なぜ、
千利休は、切腹せねばならなかったのか。
利休が秀吉の怒りを買い死罪になった原因を「大徳寺三門(金毛閣)改修に当たって増上慢があったため、自身の雪駄履きの木像を楼門の二階に設置し、その下を秀吉に通らせた」とする説がよく見られるが、その他にも下記のような様々な説があり、明らかにはなっていない。また、秀吉は蟄居を命じただけで死罪までは企図していなかったが、利休が一切の釈明や謝罪をしなかったために更に怒りに触れ切腹を命じたとする説もある。
●安価の茶器類を高額で売り私腹を肥やした(売僧(まいす)の行い)疑いを持たれた。
●天皇陵の石を勝手に持ち出し手水鉢や庭石などに使った。
●秀吉と茶道に対する考え方で対立した。
●秀吉が利休の娘を妾にと望んだが、「娘のおかげで出世していると思われたくない」と拒否し、秀吉にその事を恨まれた。
●豊臣秀長死後の豊臣政権内の不安定さから来る政治闘争に巻き込まれた。
●秀吉の朝鮮出兵を批判した。
●政治権力者秀吉と芸術家利休の自負心の対決。
●交易を独占しようとした秀吉に対し、堺の権益を守ろうとしたために疎まれた。
秀吉は元々わび茶が嫌いで、ある日彼の命令で黄金の茶室で“大名茶”とよばれる茶を点てた頃から密かに彼に不満を募らせていた。さらにこの後、信楽焼の茶碗を作っている事を聞いて憤慨した秀吉からその茶碗を処分するよう忠告されたが、聞く耳持たなかった。
●自身が修行していた南宗寺とは徳川家康と繋がりがあり、家康のスパイとして茶湯の中に毒を入れて、茶室で秀吉を毒殺しようとした説。
以上、 Wikipediaより。

ネット画像
解説

・・直木賞に輝いた山本兼一の小説を実写化した歴史ドラマ。戦国時代から安土桃山時代に実在した茶人・千利休の若い頃の恋、それを経て培った美への情熱と執着を壮大に映し出す。『一命』の市川海老蔵が千利休にふんし、10代から70代間際までの変遷を見事に体現。さらに、利休の妻・宗恩に中谷美紀、豊臣秀吉に大森南朋、織田信長に伊勢谷友介と、実力派が集結。三井寺、大徳寺、神護寺、彦根城など、国宝級の建造物で行われたロケ映像も見ものだ。
あらすじ

・・3,000もの兵に取り囲まれ、雨嵐の雷鳴が辺り一帯に響き渡る中、豊臣秀吉(大森南朋)の命によって切腹しようとする茶人・千利休(市川海老蔵)の姿があった。ついに覚悟を決めて刃を腹に突き立てようとする彼に、利休夫人の宗恩(中谷美紀)は「自分以外の思い人がいたのではないか?」という、かねてから夫に抱いていた疑念をぶつける。その言葉を受けた利休は、10代から今日に至るまでの波瀾(はらん)万丈な道のりを思い出していく。
youtubeお借りしました。
市川海老蔵さんの眼光が印象的です。10代から70歳までを演じます。
ネタばれは、しませんよ。ご安心を~
原作は直木賞作家の山本兼一の同名小説です。
千利休を枯れた茶聖ではなく、恋や美に身を焦がす情熱の人だったと解釈し、利休の美意識は若い頃に経験した悲恋がベースになっているという仮説に基づいて描かれています。
若い頃に経験した悲恋とは・・
遊郭に入り浸っていた利休は、異国の地・高麗からきた高貴な美女と出会い、一目で恋に落ちる。一緒に逃げて心中しようとまで思いつめるが結局一人生き残ってしまう。しかも彼女の最期の言葉は「あなたは生きてください」だった。
と、このいきさつが、
利休の人生と価値観を変えてしまった。という設定です。
この方が高貴な美女、を演じられた韓国の女優くららさんです。

綺麗な方ですね~。
織田信長にさえ自分の美意識を曲げない利休は人々を虜にするが、あまりに高まる名声に秀吉が嫉妬し、やがて利休を死に追いやるという展開は、歴史通りです。
いったい、なぜ、
秀吉や家臣の石田光成は、利休の名声や美意識をこんなにも、恐れたのでしょう。
その背景は、やはり、うやむやに描かれています。
とはいえ、実際に利休が使用した国宝級の茶道具や建造物を使って撮影された映像は、本物志向。
重みのある歴史絵巻に仕上がっています。
現在も脈々とつづく、千利休を祖とする茶道。
利休の後継者としては先妻・宝心妙樹の子である嫡男・千道安と、後妻・宗恩の連れ子で娘婿でもある千少庵が有名。
中谷美紀さん演じる、宗恩は、後妻なのですね。

茶の師匠、武野 紹鴎を演じた故・市川団十郎さん
海老蔵さんと最初で最後の父子共演でした。
利休にたずねよ
12月8日鑑賞
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今日はこの辺で