの成分を爆上げにするためには、あの「単純な描線の人物と異常に細密な背景画の同居」を成立させている位置関係、コマを占める配分関係、そして彩色に使われたインクの濃さまでも徹底的に分析する必要があったのでしょう。手前に水木のバストショットが小さくあり、その後ろは全部濃緑色の杉の山というカットが、個人的にはいちばん印象的でしたね。
 例えて言うのならば、いくら実相寺アングルが好きだと言っていても、猿真似をするだけでは何の美しさも生まれないのです。間違いを恐れずに、その技法が使われる意味を自分達なりに解釈・咀嚼したうえで使うことが大事なのですね。


〇原典『墓場鬼太郎』の設定との整合性の取り方が、やや強引ながらも筋は通している。

 私が『ゲゲゲの謎』の前情報を見て勝手に危惧していたことの一つには、「水木しげるの創設した『墓場鬼太郎』の設定をどのくらい尊重しているのか?」というものもありました。というのも、本作はあらすじを読むだに「龍賀一族」だとか「哭倉村」だとか、そんなの原作マンガのどこにもなかったゾというオリジナル設定がモリモリに書いてあったからなのです。
 いやいや、「鬼太郎の誕生」で語られるのは廃屋に住む幽霊族の夫婦の怪談であり、片目がつぶれて鼻水を垂らしながらイヒヒと笑う不気味な女と全身包帯でぐるぐる巻きにした腐りかけの肉体を持つ大男が鬼太郎の両親のはず。そこになぜ、「カレーの王子様」程度にホラー風味を足したライトノベルにでも出てきそうなネーミングが割り込んでくるんだ? という反発があったのですが、まさか「『墓場鬼太郎』で語られるエピソードのさらに昔に、もう一つの前日譚があった!」というアクロバティック理論をブチ込んでくるとは……その上でちゃんと、『墓場鬼太郎』で水木が鬼太郎の両親と初対面のようなやり取りをしていた理由も説明されるのですから抜け目がありません。
 本作を観た後に、あらためて貸本版なりアニメ版なりの『墓場鬼太郎』や『鬼太郎夜話』を観てみると、感動もひとしおなのではないでしょうか。そりゃ鬼太郎の父も、猫の目をお土産にあげようとして必死に水木を追いかけますわ。


〇鬼太郎因縁の呪術集団とのまさかのエピソード0

 本作はあくまでも『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』という独立した作品であり、タイトルがもう『ゲゲゲの鬼太郎』の1エピソードではありませんというただし書きになっています。
 とは言えやっぱり、第6期『ゲゲゲの鬼太郎』の唯一の劇場版作品としてのサービスも欲しいというのがファンの人情でして、そういう意味でも、本編が始まってほんとに10秒やそこらの段階で鬼太郎と猫娘の身長差カップルが復活してくれるのも非常にうれしいところです。
 ただ、本作での物語のメイン舞台は昭和三十一年ということで当然ながら鬼太郎の誕生以前の物語ですので、親しみ深い鬼太郎ファミリーはむろんのこと登場せず。ただでさえキツいことこの上ない展開の中で、どうやって精神の均衡を保っていけばよいのかと悩んでいるところに、中盤の鬼太郎パパと「あの呪術集団」との超絶バトルシーンとなるわけです。
 ここの個 VS 集団のアクションの作画がもうとんでもないハイレベルなものでして、そりゃ TVシリーズの放送終了から3年の歳月がかかってもやむなしかというクオリティの、鬼太郎サーガ史上どころか日本アニメ史上に残る名勝負シーンとなっております。ほんと必見!!
 ただそれだけに飽き足らず、鬼太郎パパの戦う相手が、のちのちに鬼太郎にとっても非常に強大な敵となる「あの集団」の一流派にあたるという展開は、非常に熱いものがありました。特にアニメ第3期シリーズや、その頃連載されていた原作マンガ『新編ゲゲゲの鬼太郎』シリーズでファンになった人にはたまらない宿命の構図ですね。にくったらしいぃ~!!


〇ねずみのパートでほんとにホッとしてしまう「緊張と緩和」のギリギリ感

 昭和三十一年の哭倉村に鬼太郎ファミリーは登場しないと言いましたが、厳密にはそれは正しくなく、ただ一人、鬼太郎サーガでしょっちゅう見かける、左右にピンピンとつっ立ったヒゲが特徴のあの男が登場してきます。みんなからは「ねずみ」と言われている龍賀邸の使用人なのですが……う~ん、一体「何み男」なのだろう!? 見当もつきませんね……
 いや~それにしても、原作マンガでもいくたのアニメエピソードでも、「こいつさえちゃんとしていれば事件は起きなかったのに!」とか「クズ中のクズ! 鬼太郎はなぜこの男にいつも手ぬるい!?」などと思われていたあのキャラクターが、この『ゲゲゲの謎』では、どれだけありがた~い一服の清涼剤となっていることか……ほんと、この男の軽快で無責任な声を聴くと安心する! けっこう早めに退場してしまうのが残念ですね。
 とは言いましても、今作では鬼太郎よりもコワい鬼太郎パパの目が光っていますので、この男もそんなにあくどいことは哭倉村ではできなかったようで、よくよく観てみるとかなり有能な水木サイドの便利キャラになっているというか、アニメ版第3期の灰色ローブの富山ねずみに近い人情キャラになっているのが、原作ファンにとってはちと物足りないかも。
 それにしても、ねずみの声を演じておられる古川さん、ほんとに喜寿むかえてるんですか!? 相変わらず軽いな~、声の身のこなしが!! ほんとにもう一度だけでいいから、お元気なうちにルパン三世やってくれませんかね……


〇醜悪、醜悪、また醜悪! 『犬神家』&『八つ墓村』、そしてよもやよもやの『ぬら孫』オマージュ!?

 鬼太郎サーガファンにして横溝正史ファンという私にとりまして、この『ゲゲゲの謎』はそんなに大盤振る舞いしてもらっちゃっていいんですかと言いたくなるほどの血しぶき大サービスの雨あられでございました。龍賀一族の設定も展開も『犬神家の一族』そのまんまだし、哭倉村の閉鎖性は『八つ墓村』そのものですよね。龍賀邸の湖畔コテージも、哭倉村へ続く田園の中の田舎道も、もう幾度となく金田一耕助もの映像作品に登場してきたおなじみの風景です。もう水木しげる生誕100周年記念なんだか、横溝正史生誕120周年記念なんだかわかんなくなるくらいの成分配合率!!
 そして、本作のラスボスは何と言いましても「あいつ」なんですから、ほんとにこの作品は『犬神家の一族』の if みたいなパラレルワールド世界なんでございますよ。もしも犬神一族に名字通りの「犬神の外法」が伝わっていたら~? みたいな。これ以上は言えねぇか。
 さらに我が『長岡京エイリアン』の観点から言わせていただきますと、本作のラスボスの最低過ぎる所業は、あの非水木しげる系妖怪マンガの「惜しい!」一作、『週刊少年ジャンプ』で連載していた『ぬらりひょんの孫』(2008~12年連載)のラスボス「あべちゃん」の自己中心きわまりない論理にも一脈通じるところがあるのです。うをを、ここで鬼太郎と妖怪総大将の物語がリンク!?
 さすがに『ぬらりひょんの孫』は天下のジャンプ作品ですので、『ゲゲゲの謎』のラスボスほど下劣な手段は使っていないのですが(いちおう実在した人物でもありますし)、「自分個人のしあわせのためなら血を分けた肉親でも道具同然に扱う」という、鬼太郎パパ(目玉おやじ)ときれいな対極をなす対立構造は、まさに2作品のラスボスに共通する「醜悪さ」だと思います。
 だからといって、世の中のご老人すべてを目のかたきにするべしというのも極論なのですが……今作のラスボスのキャラクター造形は、そうとうにトンガッたものになっていますよね。こういうヤツにはなりたくないなぁ~!!
 それにしても、ネタバレになるので誰だとは言いませんが、今作のラスボスを演じた声優さんは本当に憎ったらしい超名演だったな……名前、おぼえとこ。


〇『ゴジラ -1.0』では言及されていなかった、見過ごしてはならない「戦争の醜さ」への指弾

 本作で語りつくされる「人間の醜悪さ」について、絶対に軽んじてならないのは、本作が昭和三十一年の哭倉村の連続殺人事件だけでなく、水木が回想するというかたちで同時並行的に「太平洋戦争中の体験」にもしっかり言及していることです。そして、そちらの記憶パートでクローズアップされるのは、凄惨な水木の戦争体験もさることながら、そもそも水木を戦争の最前線に追いやった理不尽きわまりない軍国主義と、「もう玉砕と報告しちゃったし全員に死んでもらおう」とか、「部下だけに特攻させておれは生き残ろう」などという、知性も品性もない上官どもへの強烈な怨嗟の思いなのです。
 これはね……ほんと、実際に体験した水木しげる先生だからこそ告発できる事実ですし、あまりに醜いために生前には鬼太郎サーガのようなご自身の子ども向けフィクションには決して出さず、『総員玉砕せよ!』(1973年)などのごくごく一部の作品に吐露したまま封印していた記憶だったと思うんです。
 しかし、その水木大先生の没後の作品である本作には、生前の禁を犯してでも、鬼太郎誕生につながるマグマのようなエネルギーのひとつとして、なんとしてもこの戦争体験を取り入れてやろうという制作スタッフの強い意志があったのだと思います。この熱さ、この勇気!!
 まず、2023年の秋の時点で「戦争を題材にしたエンタメ作品」と言えば、まず名前があがるのは『ゴジラ -1.0』かと思うのですが、この一点、「誰があの醜い戦争を引き起こしたのか」という非常に難しい問題を指弾しているというアドバンテージがある分、『ゲゲゲの謎』のほうが断然、若い人に観てもらうべき価値があると思います。もちろん『ゴジラ -1.0』なりに、あくまで主人公個人の心の成長の物語にしたかったとか、そこまで語ると「国民一丸となってゴジラを倒す!」というカタルシスがぼやけてしまうのであえて触れなかった、とかいう判断もあったのかも知れませんが、そもそも神木隆之介さん演じる敷島が、どうして零戦に乗せられて特攻に行かされたのか? 敷島たち若者を人間爆弾にしておいて自分は戦後ものうのうと生き伸びているというような最低なやつらは、わだつみ作戦の時にどこで何をしていたのか!? というところにいっさい触れていないのは、やっぱりおかしいと思います。所詮は『ゴジラ -1.0』もきれいごとというか、『ゲゲゲの謎』ほどの気概は無いと言うしかないのではないでしょうか。
 いや、なんだかんだ言っても所詮は娯楽映画なんですから、そこまで『ゴジラ -1.0』を責めることもないとは思うのですが、少なくとも『ゴジラ -1.0』だけを見て「これが戦争の悲惨さか……」と早合点するのは危険ですよね。いちばん醜い部分が描かれてないんですから。
 まずはマンガ『総員玉砕せよ!』と、映画『プライベート・ライアン』からいってみよっかぁ~!


〇関俊彦 VS 石田彰!! 鬼パワハラの仇をゲゲゲで討つ!?

 ここからは軽~い感じの話になるのですが、いや~関さんと石田さんときたら、某鬼退治マンガのアニメ化作品にて目下、因縁のパワハラ上下関係にある間柄ですよね。いや、お話の中で。
 今回、詳しくは申せませんが、そこらへんの力関係がみごとに逆転している配役になっているのが、とっても楽しいですね! 関さんはひょうひょうとしながらも愛する妻の行方を追う鬼太郎パパ。石田さんはゲスいことこの上ない哭倉村村長にして、その正体は……? という感じで、石田さんの演技から、どことなく「演じてて楽しくてしょうがない」みたいなニヤニヤ感が伝わってくるのが面白いですね。
 まぁ、天下の石田彰さまが、単なるド田舎の村長さんであるわけがないんだよなぁ……


〇皆口さん!? 釘宮さん!? そして飛田さん!? ひどい(誉め言葉です)演技のフルコースをどうぞ♡

 私、最初に申しましたように本作はパンフレットのような資料をいっさい読まず予備知識なしで鑑賞したのですが、龍賀一族のそれぞれの声を誰が演じておられるのか、山路さん以外はだぁれもわからなかったんですよ。当然、全員上手だなぁとは思っていたのですが……
 エンドロール見てひっくり返っちゃった! ええ、皆口さんがあんなビッチおばさん!? 釘宮さんがあんなメンヘラ母!? 飛田さんがあんなキ〇ガイ……あ、飛田さんはいつもか。
 ともあれ、龍賀家のキーマンともいえる次男・孝三を演じていたのが中井さんというのもまったく気がつかない程の自然な演技で、全員がアニメっぽくないというか、まるで上質な演劇の舞台を観ているようなレベルの高い競演になっていましたね。一族の中でも最重要ポジションにいる長女役の沢海さんもほんとに上手かったなぁ。水木役の木内さんもそうですが、日本声優界にはまだまだ実力のある才能がわんさといらっしゃる!
 あらためて思います。「アニメらしくない声を」という目的でほとんど声優経験のない有名人を起用するのは、「真のプロ」の声優さんの力をみくびっている全くの悪手なり。


〇川井憲次サウンドは、ゲゲゲの世界でも微動だにせず健在だった!

 いや~、川井憲次さんの音楽は、本作でも川井憲次さんだったねぇ~! 当たり前ですが。
 ふつうゲゲゲの鬼太郎の音楽と言うと、琵琶や太鼓などの和楽器を強調して楽曲に取り入れるのが定石のような気がするのですが、そんなもん川井憲次サウンドは忖度いっさいなし! もともとそういうのは『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(1995年)の昔からとっくに吸収してるし、今さらゲゲゲによせるなんていう姿勢はまるでなかったです。でも、そこがいい!!
 しんみりする場面も、激しいバトルシーンも、おどろおどろしい妖怪たちが跳梁跋扈する見せ場も、ぜ~んぶ川井憲次サウンドで OK! 静かなようでいてしっかり主張してくる楽曲の力強さは、やっぱり他の作曲家さんがたとは一段違ったところにいると思い知らされました。
 いつもの『ゲゲゲの鬼太郎』主題歌のメロディをアレンジした楽曲は、やっぱり正規の『ゲゲゲの鬼太郎』作品ではないのでほのか~にしか流れなかったものの、特に登場人物たちが疾走したりするシーンで流れる音楽の存在感はみごとなものでありました。思い起こせば、あの『イノセンス』(2004年)のようなエセ禅問答トンチキ映画が、それでもなんとなく最後まで観れちゃう作品になっていたのも、プロの声優陣の声の良さと黄瀬さんの美麗な作画世界、そして川井憲次サウンドがあったればこそでしたもんね。本作のサントラも買おうかな~。
 しかし、『ゴジラ -1.0』と『ゲゲゲの謎』とで、ここまで自分の中での映画音楽の評価に差が出てしまうのは、一体なぜなのだろうか……佐藤直紀さんもそうとうに良い作曲家さんであるはずなのに。それはやっぱり、佐藤さん本人の意志でないにしても、一番良いシーンを故人の遺産に100%頼り切ってしまうという志の低さが、私は嫌いなのだろうなぁ。それが多くのファンが喜ぶサービスなのだとしても、現代を生きるプロの作曲家としてそれは受け入れられることなのか? と思っちゃうんですよね。私は「それじゃ全曲伊福部さんでやれ! 降板する!!」って言ってこそのプロだと思うんですが。その点、『シン・ゴジラ』の鷺巣詩郎さんは、伊福部サウンドを使ってはいつつも放射熱戦シーンとかタバ作戦シーンとかでちゃんと印象的な楽曲を投入してましたからね。


 以上! ざっとこのような感じでございます。ヒエ~、これ PG12という条件付きとはいえ、やっぱ小学生が見ていい密度の内容じゃないよ! 脳みそパンクしちゃうって!!
 まま、そんな感じで『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』は、まさしく水木しげる生誕100周年記念作品にふさわしい、実に志の高い作品であります。単に陰惨な展開でグロテスクな表現が満載のキワモノ作品かと喰わず嫌いすることなかれ! たまには強烈なもんを食べておなかを壊すことも、大切な人生経験よ……

 これが大ヒットして、今度はほんとのほんとに『ゲゲゲの鬼太郎』第6期の正式劇場版作品を作る、なんてことになってくれないかなぁ~!
 そしたらもう、今度こそおぬら様の大復活よ!! 哀しみに沈むチョーさん朱の盤、待ってろよ~い!!
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