あ、ファプルァウファス星への扉が開闢せし、アメリカ地下の恐竜園には、既に大勢の犯罪人系月人が転送され、餓死しまくっとる。
南無。
恐竜園への入口は、在る。
厳として、開かない。
接近権能、これを、何者も宿し得ない、が理由。
存在を知る者も、存在し得ない。
死後科は瞬時に調査を完了する。
判定、別の星。
勝手に、死後科が、仕事に、登用しゆく。
多様な人種の放逐、恐竜の放牧、これらを転送で、恐竜園は喰らいまくっとる。
川へ水道水を引く経路は、陸軍の最高度機密施設しつらえなる高機能構造で、向こう永遠に問題無し。
米軍、機密職務領域周辺で発生せし、人間の転送現象が発生する区画は恐竜園が最大規模で、他を探すと、極めて小規模が九カ所存在する。
向こう、から来る、のみ。
米軍が雇用せし、隠密施工専門業者が、現場を築造している。
しかし、実際の使用例は皆無。
施工関連物資が、そのまま放置続け。
扉は無いが、そこへの接近権能者は、地球に立ち得ない。
設計図は、描画されず一点も無し。
つまり米軍関係者は誰も、存在を知らん。
これだ。
異空間技術の起動条件、俯瞰上、文明にとっての完全無意識領域が成立する。
月人や、月圏の異空間文明人が米軍の機密区画へ転送され、まま餓死。
短期軍役、つまりバイトに逃げ込んでの逃亡を図っていた犯罪人の死体は、すぐさま音波で焼却された、または死後四年以内に、その措置を受け、消えた。
約五十人は、睡眠後の、外界視野の大変化を厭わずの日々を過ごす中、地球での最期を選んでいった。
アメリカ兵が転送、されていった先は、南米、コロンビア、ナトゥラル・エル・トゥパロ国立公園の地下、マントル層に穿孔されし広大なジュラ紀環境区画、二百三十名。
地球の太古を参考に、死後科が、無から、突如、大密林地帯を、突如、完全再現している。
恐竜は、異界から、自然と降臨してきた。
水やら、酸素は、そこらで沸かせおる。
木の実が在ったが、体に合わんと舌で察知し、喰えん。
少量の、まずい木の実を無理矢理喰いおったりしおったが、全員が餓死。
海兵隊、海軍、陸軍の通常採用枠、一曹から大尉殿は、機密職務に身を置きながら、あまりに明白な、鈍麻は判断を選び続けていた。
すると、睡眠中に南米地下に、身体付属物、衣服とポケットの中のメモと筆記具ごと、転送される。
大抵、二人か三名で。
大、狂乱。
何だここは。
スピルバーグの映画の主役でも気取れや。
アメリカ国立機密公園の開闢は七十年台前半だった。
恐竜の降臨は八十年台半ばから。
トリケラトプスやら首長竜、翼竜。
ニューメキシコ州とテキサス州の間と、ヒューストンから西の地下に存在する、機密扱い区画から、転送されていった。
じゃあね。
表紙は皆川か。
堂々と世の表で輝く、人のろうみいにを、目盛にするのはいかん、が有名な人、全部に勝っちまう、んだな。
良樹は。
そして皆川は良樹より上。
上半身を全然動かさんままでの、肘だけ動かしてのカウンターの音が、“ダルァン”と響く。
相手が激しく動いて間合いを図っても逃がさん。
一発で相手は地面から天井へ虚ろな目。
良樹の喧嘩。
カウンターの右は背中側に立つ人間の視野には見させん。
はえー。
西千葉市に群れし人種が背後。
この方は、アダムの血には連なっておられないが、京の神職装束、をまとう目、そのもの。
四条烏丸、鶏鉾町にわとりぼこちょう、祭祀職。
生涯、鶏鉾町から北東の堀之上町、四角形領域以内を往来。
“おおあっあろ かぬぉ の゛あうあ゛ん”。
人間はある涙を、意識が、かつて知ったとの履歴を、俯瞰上指摘され得るならば、すべからく、逃げられぬいさかいに出会いってしまうとの定めに服する事になる。
日常、必需なるしきたり、日用品作法を通じて、いさかいを求めいってしまう。
一連は、人間が文明に生きている上で頭部が自然と冠せし、摂理と言える。
ところで、かような、胸と、首の間、内側に籠りて見えざる、連綿、自らの眼球の裏、視神経の糸群へ、さり気無く、つい、知的言及してしまったとあらば、出会いいってしまう義務が在る。
その者とは、すべからく、文明に於ける人間の在り様を、胸と、首の繋がりまで大苦労して、荘厳修辞し、他者の素朴な思考に仕えねばならない。
ある涙とは、何が該当するであろうか。
倫理的唯一なる正解とは、どれ一つとして、明瞭銘柄の挙手ぶりに、人間は投票し正鵠感激を得てはならない、の筈。
どういった涙ですら、正解として、一を、先に、挙げようとする推移は、すべからく、他を、劣位へ排する事になる。
涙の、所以、質の上下を、追ってはならない。
その試行履歴は、すべからく、昇華せねばならぬ業を深しめるのみ。
一連との、知見、的、業深き憶測ごとを、人は、つい、知るに至ったと、仄めかしてはならない。
自己の周囲に立つ他者、利便性を運ぶ台車曳きを、論難中眼輪筋の内に押し込め、倫理的自由呼吸を窒息させゆく事になる。
かような、一連との、穿ち文の中で、ある涙、に該当し得る事柄は、遠方から、丁寧憶測の手で、枯れ葉を選定し、花を生ける事が出来る。
人の業を、まだ見えず、分からずとの自己の人生段階にふさわしくはなき、街の商取引上作法、簡略化手続きを仄聞せしとの、履歴。
これとの花瓶と、これに収まりいく可能性のあるあらゆる植生。
街の商取引上作法、これとは何と、街に住む人の業の昇華を手伝う、との云われを、明晰知性、学問の泰斗、は一瞬として嘲笑せず。
然るに、歴史的成立指摘とは、街の商取引上作法、これ、俯瞰上、京人の、胸。
そして、人の仄聞能力とは、絞り態様に瞬時すら気付かずのままなる絞りへの愚直邁進、これを砂時計の柱に選びたる、時間経過事態。
この捉えを、京人の、一人にすら、思考上の銘柄として掌握利用せしめない。
人の仄聞能力との、時間経過事態、これは、倫理的愚かとの指摘を、自他に許さない程、卓効が強力故。
京人の、一人すら、思考上の銘柄としての掌握利用は不可。
掌握利用には、倫理的愚かとの指摘可能性、銘柄の外装を要す。
しかし、仄聞には、これが無い。
故に、京人は、仄聞を、ガンガン利用す。
仄聞は、京に、満つ、空気也。
そして、俯瞰上指摘可能性は、京に満ちる。
自己の人生段階にふさわしくはなき、街の商取引上作法、簡略化手続きを仄聞せしとの履歴を、指摘され得る可能性が。
この仄聞履歴、指摘可能性が意味するところは、璽奥何事へも、いと遠き、大いなるアホ。
人間の業を昇華し得る洗練なる知見が、我が頭に、空気として流入中らしき。
一連は、涙は、どれか、が起点也。
涙をもたらし得る人の業とは、以下。
人の業を、まだ見えず、分からずとの自己の人生段階にふさわしくはなき、街の商取引上作法、簡略化手続きを仄聞せしとの、履歴。
涙を、追えば、人は、不動を選択せざるを得なくなる。
何も出来ない、してはならない、という座し、に至りいく。
しかしところで、人は文明に生きているならば、他者の涙を、俯瞰上、臨床資料として、断固実験利用に晒しいく。
故に、人は他者の涙を、拭いいかねばならない。
断定は、容易に在る。
人は、庵に座しての、璽奥駆使思考のみでは、他者の涙を拭ったとの、指摘には俯瞰上立ち得ない。
人は、動かねばらならない。
そして、人は涙腺を宿し生きる。
だらしない落涙へ、顔は今、構えている。
水風船を顔に秘め歩くが故に、人は文明の中で、他者の涙を利用して生きるとの資格を、克明論理で、正鵠指摘に会わずままで在る事が出来る。
この視座に言及し、一知的銘柄として、思考に上場してはならない。
戦コル知略で整形されし、奇怪な知的微笑、義憤顔人を招来しゆくのみ。
涙とは、文明の中で生きるとは。
人に論難気味にて指摘されぬ愚かさを、認めずのまま、のうのうと他者の愚かさ、涙を利用して生きる事。
そのように、いちいちと、自己宣告せずのまま、生きる事。
千五百年台前半は右京区、天龍寺、厭離庵、二尊院領域の内側で、作務坊主務め。
仏教を奉じてはおらずながらの、この雇用枠は当時稀だったが、山の向こう、清滝界隈の村の習俗に由来する要望を寺が聞き入れていた。
寺は、彼らがどこから来訪してきたのか、分からない。
彼らも今やどこから来たのか、移民時代の理由ごと、分からない。
ある時、一息で、中京へ転居。
これが通例。
祇園祭の山鉾やまほこ:
サウジアラビアの紅海沿岸、ドゥバーからジェッダにかけてで遊牧民暮らししていた、ユダヤ教を奉じていた人々が、四百年台に、現地での他民族との軋轢を厭がり、東への旅を決心する。
大馬車団は、定住へ逡巡する事なく、すんなり速度で東へ、大くねりした旅路を選んでいく。
四百年台末、上海でいい条件に出会い、迷う。
千名が、ここでの帰化を選ぶ。
残り、一万名は博多を経由し、下関海峡を抜け、難波湾へ。
大金を、馬車団は持っていた。
現地で払っていた外貨は、彼らが所有していた、からくり構造現物と、実際操作しつつの、懸命な口語説明。
人間頭部を一切嘲笑せずである、文明含意内在からくりの動き方を、政治家が、注視して沸く衝動を、民生用品開発視野に投入しゆく、倫理的堂々指数とは。
着想は、旧約聖書のある一節。
短い柱を覆う、操舵輪の取っ手状が無数。
これを一つ回そうとして、柱周囲で動かすも、残りの取っ手は、あまり、動かない。
しかし、二人掛かりで、取っ手動かし役、柱を回し役を担うと、すると、取っ手はゆっくりと、全てが回り出す。
握っていた取っ手を握る手を、他の取っ手が襲い出す。
無数の取っ手が得た推力は、暫く止まらず、惰性的に回り続ける。
この時、二人が失笑する。
ならば、それを、罪悪感と捉えるべし。
以上が、使用法。
こうしたからくり構造を無数に、彼らは製造し、先行個数に追加し、運んでいた。
仕事には出会えた。
政治家にも同様。
船は借りれた。
喰い物は当時の常識上、言語差無視の丁寧挨拶で、まとも市では、大量を貰えた。
明石行き派閥を除いた、八千名は東山区の大谷中学から、左京区の平安神宮にかけた一帯で、定住を始める。
大いに、疲れていた。
サウジアラビアでの遊牧民暮らし派閥が百年以上かけた、旧約聖書のある一節の解釈を、彼らはサウジアラビアでの祭りに顕現させていたが、これの簡略版を、八坂神社関係者に、何の眺望も無いまま、詳しく教えてしまう。
派手さが、大いに受けた。
祭祀対象は、豊穣、あらゆるにとっての、根源で、どの神名も不介在、だった。
山鉾
エン、アア、ウル、ヤー。
エン、ヤアル、アア、ヤー。
エンヤラヤーの起源、原典の意味は、一語音ずつ、重量にて、誰も、意味を頭で追わずべし、が渡来人の常識だった。
このでかさ規格を、大量配列。
ここら人種で、着想と、実践政経は、準備出来るだろうか、果たして京の奥、頭部で。
渡来人の顔は、濃い、中東人だった。
でかさの連射ぶりを見るんだ。
頭違い過ぎるべ。
これが匂い袋で、香りは袋が漏らす。
年頃の女子が深く感得し続ければ、京都寺町通りの小物店の商品を多く、自室に揃えたがるようになる。
季節を頭で、これこそ春、と諭しつつ、かつ文化の華やぎへの急ぎ足衝動、これは女子の非下品、との概括を左脳を経ない。
匂いは、桜吹雪の景色を、火で、鼻孔の中で、燃やす、が如く。
付箋二本、飛び影。力への謎、シュワちゃんが教会で頑張って。
拉麺小路らーめんこうじ、この規模は、あまり無か、けん観光客を待たず、Japに人気ぞ。
行った事あるが、喰った事無い。
博多にも小路があったが、京都が更に大きい。
祇園東よりの舞妓さん
タワーからばら撒きビラ、
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