代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

中国と米国の自由貿易 ①

2006年01月13日 | 自由貿易批判
 自由貿易批判の続きです。昨日と今日の新聞各紙で大きく報道されています通り、米国の貿易赤字は2005年の1月から11月までで6617億ドルに達し、ついに年間で7000億ドルの大台を突破したのは確実になったとのことです。一方、中国の05年の貿易黒字は、前年比3倍増という驚愕的な伸びを見せて1000億ドルの大台を突破し、日本を上回って世界最大の貿易黒字国となった公算が大きいそうです。こうした報道を表面的に眺めると、何か、自由貿易システムの最大の被害者は米国で、最大の受益者は中国であるかのような錯覚を覚えることでしょう。それは事実に反します。私に言わせれば、中国と米国の自由貿易による被害はむしろ中国の方が大きく、中国社会の内部を確実に疲弊させ、不安定化させています。要するに、米国と中国の自由貿易とは、「互いに首を絞めつけあっている」のです。米中両国が、自由貿易システムの根本的欠陥に気付かないで、現在の愚行を繰り返すならば、世界大恐慌は現実化するでしょう。

 WTO加盟によって、中国は農産物関税を大幅に引き下げています。結果、穀物の自給体制を維持できなくなって、輸入穀物への依存体質を強めています。米国の穀物メジャーはそれで喜んでいるのですが、それが逆にブーメランのように米国の工業部門を苦しめているのが現実なのです。

 中国政府は、限界地での耕作を放棄させて植林地に転換させる退耕還林政策や、農業の国際競争力を強化するために一部の農家に農地を集中して経営規模を拡大しようという政策を採用しています。
 その結果、農山村でさらに大量の余剰労働力が発生するようになりました。中国の農民は、農山村で生活を維持することがますます困難になり、都市部への流入を余儀なくされています。
 最近の中国における農民暴動の頻発も、こうした背景を抜きにして考えることはできません。また都市に流入した大量の余剰労働力により、中国の工業部門の賃金水準は上昇することなく低水準で維持され続けます。きわめて安価な工業製品が過剰に生産されて、世界市場に向けて洪水のように大量に輸出されているわけです。
 それは結果として、米国の天文学的貿易赤字の破局的拡大、そして米国の工業労働者の雇用の減少として跳ね返ってきています。

 私はかつて『破壊から再生へ アジアの森から』(依光良三編、日本経済評論社、2003年)という本に執筆した論文において以下のように書いたことがあります。ここで指摘した予想は現実化しつつあるといえるでしょう。

<引用開始>
 退耕還林政策は、余剰穀物を政府が買い上げ、それを生産性の低い山村限界地の農民に無償で与えて穀物価格の暴落を防ぐという食糧管理政策である。
(中略)
 退耕還林政策の遂行上、最も深刻な脅威は、じつは国内にはなく、WTO(世界貿易機関)という国際機関の存在にあると思われる。政府が退耕還林政策を通して、穀物価格を高値で安定させようとすればするほど、WTO加盟による穀物輸入の自由化(関税率の引き下げ)に耐えられなくなるからである。米国などケアンズ諸国からの安価な穀物輸入を押しとどめられなければ、必然的に国内穀物の価格も連動して暴落し、農村を社会不安に陥れるだろう。ジャーナリストの清水美和は、WTO加盟後も穀物の国際競争に耐えるためには、中国は農民の土地使用権を奪ってでも農地の流動化(=大規模化)を進めざるを得なくなり、社会のセーフティネットを最終的に外すことになると論じ、農民反乱勃発の可能性をも示唆している(注)。
(中略)
 改革開放以降、1億人ほどの労働力が農村から都市に出稼ぎにきたが、すでに中国は「世界の工場」の地位を獲得し、安価な中国製品は世界市場を席捲し、世界を過剰供給デフレに導く大きな要因となっている。今後、退耕還林によって、さらに1億を超える農村人口が追加的に沿海都市部の工場へと向かったと仮定しても、世界市場の側にその膨大な中国製品を受け止めるだけのキャパシティーは存在するとは思えない。まさにWTO体制下の自由貿易の必然的帰結として、世界の低賃金化と雇用の不安定化、総需要の低下と過剰供給デフレがもたらされていることが日に日に明瞭になってきている。中国農村からの大量労働力の追加的な析出は、世界の失業問題をさらに深刻化させ、世界規模で本格的な過剰生産恐慌を招きよせるであろう。社会主義政権が、その道徳的優位性によってではなく、低賃金労働による市場競争力の優位性によって、世界資本主義システムを崩壊に導くとしたら、あの世のマルクスも絶句するに違いない。このように、沿海部への出稼ぎによる労働力吸収も、もはや世界市場の飽和という点で、明らかな限界に直面せざるを得ないのである。
関良基・向虎「退耕還林に対する農民の抵抗」、依光良三編著『破壊から再生へ アジアの森から』(日本経済評論社、2003年)、第4章第3節:203~206頁。
<引用終わり>

 もう少しこの問題を深く掘り下げて分析したいのですが、詳しく書き出すとかなり長くなりそうです。現在、締め切り原稿に追われて超多忙なこともあり、本日は、これくらいにさせていただきます。近日中に、続きを書くようにいたしますので、よろしくお願いいたします。

(注)清水美和『中国農民の反乱』(講談社、2002年)


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4 コメント

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退耕還林 (Chic Stone)
2006-01-13 19:27:03
退耕還林という政策はとても面白いですね。

そこで素朴な疑問ですが、農村の余剰労働力を植林で吸収することはできないのでしょうか?

中国は建前上社会主義国であり、必要があれば強権的な労働力、食料など資源の再配分も可能なはずです。

生活も、十分植林に貢献すれば太陽電池による人工衛星ブロードバンドのアクセス端末を与える、とすれば…農民が都市に憧れる最大の理由は情報ですが、太陽電池と衛星通信は情報格差をかなり軽減できるはずです。



もちろん資金や、WHOが環境ではなく自由を物差しにしているなどの問題があるのでしょうが。



P.S.私信ですみません…例の未来話の続きを少しアップしました。労働力再配分制度と下水処理についてです。
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Chic Stoneさま ()
2006-01-13 23:13:36
>農村の余剰労働力を植林で吸収することはできないのでしょうか?



 今の退耕還林政策は、まさに強権を行使しての植林と食糧の再配分政策です。

 具体的には、穀物を8年間無償で供与するのと引き換えに、農地を植林地に転換するというものです。山村の住民からしてみると、従来は農業のために投下していた労働力を、今度は植林のために投下するようになっているわけです。



 ところが、単位面積あたりの経営に必要な労働力は、林業の方が農業に比べてはるかに軽微なのです。私の調査では、退耕還林が導入された地域では、だいた必要労働時間が2分の1から3分の1程度にまで減少してしまっていました。

 それで必然的に、余剰労働力はますます増えてしまっているという現実があります。



 この話の続きは次のエントリーでも書くようにいたします。いま超多忙につき、少し遅れるかも知れませんが・・・・・。



 小説の続き、また楽しみに拝読させていただきます。

 

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勉強になります (山澤)
2006-01-22 21:43:02
>中国と米国の自由貿易による被害はむしろ中国の方が大きく、中国社会の内部を確実に疲弊させ、不安定化させています。要するに、米国と中国の自由貿易とは、「互いに首を絞めつけあっている」のです。米中両国が、自由貿易システムの根本的欠陥に気付かないで、現在の愚行を繰り返すならば、世界大恐慌は現実化するでしょう。



全く同感です。



>政府が退耕還林政策を通して、穀物価格を高値で安定させようとすればするほど、WTO加盟による穀物輸入の自由化(関税率の引き下げ)に耐えられなくなるからである。米国などケアンズ諸国からの安価な穀物輸入を押しとどめられなければ、必然的に国内穀物の価格も連動して暴落し、農村を社会不安に陥れるだろう。



成る程。現在の中国がかつての日本以上に、農工格差があり内政不安定になるのはWTOの魔力なのですね~。何故、アメリカが先進国であるにもかかわらず穀物生産から手を引かないのか、は全くの疑問だったのですが、後進国のキャッチアップを阻害する国家的な戦略産業だったんですね。またまた世界経済を読むブログで発展させるネタを頂いた感じです。(笑)



PS 今日は「マネーを生み出す怪物~連邦準備制度という壮大な詐欺システム」byエドワードグリフィンという本を買いました。ダンカン以上に眼からウロコっぽい感じです。関さんはもう読まれているかな?
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山澤さま ()
2006-01-25 22:36:32
 コメントありがとうございました。この間、雑務がたまって更新できずにおり申し訳ございません。

 ご紹介にあった、エドワード・グリフィン「『マネーを生み出す怪物 -連邦準備制度という壮大な詐欺システム-』(草思社)は、知らなかったのですが、面白そうだと思って本日購入いたしました。いまパラパラと読んでいるのですが、賛同できる部分と、全く賛同できない部分(トンデモの部分もありそう)が両極端で、かなり評価が難しい本だという印象を受けています。

 FRSやIMFをウォール街の利益擁護のためのカルテル組織とする見方は、同意できる部分もあります。ただ、FRSやIMFの存在が社会主義的であるという、彼の古典的自由主義(アメリカ特有の伝統的リバータリアン的な世界観)の立場からの批判は、全く首を傾げざるを得ません。

 もうちょっと読んでみて、また新しいエントリーで何らかの論評をするかも知れません。

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