“生きて、日本に帰ろうー”
太平洋戦争下
激戦地サイパンで、「玉砕」でもなく、「自決」でもなく、
たった47人の兵力で4万5000人ものアメリカ軍を翻弄しし続け、
現地の民間人を守った 大場栄大尉の物語です。
すみません。
私は、大場栄さんという方を知りませんでした。
サブタイトルは、
「1944年、玉砕の島サイパン・・。これは、歴史に埋もれた真実の物語である。」
原作は、
『タッポーチョ 太平洋の奇跡「敵ながら天晴」玉砕の島サイパンで本当にあった感動の物語』
米海兵隊の元兵士のドン・ジョーンズ氏が大場部隊47士の姿に感動して、戦後日本を訪れ(昭40)取材して書き残しました。
・・太平洋戦争下、わずか47人で4万5000人の米軍を相手にし、サイパンでのゲリラ戦で米軍に“フォックス“と仇名され恐れられた大場栄大尉の実話を映画化。名匠平山秀幸監督が男たちの過酷な戦いと友情を描く。大場役には3年ぶりの映画主演となる竹野内豊。唐沢寿明がスキンヘッドの元ヤクザの軍人・堀内今朝松役に挑み、新境地を切り拓いている。
映画『太平洋の奇跡ーフォックスと呼ばれた男』予告編
・・大場 栄(おおば さかえ、1913年3月21日 - 1992年6月8日) は、日本の陸軍軍人、実業家、政治家。最終階級は陸軍大尉。丸栄産業代表取締役、蒲郡市議。愛知県出身。
大場栄大尉率いる部隊は、
1945年、サイパンが米軍により陥落し、また日本の敗戦の後も、同年12月に至るまで
タッポーチョの山にこもり なんと、512日 戦い続けたのです。
正式の降伏命令を受け取った後、天皇陛下バンザイを叫び、軍歌「歩兵の本領」を声高に歌いながら待ち受ける米軍に向かって堂々の行進をしました。
<軍歌>歩兵の本領
↓これは、大場大尉が軍刀を米軍に渡したときの実際の写真です。
↓こちらは、映画の画像です。
米軍は、彼らを勇士として丁重に扱い歓迎会まで催し、新聞にも大きく報じました。
大場大尉たちは、祖国日本に忠義を尽し最期まで戦いを貫き、米兵から尊敬までされたのです。
ネタばれは、しませんよ。ご安心を~
戦時下では、「玉砕死」
「捕虜の辱」として「自決」が潔しとされていました。
映画での、米軍は
日本人の気質をよく理解し、とても紳士的です。
大場栄大尉の信念と、対峙した米軍大尉との
考えが、よい方向に、うまく行きついた。
と、いう感じ。
その方向が少しでも逸れていたら、悲惨な結末になっていたことでしょう。
でも・・ですね、
大場栄大尉は
「私の心中には、玉砕で死ぬべきところを生き残ったことについて、果たして正しかっただろうかという思いがつねにあった。」のだそうですよ。
命を懸けて護った祖国日本の、帰還後の風当たりは、常軌を逸し、冷たいものだったそうなのです。
原作者ドン・ジョーンズ氏の言葉を、掲載します。
↓
【序文】
本書を、自らの国のために全力を尽くし、報われることのなかった、現代の日本人の父親たちに、祖父たちに、伯父たちに捧げる。
【あとがき】
私は今日の日本で、1945年(昭和20年)以降に生れた人たちの間では、日本にあった戦争についてあまりにも知られていないことが残念で、この本を書きました。
これを書く前に、・・・調べてみました。・・・多くの人たちの間に、戦争のことを言うのに恥じる感覚があるということでした。そして、その恥の感覚は、事実に基づいたものではなく、知識の欠如に基づいたものでした。
この人たちは、自分たちの父や祖父や叔父たちが、自分たちの国を守るために戦った精神について、何も知りませんでした。もっと驚いたことは、その人がしたことになんの尊敬の念も払っていないことです。
私は、このことをとても残念に思います。日本の兵隊は、よく戦ったのです。彼らは、世界の戦士たちの中でも、最も優れた戦士たちでした。彼らは、自分たちの国のために生命を捨てることを恐れませんでした。私は、そのことを、こういう兵士たちと三年戦いましたから、よく知っています。
しかしこの本は戦争の物語ではありません。日本とアメリカとの双方で、多くの人たちは自分が作ったわけでもない恐ろしい状況に、どのように反応したか、と言うことを書いた物語です。双方の人たちは、それぞれ信じていたことをしたのです。
・・・事実(この本に記した真実を日本人が知れば)によって、現在の知識の真空状態は埋められることになるでしょう。また、先述の恥じる感覚は誇りに変わるでしょう。
・・・そして、それらのページは、今日の若い日本の人たちにとってだけでなく、その人たちの子供や孫にとっても、誇りの源泉になるでしょう。それが、私がもっとも強く持っている願いです。1982年11月 ドン・ジョーンズ
これに対する、大場栄さんの言葉です。
↓
この本がどのように読まれるかについては、私には懸念がある。しかし、この本がかっては敵同士だった私たちの戦後の長い交流を経て、敵の目で書かれたわれわれの戦いの記録であることは間違いない。
こうしてこの映画のおかげで
大場栄大尉のこと、
そして あの時、サイパンで何が起こったのか、
少しでも知ることが出来て ほんとうによかったと思います。
あの大戦でたくさんの方々が犠牲になられました。
ご冥福をお祈りします。
たくさんの方々の犠牲の上に今の日本はあります。
平和な日本に生きていくことができます。
仕合わせなことです。
2011さくら開花予想左上に載せていますどうぞ
太平洋戦争下
激戦地サイパンで、「玉砕」でもなく、「自決」でもなく、
たった47人の兵力で4万5000人ものアメリカ軍を翻弄しし続け、
現地の民間人を守った 大場栄大尉の物語です。
すみません。
私は、大場栄さんという方を知りませんでした。
サブタイトルは、
「1944年、玉砕の島サイパン・・。これは、歴史に埋もれた真実の物語である。」
原作は、
『タッポーチョ 太平洋の奇跡「敵ながら天晴」玉砕の島サイパンで本当にあった感動の物語』
米海兵隊の元兵士のドン・ジョーンズ氏が大場部隊47士の姿に感動して、戦後日本を訪れ(昭40)取材して書き残しました。
・・太平洋戦争下、わずか47人で4万5000人の米軍を相手にし、サイパンでのゲリラ戦で米軍に“フォックス“と仇名され恐れられた大場栄大尉の実話を映画化。名匠平山秀幸監督が男たちの過酷な戦いと友情を描く。大場役には3年ぶりの映画主演となる竹野内豊。唐沢寿明がスキンヘッドの元ヤクザの軍人・堀内今朝松役に挑み、新境地を切り拓いている。
映画『太平洋の奇跡ーフォックスと呼ばれた男』予告編
・・大場 栄(おおば さかえ、1913年3月21日 - 1992年6月8日) は、日本の陸軍軍人、実業家、政治家。最終階級は陸軍大尉。丸栄産業代表取締役、蒲郡市議。愛知県出身。
大場栄大尉率いる部隊は、
1945年、サイパンが米軍により陥落し、また日本の敗戦の後も、同年12月に至るまで
タッポーチョの山にこもり なんと、512日 戦い続けたのです。
正式の降伏命令を受け取った後、天皇陛下バンザイを叫び、軍歌「歩兵の本領」を声高に歌いながら待ち受ける米軍に向かって堂々の行進をしました。
<軍歌>歩兵の本領
↓これは、大場大尉が軍刀を米軍に渡したときの実際の写真です。
↓こちらは、映画の画像です。
米軍は、彼らを勇士として丁重に扱い歓迎会まで催し、新聞にも大きく報じました。
大場大尉たちは、祖国日本に忠義を尽し最期まで戦いを貫き、米兵から尊敬までされたのです。
ネタばれは、しませんよ。ご安心を~
戦時下では、「玉砕死」
「捕虜の辱」として「自決」が潔しとされていました。
映画での、米軍は
日本人の気質をよく理解し、とても紳士的です。
大場栄大尉の信念と、対峙した米軍大尉との
考えが、よい方向に、うまく行きついた。
と、いう感じ。
その方向が少しでも逸れていたら、悲惨な結末になっていたことでしょう。
でも・・ですね、
大場栄大尉は
「私の心中には、玉砕で死ぬべきところを生き残ったことについて、果たして正しかっただろうかという思いがつねにあった。」のだそうですよ。
命を懸けて護った祖国日本の、帰還後の風当たりは、常軌を逸し、冷たいものだったそうなのです。
原作者ドン・ジョーンズ氏の言葉を、掲載します。
↓
【序文】
本書を、自らの国のために全力を尽くし、報われることのなかった、現代の日本人の父親たちに、祖父たちに、伯父たちに捧げる。
【あとがき】
私は今日の日本で、1945年(昭和20年)以降に生れた人たちの間では、日本にあった戦争についてあまりにも知られていないことが残念で、この本を書きました。
これを書く前に、・・・調べてみました。・・・多くの人たちの間に、戦争のことを言うのに恥じる感覚があるということでした。そして、その恥の感覚は、事実に基づいたものではなく、知識の欠如に基づいたものでした。
この人たちは、自分たちの父や祖父や叔父たちが、自分たちの国を守るために戦った精神について、何も知りませんでした。もっと驚いたことは、その人がしたことになんの尊敬の念も払っていないことです。
私は、このことをとても残念に思います。日本の兵隊は、よく戦ったのです。彼らは、世界の戦士たちの中でも、最も優れた戦士たちでした。彼らは、自分たちの国のために生命を捨てることを恐れませんでした。私は、そのことを、こういう兵士たちと三年戦いましたから、よく知っています。
しかしこの本は戦争の物語ではありません。日本とアメリカとの双方で、多くの人たちは自分が作ったわけでもない恐ろしい状況に、どのように反応したか、と言うことを書いた物語です。双方の人たちは、それぞれ信じていたことをしたのです。
・・・事実(この本に記した真実を日本人が知れば)によって、現在の知識の真空状態は埋められることになるでしょう。また、先述の恥じる感覚は誇りに変わるでしょう。
・・・そして、それらのページは、今日の若い日本の人たちにとってだけでなく、その人たちの子供や孫にとっても、誇りの源泉になるでしょう。それが、私がもっとも強く持っている願いです。1982年11月 ドン・ジョーンズ
これに対する、大場栄さんの言葉です。
↓
この本がどのように読まれるかについては、私には懸念がある。しかし、この本がかっては敵同士だった私たちの戦後の長い交流を経て、敵の目で書かれたわれわれの戦いの記録であることは間違いない。
こうしてこの映画のおかげで
大場栄大尉のこと、
そして あの時、サイパンで何が起こったのか、
少しでも知ることが出来て ほんとうによかったと思います。
あの大戦でたくさんの方々が犠牲になられました。
ご冥福をお祈りします。
たくさんの方々の犠牲の上に今の日本はあります。
平和な日本に生きていくことができます。
仕合わせなことです。
2011さくら開花予想左上に載せていますどうぞ
私が普段書く映画感想は小学生低学年レベルで恥ずかしい。
この映画は未だ見ていませんが、見たい映画です。
第二次世界大戦については、数年前に司馬遼太郎氏の本を数冊読んだことから興味が出て、一体何が原因で戦争が起き、どんな戦争だったのか知りたくて、5~6冊色んな人が書いた本を貪る様に読みました。
でも、大場栄さんの事も、この本の事も知りませんでした。
大場栄さんの略歴も書いて下さって、調べる手間が省けました。
軍歌まで載せて頂いて至れり尽くせり、映画のCMより、この映画のことが良くわかりました。
映画必ず見ます。
若い人にも読んで貰いたい。
戦後生まれの私達世代は、戦争による負い目だけを教えられました。
国に誇りを持てない、愛国心は軍国主義に繋がるといわんばかりの教育を受けました。
これもアメリカが日本人をコントロールする為に行った政策ですね。
戦後66年目、今日本を考える必要があると思います。
自衛隊を軍隊と認め、自国は自分達で守る意識が費用だと思います。
長々と書いてごめんなさい。
本も5~6冊と書きましたが、よく考えると10冊以上読んでました。
身に沁みます。
こういう映画も見られるんですね。
幅が広いです。
平和ボケしている世代です。
もっと考えないといけませんね。
サイパンで戦死された方のお墓が 入口近くにあり
まだ二十歳を過ぎたばかりの年代の方なので
いつも 手を合わせてしまい お声をかけます
この映画の原作が 元米兵の方の手によるものとは・・・知りませんでした
平和はありがたい
とても幸せなことですね
若者に戦争を伝えるのに
本ではなく
映画の時代になりました
何故
おろかな戦争に突入してしまったのかを
きちんと伝える映画が
たくさん作られますように
この映画の宣伝をこの前 竹之内君がやってました。
大変な撮影だったみたいです。
~自らの国のために全力を尽くし 報われることのなかった~
方々のことを 私たちはもっと知るべきですね
私の父も召集されて戦争に行きました
でも そのころのことは
ほとんど何も語らず・・・でした
語ってくれないのは 辛い思い出だからと
思っていましたが・・・そうですか
恥じる気持ちも あったのかもしれません
ぜひ 父の気持ちを知るためにも
作品を読みたいものです
今もなお 世界各地で起きてる戦いを冷ややかな目で見てる自分が居ます!
平和な時を過ごすって そんなに難しいことなんだろうか!?って
哀しいね・・・
そう教えられたからではないでしょうか
それも戦後アメリカが私達にした事の一つですよね
愛国心がうすい日本の国民が増えてきている事を耳にします
自衛隊に対しても 今の日本は自衛隊=戦争 のような考えがあり 否定的
自国を守る為の自衛隊強化は 必要におもいますが
そこから 本当の平和がはじまるのではないかとも考えます