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映画「スピットファイア」〜”最初の一握りの人々” 前編

2023-07-01 | 映画

MSIに展示されていたスピットファイアがきっかけで、
この映画を初めて観てみました。

名機スピットファイアに至るRAFの主要戦闘機の設計に大きな足跡を残した
設計技師、レジナルド・ジョセフ・ミッチェルの物語です。

アメリカと日本では「スピットファイア」になっていますが、
1942年イギリスで公開されたとき、そのタイトルは

「The First of the Few」

でした。
この言葉は、映画の最後に紹介される通り、
ウィンストン・チャーチルが行ったスピーチの中で

 ”Never in the field of human conflict was so much owed by so many to so few.”
(人類の紛争という場面でこれほど多くの人が
ごくわずかな人々に借りを負ったことはかつてない)


と、バトル・オブ・ブリテンに参加した航空搭乗員たちを
褒め称えたもので、このスピーチ以降、
RAFの搭乗員は「The Few」と呼ばれることになります。

この映画は、その「The Few」の力となり、彼らを救国の英雄たらしめた
名機スピットファイアの設計者、ミッチェルの半生を描きます。

タイトルロールの登場と同時に鳴り響くのは、
サー・ウィリアム・ウォルトンの「スピットファイア」ファンファーレ。

タイトルロールには、実際にRAFのパイロットが出演しているとあります。



まずは当時のヨーロッパがドイツに飲み込まれ、
侵略されていった事情を地図で説明し始めます。

オーストリア併合、チェコスロバキア解体、ポーランド占領、
デンマーク侵略、ノルウェイ制圧、オランダ陥落、ベルギー陥落、
フランス占領・・。

「中世の暗黒時代さながらの暴政がドイツに興りヨーロッパを・・」



イギリス侵略を宣言するヒトラー(全く似てない偽物)



ゲッベルス博士(わかりやすい偽物)



ヘルマン・ゲーリング元帥(無茶苦茶似てるけど偽物)


ドイツが強気でイギリスを侵略する気満々のこの年の9月15日、
それは画面にも記された「ゼロ・デイ」、バトルオブブリテンの最終日です。



RAFの航空司令本部には、女性軍人たちが
巨大なテーブルの地図に、攻撃の現在状況をポイントしています。


無線で受けたルフトバッフェの攻撃状況と場所を記したマークを、
長い熊手のような道具で地図の上に配していきます。



攻撃部隊第48次までを数えた時、司令本部にも空襲警報が届きました。
いつものこと、といった冷静さでヘルメットを被り、
その場で同じ作業を続ける女性軍人たちが実に男前です。

このとき地図にトンブリッジ・ウェルズという地名がアップになるのですが、
イギリス人の知り合いの結婚式で、ここに行ったことを思い出しました。

たまたま招待されなければ一生知ることもなかったであろう地名を、
こんな古い映画のピンポイントで見ることになろうとは・・。

思わず当時はなかったグーグルマップで探索してしまいました。


こちらRAFの航空基地。
次々と迎撃に出た機が帰投してきます。

このフィルムのSDとマーキングされたスピットファイアは
実在の第501「マンドリル」航空隊の機体です。



皆口々に戦果を挙げたことを誇らしげに報告。
この部分に出演しているRAFのパイロットは実は全員本物です。



たとえばこの航空隊隊長を演じている人、彼は


バニー・カラント航空隊司令

実際の第501航空隊司令。
本人もノリノリで司令ではなく一隊員役で結構な長台詞をこなしています。


真ん中カラント司令、この辺の若い搭乗員もみんな本物。



そして大変悲しいことですが、この何人かは映画の完成時には戦死しており、
自分の姿をスクリーンで見ることはできませんでした。



この日、イギリスは
航空戦においてブリッツと呼ばれるドイツの爆撃を阻止し、
ロンドンを敵の手から守りきりました。

このとき、RAFのスーパーマリーン・スピットファイアが
彼らの勝利に大きく寄与することになります。


帰投後の隊員たちのスピットファイアへの信頼と賞賛を聞くのは
かつてテストパイロットだったジョセフ・クリスプ司令でした。



隊員たちはスピットファイアについては知悉していても、
それを作ったミッチェルについては噂の範疇しか知りません。

「なんでもインバネスの金持ちだとか」
「カナダの諜報部員って話だ」
「ヴィッカースの社員だろ?」
「ゴルフ場で2時間で設計したってほんと?」


そんな彼らにクリスプは語りはじめます。

「そんな簡単な話じゃなかった」


遡ること20年前の1922年。

若き技術者レジナルド・ミッチェルは、カモメを見ながら
愛妻ダイアナに、飛ぶ鳥のような飛行機を作りたい、と夢を語ります。

ミッチェルを演じるのは、レスリー・ハワード。

当ブログで「潜水艦轟沈す」を扱った時、有産階級のディレッタント、
愛国主義者の役で出演したこの俳優を紹介しましたが、
本作の公開翌年、乗っていた飛行機がドイツ軍に撃墜されて死亡した、
というその劇的な最後については覚えておられるでしょうか。

本作はハワード自身の監督作品であり、ミッチェルという偉大な人物を
ぜひとも自分自身で演じたかったのだろうと思います。

しかし、レスリー・ハワードは実在のレジナルド・ミッチェルとは
体つきも雰囲気も、おそらく性格も全く似ていませんでした。


これで40歳の貫禄

MGM映画の「風と共に去りぬ」でアシュレイ・ウィルクスを演じ、
その繊細なアシュレイ像がぴったりだったハワード。


わたしもレットよりアシュレイ推し

彼はミッチェルを上流階級のインテリで物静かな人物として描きましたが、
実際のミッチェルは、労働者階級出身、大柄でたくましく、
猪首で怒ると真っ赤になるような爆発的な気性の人物でした。

ハワードは、そもそも全くタイプが違う人物を演じることのギャップを
逆手にとって、自分なりのミッチェル像を作り上げようとしたのでしょう。

撮影現場にはミッチェルの妻と息子がずっといて、
セットの隅からハワードの演じる夫であり父を見つめていましたが、
ハワードは彼らにも終始きめ細やかに対処し、少なくとも
彼らのハワードの演技に対する心象は悪くはなかったようです。

ちなみに、息子のゴードンは父が亡くなった時わずか17歳でした。
その後畜産学者となりましたが、ライフワークとしては
偉大な父の名前を広めることに一番力を入れていたようです。

RJミッチェルの息子ゴードンのお葬式案内



彼の理想の飛行機の形は、複葉機全盛のその頃、
まるで異次元の世界の乗り物のように思われていました。



ミッチェルは「夢の飛行機」の製作を実現させるため、
彼の設計した飛行機、「スーパーマリン シーライオンII」
シュナイダー・トロフィーレースに勝ってご機嫌の
スーパーマリン社の社長に話を持ちかけようとしますが、
そもそも彼の話を聞いてくれる状態ではなく・・。



そして1923年のシュナイダー・トロフィーレース。
前回は永久トロフィー所有権利となるイタリア3回目の勝利に
イギリスが待ったをかけるところまでいったのですが、



この年、アメリカがカーチスCR-3で衝撃のデビューを果たし、



ぶっちぎりで優勝をもぎとりました。



その頃、ミッチェルの事務所にやってきたハイテンション伊達男。
お堅い秘書のハーパー嬢を揶揄いながら、ミッチェルに面会を求めます。



実は彼、ジェフリー・クリスプはミッチェルの幼馴染み。

第一次世界大戦に飛行士として参加しましたが、終戦後仕事をなくし、
なにか職がないかとミッチェルのもとにやってきた彼は、
この日からミッチェルの死ぬ瞬間まで、コンビを組むことになります。


ジェフリー・クィル

クリスプは実在の人物ではなく、スーパーマリンのテストパイロットで、
スピットファイアをテストし、ミッチェルの死後、彼の仕事を受け継いだ
ジョー・スミス技師と緊密に連絡を取り、スピットファイアの完成に寄与した
ジェフリー・クィルを部分的にモデルにしています。



クリスプに構想中の水上機の形を描いてみせるミッチェル。

支柱もワイヤもなく、主翼は胴体部分と一体化して
それ自体が一枚の構造物である「未来の」飛行機。

彼が発明するまで、その形は彼の夢の中にしかなかった斬新な形です。



しかし、会社のお偉いさんたち、話にならず。



「君の案は斬新すぎる。設備投資も要るし」


このときのお偉いさん同士の会話。

おじ1
「君ね、我々は君の才能(ability)を認めているんだよ。
類稀な才能をね。多分それ以上かもしれん。
いうたらまあ・・・天才ってやつだ。
ちょっと歯が浮いてしまいそう(a little uncomfortable)だが」

おじ2
「天才なんて呼ばれたいイギリス人なぞおらんでしょう」
( No Englishman likes to be called a genius.)

「ゾッとするな」

「わはははは」


ミッチはあくまで自分の案で勝つ飛行機を作る、と啖呵を切り、
席を蹴立てて帰ってきてしまいました。


「そこで言ってやったんだよ!『勝つ飛行機を作る』って」

彼が奥さんのダイアナに強がっていると、電話がかかってきました。



取締役会で彼を唯一評価していたのは、若いスーパーマリンの社長でした。
彼の一声で、ミッチの復帰と設計の採用が決まります。


第26回シュナイダートロフィーレースは1925年、
アメリカのボルチモアで行われました。

イギリスはスーパーマリンS.4で出走。
写真に写っているのは実際のレース光景で、
パイロットはヘンリ・ビアードです。


ビアードとミッチェルと後ろS.4


画期的な機体で注目されていたS.4でしたが、レース中事故が起こります。
高速で機体を制御できなくなった機体は30mから海中に突っ込みました。

このビアードというテストパイロット、アメリカまでの船上で
テニスをしていて転んで手首を骨折したり、アメリカに着いてから
インフルエンザにかかったりと、テストパイロットしては責任感というか、
自己管理できなさすぎで、この事故もそのせいか?と疑われますが、
映画では事故原因を高速で意識が遠のいたせい、としています。

実際の事故の際、海中のビアードを救出するボートに
ミッチェルが乗っていて、肋骨2本折った男に対し、

「水は暖かかった?」

と尋ねたということです。

機体の設計に不備があったかもしれないのに、この物言い。
もしかしたらそれまでの態度に少々キレていたのかも・・・。

この年前代未聞の最高時速374キロでカーチスをぶっちぎり、
優勝したのはアメリカのジェームズ・ドーリットル陸軍大尉でした。


親身にジェフを気遣うミッチ。映画ですから。


相変わらずのジェフは目覚めた瞬間美人看護婦の電話番号を聞きナンパ。

この看護師役、ハワードの娘、レスリー・ルース・ハワードという女優です。
父親と並ぶと瓜二つ(名前も一緒だけど)。

余談ですが、彼女の弟、ロナルドも役者としてシャーロックホームズを演じ、
さらにその下のアーサーもコメディ俳優になりました。



1926年度のアメリカ大会ではムッソリーニが国威発揚のため
大号令をかけた結果、マリオ・デ・ベルナルディ操縦のマッキが優勝。

1927年大会はイタリアのベニスで行われ
イタリアは今回も勝つ気満々です。

軍挙げての参加となったイギリスチームに向かって、
現地のイタリア軍司令(役名:ベルトレッリ)は、
ドゥーチェ(ムッソリーニ)のという元祖ファッショな手紙を代読。

「ようこそイギリスの友よ!
ベニスの空で、我々は世紀の決戦を見るであろう!
そして必ずやイタリアチームが優勝し、
ファシスト帝国が幕をあけるであろう!」



一方、全く言葉のわからないイタリア娘をナンパする平常運転のジェフ。

「失礼お嬢さん、あなたモナリザの血筋?」

「英語わかりません」

「それはどうもありがとう。花束どうぞ。今夜ディナーでも」



そして、ミッチェルもまた、機体の調子が悪いと聞くや
真夜中なのに工場に出かけていくという平常運転です。


ジミー・ドーリトルとスマイリングジャック
で以前取り上げたように、イタリアはかつて3回連続優勝していますが、
他の国の準備体制が不十分であったという事情を鑑み、
紳士的にトロフィー永久保持の権利を放棄した過去があります。

一方アメリカはドーリトル優勝の年に軍の総力を注入しすぎて批判され、
それをやめたとたん、イタリアが国力を注ぎ込んで優勝をさらったため、
これに不貞腐れて、レース出場をとりやめていました。←イマココ

つまり、今回は実質イタリア対イギリスの一騎打ちの様相を呈しています。



スーパーマーリンは、シドニー・ウェブスター空軍中尉操縦の
S.5で臨みました。



上段、飛行機の前;シドニー・ノーマン・ウェブスター中尉、
前列真ん中白いズボン;ミッチェル



妻と抱き合ってレースを見守るミッチ。

このレースでウェブスターは最高時速453キロの世界新記録を樹立し優勝。
2位も同じS.5で出場したウェブスターの同僚、
ワースリー中尉も2位となり、スーパーマーリンが2トップを占めました。



パイロットを抱擁し、祝辞を述べるイタリア軍司令。
ただし、

「我が国の偉大な空でこそイギリスは優勝できた!」

しかし、映画では、このイタリア人司令に悪意を混じえず、
むしろ愛すべきキャラとして描いています。


栄光の影に悲劇もありました。

スーパーマリンはS.5で速度記録を更新するためのテスト飛行中、
パイロットのサミュエル・マーカス・キンキード大尉
機体を海に墜落させ事故死するという事件を起こしています。

大尉の遺体は海中から引き上げられた機体の尾翼に
圧縮された状態で見つかりました。

機体の不具合ではなく、整備に問題もなかったようですが、
その事故原因はいまだにわかっていません。

映画では、気候のせいであるという匂わせをしています。

ちなみに、これ以降スーパーマリンシリーズは無敵の強さを誇り、
以降どの国にもSシリーズには勝てなくなって、
シュナイダー・トロフィーレースそのものを終わらせてしまいます。


これからも国のために飛行機を作り続ける、と決心したミッチのもとに、
ある日、ヴィッカース社会長、ロバート・マクリーン
(のちにビートルズも所属したEMIの取締役)がやってきました。

ヴィッカース航空事業の責任者として、彼は
スーパーマリン社を買収してミッチェルを囲い込むつもりです。

このとき、彼は、スピットファイアという名について、
長女のアニーの愛称からとったと説明していますが、
事実とはちょっと違いがあるようです。

ともあれ、このときの彼との出会いが
ミッチェルがスピットファイアの開発をする第一歩となりました。


続く。