我が家の前で撮りました。
『福岡国際マラソン』です。
第70回 福岡国際マラソン選手権大会 2016・12・4
平和台陸上競技場を出発した選手たちは、我が家の前に、10分程で到達します。
目の前を走り過ぎる選手の皆さん
すっごく、速い。
たっ!たっ!たっ!たっ!
まるで、短距離走のようです。
先頭から、最後尾の選手までムービーに納めるのに
さほど、時間はかかりません。
その間、5分ちょっと!です。
埼玉の公務員ランナー川内選手 わかりますかあ。
再度
この大会の歴史をまとめます。
本マラソン大会は、日本で「マラソンの父」と言われた金栗四三の功績をたたえる『金栗賞朝日マラソン』として第1回大会が1947年に金栗の地元熊本市で開催されたのが始まりである。2006年の大会はこれを基点として第60回記念大会としている。
第2回以降1954年までは、開催地を高松市、静岡市、広島市、福岡市、宇部市、名古屋市、鎌倉市と毎年変えて続いた。 (なお鎌倉で行われた第8回大会は日本初の外国選手を招待したマラソンであった。)
第9回大会から『朝日国際マラソン』と名称を変え、第11回大会以降開催地が福岡市に定着した。 (第11回から平和台陸上競技場~雁ノ巣折り返しのコースが多少の変更を経ながら第38回まで長い間親しまれてきた。)
1966年、日本陸連は世界陸連(IAAF)に対して世界選手権の開催を提案し、実質的に世界一を決める国際マラソン選手権として本大会が充てられることになった。 その結果第20回大会から“Open Marathon Championship”として選手権 (Championship) を名乗る唯一の国際レースに生まれ変わった。
1974年の第28回大会より福岡の名前を冠して福岡国際マラソン選手権となり現在に至っている。
雁ノ巣折り返しのコースは海風の影響を受けやすいことから、第39回より海の中道の部分をカットし市の南西部の市街地を周回するコースに変更された。第45回からコースが和白丘折り返しから香椎折り返しになり海沿いの部分がさらに短縮され好記録の出やすいコースに変更されている。
日本人選手にとっては、オリンピック、世界選手権、アジア競技大会など、大きな国際大会の代表を決定する男子三大レースの第1弾に位置づけられている(ほかの2つは、東京マラソンとびわ湖毎日マラソン)。
1974年の第28回大会から、名称が「福岡国際マラソン」になり、
そして、
1985年の第39回大会から、我が家の前を走るコースになりました。
毎年、12月の第一日曜日に開催されます。
降っていた雨も、ちょうど家の前を通過するあたりでは、あがり
奇跡的に動画撮りベストコンディション。なんとラッキー。
陸上の福岡国際マラソンが4日、来年の世界選手権ロンドン大会の選考会を兼ねて、福岡平和台陸上競技場発着のコースで行われ、川内優輝(埼玉県庁)が2時間9分11秒で日本人トップの3位に入り、世界選手権代表入りへ前進した。
イエマネ・ツェガエ(エチオピア)が2時間8分48秒で優勝した。3連覇を狙った元世界記録保持者のパトリック・マカウ(ケニア)は2位。川内は25キロ付近で先頭に立つなど積極的にレースを引っ張り、36キロ過ぎに3位争いから抜け出した。
福岡国際マラソンも終わりました。さてさて、これで
福博の街に冬の到来です。
また
押し詰まりました。
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