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みみかほう

こころの耳をすませて すてきな果報にであいたいとおもいます。

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*きんぎょ

2013年05月10日 | ✿陶芸
本日、金曜日。
自作の陶芸作品紹介の日ですので、
「香川旅行レポ」は、一旦おやすみします。


季節は、七十二候の【蛙始鳴】カワズハジメテナク 5月5日~9日ごろ。を、過ぎ、






≪栗林公園にて≫





季節は、七十二候の【蚯蚓出】ミミズイズル 5月10日~14日ごろ。を、迎えています。


香川旅行≪小豆島編≫は、5月13日(月)に。
乞う~ご期待です~。






金曜恒例自作の陶芸作品紹介『きんぎょ』です。
製作中の作品『花型の鉢カバー』です。 では 陶芸教室行ってきます。

みなさま佳い週末&休日をお過ごしくださいまた月曜日に
コメント (6)
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*香川旅行≪栗林公園と高松城址編≫

2013年05月09日 | ✿おでかけ
うどん発祥の地の福岡から、うどん県の香川におじゃましました。

博多から新幹線で岡山へ。
岡山でマリンライナーに乗り換え瀬戸大橋を渡り、四国上陸です。



赤が香川県


『香川旅行日程』
5月5日(日)金毘羅さん、丸亀城
5月6日(月)栗林公園、高松城、小豆島






レポは、
その1≪こんぴらさんと丸亀城編≫
その2≪栗林公園と高松城≫・・今日です。
その3≪小豆島編≫
その4≪グルメ&お土産編≫
・・へと、続きます。
どうぞおつきあいくださいね~。





この公園を訪れるのも、二度目になります。

“一歩一景”といわれ、変化に富んだ趣ある情景が広がります。
どこから見ても、隙のない、完璧な美です。


2時間かけて、園内を散策しました。
かしゃかしゃかしゃと、写真をたくさん撮ってきましたので
フォトムービーこしらえました。



↑このサムネイルの写真は、≪恋つつじ≫です。
南湖に浮かぶ、ハート形のつつじの植え込みは、今、
ちょっとブームなんですって。


グリーンの文字の説明文は、ネットよりお借りしました。
アップした写真は11枚ですので、
どうぞ、ムービーの写真を、加えながら読み進めてくださいまし。
とても、興味深い説明文です。



≪北湖(ほっこ)≫


今から300年以上前のお庭の雰囲気をそのまま残している南庭と、明治になって公園として整備された北庭、全体として6つの池、13の築山から構成されています。借景となる紫雲山を含めると広さ75haで、東京ドーム16個分、全国199箇所の文化財庭園(平成23年4月1日現在)の中で最大の広さがあります。平庭部だけでも16.2haと日本最大級です。大名庭園の魅力のひとつに、その広大さが挙げられます。芝生でそれを表現したり樹木で表現したりと、築庭者の腕の見せ所ですが、栗林公園では湖や池でその広さを表現しています。



≪西湖(せいこ)≫


栗林公園は、文化財保護法により、「特別名勝」に指定されています。 特別名勝は、史跡名勝天然記念物の中でも特に重要なものに指定される誉れ高いもので、建物や工芸品などの有形文化財でいう国宝に相当することから、私たちは「お庭の国宝」と呼んでいます。 全国で特別名勝庭園は24(平成23年4月1日現在)。そのうち竜安寺、金閣寺、銀閣寺、苔寺など京都の庭園が13。地方では数少なく、四国では栗林公園ただひとつです。また、明治終わりから大正にかけての国定教科書の庭園の項には、栗林公園がいわゆる三名園よりも「木石の雅趣優れり」と記載されています。



≪南湖(なんこ)≫


名は栗林といいながら、公園自体は築庭当初から松で構成されています。栗林公園には、1,400本の松がありますが、そのうち約1,000本が職人が手を加えている手入れ松。「盆栽松」とも呼ばれています。Bonsai は今や世界で通用する言葉になりましたが、実は高松は、松盆栽では全国シェアの約8割を占める一大産地なのです。まさに Big Bonsai と言ってもいい栗林公園の手入れ松。規模だけとっても日本最大であり、見事な樹芸から作り出される造形美は他に例をみません。 伝統的な盆栽技法の極地とも評される箱松や屏風松、もはや芸術作品ともいうべき鶴亀松など、初めてご覧になった方でも一様に立ち止まり、感嘆の声をあげられます。



≪紫雲山≫


江戸時代初期、当時讃岐を治めていた生駒家がお家騒動により出羽へ転封になったあと、水戸徳川家初代頼房の長男(徳川家康の孫)である松平頼重公が、三代将軍家光から12万石を与えられて入封、高松藩が成立しました。これより以降、栗林公園(当時は栗林荘と呼ばれていました)は松平家の別邸として使用され、歴代藩主によって修築が重ねられていきます。 なお、水戸徳川家は頼重の弟で、水戸黄門で知られる光圀が跡を継ぎましたが、光圀はその後継に頼重の子を迎え入れ、代わりに自身の子(頼常)を頼重の養子として高松藩を継がせました。



≪石壁(赤壁せきへき)≫中国の景勝地「赤壁」に見立てて命名されたといわれています。


千利休から始まる茶の湯の流れは、曾孫の代になり三流派(三千家)に分かれます。 松平家初代藩主頼重公は、高松藩初代茶道頭として、千利休の曾孫にあたる初代千宗守(一翁)を京都から招聘。一翁宗匠はここで3年近く茶道の指南役を担い、その後その職を辞して京都の武者小路で開祖したのが、三千家のひとつ武者小路千家です。別名を官休庵というのは、松平家の茶道頭(官職)を辞した後に開いたことに由来します。武者小路千家では、一翁宗匠以降も歴代家元は讃岐高松藩の茶道指南をつとめました。また、茶の湯に関係の深いお庭焼(理平焼)もこの場から生まれました。



≪掬月亭(きくげつてい)≫四方正面の数寄屋造りで、回遊式大名庭園の中心的な建物です。漢詩の一句「水を掬すれば月手にあり」から命名されました。


栗林公園は、室町の手法を残す石組みの地をもとに、江戸時代1600年代初め、生駒時代に築庭が開始されました。その後、高松松平家に引き継がれ、1745年、5代藩主松平頼恭公の時に、園内六十景命名をもって完成しました。築庭年数を比べると、水戸偕楽園は9年、岡山後楽園は13年ですが、栗林公園では、松平家の時代だけでも110年以上の月日を要しています。この間、生活に困窮した民衆を、庭園の修築工事につかせたり、園内で使用する珍しい形の石や木を集めさせ、米などと交換したと伝えられており、今でいう雇用対策事業の側面もあったようです。



≪楓岸(ふうがん)≫


明治末期から大正にかけて、栗林公園には多くの皇族関係の方が来園されています。中でも大正天皇は皇太子の時に掬月亭で4連泊されており、その際お手植えになった松が掬月亭の南側にあります。また、商工奨励館西側には、秩父宮殿下や高松宮殿下など皇族方のお手植え松が4本と、英国エドワード皇太子(後の英国王エドワード8世)のお手植え松があります。その一番右側には、昭和天皇が皇太子時代にお手植えになった松がありましたが、平成16年、落雷により枯死と診断され、伐採されました。



≪涵翠池(かんすいち)≫


北庭の群鴨池は、歴代藩主が鴨猟をするための鴨場でした。明治から大正にかけての北庭改修工事で当時の鴨場施設はなくなりましたが、1993年遺構をもとに鴨引き堀を復元しました。 現代では、鴨引き場が残る鴨場は、全国で5箇所しか残っていませんが、復元された鴨引き堀は、幅、長さとも現存する鴨場の中で最大です。鴨猟は鴨の習性を利用したもので、鷹匠も参加する大掛かりなものだったようです。



≪偃月橋(えんげつきょう)≫弓張り月が湖面に影を映す姿から名づけられました。園で一番大きな橋です。


2009年3月に、フランスの旅行ガイド「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」(仏語版、英語版)において栗林公園は、「わざわざ旅行する価値がある」として最高評価の三つ星★★★ に選ばれました。三つ星観光地は全国で111箇所、四国では栗林公園と道後温泉本館の2箇所です(2011年発行第2版)。 また2012年には、米国の庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」の「2011年日本庭園ランキング」で、足立美術館(島根県)、桂離宮(京都府)に続く3位を獲得しました。



≪湾曲に≫


この公園は明治8年に県立公園「栗林公園」となりましたが、一般に「公園 Park」という言葉から受ける印象とは異なり、ここはまさしく「庭園 Garden」さらにいうなら「茶庭=露地」なのです。 庭園空間は、その造形美と時間の美(エイジングの美)を楽しむ場といわれ、侘びさびの「さび」にあたる時間の美こそがこの空間の最大の魅力です。また、能に始まる目に見えるもの以外にも美しさを求める「幽玄」や、利休の枯淡の境地を示す「わび」も、ここ栗林公園において、堪能することができます。



≪飛来蜂(ひらいほう)より≫園内随一のビューポイント。飛来蜂は富士山にらなって作られた築山です。



園内、なんだか不思議な鳴き声が充満しています。
「じゅ~わ~じゅ~わ~じゅ~わ~」
なんだろ・・・?セミ・・・?

鳴き声の主は「春蝉」でした。
春になく蝉。めずらしいわあ。
別名「松蝉」。松の多い栗林公園ならではの鳴き声なんですね。
ネット画像 youtubeお借りします春蝉の鳴き声
声のみで、姿を見つけることは出来ませんでした。
この蝉は、絶滅危惧種なんだそうです。




≪玉藻公園(史跡高松城跡)≫

・・・ 高松城は、天正15年に生駒親正によって築かれた。 親正は、讃岐一国173,000石を豊臣秀吉から賜り、播磨赤穂から入封、瀬戸内海の水軍の要として、この地に海に浮かぶ高松城を築いた。 生駒氏は4代高俊の時、生駒騒動のために出羽矢島1万石に左遷される。
寛永11年、水戸城主徳川光圀の兄松平頼重が常陸下館より東讃岐12万石で入封した。 頼重は、生駒氏時代の高松城を更に拡張し、2代頼常(光圀の子、頼重養子)まで工事は続いた。
高松松平氏による拡張は、北の丸・東の丸・新曲輪等が増築された。 この時、『南蛮造り』の三層五階の天守が完成した。
高松松平氏(水戸支流)は、初代頼重から最後の城主11代頼聡まで、代々西国大名の監視と瀬戸内海の要としての役目を担っていた。



≪モチツツジ≫


栗林公園の詳しい説明は、こちらをどうぞ。栗林公園見どころマップ





明日は金曜日で陶芸作品紹介の日ですので、
≪小豆島編≫は、5月13日(月)へと続きます。
よろしくお願いします。




香川県5月5~6日訪問




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日はこの辺で
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*香川旅行≪こんぴらさんと丸亀城編≫

2013年05月08日 | ✿おでかけ
うどん発祥の地の福岡から、うどん県の香川におじゃましました。

博多から新幹線で岡山へ。
岡山でマリンライナーに乗り換え瀬戸大橋を渡り、四国上陸です。



赤が香川県


『香川旅行日程』
5月5日(日)金刀比羅宮、丸亀城
5月6日(月)栗林公園、高松城、小豆島





レポは、
その1≪こんぴらさんと丸亀城編≫・・今日です。
その2≪栗林公園と高松城≫
その3≪小豆島≫
その4≪グルメ&お土産編≫
・・へと、続きます。
どうぞおつきあいくださいね~。





高松駅から「ことでん」(高松琴平電気鉄道)で、【金毘羅さん】へ。



≪ことこと走る≫


ことことことこと、よく揺れる電車でした。
たくさんの鉄男のみなさんが、線路脇でカメラを構えていらっしゃいましたよ。


・・・【金刀比羅宮】香川県仲多度郡琴平町
こんぴらさんの愛称で親しまれる、象頭山(標高521m)の中腹に鎮座する全国の金毘羅神宮の総本山。
昔から海の安全、五穀豊穰、大漁祈願、商売繁盛など様々なご利益のある神様です。
御本宮まで785段ある階段が有名。



≪笑顔でおまいり。こんぴらさん≫


なんと、本殿までの石段785段!です。
もう~足はまめだらけ。
膝はがくがく。




フォトムービーこしらえました。どうぞ、一緒に登ってください。






≪笑顔でおまいり。こんぴらさん≫の写真の白い傘は、
境内で唯一商売を許されてきた「五人百姓」と呼ばれる5店の商店です。
ここまで、石段365段。


京都と琴平だけに残された古式ゆかしい行事・蹴鞠は、毎年、子供の日(5月5日)、七夕鞠(7月7日)と納鞠(12月末申日)の年3回、金刀比羅宮の表書院前の鞠場で行われます。
ここまで、石段477段。


≪蹴鞠≫


”こんぴら”の語源は?
こんぴらさんは海の神様としても有名です。この「“こんぴら”の語源は?」というと、諸説あるようですが、古代インドの言葉サンスクリット語の“クンビーラ”(ワニの意)から来ているという説があります。ワニと言うと、凶暴、獰猛というイメージがありますが、昔の人にとってみれば、そういう所が大きな力を感じさせ、それが日本に伝わり、いつしか水=海の神様としてあがめられるようになったのでしょう。



≪ほら、紫一点≫

山の中、ひっそりと咲く藤の花です。



≪旭社≫

完成まで約40年費やしたといわれる華麗な社殿です。
ここまで、石段628段。



≪御本宮≫

さあ!785段です。
がんばったあ~!

こんぴらさん参拝は、二度目です。
けど、最初訪れたときは、御本宮まで到達したのか
記憶が定かではありません。

ああ!785段です。
きっと、いいこと、ありますように。


余談ですが、
♪金毘羅船々という歌、あるでしょう。
私、ずっと~こんぴらふねふね おいけにほかけて
と、思ってました!

金毘羅船々(こんぴらふねふね) 追風(おいて)に帆かけて
シュラシュシュシュ まわれば 四国は 讃州(さんしゅう)
那珂の郡(なかのごおり) 象頭山(ぞうずさん)
金毘羅大権現(だいごんげん) 一度まわれば

なんですね~!
「おいけ(お池)」ではなく、「おいて(追風)」なんだあ。
この歳になって、知りました!
きゃっ!はずかし。



金毘羅さんを後にして、「ことでんバス」で
【丸亀城】へ。



≪丸亀城≫


・・・【丸亀城】香川県丸亀市
築城400年を誇る丸亀のシンボル「丸亀城」は、全国に現存する『木造天守十二城』の一つ。内堀から天守にかけて積み重ねられた石垣は、”扇の勾配”と呼ばれる特長的で見事な曲線を描く。この白亜の二重三層の独立式木造天守は重要文化財に指定されている。


お城近くの横断歩道で、不思議な絵、発見!
ほら、足マークの間の絵・・なんだと思います?
あひるの足跡?まさかねえ~。



≪足の間の絵はなあに?≫


帰宅後、yahoo知恵袋に質問。
お答えをいただきました。
なんと、三本指、なのだそうです。

「あれは三本指を表しています。
横断歩道の前ではかならず一旦停止して、
(1)わたしは
(2)かならず
(3)止まります
と唱えるのです。
そして、右見て左見て右見て、横断します。」

とのこと。

なんだか、いいお話ですね。



≪瀬戸は日暮れて≫

夕波~小波~♪

旅の一日目が終わろうとしています。





レポは、明日《栗林公園と高松城編》へと続きます。
よろしくお願いします。




香川県5月5~6日訪問




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日はこの辺で

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*さあ夏

2013年05月07日 | ✿つぶやき
夏、やって来ましたね!
みなさま、GWは、いかがお過ごしでしたか。

『博多どんたく港まつり』(5月3~4日)も終わりまし、
さあ~夏です。



【B編隊:1号車】 nimoca 全国デビュー(5月3日)


季節は、七十二候の【葭始生】アシハジメテショウズ 4月20日~24日ごろ。を、過ぎ、

季節は、七十二候の【霜止出苗】シモヤミテナエイズル 4月25日~29日ごろ。を、過ぎ、

季節は、七十二候の【牡丹華】ボタンハナサク 4月30日~5月4日ごろ。を、過ぎ、

季節は、二十四節気の【立夏】の頃(5月5日)です。



【B編隊:2号車】獣電戦隊キョウリュウジャー&仮面ライダーウィザード(5月3日)


夏とは、
二十四節気では、「立夏」から「立秋」まで。
天文学では、「夏至」から「秋分」まで。
旧暦では、「四月」から「六月」まで。


まぶしい光に緑は深さを増し、気温も上がってきます。
春の淡い彩りに比べて、何もかもがいきいきとして鮮やかです。



しんがりは【B編隊:3号車】シンデレラ(5月3日)


さあ~夏です。





そんな緑まぶしい休日に、
四国の香川県におじゃましました。
わくわくるんるん、レポ、まとめ中です。


画像は、博多どんたく港まつりで街中を走る「花自動車」です。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日はこの辺で
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*有田陶器市2013

2013年05月02日 | ✿おでかけ
4月29日、有田陶器市に行って来ました。
毎年~楽しみにしている、我が家の恒例行事です。



≪陶の里に咲く花≫


陶器市といえば、この薔薇の花。ナニワイバラ。
毎年、綺麗に咲いて出迎えてくれます。


佐賀県有田町で29日、恒例の有田陶器市が始まった。JR上有田駅から有田駅までの通りには、約4キロにわたって500ほどの店が並んだ。主催の有田商工会議所によると、この日は25万人の人出でにぎわった。5月5日までの期間中、100万人を超す人が訪れる見込みだ。
通りは、焼き物を入れるリュックやキャリーバッグに手袋という「陶器市スタイル」の人たちであふれ、好みの器を手に取って品定めしていた。お店の人たちは「陶器市価格だよ、安いよ、安いよー」と売り込みに懸命だった。




≪初日は25万人≫


4キロの通りを並んだ器を眺めながら、ぶらぶら、きょろきょろ、歩きます。
ゆるキャラちゃんともすれ違ったりして。


この子、「ありたん」くん。


有田町で・・!「ありたん」よねえ。
ぼく、頭には有田焼のお茶碗ば、かぶっとっとばい!
かっこよかろ~?!


この子、「セラミー」ちゃん。


セラミックで・・!「セラミー」よねえ。
赤い髪の毛は、窯の「火」をイメージしとっとよ。


お目当ては、大好きな陶芸家
林田さなえさんと、盧眞珠さんの、器たちです。



≪林田さなえさんのブース≫



≪盧眞珠さんのブース≫


お二人の器、笑顔が作品になったよう。素敵なお二人です。大好き。
またお会いできて、うれしいです。


お昼は、名物「有田焼きカレー」をぱくりぱくり。
この焼きカレーは、以前紹介しましたように九州の駅弁ランキングで見事!一位をとった逸品です。



≪有田焼きカレー≫

有田焼の器は、お持ち帰りできます。
我が家、ずいぶんためこみました。


好天にも恵まれよい一日でした。ああ~楽しかった。



≪陶の里のマンホール≫


・・
赤が佐賀県・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・橙色が佐賀県有田町


佐賀県有田陶器市4月29日訪問





で、連れて帰った
今年、我が家の仲間入りした器たちで~す。
ああ、ほっこり、ほっこり。



≪ようこそ我が家へ≫




みなさま佳い連休をお過ごしください。また火曜日に
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*藁の楯

2013年05月01日 | ✿映画
東京で事件を起し、福岡まで逃走した犯人は、
福岡南署に出頭し、SPをつけて東京まで護送される。
その際使われた新幹線なんですがぁ~!
あれ?なんか違うぞ。
博多発の新幹線は、あんなオレンジ色の車両じゃない。



疑問を持ちながら、エンドロール。
協力ロケ地に、台北の文字!
帰宅後、調べたところ、ロケは、台湾でも行われたとのこと!
あの違和感満載のオレンジ色の新幹線は、台北を走る新幹線だったのです。
なんでも、日本の新幹線は、映画撮影の許可が下りないのだとか。
台湾まで出向いて映像を作り上げた三池崇史監督のこだわり
頭が下がります。





解説・・『ビー・バップ・ハイスクール』シリーズで知られる漫画家の木内一裕の小説家としてのデビュー作品を、三池崇史監督が映画化したサスペンス・アクション。凶悪な殺人犯に10億円の懸賞金がかかり、犯人を移送することになった刑事たちの緊迫した道程をスリリングに描く。正義とは何かと揺れる思いを抱きながら、命懸けで犯人を移送する警視庁警備部SPを演じるのは大沢たかおと松嶋菜々子。少女を惨殺した殺人犯には藤原竜也がふんする。常に油断できない展開であっといわせる三池監督の演出が、サスペンスで生かされることが期待できる。

あらすじ・・政財界を牛耳る大物・蜷川の、7歳になる孫娘が惨殺される。容疑者は8年前にも少女への暴行殺人事件を起こし逮捕され、出所したばかりの清丸国秀。蜷川は事件の3ヶ月後、大手新聞3紙に「清丸国秀を殺してください。御礼として10億円お支払いします」という前代未聞の全面広告を掲載。日本中が殺気立つ中、身の危険を感じた清丸は自ら福岡県警に自首してきた。人間を殺して大金を得る。そんな常軌を逸した行動を許せば警察の威信にかかわる。かくして清丸を東京の警視庁まで移送する為に、生え抜きのSPである銘苅ら、精鋭5名が配置された。いつ、どこで、誰が襲撃してくるかわからない極限の緊張状態の中、護送が始まる…。





正義を自問しながら懸賞金10億円の凶悪犯を守るSPを描くクライム・サスペンス映画。
国内外で大規模なロケを敢行した気合の入った映像が見もの。

第66回カンヌ国際映画祭コンペティション公式選出。


ネタばれは、しませんよ。ご安心を~


本来なら、要人を擁護するはずのSPたちが、極悪非道の男を守らねばならないという矛盾をかかえ、
人としての良心と本能のせめぎあいの中、
あらゆる人間の深層心理をむき出しにしていきます。

なにしろ、10億円の懸賞金が懸った犯人です。
リストラや不況で金銭的に追い詰められた人間、犯人に恨みを持つ人物など
いろんな人間が、敵になって襲いかかるという異様な設定が緊張感を生みます。

人間のクズ・・でも、守らねばならない。
擁護に要する「楯」は、まさに、もろいもろい「藁」のようなものなのです。

しかも、この護送作戦には多くの策略が隠されていて、
さらには警察内部にも敵がいるかもしれないとの緊迫感が心理戦の様相も呈していきます。

守らねばならない命。
その姿の行方には鳥肌がたちます。


凶悪犯清丸が逮捕された地、福岡。
ここで、福岡県民として、一言。
福岡南署に出頭した場合、
福岡市南区を出発した護送車は、
福岡市早良区にある福岡ドーム横の都市高速は、絶対!!!!!に、通りません。


藁の盾4月28日鑑賞




さあ!5月ですね。
今月も、どうぞよろしくお願いします。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日はこの辺で
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いつもご訪問ありがとうございます。
はなこころです。
また、お待ちしています。