代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

百田尚樹氏が意外にもアンチ長州史観なのに驚いた

2020年11月26日 | 長州史観から日本を取り戻す
 わけあって、百田尚樹氏の『日本国紀』(幻冬舎)をいまさらながらに読んでいる。このブログにおいて、日本の右派も左派も日本の近代化を論じるに際には「長州史観」と主張してきた。その文脈からいけば、右派の百田氏は当然のことながら長州史観のはずである。ところが、読んでみたら意外にも佐幕派史観というか、少なくとも江戸から明治維新にかけてはバランスの取れた議論をしているので驚いた。

右派なのに尊攘運動をテロリスト規定

 右派なら、当然のことながら、尊王攘夷運動を賛美するはずである。しかし百田氏は、「攘夷論とは、外国を撃退して鎖国を通そうという排外的な思想である」(235p)と批判している。さらに「徳川斉昭や孝明天皇のような国際情勢を無視した攘夷論は話しにならない」(239p)と一刀で斬り捨てているのである。
 京都で「天誅」を繰り広げた薩長土の「志士」たちについては「テロリスト」と呼んだ上で、それを取り締まった会津の松平容保については「彼はテロリストを弾圧するのではなく、むしろ彼らの主張に耳を傾けてやるべきだと考えて」(243p)いたと評価している。
 右派論客としては、異色な歴史認識といえるだろう。

戊辰戦争は無益な戦と批判

 戊辰戦争については次のように言う。
 「明治政府による奥羽越列藩同盟討伐は、一分の正義もないものであった。徹底抗戦を宣言した相手ならともなく、恭順の意を示した相手を討伐する理由はない。敢えていえばまったく日本的ではない。これは長州と薩摩による報復の私闘に他ならず、無益な戦いであるばかりか、この後の日本にとってマイナスをもたらす以外の何ものでもない内戦であった」(284p)
 まったくその通りだ。胸のすく記述で、思わず拍手したくなる。この辺の百田氏の認識については私も完全に一致し、同意する。

薩長抜きの近代化が可能であったと指摘

 第7章の「幕末~明治維新」の最後の節は「小栗忠順の死」となっており、江戸時代の終焉を小栗の処刑に代表させて語り「小栗忠順の死は本当に惜しいといざわるを得ない」と真に残念そうに語っている。これなど読んでいて胸が熱くなる。
 小栗が幕府軍を指揮して戦えば、「幕府軍が勝利していた可能性は高い」とした上で、「そうなっていても、幕末の歴史は大きく変わっていただろうが、だからといって徳川幕府が再建されていたとも思えない。おそらく明治政府に薩長がいないというだけではなかったか。少なくとも近代化を阻害することはなかったと思う」と論じる。小栗が戦って勝利していたほうがよほど日本にとって良かったと言わんばかりである。全くその通りだ。
 その上で、たんに「明治政府に薩長がいない」というだけなく、「天皇が現人神になるようなことはなかった」し、「あそこまで人命を軽視する軍隊にはならなかった」し、「精神論で無謀な戦争に突入することもなかった」と付言しなければならないだろう。さすれば、小栗が戦って勝っていた方が、日本の近代とって、はるかに良い結果になったはずなのである。
 
惜しくも不平等条約史観はそのまま

 さて、ここまで百田氏をベタ誉めした上で、やはり問題があるのだ。それは日米修好通商条約の評価である。徳川政権の近代化努力を高く評価する百田氏でも、この条約に対する評価の低さだけは、従来の右派左派に共通する「不平等条約史観」を踏襲してしまっているのだ。 

 百田氏は、日米修好通商条約については、「現代なら中学生でもわかるこんな不利な条件を、なぜ呑んだのかといえば、幕閣たちの無知のせいである。それまで大々的に国際貿易を行ったことがなかったので、関税の重要性を理解していなかったのだ」(235p)「(日本は)文化、モラル、芸術、政治と、どの分野でもきわめて高いレベルの民族であり国家であると確信している。しかし、幕末における幕閣の政治レベルと国際感覚の低さだけは悔しいながらも認めざるを得ない」(236p)

 ここまで斬新な認識をしてきた百田氏でも、「不平等条約を結ばされた無能な幕閣」という認識については旧来の学説にとらわれてしまっている。幕閣は、近代化の財源としての関税の重要性を十分すぎるほど認識し、関税自主権も確保していたのだ。百田氏が、拙著『日本を開国した男、松平忠固』(作品社)を読んで下されば、間違った認識を改めてくれるだろう。読んでいただきたいと切望する。

 それにしても百田氏が、ここまでのアンチ長州的な認識を示しているということは、この間の、薩長史観見直しの大きなうねりが、日本人の歴史認識を大きく変えてきているということだろう。日本の右派が、従来の「長州右派」でなくなるのは良いことだ。百田氏のお友達である安倍前首相は、以上の箇所を読んだら、相当に気を悪くしそうであるが、百田氏は安倍氏に何ら忖度していない。

 あとは「日米修好通商条約=不平等条約」という史観の誤りを正すことができれば、明治維新史は完全に書き変わる。
 

 

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2 コメント

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百田氏は「靖国史観」も否定するべきではないでしょうか (大久保隼人)
2020-11-27 12:41:29
 私は百田氏の本を読んだことはないのですが、少なくともツイッターでは、「靖国のことを問題視しているのは、中韓と反日日本人だけだ」と発言しておられました。

 薩長のテロリストを否定し、戊辰戦争を「無益な内戦」と断罪するのであれば、日本の伝統的な宗教観(怨親平等の精神)に反した、長州がでっち上げた宗教施設・靖国神社も否定するべきだと思われます。
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中韓に言われて止めるのが癪なようです ()
2020-11-27 20:27:51
大久保隼人様

 コメントありがとうございました。

>日本の伝統的な宗教観(怨親平等の精神)に反した、長州がでっち上げた宗教施設・靖国神社も否定するべきだと思われます。
 
 ぜひ百田氏には、そこまで踏み込んで考えてもらいたいですね。「日本国紀」の中でも元寇の後、日本軍とモンゴル軍を敵味方の区別なく祀った鎌倉の円覚寺の例などをあげて、これが日本の慰霊の形として評価しています。
 ならば、その伝統的慰霊に反する長州神社は日本人の誇りにかけて否定すべきなのに、そこまでは踏み込めないようです。どうも、中国、韓国に言われて止めるのが悔しい、癪にさわると、ただそれだけなのではないかと思われます。
 だから、中国・韓国に言われて参拝を止めるのではなく、日本人自らの良識にかけて長州神社への参拝を止め、千鳥ヶ淵で慰霊すべきです。百田氏にも、ぜひそこまで踏み込んで言っていただきたいものです。
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