姫路城と播州赤穂に
おじゃましました。
快晴の空の下、充実の2日間でした。
タイトルは、「あっちっちひょうご」にしましょう。
兵庫県
姫路市☆赤穂市
『あっちっちひょうご日程』
7月25日(土)
さくら542号 博多8:43~姫路10:54
JRJR山陽本線新快速・播州赤穂行 姫路11:36~播州赤穂12:06
●赤穂散策
JR赤穂線新快速・野洲行 播州赤穂14:35~姫路15:06
●姫路城ライトアップ見学
7月26日(日)
●姫路城見学
●好古園散策
さくら567号 姫路16:50~博多19:00
レポは、
その1≪播州赤穂編≫
その2
≪姫路城(壱)編≫・・今日です。
その3≪姫路城(弐)編≫
その4≪グルメ&お土産編≫
・・へと、続きます。
どうぞおつきあいくださいね~。
はじまり
国宝・世界文化遺産
「姫路城」です。
概要・・・この地方の豪族であった赤松氏が砦を建てたのが始まりと言われる。
その後、小寺氏に仕えていた黒田重隆(黒田官兵衛の祖父)が築城。
中国地方攻略のために遠征してきた羽柴秀吉はここを拠点としていた。
江戸時代に池田輝政によって天守が築かれた。
真っ白な城壁の美しさから白鷺城と呼ばれているが、美しさだけではなく要害としての配慮もされている実用的な城と言える。
姫路城の歴代城主です
ここ
「土日は、混みますよ。お早目におでかけください。」
ホテルのフロントのお姉さんの言葉かけ。
お城に着いたのは、朝8時30分頃。
開城は9時です。けど、ほらもう、こんなに行列です。
クリックすると大きくなります。
さあ、「菱の門」より、入城!です。
「菱の門」
櫓門と呼ばれる型式の二の丸の入口を固めた門で、両柱の上の冠木に木彫りの菱の紋のあることから、この名前が付いています。門全体に安土桃山時代の様式を残しており、城内で最も大きな門です。
菱の木彫り
「三国堀」
姫山と鷲山の間に設けられた四角い堀。二の丸につながる本道(いの門)と間道(るの門)の要所をおさえる重要な位置にあります。
「いの門」
「ろの門」
「将軍坂とはの門」
○△□の穴は、敵を射撃するためのものです。外に向かって穴は狭くなっています。
「暴れん坊将軍」のロケ地として使われました。
「にの門」
「ほの門」
「石落し」
「水の一門」
天守から遠ざかっているのでは?と不安にさせるため、
水の一門から水の六門まで、緩い下り坂になっています。
「水の二門」
とにかく、門がたくさんあって、汗だくに拍車をかけます。
いよいよ、「大天守」の中に入ります。
左から西小天守・大天守
天守台の東南隅に位置し、外観5重・内部は地下1階・地上6階の造りになっていて、最上階の大棟両端には阿吽一対の大鯱瓦を飾っています。外観は千鳥破風・大千鳥破風・唐破風を組み合わせ、調和のとれた非常に美しいものになっています。
フォトムービーこしらえました。
一緒に登りましょう。
フォトムービーこしらえました。
地下 - 東西約11間半・南北約8間半。穴蔵と呼ばれている。簀の子の洗い場(流し台)と台所を付属させ、厠を3箇所設置している。
1階 - 東西約13間・南北約10間。北側に東小天守と接続するイの渡櫓、西側に西小天守と接続するニの渡櫓。
2階 - 1階とほぼ同様の構造。地下から2階は身舎の周りに武者走りを廻し、鉄砲や槍などが掛けられる武具掛が付けられている。
3階 - 東西11間・南北8間。武者走りがあるが、それに加えて破風部屋と武者隠(むしゃがくし)と呼ばれる小部屋が数箇所設けられている。また、石打棚(いしうちだな)という中段を窓際に設けて、屋根で高い位置に開けられた窓が使えるように高さを補っている。
4階 - 東西9間・南北6間。3階同様に石打棚がある。武具掛けのある比翼入母屋破風の間が南北に2箇所ずつ(計4箇所)ある。
5階 - 東西9間・南北6間。大広間一室で4重目の屋根裏部屋に相当する。大柱はこの階の天井まで通っている。
6階 - 最上階。東西7間・南北5間。一段高い身舎周囲に入側を巡らしている。部屋の中央に柱を立てず、書院造の要素を取り入れ長押や棹縁天井など書院風の意匠を用いている。長壁神社が分祀されている。
「出口」
お城の階段ってほんと急ですよねえ。
ふぅ。です。
左から乾小天守・西小天守・大天守
大天守は、ほら、1,2,3,4,5階建てにみえるでしょう。
けど、実際は6階まであります。
千鳥破風があるところが、実は5階なんです。
隠し部屋なんですよ
姫路城はその400年の歴史の中で、戦にまみえることなく、近代の戦災に遭うこともなかった、たぐいまれな城です。その結果天守や櫓、門などの保存状態が非常によいうえ、ほかに類例のない遺構も多く、極めて貴重な文化遺産となっています。
姫路駅から見た姫路城から、たくさん写しました。
うっとり美しい姫路城です。
フォトムービーこしらえました。
別名「白鷺城」と呼ばれる由来は、以下のような説が挙げられています。
・姫路城が「鷺山」に置かれているところから。
・白漆喰で塗られた城壁の美しさから。
・ゴイサギなど白鷺と総称される鳥が多く住んでいたから。
・黒い壁から「烏城(うじょう)」とも呼ばれる岡山城との対比から。
「石棺と備前門」
奥に見えるのが、総鉄板張りの「備前門」です。
築城のさい、石不足であったため、門のすぐ脇には、「石棺」が転用されています。
「扇の勾配」
上に行くほど反り返り、敵に石垣をよじ登らせない工夫でもありました。
「太鼓櫓」
上山里曲論と東曲論を区切る要所にあります。北に接する「りの門」からは慶長4年(1599年)の墨書がみつかっており、池田時代以前の建物の可能性があります。
「お菊の井戸」
播州皿屋敷のヒロインお菊が責め殺されて投げ込まれたと言われる井戸で、もとは釣瓶取(つるべとり)井戸と呼ばれていました。
「一枚~二枚~」のあの怪談です。
けど、
あれ?番町皿屋敷じゃないの?
と、出かける前の予習のさい、思いました。
どうやら、こちら 播州皿屋敷のほうが、大元のようです。
明治に書かれた岡本綺堂の『番町皿屋敷』のお話しの元となった『播州皿屋敷』と云う物語。『番町皿屋敷』は舞台は江戸、それに対して播州ですから、兵庫県 昔でいう播磨の国。
『播州』に登場する人物に、青山鉄山と云う武将が居ります。
「播磨」の国の「青山鉄山」ですから 『番町皿屋敷』の主人公が「青山播磨」
と云うのも なんとなくうなずけるような設定です。
「刻印」
姫路城のミステリーの一つ。このような刻印は現在59種、122個見つかっています。
「上下里下段石垣」
黒田官兵衛が積んだ石垣です。
福岡藩祖、黒田官兵衛の故郷は、姫路。
当時のお城は今のように立派なものではありませんでした。
ああ、姫路城。
たくさん、門がありました。
たくさん、曲がり角がありました。
菱の門から出ると、やはりすごい行列です。
入城までの待ち時間、2時間・・の文字。
こりゃあ~この猛暑の中、きびしいわ。
ああ、姫路城。
徳川家康の孫娘、千姫。
夫の秀頼亡きあと、再婚し、姫路城へ。
千姫のために建てられた「西の丸」レポは、後日に。
【追記】日本の城で天守が残っているのは12城です。
このうち国宝に指定されているのは、姫路城、松本城、犬山城、彦根城、
そして、松山城、松江城です。
おしまい
とにかく、暑かった。
汗だくで歩きました。31291歩。
赤穂の塩飴ほおばりつつ、いろはす
お世話になりました。
あっちっちひょうご
レポは、≪姫路城(弐)編≫へと続きます。
よろしくお願いします。
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