ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

パシフィックコースト航空博物館~「ファイナルカウントダウン」と「スコシ作戦」

2014-08-05 | 航空機

サンフランシスコを北上、ワインカントリーであるナパ、ソノマ地域に
ある民間空港、チャールズ・M・シュルツ・ソノマカウンティ空港。

その一角にこの航空博物館はあります。

外に置きっぱなしの展示といい、寄付だけで賄われている感じといい、
いかにも退職老人の再就職先になっていそうな感じといい、
空港の片隅にある博物館にありがちな手作り感満載の小さなものですが、
いずれにせよわたしはキャリー・ブラッドショーが(今テレビでやってる)
マノロ・ブラニクのバーゲン会場を目の前にしたような気持ちで
この宝の山に脚を踏み入れたのでした。



マクドネルダグラス F−15 イーグル

前回911現場であるNY上空に航空機突入の時間駆けつけていたとして

「彼らは英雄かもしれないが、却ってこれは陰謀説を裏付けないか」

と書いてみたのですが、まあ、この話は軽く受け流して下さい(笑)
それより、このイーグルがどこから飛んで来たかと言うと、
バージニア州のラングレー空軍基地。
約600キロで、ちょうど東京大阪間くらいです。

確かに車なら7時間の距離ですが超音速戦闘機なら15分で来れますよね(棒)
2機目の突入のときだって、たぶん軍は捕捉していたはずですよね(棒)

それはともかく。


F−15はその後退役が進んでおり、現在軍使用されているのは
ネバダ州のネリス空軍基地のみです。

そもそも高価すぎてサウジとか日本とか、お金持ちの国にしか
買ってもらえなかったという戦闘機なんですね。



元々のペイントがうっすらと透けて見えています。
「ケープコッド」とあるのですが、F−15イーグルの名前としては
あまりイメージが合っていないような・・・。

パイロットがボストンのこのペニンシュラ出身でしょうか。



 コクピット下にはパイロットの名前を書く慣習がありますが、
ここに書かれた名前には軍階級がありません。

F−15は過去の空戦で撃墜されたという記録がなく、
現地の説明によると「100以上の空戦に勝利している」そうです。 



実はこの航空機には案内板がありませんでした。
展示マップにも該当場所には何も書かれていないので、
おそらく最近導入した展示ではないでしょうか。

しかし、今のわたしにはたちどころに機種がわかってしまうのだった(笑)

まずこの無理矢理な翼のたたみ方。
これは間違いなく艦載機の特徴ですね。



海軍所属で、おまけにホーネットの艦載機、と書いてあります。
これは

Grumman S-2 TRACKER

だと思われます。
去年の夏空母「ホーネット」を見学し、ハンガーデッキにこのトラッカーが
非常に肩身の狭そうな様子で展示されていたのを思い出しました。

そのときも書いたのですが、空母艦載機として運用することを大前提にしすぎて、
装備を小さな機体になんでもかんでも詰め込んで居住性を犠牲にしたため、
このトラッカー、搭乗員たちからは不満続出だったということです。

ところでたった今画像を見て気づいたのですが、このトラッカー、

MADブームがついていません。



お尻の部分を拡大してみると取り外されたように見えないこともありません。
このトラッカーは対潜用に作られたので電子戦の装備があり、
必ずブームをつけているのだと思っていたのですが・・・。

(追記:
その後読者諸氏のご指摘によりこれは

S-2 の機体を改造したC-1トレーダー

で、 
共通の機体として 他に

E-1トレーサー 

と言う早期警戒機が製作されているらしいことがわかりました。


ここにあらためて訂正します。
ちょーっとわかったつもりで調子こいたらこれ。
まだまだ修行が足りませんorz) 



Sikorski H-34 CHOCTAW

アメリカ陸軍のカーキーグリーンは、自衛隊のOD色よりも
かなり明度が高いように自称「絶対音感と絶対色感」
を持っているところのエリス中尉には思われました。

このチョクトというのは何度も同じボケですみませんが、
菅直人のことではなく、北米ネイティブアメリカンの部族名です。

日本でも現地生産して調達されていた機種で、
世界的には2261機が生産され、この台数を以て
この業界ではベストセラーとされているようです。

というか、軍用ヘリってこの程度生産されればベストセラーなんですね。




こういう説明のボードが全ての展示に付けられているとは限りません。

が、このヘリに関してはスポンサーが大物(ヒルトンホテルとソノマワイン組合)
のせいか、ちゃんとした説明板があります。
このように、この博物館、地元企業が何社かで一機を受け持ち、
そのメンテナンスのお金をスポンサードして、企業イメージ
と共にこういうところで宣伝をするわけです。

これ、いいシステムだと思いませんか?

これも何度もしつこいですが、鹿屋の二式大艇、それからこの間お話しした
海洋大学の明治丸も、企業のスポンサーを募ればいいのでは?
その代わり、そのことを現地の案内やHPに明記するというのは?
匿名の篤志を募るより、効率がいいと思うんですが、いかがなものでしょう。



陸軍ヘリのチョクトー部隊のマークは凶悪面のブルドッグ。
ご丁寧にイガイガの首輪までつけています。
頭と尻尾になにやらついているのですが、これは画力が残念なため
何かは分かり難いながら、どうやらヘリのローターのつもりらしいですね。

たしかにこのチョクトーはずんぐりしていてブルドッグのようなシェイプ。
機体のイメージから「ブルドッグ」を自称しているいるのです。



ここはテールが持ち上がる部分。
排気のためにメッシュの窓がはめ込まれています。


自衛隊にも17機が導入され、そのうち1機は海保に移譲されて
南極観測船「宗谷」の艦載機として昭和基地と宗谷の間の
輸送に活躍したそうです。




使われることがなかった爆薬の類いが、ケースごと。
手前のは完璧にさびています。



 NORTHROP F−5E "FREEDOM FIGHTER " TIGER II

トルコ空軍の曲技飛行隊はこの機種を使っています。
小型軽量で大変運用しやすかったので、このトルコ始め
発展途上国に大量に輸出されたそうです。


もともとアメリカ空軍では使用する予定がなかったのですが、
供与された国が

「困るなーアメリカ空軍でも使ってその実績を教えてくれなきゃー。
あんたんとこ、今戦争してるじゃん?
それともなに?
自分とこで使わないような商品を売りつけようっての?」


とごもっともな要求をしてくるようになったため、(たぶん)
アメリカはこれをベトナム戦争に対地攻撃用として投入しました。

この際、F−5が参加する作戦は

「スコシ・タイガー・オペレーション」

と名付けられています。
「スコシ」って何だと思います?
そう、日本語の「少し」なんですよ。
なんだかすごく間抜けな響きがするような気がするのはわたしが日本人だから?


なぜわざわざ日本語を投入したかと言うと、外国空軍への供与、
並びにその実績説明というのがその第1目的だったため、
何となく雰囲気で外国語を使ってみたようです。
しかも「ガチ投入」ではありませんよ~、というのがこの
「少し」に現れている、と・・・。

供与先が日本ではなかったのが逆に日本語使用の理由かもしれません。
(日本相手だとふざけてんのかと思われるから・・・たぶん) 



そうと知ってみると、とたんに親近感が湧いて来るではないの。
やたら羽が短くて、こんなので大丈夫か、って気もしますが、
アクロバットに使われるくらいですからきっと制動性もいいのでしょう。



これはどこ海軍所属なんですか?
この赤い星・・共産系国のマークのような気もするのですが、
これがスコシタイガー参加機なんでしょうか。



グラマン F−14A トムキャット

グラマンの猫戦闘機、トムキャット。
冒頭の写真は正面から撮ったものですが、ウィングが可動式で
肩をすくめた状態になっているので、あまりかっこよくありません。
(感想には個人差があります)

なんだか変な色にペイントされてしまっていますが、これは
メインテナンスの途中なのだと思います。

・・・・途中ですよね・・・?

毎日必ずどこかを補修しても、航空機が多いので一巡することには
最初の航空機はもうすでに補修が必要になっています。

サンタローザは夏の暑さは強烈ですし、雨も降りますから
外に置きっぱなしの展示は劣化しやすそうです。



オークランドのエアミュージアムではこの部分が旭日模様の

「サンダウナー仕様」

つまり「日本をやっつけ隊マーク」になっていたわけですが、
このトムキャットは第84戦闘機隊の所属マークがつけられています。



海軍第84戦闘機隊は、このスカル&クロスボーンのマークと共に、
1980年の映画

「ファイナル・カウントダウン」

に原子力空母「ニミッツ」と共にに出演したことで知名度の高い航空隊です。
航空隊のニックネームは

「ジョリーロジャース」。

英語圏では一般的に海賊旗をこう称することからです。



翼の下の配線もこのように展示してくれています。
ここの展示も手で触れることを禁止していません。


ところで映画「ファイナル・カウントダウン」はこういう話です。

1980年、真珠湾を航行していた「ニミッツ」が竜巻に遭い、
それが去った後、偵察に出た艦載機トムキャットが発見したのは
日本海軍の零戦だった。
「ニミッツ」がタイムスリップしたのは1942年12月6日、
つまり真珠湾攻撃の前日であったー。




ちょっと待て、それはまるで「ジパング」ではないのか、
と思ったあなた、あなたは正しい。
残念ながらこの映画は「ジパング」に先立つこと20年前に
すでに公開されており、この「タイムスリップ戦史もしも物」の
原型においてはこちらがオリジナル、つまり「ジパング」は
アイデアにおいてはこちらの二番煎じだったんですねー。

おまけに、このテーマソング、聴いて頂けます?


The Final Countdown 1980 theme John Scott

お時間のない方は4分20秒からだけで結構です。

「こりゃー”あれ”じゃん!」

と思った方、その通り。
業界では有名なパクリなんですね。
映画公開の2年後にヒットした曲なので、言い逃れできません。
今この曲のクレジットを見ると「ジョン・スコット」という名前が
作曲者「大森某」の名と共に併記されています。

これは、なんとファイナルカウントダウンの音楽担当、
ジョン・スコットが、わざわざ盗作を指摘するために来日し
さらに大森某も盗作であったと素直に認めたため、
作曲者として名前を連ねることにしたのでした。

うーん。恥ずかしい。
これは恥ずかしいぞ日本。

パクリがどうのこうのと某国や某国を日夜馬鹿にしていても、
実はわずか3~40年前にこんなことがあったというのは恥ずかしい。
まあ、しらばっくれずに盗作を認めて対処した、というところに
潔さと言うか日本人らしい気の弱さを見て少し安心しますが。

このころはインターネットは勿論ビデオさえ一般的でなく、
従って映画は映画館かテレビで放映された物を見るしかなかったんですね。
ましてや映画音楽は、よほどヒットした場合を除き、
一般の耳にほとんど触れることなく終わってしまったのですから、
ばれないだろうと思ってつい盗作に走ってしまったのでしょう。

「ジパング」の方はアイデアをパクりながらも色々と展開させているので
著作権的にはセーフなのかもしれませんが・・。

音楽といいストーリーといい、このファイナルカウントダウン、
日本人の「これをやってみたい!」という琴線に触れるもの満載だったようです。
そこそこ無名だったのがパクられる原因だったとも言えますが、
それにしてもこれはどちらもアウトだろっていう。






何の説明もなく展示されていたエンジン。
せめて包装を外してほしいと思ったエリス中尉でした。


ところで大森さんを庇うつもりはありませんが、
メロディが既存の曲に似てしまうということは
音楽家の立場から言っても、特に「歌もの」ではよくあることです。
音列に限りがあり、コード進行もパターンがある限り
これはある意味避けられないことなんですね。

以前お話しした「ライトスタッフ」のテーマがチャイコフスキーの
バイオリンコンチェルトに瓜二つ、という件に関しては

「宇宙開発でロシアと張り合っていたという映画の内容に合わせたシャレではないか」

と、1000歩譲って理解しようとしてみたわけですが、
もしそうであればこれは「故意犯」しかもそれを隠していないパターン。

たまたま知らずに似せてしまった、という確信犯と違い
「ララバイ」は完全に故意犯だったのがアイタタタでした。

世の中には

「青い影」(プロコル・ハルム)と「青春の影」(チューリップ)

の関係のように、聴く人が聴けばああパクったな、と思えても
コード進行が全く同じという程度では一般にはお咎めもなし、
という実例があります。

しかもこの件では「青春の影」はどこからも非難されておりません。
わたしの知る限り。
これは「ジパング」のシチュエーション類似と共に

「スコシ・パクリ作戦」

の成功例といえましょう。







続きます。
 



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10 Comments

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ヒコーキいろいろ (雷蔵)
2014-08-05 06:10:52
F-15は、革新的な戦闘機です。自重に対して推進力が二倍あるので、理論的には、垂直上昇が可能です。空自の基地周辺で離陸を見ているとそのパワーを実感します。

そのあまりのパワーのため、35歳くらいまでしか実戦任務はこなせないようです。レーダーやミサイル、機関砲の操作は操縦桿の二つのボタンの三つのポジションの組み合わせで行うそうですが、高機動時には、指先を動かすだけのボタン操作でさえヘロヘロだと知人は言ってました。カッコいい戦闘機パイロットも平日の筋肉疲労で休日は小さな娘に「お父さんの背中、踏んで」状態だそうです。

S-2と書かれた機体はC-1(陸上基地と洋上の空母を行き来する輸送機)ですね。よくCOD(Carrier Onboard DeliveryでCash On Deliveryではありません)と言います。

このヒコーキはエリス中尉がおっしゃるS-2や空自にもいるE-2Cと機体自体はほぼ共通です。S-2はその昔、海自にも多数いました。1960年代の第二次防衛力整備計画(二次防)で空母建造が計画され、艦載機の予定で導入したのですが、空母は実現出来ませんでした。導入要員は米海軍で発着艦の訓練もしたそうです。S-2自体は1980年代まで飛んでいました。

C-1ではS-2やE-2Cで電子機器を操作する乗員が乗る後部が乗客席になっていますが、普通の旅客機と違ってキャビンに窓がありません。飛んでいる時には気になりませんが、空母に着艦する時の怖さは大変なものです。機長からまもなく着艦するとアナウンスは入りますが、いつ来るか分からない、かなりな衝撃は精神的にもかなりな衝撃です(笑)

海軍のF-5は、Aggressorと呼ばれる仮想敵飛行隊所属機です。仮想敵となって、一般部隊の空中戦の訓練で胸を貸すのが任務で、優秀なパイロットが配置される部隊です。昔は映画トップガンに出て来るSan DiegoのMirramar基地にいましたが、海兵隊の基地になったので、今はラスベガス郊外のNerrisに移転しました。

トップガンはヒットしたので、主人公のトム・クルーズが教官役の女性を歌で口説く際のMirramar基地のOfficers' Clubの席は「トム・クルーズの席」という札がおいてあって、お客様は座れない席になっていました。偉いさんが来ると必ず回るコースに入っていましたね(笑)

Final Countdown公開当時、戦国自衛隊のパクリだという議論がありましたね。映画も小説も戦国自衛隊が先でした。小野みゆきや岡田奈々は一切、台詞がない役でしたが、なかなかに印象的でした。1979年公開。ずいぶん昔です。
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連投済みません (雷蔵)
2014-08-05 13:36:27
F-15ですが、尾翼にMAとあるのでマサチューセッツ州兵空軍(Air National Guard)所属機のようです。

おっしゃる通り、F-15は退役が進んでいますが、それは旧式のF-15C/Dタイプで、改善型のF-15E(複座)はまだまだ現役です。写真は単座型なのでF-15C(Dは複座)と思われます。

州兵空軍は予備役(Weekend Warrior・パートタイム)なので、パイロットの名前を機体に描いていないと思います。
返信する
 (エリス中尉)
2014-08-05 16:13:08
初めて知る話ばかりです。
中でも戦闘機パイロットがやはり体力仕事であるということと、
外が見えない状態で着艦するのは軍人でも怖いという話には心の底から驚きました。
少し前、ブレンデッドウィングボディで全く外が見えない席がある未来飛行機の話をしましたが、
同じ理由できっと誰しも嫌だろうと思います。
まあ甲板に着艦するのよりはましでしょうが・・。

そういえば今回、F-5が「トップガン」で空中戦の訓練シーンにちらっと出演している、
という蘊蓄をどこかで読みました。
ちゃんとミラマー基地から借りてきていたんですね。

雷蔵さんはファイナルカウントダウン公開当時「関係者」でいらしたのだと思いますが、
そうであるのとない人ではあの映画に対する関心も随分違ったのだろうと思われます。

・・・そうか、我々には先に「戦国自衛隊」があったんだ!
スコシパクリ作戦は実はファイナルカウントダウンの方だったと・・・。
いやー、それが分かって何より嬉しいです。大日本帝国ばんざーい。
返信する
トップガン (雷蔵)
2014-08-05 20:24:59
Aggressorとして訓練シーンに登場するのはA-4 Skyhawkで、敵機(Mig-28という呼称で登場しますが、実際にはMig-XXは奇数です)として真っ黒黒助のF-5が登場します。

Aggressor飛行隊は、ベトナム戦争にF-4が投入され、旧式のMig-21にあまりにやられたことから、米軍の技量向上のために作られた部隊です。そのため、Mig-21と同じような運動性の機体が選ばれ、海軍機ではA-4、空軍機ではF-5が選ばれています。A-4もF-5も機体が小さく、小回りが効く機体です。

A-4を設計したエド・ハイネマンはその後、DouglasからGeneral Dynamicsに移り、エリス中尉お好みのBlended Wing Bodyの代表機F-16を設計しています。

F-5の設計は、Northropではその後、F-18(元々はF-16と空軍のAdvanced Tactical Fighterを競い合ったYF-17)に発展しています。同じ設計陣だったんでしょう。F-5とYF-17も何となく似ています。

F-5はF-5A→F-5E→F-5Gと発展して来たのですが、F-5G(Northrop)はF-16(General Dynamics・後にLockheed)に敗れて、試作だけで終わっています。

その20年後、F-15後継機ではYF-22(Lockheed)とYF-23(Northrop)が競作となり、ご存知のようにF-22が選定され、F-23は破れ、Northropは戦闘機から撤退しました。F-5GとYF-23でNorthropは二度、Lockheedと戦い、二度敗れ、戦闘機市場を追い出されました。

航空機には、こういう話が一杯あります。その昔、日本を揺るがしたロッキード事件で海自はロッキードP-3Cを導入しましたが、元々は国産(川崎重工)P-XLを開発する予定でした。

今でも岐阜市内のとある場所に1970年代に作られたP-XLの模型が飾られていますが、現在の川崎P-1とほぼ同じシルエットです。30年待ってリベンジしたんだなぁと模型を見るたびに思います。
返信する
F-5はトップガンでは敵役ですね (佳太郎)
2014-08-05 22:00:00
F-5はトップガンでは、Mig戦闘機(黒い戦闘機ですね)の役やトップガン養成学校の訓練の仮想敵として出演したようです。実際の訓練でも使われてたそうですよ。

パクリですが、パクったらいつかはオリジナルを作っていかなければならないと思っています、手塚治虫は散々ディズニーをパクったようですが、それ以上にいろいろな物を作りだしましたからね。(というかディズニーが手塚治虫からパクった物がありますからね)模倣からの脱却ですね。一部の国はただパクる事しか考えてないようですが…
返信する
本文訂正済みです (エリス中尉)
2014-08-06 00:01:32
トップガンではMig役をしたのがF-5だった>
そうでした・・・・orz
言われてそうだったと思い出しました。とほほ。

雷蔵さんのP-XLの話ですが、開発者たちの意地というか技術屋魂を感じさせますね。
戦闘機選定にかける各航空機会社の戦いも毎度凄まじいものみたいですし。
彼らにとっての戦いの世界がここにあるのだとあらためて思います。
旧海軍士官だった方が
「日本軍は同じ敷地に海軍と陸軍の工廠が道を隔ててあったのに没工廠、じゃなくて没交渉だった」
とおっしゃっていたのを聞いたことがありますが、これは悪い意味で技術屋さんの意地がその統合を妨げたのかなと。
当時の陸海軍がいくら仲が悪くても、技術陣同士で連携しようと思えば出来たんじゃないか、
と思わなくもありません。

佳太郎さん、「ライオンキング問題」のときに、手塚側は
「手塚はディズニーを目標としてきたのだから、もしディズニーが自分の作品を模倣したと知れば
むしろ本望なのではないか」
という理由で収めましたね。
関係者も世界も爽やかな後味をこの言葉に感じたのではないでしょうか。

創作物や技術は模倣を元に全く別の、あるいは進化させたものに昇華すればそれは
おっしゃる「模倣からの脱却」にもなると思います。
そうやって全ての物事は発展してきたんですから。
本文内容にこじつければ、「スコシパクり作戦は是」といったところです。

その点音楽、特にメロディはちょっと事情が違うかな。
音列やリズムに限りがある音楽が既存の曲に似てしまうのは宿命ですが、
そういう類似曲に与えられる評価は真っ先に「あれに似ている」であって、
曲そのものはその時点で評価されなくなる、というのがその他の模倣と違うところですね(笑)
返信する
この映画の事 (あれ)
2014-08-06 00:05:11
エリス中尉!

「ファイナル・カウントダウン」日本で初封切りの時、当然(^^)観に行きました。
友達と連れ立って行きましたが、(今から思うとその映画館自体が非常にしょぼかったですが。)
勿論、F14などの当時の現役米艦載機とゼロ戦との空戦を、男の子らしく期待して。(それだけの映画だと思っていた)滅茶苦茶に奴らを、ゼロ戦が叩き落とすものと思って!映画のポスターもそれらしく描かれていたし(騙しやがった・・・。)
映画の内容、あらすじなんて事はもう今更ですので印象に残った点を述べさせて下さい。子供らしく単純な戦闘シーンしか良く記憶には残ってませんが。
・ハワイ近海で、所有するランチ?にて優雅に休暇中のところを零戦に発見、機銃掃射を受けてそこを、ニミッツからのF14の活躍で助けられた上院議員?(次期大統領候補だったかな?)がそのF14を見て「なんだあの飛行機は!ロケット推進か?ワシは海軍があんな飛行機を作ったなんて聞いておらんぞ!今度議会で(秘密裡に造った)海軍をとっちめてやる!」と怒ったところ。議会で、とかいうのが何かアメリカっぽいなぁ、と。大日本帝国では軍に対して考えられぬ発言であると。(どういう中一なんだよ!)
・ペットの犬が機銃掃射で沈没したランチの破片に器用に乗せられていたこと。(可愛かった)
・F14対零戦(史実的には、21型となりますが「敵さん」改造零戦にヤッパリとは言えガッカリ!)の空戦。おおーやっと始まった!!と思った、のに・・・。F14がミサイル使うのは卑怯。零戦にしてもF14のバルカン砲が命中して海上に不時着水は無理でしょ。もし実際だったら20mmの弾丸だから空中分解もんだろ!と。
・撃墜された零戦搭乗員(因みに映画の様に、真珠湾攻撃作戦の事前に零戦が空母から哨戒・偵察に出ていた事は無かった筈。艦隊随伴の重巡「利根」「筑摩」などの塔載零式三座水偵が攻撃直前の偵察に真珠湾上空を飛んだとの記述は見た覚え有り)が救助され捕虜となり「ニミッツ」に収容されてくるのですが、(日系の男優さんです)日本語のセリフがそれなりにたどたどしく変にリアリティーが有った。同じくリアルな家族写真も所持品として映し出され、あぁこの人にも身内がいたんだ。かわいそうに・・・と思った。(隙を見て逃亡しようとして失敗、艦内で射殺されてしまう。(だったかな?))確か士官階級の設定だったと思う。靖国神社でゆっくりと御休み下さい。
・その搭乗員の反撃に、艦内でM16ライフルが使用され銃撃戦となり、アメリカの軍艦には歩兵(陸軍)が乗っているんだ、と思った。これ、今にして思えば海兵隊員でした。
・ラストで、この航海の最初からニミッツに特別に乗り組んでいた謎の?中佐(だったかな?何かの事情で艦から離れてしまうんです。)が、この航海が終わり艦が港に戻ってきたときに、年を取った姿で出迎えに姿を見せて、しかも実はこの艦を建造した造船所の社長だったという設定(かと)。タイムパラドックスっていうやつですか?元々この艦を知っていた彼だったからこのすごい空母を造れたのだ、ということだったのだろうか?

ブログ内のようつべ映像で見れば、映画の大体は掴めると思いますが、F14を見ている内に映画内のVS零戦での卑怯な振る舞い(^^)が思い出されてつい熱くなってしまい、いつもの様な駄文を送ってしまいました。失礼し
返信する
ました。 (エリス中尉)
2014-08-06 01:26:03
おお、そんな話ですか!ますます観たくなりました。
というわけでDVDをAmazonで購入しようとしたらなぜか見つからなかったので(そのときは)、
北米Amazonで注文しました。
そしてその後日本でも買えることに気がつきました。悔しい。
意地でも英語で見てやる~!
そのときにこの要点を頭に入れておけば?たとえ字幕無しでもOKですね!

>滅茶苦茶に奴らを、ゼロ戦が叩き落とすものと思って!
いや・・・・さすがにそれは・・・ないんじゃないかな。アメリカ映画だし。
返信する
何度も済みません (雷蔵)
2014-08-06 05:46:56
F-14は(実際には)なかなかゼロ戦を落とせないと思います。ゼロ戦の時代には、計器盤上の照準器で前にいる敵機を直接眼で見て射撃していたので、敵機の後方につけさえすれば落とせたのですが、現代ではコンピュータが弾道計算するので、ピバーと呼ばれる輪が照準器に現れている間に射撃しないと、敵機を落とせません。

ピバーは自機と敵機の相対位置関係が安定した状態で始めて出て来るので、F-14とゼロ戦のように速度があまりに違うとなかなか出て来ません。F-14はゼロ戦より圧倒的に早いので、ゼロ戦相手だとつんのめって、行き過ぎてしまいます。映画でもそういう場面があったように記憶しています。

トップガンでは敵機の後方について、照準器にピバーが出て来る様がよく分かります。
返信する
Unknown (あれあれ)
2014-08-06 23:47:54
エリス中尉様

ふぁなれる・・・、もとい、「ファイナル・カウントダウン」の話に脱線をしてしまい聞き忘れておりましが、(突然に) イーデス・ハンソンさんをご存じですか?彼女のお兄さんだったロバート・M・ハンソン米海兵大尉はどうでしょうか?
中公文庫版 秦郁彦著の第二次大戦航空史話(上)第四章「ロバート・ハンソンの生と死」で取り上げられており、ネットのWikiで検索しても彼の事がヒットし、その途中を大幅に省略しますが、現在でも≪「1年の間に顕著な働きを見せたFA-18「ホーネット」配属の海兵隊飛行隊に対して、毎年「ロバート・M・ハンソン賞」が贈られている。一例として、2011年の受賞部隊は第232海兵戦闘攻撃飛行隊「レッド・デビルズ」2012年の受賞部隊は第533海兵全天候戦闘攻撃飛行隊である。」≫だそうで、って事はいつぞやの岩国基地のパイロットの彼にも関係してきますよね?
ボストン郊外のニュートンという地名の住宅地の一角にハンソン家はあったそうで、当時はボストンのコモンズ公園で彼の葬儀が挙行されたそうです。以前に紹介の戦没者墓地に彼の墓もある事になるのでしょうか?ニュートン、コモンズ共、今はどんな感じの風景となっているのでしょうか?ボストン地域の風景は先の大戦の頃とそんなには変わっていないのでしょうか?
彼はF4U戦闘機のパイロットとして、多大な撃墜記録を短期間に残したそうですが、心情的にはとても信じられません(^^)。単機戦闘が多かったそうだし、他の味方にも見られてない事になり、そうなると撃墜などは言ったモン勝ち状態だったのでは?と思っています。

では。
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