後ろ歩きの不思議おじさん

あっちこっちにポケットを一杯もった不思議なおじさんの特技は後ろ向き歩き。その右往左往振りは滑稽で、ちょっぴりもの悲しい。

二律背反

2010年05月27日 | Weblog
「律」の意味は広くて深い
もちろん法律用語である
呂律(ろりつ・ろれつ)とくれば、実は音楽用語である。
呂律が回らない不思議おじさんは、この部類である
平仄・押韻・対句といった格式や韻律といえば漢詩である。
戒律(かいりつ)は、仏教において守らなければならない、道徳規範や規則の事。

いずれも守らねばならないもの

守るものが相反するとき
二律背反という
生類憐みの令を出しながら
タカ狩りや死刑制度を持った
江戸時代の人々はどう思っていたのか

矛盾というあいまいなものではなく
明らかに、正反することが同時並行することである

そんなことが生身に起きていて
本人が気付かないとしたとき
周りの人間の反応は複雑である
本人が鈍感なのか
本人がどちらかでプリテンドしているのか
できれば近寄ることを遠慮したくなる

遠慮したくてもできないときもある
悩ましいものである

さて話は変わって
豚や牛が10万頭以上も殺されている
欧米人は言うだろう
食料である家畜を守るためだと

シーシェパードの親分の裁判が始まった
彼は一体どうコメントするだろうか
生命に大小も上下も無い はずである

ハエや蚊やゴキブリはだめで
テントウムシならOKとは人間のエゴである
人間の管理下にある食料生産(家畜等)はOKで
自然のものをとって食べてはいけないという

900頭の焼死した豚を
冬とは言え、異様な悪臭の漂う豚舎から
縄をつけて引き出した経験を持つ不思議おじさんから言えば
クジラ食を批判する力は弱いと思う
(30歳のころにドイツの列車でしたり顔の
ドイツの女性に言い返せなかった悔しい気持が
いまだに尾を引いている)

キーワードは「食への感謝」ではなかろうか。
感謝のない所に人間の生はないように思う
食は経済の真っただ中にある
もう一度、食を経済から引き離す論理を
人間は獲得しなければ
養殖OK、自然物奪取NOという
全く人間中心の理屈から離れられないだろう

さらに微生物の存在抜きで
食が語られるのには我慢がならない
植物も動物も
微生物の力を借りなければ
明日からの生命維持は完全にシャットアウト

表面的で短絡的な議論はもうゴメン
それにしても、二律背反の渦中にいる人は
一体どう解決するのだろう???

これから様々な百合が咲く
王女はカサブランカ
王女だけが百合ではない
百合の饗宴の始まりである








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