毎週、涙じょんじょん。号泣しながら、観ています。
ドラマ「銀二貫」
お侍の子が、とんだいきさつから、商人となり、けなげに生きていく物語です。
この感動を、原作でも味わいたい。
高田郁著「銀二貫」さっそく、読んでみました。
ネット画像
あらすじ
・・時は江戸時代。
大阪天満の小さな寒天問屋、井川屋の主(和助)は、
火事で燃えてしまった天満宮再建の為、
必死に集めた大金・銀二貫を懐に持っていた。
しかし店へ帰る道中、偶然遭遇した逃げてゆく侍の親子(彦坂数馬と鶴之助)
そしてそれを追ってきた若侍(建部玄武)
目の前で果たされる仇討ち。
トドメをさすことを邪魔をするなら貴様も、と息巻く侍から子供を救うため、
和助は「その仇討ちを銀二貫で買います」と申し出る…。
※大阪天満宮・・現在のご本殿は、天保14年(1843年)に再建された物です。 この大阪天満宮は、江戸時代の記録に残るだけで七度もの火災に遭い、なかでも大阪市中を焼き尽くした享保9年(1724年)の妙知焼けや、大塩平八郎の乱による天保8年
(1837年)の大火では、全焼致しました。その約6年後に、大阪市中の氏子や崇敬者又献身的な奉仕者によって、現在のご本殿が再建されました。本殿内も他のお社に見られるようなきらびやかさは見られませんが、先の大東亜戦争にも焼けずに残ったのは、氏子の方々が焼ける自分の家を横目に見ながら「天神さんを焼いたらあかん」と守って下さったおかげです。
江戸時代、大阪の町は、何度も大火に見舞われたのですね。。。
目的として、天満宮再建のため、必死に必死に準備する、銀二貫です。
この大金、重い想いの詰まった銀二貫。
鶴之助はもちろん、建部玄武の生涯、それから、助けた和助のこれからを
大きく決定づけることになります。
さて、銀二貫とは
いまでいうとどのくらいの価値があるのでしょう。
※銀二貫・・江戸時代の大坂では主に貨幣として「銀」が流通していました。「貫」は重さの単位で、銀二貫は2000匁で約7.5キログラムの重さとなります。貨幣価値を単純計算すると、小判(金)で約33両、現在の紙幣で300万円程度といわれますが、当時は貨幣の質が大きく変動していた頃で、実際の価値はその何倍にもなることがあったらしい。天満宮再建の為の寄進額は当時の台帳によると、銀500匁~一貫がほとんど。井川屋の目指す「銀二貫」の寄進はまさにトップクラスの額と言えます。
文中、銀二貫を手にした建部玄武が
「苗村藩などと何処に在るのかも知れぬような小藩、そこで禄を食む彼が一生かかっても拝むことのない数の銀貨・・・」
と、あります。
かなり、かなり、価値のある金額のようです。
この価値のある銀二貫が、
文中、数回、登場します。
「人はこれほど優しく、強くなれるのか?」
とは、この本の紹介文です。
お金で買えるのは、ものだけではない。
銀二貫とは、人のやさしさの象徴なのです。
鶴之助は、生きるため侍の名を捨て、松吉と名乗り、井川屋の丁稚となり、
たくさんの人々のやさしさに包まれて成長していきます。
お侍から商人へ。それはそれは大変な道のりでした。
安政7年(1778年)から寛政12年(1800年)まで
実に、22年にわたる壮大なる物語。
松吉の10歳から32歳までが描かれています。
原作には出てこないのですが、
外出する時、「行て参じます」、見送る人が「おはようお帰り」。
という挨拶が交わされます。
情緒があってふんわりした言葉。
なんだか、いいなあと思いました。
また、始末と、いう言葉も再三、出てきます。
こないだの連ドラ「ごちそうさん」でも、出てきた言葉です。
この始末、本来は食べ物や道具を無駄なく使い切ることを意味しますが、
つまりは「始まりと終わりをぴったりと合わせる」精神のこと、なのだそうです。
・・大坂という街は、時の政権・江戸幕府から遠く離れたところで大きく発達しました。その発展の土台にあったのが「始末」の精神です。人々は、政事(まつりごと)に頼らず、刀ではなく商いを通して、自らの力で円熟した社会を作り上げました。そのためには、他者から何かを奪い取る事無く、人生の始まりと終わりをぴったりと合わせる生き方がそれぞれ個人に求められたのでしょう。
「始末」して生き抜くためには「凛々しさ」が必要です。ゼロから始まりゼロで終わる。でも豊かな人生。そんな生を全うしようと懸命に気高く生きる人々を、俳優・スタッフと共に創り上げたつもりです。(NHKドラマCMより。)
ドラマのほうの登場人物
ところで私
寒天(かんてん)のもとは、心太(ところてん)
だったなんて、この物語ではじめてしりましたよ。
なにわの風情たっぷりの空気感の中、涙あり笑いあり恋愛ありの人情時代劇でおますぅ。
原作の方も、はい・・涙じょんじょん。でした。
ドラマも、いよいよ
佳境にはいりますぅ。
このここちよい号泣とも、おさらばやと思うと
なんや、さびしゅうなりますゎ。