代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

恩師吉田松陰の志を踏みにじって佐久間象山を暗殺した弟子たち(1)

2014年03月04日 | 長州史観から日本を取り戻す
 
 大河ドラマ「新選組!」では、佐久間象山暗殺は河上彦斎の単独犯行として描かれていた。しかし昨年の大河ドラマ「八重の桜」の象山は大勢の攘夷派志士たちによって四方八方から斬りつけられ、なぶり殺しにされていた。「八重の桜」では象山が暗殺されると、ただちにその第一報は天王山に陣取っていた長州軍の久坂玄瑞や真木和泉のもとに届けられ、真木と久坂の「してやったり」という会心の表情が映し出され、彼らが黒幕であることが視聴者に分かるような描かれ方をしていた。これが史実である。

 安倍政権の肝いりによるNHKへの干渉のすえに企画・立案されたと思われる来年の大河ドラマ「花燃ゆ」では、象山暗殺をどのように描くのであろうか? 
 現在のような政治情勢でなかったら、長州が舞台の大河ドラマがあっても何とも思わないし、私は素直にそれを面白がって視聴したであろう。しかし改憲を狙う長州安倍政権のこの時勢において放映されるとなると、長州史観のプロパガンダという政権の意図があまりにも露骨すぎて、素直に観ることなどできない。政権の歪んだ歴史観がドラマに反映されることが目に見えているからである。

 最近のNHK、ニュース報道番組はあからさまな政府の干渉によって完全に歪められているようであるが、ドラマでは昨年の大河「八重の桜」にしろ、本年1月のドラマ「足尾から来た女」にせよ、すばらしいドラマを連発してきた。いずれのドラマでも長州閥が支配する明治を描く中で、その世相を現代とダブらせることにより、間接的に現在の危険な流れに警鐘を鳴らしていたのだ。
 
 それが気に入らないのか、政権の対NHK工作は、ついにドラマ部門にまで及んだようである。順当に考えれば、来年度は大坂夏の陣から400周年なのだから、当然その関連の大河ドラマになるべき年であった。安倍政権は、自らの政権中に是が非でも長州史観プロパガンダを展開したいと考え、NHKに干渉したのではあるまいか。

 「花燃ゆ」の主人公は吉田松陰の妹で久坂玄瑞の妻・文である。久坂玄瑞は準主役級の登場人物として描かれるはずである。いったいドラマの中では、長井雅楽暗殺計画、英国公使館焼き討ち、関門海峡での外国船砲撃、佐久間象山暗殺、そして禁門の変における京都御所への武力攻撃・・・・など久坂玄瑞がかかわった幾多のテロ事件をどのように描くのであろうか? 象山暗殺に久坂は関与していないと歴史を捻じ曲げるのであろうか? あるいは、人を殺しても自分の正義を信じて疑わないテロリストの信条・内面と、それを支えた妻の苦悩を正面から描くのであろうか? 興味のあるところである。

 「八重の桜」で描かれていたように孝明天皇は長州の尊攘過激派が大嫌いであった。それゆえ石井孝氏以下多くの歴史学者もそう考えているように孝明天皇は暗殺された可能性が高いのである。佐久間象山は、長州藩兵が京都に進撃してくるという不穏な情勢の中、孝明天皇を長州藩のテロから護るため、会津藩の山本覚馬らと図って天皇を彦根に避難させようと計画し、その情報が長州に漏れて暗殺されたのである。

 護憲・平和・近隣諸国との友好を強く望む今上天皇は、そのいずれにも反した行動をする長州安倍政権が大嫌いであろう。世相は当時とかなりダブる。

 生前の吉田松陰は命をかけてでも恩師・佐久間象山を救いたいと願っていた。しかし、久坂玄瑞や品川弥二郎など、あろうことか松陰の弟子たちが象山を暗殺するに至った。まさか松陰は、敬愛する恩師が自分の弟子たちの手にかかって殺されるなどとは夢にも思わなかったであろう。

 明治から昭和になっても長州正統史観で染まった学者たちは、長州が象山を暗殺したことでばつが悪いためか、肥後の河上彦斎単独の犯行であるかのような神話をねつ造し、また一貫して象山の思想を貶めようとするプロパガンダを展開してきた。それら長州史観学者たちこそが、松陰の志にもっとも反しているのだ。このような学者たちに松陰を語る資格などない。

 松陰本人が、象山の知性と行動力の輝きをその傍でいちばん深く学び尊敬し、自分など及ぶべくもないと考え(実際そうである)、象山を何とか国政を舞台に活躍させたいと願って老中・松平忠固に象山赦免を働きかけ、自分が死して後、高杉や久坂など自分の弟子たちを象山の傍で修行させたいと切望していた。その久坂に裏切られた松陰が、久坂を許すわけはないのである。

 孝明天皇を長州のテロから護ろうとして殺された佐久間象山は靖国神社には祀られていない。しかしあろうことか禁門の変で京都御所に向かって発砲した長州藩士の久坂玄瑞らは祀られている。この時点で靖国神社の教義の虚構性と、同神社が長州神社であるという本質は明らかであろう。いったいA級戦犯の合祀以前に、久坂らの合祀の方が根本的に問題ではないのか?

 靖国神社は長州の「英霊」たちの神社である。ゆえに長州神社と呼ぶべきなのである。長州人でない私の祖父などは分祀して欲しい。もっとも長州の英霊たちの魂が、あの神社の中で融合しているかと問うと、吉田松陰は、恩師を暗殺した久坂玄瑞を決して許さないはずである。松陰と玄瑞の魂は一緒にはならないであろう。

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『文明開化は長崎から』の佐久間象山について (りくにす)
2014-12-30 23:15:39
1、
広瀬隆の最新作『文明開化は長崎から(上・下)』を入手しました。
南蛮船渡来から明治維新までの異文化交流とテクノロジーの進歩を長崎中心にまとめています。
たとえば長崎のオランダ通詞について読む機会は少ないので驚くことでいっぱいです。あらゆる分野で先駆者はいつも長崎から現れるのですが、江戸や大坂で活躍した人の方が有名になって唐突に天才が出現する変な歴史の教科書ができてしまう過程が何度も出てきます。
著者の興味は、エンジニアらしく

○蘭語および英語、その他外国語の習得
○医学、暦学・天文学、化学、砲術、造船その他の科学技術
○共和思想、民主主義、民権思想
に偏ってます。
政治面は「技術の進歩にプラスかどうか」で書かれていて、将軍候補の「正統性」などに興味がないのは『持丸長者』と同じです(道徳的なことに無関心なわけではありませんが)。
たとえば杉田玄白の『蘭学事始』が原題がは『蘭東事始』つまり東都での蘭学のはじまりを表していたのを、あたかも明治人が勝手に長崎のオランダ通詞の存在をないものにして杉田たちがオランダ語を始めたみたいにしてしまうわけです。明治維新によって国際港の地位を失った長崎のオランダ通詞は多くが東京へ出ていってしまいました。最近彼らの子孫が集まって長崎の歴史を発掘するという試みがあったそうです。

赤松小三郎がこの本に登場しないのは一緒にいた勝海舟や佐久間象山や薩摩の過激派と同類と見られたせいではないのかなあ。それを否定できるほどの材料が私にはまだありません。代わりと言ってはなんですが赤松大三郎(赤松則良)が登場します。紛らわしいですね。
佐久間象山が開国に傾いたのは誰かの影響下もしれませんがそれが誰かまでは特定できません。どなたか長崎での赤松小三郎について教えていただけるとありがたいです。
ちなみに松平忠固は先見の明があり公平な政治家であるとかかれていますのでご安心を。

2、象山先生のウソツキ~(?)

すみません。こちらにはちょっと書きづらいことなのですが…
この本は佐久間象山はとんでもない人物だと述べています。広瀬氏は去年の「マガジン9」での講演で「大河ドラマに出てくるのはみんな悪人、佐久間象山も…」と言っていたので気になっていたのですが。
悪人ポイントの一つは「五大州を巻いて皇朝に帰せしめ、皇朝をして永く五大州の宗主たらしめよ」という世界征服説を主張していたこと。「東洋道徳 西洋芸術」の東洋道徳とは実は仁とか義とか忠とかではなくて皇室崇拝だったのか。
「世界征服象山」と「テロリスト松陰」で下田事件を見ると、どんな異説が導かれるのでしょうか。

もう一つは大言壮語するわりには砲術家として当てにならなかったことでした。そろそろ鉄の大砲が必要なのに撃つと破裂する銅砲しか作れなかったのです。
象山は江川英龍に砲術を学び、その江川は高島秋帆に西洋砲術を学んでいます。ちなみに高島秋帆は長崎町年寄の息子で本人も町年寄になっています。
さて象山は「江川塾では心身の鍛錬に重きを置いて、学理は秘伝として容易に享受しなかった」と語っています。これまた関さまのところでは書きにくいのですが、天保14年に長崎で秋帆を投獄した長崎奉行の伊沢政義と象山の主君でもある老中・海防掛の真田幸貫が親しく、このことで江川が不信感を抱いたのではないかと書かれています。だから江川は何も教えなかった、と。それに象山が入門していた時期は西洋技術を毛嫌いする鳥居耀造が目を光らせていたので砲術の実技を控えていたのです。ともかく1843年の1月18日から2月6日まで韮山で砲術を学んで免許を得、江戸で塾を開いてしまいます。「失敗があるから成功がある」といいながら失敗ばかりしていた模様。

<自分でまともな大砲を鋳造することさえできない象山が、偉そうに砲術の講義を行っていたのである。長州藩は、佐久間象山の門下に吉田松陰を送りこみ、ホイッスル砲の鋳造を象山に注文し、久坂玄瑞らが象山を訪ねて招聘を求めたが、1863~1864年の下関戦争(馬関戦争)でイギリスらの四ヶ国連合艦隊にイチコロにやられてしまい、大言壮語した象山の砲術は、外国との実戦で恥をさらし、まったく役に立たなかった。<略>いや象山だけではない。すべての日本の砲術は、ヨーロッパ・アメリカの攻撃力にとうてい勝ち目がなかったのだ。(下巻146ページ)>

象山のその後は何も書いてませんが、象山が暗殺されたのはインチキ砲術を教えたからだ、と短絡したくなります。実際暗殺されたのは下関戦争直後の64年7月11日でした。しかし松陰の象山塾入門は1851年で下関戦争まで12年もあり、その間に長州藩が一度も大砲の試射をしなかったとは思えませんので「まともな」大砲を仕入れる機会はあったはずです。下関戦争での長州藩の大砲は何を使っていたのでしょう。鉄の大砲の必要性は認識されているらしく萩には鉄を溶かすための反射炉が建造されましたが稼働しなかったそうです。

とりあえず年表にしてみました。

1841年 5月 9日高島秋帆が徳丸ヶ原にて砲術演習
1842年 8月 5日佐久間象山、江川塾に入門を願う
      9月 7日入塾が許される
     10月 2日伊沢政義が高島秋帆を逮捕する
     10月 7日~14年1月18日佐久間象山、藩命により松代に帰る
1843年 2月 6日佐久間象山、高島塾で西洋砲術の免許を得る。

 
(1848年)象山、松代藩の大砲数門を鋳造
(1850年)中津藩のために野戦砲の図面を書く。松前藩の大砲を鋳造。江戸に塾を開く
(1851年)象山の大砲で事故多発。吉田松陰入門。長州藩、象山にホイッスル砲を注文
(1853年)薩摩藩が象山の設計図でボムカノン砲を作り大森海岸で試射、破裂して大損害。誰も象山に大砲の製造を頼まなくなる。
(1854年)ペリー再来訪。2月3日松陰の黒船乗船。
1857年11月5日松下村塾開塾。
1858年2月26日松陰投獄。
1859年10月27日吉田松陰死刑。遺言で高杉晋作や久坂玄瑞に松代の象山に学ぶようにいう。

1863年 5月10日長州藩が外国船に砲撃
1864年 7月11日佐久間象山惨殺される。
      7月19日禁門の変。下関は戦闘中
      8月 8日下関戦争の戦闘終結

今度の大河で描かれるかもしれませんが、久坂玄瑞が象山先生を訪ねていたことは忘れていました。象山の基本的な考えが「軍事技術さえ何とかなれば日本は世界征服できる、そしてそうすべきだ」であれば玄瑞の考え方を変えさせたはずだというのはないものねだりかも。
佐久間象山が殺されたのは砲術のせいではないかのかもしれませんが、松代藩が冷淡だったのはほら吹き学者だったからと言われれば納得してしまう。
公武合体で朝廷と公儀のどっちが偉い、という話には広瀬氏は例によって興味を示しません。「象山暗殺の理由は開国と公武合体を唱えていたこと」とよく言われますが、公儀が開国と和宮降嫁を決めた時は象山は松代で謹慎中だったはずです。当時京都には他に開国派はいなかったのでしょうか。できるのは京都に長州藩士が潜伏していると密告するぐらいだったと思われます。(その結果池田屋事件が起こった?)象山暗殺は開国と公武合体を唱えたせいなのか、自信満々に時代遅れの砲術を教えたせいなのか、はたまた長州藩の密貿易と関係があるのか、龍馬暗殺並みに議論が盛り上がる日が来るのでしょうか。

4、おまけ・メモ「花燃ゆ」の私的な鑑賞ポイント
ヒロイン賛美と「西欧列強に立ち向かう」「西洋に目を向ける長州(嘘ばっか)」という番宣でうんざりしております。興味深い点はいろいろありますが、あんまり見たくありません。伊勢谷友介が演じる役はいつも私が嫌いな人ばかり。

杉家の人間それぞれのキャラクター
佐久間象山がどれだけ出るか
松陰の黒船乗船の目的はペリー暗殺か海外渡航か
萩の反射炉は稼働するか
長井雅樂は悪役だよね
久坂玄瑞は象山先生べったりか
攘夷派の巣窟・京都学習院はどんなところ?神戸の海軍操練所より重要な場所のはずですが。
軍事知識の紹介は「八重の桜」と比べてどうか
赤根武人は悪役にされるのか
群馬県から首相が量産されるわけ

気になるのは最後の項目ですが、そこまでつき合っていけるかどうか…
新年おめでとう。補足です。 (りくにす)
2015-01-01 17:52:51
あけましておめでとうございます。年末の変な時期に大それたコメントを出してすみません。
それでも技術史に詳しい人は佐久間象山をあまり評価しないようです。『文明開化は長崎から』には砲術(そして製鉄と重工業)と同じくらいのページ数で写真術(と化学)も扱っていますが「佐久間象山がカメラを自作したり写真用の薬品を調合したりできるわけがない」と言っています。
長州藩が四ヶ国艦隊と交戦したときには吉田松陰はこの世にいなかったのですが、「技術者」として師をどう評価したのでしょう。

ちなみに、正月から人の悪口は言いたくないのですが、広瀬隆氏がwebで情報発信を頼んでいるブログが反中国情報を発信してばかりいるので読むのをやめてしまいました。中国には警戒しなくてはならないのかもしれませんが反中感情を無駄に掻き立てる記事に接したくないのです。読者を増やすために反中のふりをするのはやめていただきたいです。吉田松陰を「軍学者」として評価したり、「誇り」を強調しなくてはならなかったり、嫌な世の中です。
りくにす様 (関)
2015-01-05 14:13:12
 あけましておめでとうございます。広瀬隆さんの新刊紹介ありがとうございました。いま読むひまがないのですが、興味深そうです。

>赤松小三郎がこの本に登場しないのは

 長崎の小三郎は、たんなる勝海舟の従者扱いで、記録にもあまり出てきません。数学・天文・測量まったくわからなずオランダ語も不自由な勝は、小三郎なしではやっていけなかったようですが、勝本人がその辺の事情はまったく語っていないので・・・・(苦笑)。、記録がないので、広瀬さんといえども、小三郎の存在そのものに気づいていないのだと思います。
 何か新資料が出てくればよいのですが・・・。

>悪人ポイントの一つは「五大州を巻いて皇朝に帰せしめ、皇朝をして永く五大州の宗主たらしめよ」という世界征服説を主張していたこと

 広瀬さんの人物評価もけっこうバイアスあると思います。象山は、儒学者だった若いころは、無知にもとづいて、その辺の攘夷論者とあまり変わらない主張だったと思います。
 ただ西洋科学を本格的に勉強し始めてからは、蔑視的な発言はしなくなっています。
 江川と象山の不仲はその通りのようです。
 象山の砲術がどの程度のものだったのかは、素人の私では判断できません。事故が多かったのは確かのようですね。
 ただ象山でなくとも、日本の砲術技術そのものが当時はその程度のものだったと思います。
 科学者としての象山の真骨頂は、砲術以外の分野、種痘や日本最初の電信実験などにあると思います。地震と地場の関係まで研究してますから。

>象山暗殺は開国と公武合体を唱えたせいなのか
 
 象山暗殺の理由ははっきりしていると思います。孝明天皇を彦根城に避難させようとしていたからです(彦根動座計画)。当時、長州は御所を襲撃して孝明天皇を長州に奪い去ろうとしていたので、その前に、彦根に移されては長州の計画が成り立たなくなってしまうからです。この事実も、長州史観からは都合が悪いでしょうが・・・・。

>佐久間象山がどれだけ出るか

 象山を出すと、長州史観的には不都合なので、ほとんど出さないのではないでしょうか。久坂や高杉が象山に会いにいくのもスルーかもしれません。

>長井雅樂は悪役だよね

 長井もほとんどスルーなのでは? 

>群馬県から首相が量産されるわけ

 この謎が、日本人にとってはいちばん興味深いことですね(笑)。この謎を解明すれば、大河の価値も高まります。
 私的にも、楫取素彦の群馬県令時代をどう描くのかに、もっとも興味あります。生糸の生産地帯の群馬は、明治日本の近代化を支えた地域ですから。長州は群馬利権が欲しかったでしょうね。

 ちなみに昨日第一話を視聴しました。伊勢谷さんの松陰、実像からかけ離れていますね。松陰のストイックでエキセントリックな感じが全然出せていませんから。伊勢谷さんは、龍馬伝の高杉晋作役に関しては結構はまっていたと評価しています。
 高杉も久坂も、ああ・・・・という感じでした。
世界征服思想は変形して… (りくにす)
2015-01-21 20:51:17
広瀬さんは言わずもがなと思って書かなかったのかもしれませんが、もともと世界征服を考えている人が欧米にかなわないと悟るとアジア征服に走ると考えられます。武力でかなわなくともアジアの諸国には「皇国の威光」は通用するはずですから。
佐久間象山が生きていたら、元治5年あたりに慶喜将軍に台湾か朝鮮を攻めるように進言しているのではないかと思います。たしかナポレオンが好きだったのですよね。

しかし『なぜ日本は基地と原発をやめられないのか』でも嘆かれていましたが、日本人は法律と国際関係に弱いですよね。長州藩は武力でかなわないことを重々承知しながら破約攘夷でより有利な条約を結べると考えていたようです。どっちかというと卒兵上洛、生麦事件といった一連の薩摩藩の行動にたいする反応だったとか。
徳川公儀はヨーロッパ情勢をオランダから仕入れていましたがオランダも又日本を囲い込んでおこうとしましたから国際法をあまり教えないでおこうとしても不思議ではありません。明治期はイギリス、戦後はアメリカべったり。これで外交に強くなれたら奇跡ですね。
それにしてもイスラエル首相と仲良くする安倍首相には言葉を失います。

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