東京に行って来ました。
『3月3日』
・・・●可愛い
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・・・・↓
・・・●水天宮参拝
・・・・↓
・・・●東京スカイツリー
・・・・↓
・・・●月島もんじゃ
『3月4日』
・・・●人形町界隈散策
・・・・↓
・・・●博多ラーメンしばらく
・・・・↓
・・・●可愛い
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往路 8:00福岡発ANA~羽田行
復路 17:00羽田発ANA~福岡行
途中 移動は
リムジンバス、京急線、半蔵門線、大江戸線、都営新宿線、京王線
おじゃましたのは、中央区と世田谷区です。
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東野圭吾の小説に登場する加賀恭一郎の大ファンです。
ですので、人形町は以前 小説のロケ地巡りで
おじゃましたことがあります。
なにより 水天宮の変貌ぶりに びっくり仰天。
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な、なんなんだあ。この今風な佇まいは!!!
入り口ですよ。もうびっくり!びっくり!
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↑クリックすると大きく見れます。
東京水天宮 2017年4月8日にリニューアルオープンしたのですねえ。
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◇江戸時代には、大名には参勤交代が義務付けられていました。藩主は、領地を離れて江戸詰をしなくてはなりません。その間、水天宮にお参りができない為、久留米藩第九代藩主、有馬頼徳公は久留米から分霊をして、江戸屋敷内(現在の港区)に、水天宮を祀りました。文政元年(1818)これが東京水天宮のはじまりです。
本来、水天宮は殿様の屋敷神として祀られたもので、一般の人が参拝することは出来ませんでしたが、江戸時代の人々の信仰は次第に高まり、塀越しに賽銭を投げ込む人が後を絶ちません。遂に「五の日」に限り、江戸屋敷が開放され参拝が許されました。
こちらは、福岡県久留米市にある総本宮 水天宮です。
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威厳があります。
今風に変貌を遂げた 東京水天宮をごらんになったら、
有馬のお殿さま きっと 腰抜かされることでしょう。
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ちなみにこちらは、以前 参拝させていただいたときの東京水天宮の本殿です。
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◇水天宮の起源は、今から700年程前、平清盛の血をひく安徳天皇は、源氏の厳しい追及に京都から西へ西へと逃げていきました。しかし、壇ノ浦の合戦で源氏の軍船に取り囲まれ、祖母の「二位の尼」に抱かれて母の「建礼門院」と共に波間に身を躍らせました。
お仕えしていた官女の「按察使局:あぜちのつぼね」も壇ノ浦で共に入水しようとしましたが、二位の尼に止められ「お前は生きて、われらの霊を慰めよ」との命を受けます。局は川のほとりに小さな祠を建て、安徳天皇とその一族の霊を慰める日々を送りました。これが水天宮の起源と伝えられています。
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長男夫婦は、ここ東京水天宮に安産祈願に参拝させていただきました。
ちょうど一年前の戌の日です。
感無量です。
その時 可愛い
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は、まだ おかあさんのお腹の中にいたんだ。
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おかげさまで、すくすく育っております。
今日は 初節句のお祝いです。
ありがとうございます。
これからも どうか
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◇明治4年(1871)水天宮は屋敷の移転と共に赤坂に移り、さらに翌年に現在の日本橋蛎殻町に移転しました。日本橋蛎殻町界隈は、人影もまばらな寂しい場所でしたが、水天宮が移ると共に商店が増え始め、大変な賑わいを見せるようになりました。拝殿で神様をお呼びする「鈴」を鳴らす布地(サラシ)の鈴紐のことを「鈴乃緒」(すずのお)と呼びますが、この鈴乃緒のおさがりを妊婦が腹帯にしたところ、大変に安産だったとか。水天宮では「戌の日」に安産祈願を済ませた腹帯を「鈴乃緒」と呼んで、授与しています。戌の日には安産祈願の妊婦さんがたくさんお参りします。
あの日 お犬さんの頭なでなでさせていただいた長男夫婦
今日は、可愛い
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「ぶじ うまれまちたよ、なでなで。
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よろちくおねがいちまちゅ。」
狛犬に、石橋正二郎氏の名前 発見。
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久留米のブリヂストンの創立者です。ご奉納されたのですね。
水天宮の御神紋は、「椿紋」です。
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ここでもう一度 その由来を書いておこうと思います。
お祀りされている四柱の神様の中に、安徳天皇がいらっしゃいます。安徳天皇は、壇ノ浦の戦いにて、命を落とされたというお話が一般的ですが、じつは生きていらっしゃったという説が残っているのです。
いくつか異なる伝説がありますが、久留米の筑後川畔、鷺野原にある千寿院というお寺に行幸(ぎょうこう=天皇がお出かけされること)されたというお話が、水天宮の御本社がある福岡県久留米市に伝わっています。
玉江姫(たまえひめ)というとても美しい娘がおり、天皇の周囲からの薦めで安徳天皇にお仕えするようになりました。
千寿院の境内には井桁を組んだ井戸があり、そこには寄り添うように美しい椿の花が・・・
その様子をたとえられ、
「椿は八千代を子と寿ぎ,井桁は深き契を宿すとかや」
椿の花はいつの世もやさしく愛でて映え,井桁はその愛をとこしえに深く育んでゆくと言われているが、いかがなものよ―と、玉江姫への想いを秘めて仰せられたそうです。
そんな恋物語からつけられたのが、水天宮の「椿紋」というわけです。
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3日も4日も 東京水天宮は赤ん坊連れの家族で、いっぱいでした。
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レポおしまい![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/5a/44a548ce474bff7831b7ace190b9abc0.png)
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東京だよレポ
その2は、《東京水天宮編》でした。
読んでくださってありがとうございます。
その1≪東京スカイツリー編≫3月6日記
久留米藩第九代藩主、有馬頼徳公が、久留米から分霊をして、江戸屋敷内(現在の港区)に、水天宮を祀ったのが、文政元年(1818)、
そうなんですね。
あれから ちょうど200年。
改装は2018年に江戸遷座200周年を迎えるため記念事業だったのですね。
有馬のお殿さまだけでなく、
水天宮の変貌ぶり、
加賀恭一郎だって、そうだ 三井峰子だって、
驚いているに違いありません。
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初孫ちゃんの初節句のお祝い、おめでとうございます。
初孫ちゃんが御産まれになるまでのこと、みんな大切なものなんですね。改めて、命の誕生をお祝いします。
初孫君ともお会いになられて、お幸せなこと!
私も、幸せのおすそ分け頂きました。(*^^*)
愛おしさが伝わってきます。
あ、新参者だ~!
私も歩いてみたいです。
水天宮は行ったことがないんですけど、
ピッカピカの真新しいお姿にびっくりです
お孫ちゃんともども、
無事にお参りできておめでとうございます
したっけ。