代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

中国における徳川家康と坂本龍馬の受容

2014年09月17日 | 東アジア共同体
 9月11日から昨日(16日)まで短かったが5年ぶりに中国の山村で森林保全に関する調査をしてきた。今回の調査は雲南省の標高2600mの山の中の少数民族の集落。雲南省での調査はじつに12年ぶりだった。まあ、研究の話はやめておこう。

 帰りがけに一泊だけ北京に寄った。北京も5年ぶりだった。
 



 北京は、PM2.5騒動が嘘のような青空が広がる秋晴れのよい天気。


 天安門近くの王府井の本屋をのぞいてみた。政治や経済のコーナーに行くとアメリカや韓国についての新刊書はたくさん出ていたが、日本に関する本など全くないようだった。反中国本・反韓国本がところ狭しと並んで反中意識が煽り立てられている日本の書店とは全く違う雰囲気。「反日」本があるわけでもなく、「もう日本は無視していこう」という感じなのだ。

 
 本屋の政治・経済コーナーでこそ日本は見る影もないが、文学コーナーに行くと、全く状況は違う。「いったいどこの親日国に迷い込んだのだろう」という感じになる。村上春樹、東野圭吾、宮部みゆき、渡辺淳一などの著作が平積みになって飛ぶように売れている。




 他の国々の小説などはすべて「外国文学」というコーナーに一括して置かれているが、日本だけは独立して「日本文学」というコーナーが存在する。別格なのである。村上春樹と東野圭吾に至っては独立して棚を一つづつ占拠している。




 2007年に出版され、中国で200万部を超えるミリオンセラーとなった山岡荘八の『徳川家康』。現在でも引き続き売れているようである。いまでは大抵のインテリ中国人は「徳川家康」を知っている。



 

 『徳川家康』がバカ売れしたため、二番煎じを狙ったのか、日本の歴史小説が続々と翻訳出版されている。新田次郎『武田信玄』、吉川英治『宮本武蔵』、『新平家物語』・・・・・。これだけ見ていると、いったいどこの国の本屋なのだろうと思ってしまう。

 「アメリカ人と日本人は同じ価値観を共有するが、中国人とはそうでない」と主張する日本人によく考えて欲しい。果たしてアメリカで山岡荘八の『徳川家康』が翻訳出版されるだろうか、また仮に翻訳されたとして、それがミリオンセラーになるなどということがあり得るだろうか? 





 私は全く知らなかったが、ついに日本の国民的文学といえる、「あの本」までが2012年に翻訳出版されていた。そう、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』である。中国語版のタイトルはシンプルに『坂本龍馬』。訳者は岳遠坤氏(『徳川家康』の訳者の一人でもある)。この大長編の翻訳に敬意を表したい。本当にお疲れさまでした。中国語版の表紙の帯には次のように書かれていた。

 「この千年の日本の歴史の中で第一の政治的人物。一介の草莽の民が旧体制を打破し、民主化に向かわせた、不朽の伝記」

 とある。何か、中国共産党を刺激しそうな宣伝文句だ。
 もっとも中国版の『竜馬がゆく』は、『徳川家康』のように売れているという話はついぞ聞かない。本屋にも一冊しか置いてなかった。

 しかしながらNPOの私の友人は、これを読んですっかり坂本龍馬に心酔していた。インターネットのテレビではNHKの大河ドラマの「龍馬伝」が観られるとのことで、NPOのスタッフみんなで熱心に視聴しているそうだ。
 彼曰く、「同じ革命家でも、平和的な手段で民主化を目指した坂本龍馬は、毛沢東なんかとはえらい違いだ。坂本龍馬で、日本人は本当に良かったね」と。

 うーん、過大評価しすぎという感じもするが、司馬の『竜馬がゆく』を読み、NHKの「龍馬伝」を観れば、そう思うようになるのは無理はないだろう。
 
 しかし、平和革命を目指した坂本龍馬は暗殺され、権力を握ったのは毛沢東とどこか似ている西郷隆盛たち・・・・と説明しかけたが、ややこしくなるから止めといた。

 NPOの友人は次のように解説していた。「龍馬伝が中国のテレビで放映されるのを、政府は決して認めないだろう。坂本龍馬が中国人に影響を与えるのは、政府にとっては危険なはずだ」と。
 

 果たして中国語版の『竜馬がゆく』、どこまで広がるのだろうか?

 
  

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