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海底に斜めに突き刺さる伊58潜水艦〜海没処分潜水艦調査

2017-12-04 | 海軍

イベントが重なって喉風邪をひいてしまい、まだ本調子ではないのですが、
知人よりこんなイベントがあると聞いて聴講してきました。

五島列島沖合に海没処分された潜水艦24艦の調査

海底に斜めに突き刺さる伊58潜水艦ー

ラ・プロンジェ(フランス語で”潜水”の意味)深海工学会という団体が
独自に行なっている海底調査についての報告で、内容はタイトル通り。

終戦後、日本海軍が保有していた艦艇は潜水艦も含めそのほとんどが
廃棄処分になりました。

「長門」が水爆実験(クロスロード作戦)でその生涯を終えたのは有名ですが、
日本の技術を結集した伊、呂、波型の潜水艦は五島列島沖、
戦艦大和が眠る地点からそう遠くない海底に沈められたことがわかっています。

当学会はこの現場を探索し、現代の科学で可能になった探索データをもとに
それらのアイデンティファイを行なっている団体です。

もちろん国からも一切支援が出るわけではないので、全て寄付金から
活動資金をまかなっており、そのため
幾度となくこうした公開の場で
その進捗状態と活動そのものを広報しているというわけです。

というわけで、講演の行われる横須賀の記念艦「三笠」にやってきました。
ここに立つのはずいぶん久しぶりのような気がします。

最初に来た時にこの「軍艦の碑」の写真を撮って、そのことについて
ログをアップした日、東日本大震災が起きました。

それからしばらくの間掲載をストップしていたのもずいぶん昔のことに思えます。

前回来た時(米軍基地のフェスタの日だったかな)にはなかった案内。
なんとご親切にも30分コースと1時間コースのご提案です。

今日の講演は中甲板艦首にある講堂で行われます。

ところで、これまで何度か来て気づかなかったのに、今日、
ラッタルを上ろうとすると、どこかにセンサーがあるのか
「ホーヒーホー」とサイドパイプの音が鳴り響いたのには驚きました。

乗客全員に東郷平八郎元帥になった気分を味わってもらおうという趣向です。

講堂のある艦首側に向かって歩いて行く途中に建造当時の甲板あり。
(巾広い部分)と言われましても・・・どこのこと?

砲撃中の砲郭の実物大模型も健在です。
ちなみにこれらの砲は全て模型です。

時間があったので中甲板展示室も少し見学しました。
軍神広瀬中佐が使用していた柔道着。

測距儀も、わたしはここで見たのが最初だった覚えがあります。

なんと、最新式の海戦ゲームが導入されておりました。

三笠に乗ってバルチック艦隊と戦ったりするわけですか。
じゃ東郷ターンを使わずに勝てるかどうか、などというシミュレーションも楽しめるんだ。

艦内には外国人観光客(白人系、多分ロシア人)が結構いて、彼らが
楽しんでいたのがバーチャルゴーグルをつけて行うゲーム。

時間があればちょっとやって見たいと思いました。

まず最初に代表理事の浦環氏が(男性です)調査結果を淡々と報告されました。
つまり海底に眠る潜水艦をスキャンして解析し、それが
なんなのかをこれまでの研究から特定して行く過程、その結論に至った理由などです。

本講演のタイトルにもなっていた「海底に斜めに突き刺さっている」伊58の画像。
ほぼ半分が海底に突き刺さっているわけですが、一体どういう経過で
このように直立することになったか想像を巡らすだけでワクワクしてしまいます。

呂号50は鎮座している状態です。

これらのスキャンのために器具を曳行したりする作業を行なった日本サルベージの船。

この日はニコニコ動画の生放送も入っていました。
以前にも海中のカメラ画像をインターネット衛星を通して配信したことがあります。

初めて知りましたが、過去の探索の様子は、当時生放送でたくさんの人が鑑賞し、
その調査結果に注目していたということなのです。

海没処分にされた潜水艦は全部で24隻。
皆ひとところに次々と廃棄したらしく、こんな感じで海底に散らばっています。

そして、演者は代わり、どうやって艦名を特定していったかの詳しい説明が続きます。
もし興味がおありでしたら、ニコニコ動画でご覧ください。

建造時に残された写真を解析し、艦橋の形、窓、穴が空いている場所など、
沈んでいる潜水艦と照合して特定していくのです。

大変な仕事ですが、わたしにはこういうことに夢中になる気持ちはよくわかります。
さぞかし楽しんでやっておられるんだろうなと思いました。

各艦の細かいアイデンティファイについては、当日会場で販売されていた
資料集に事細かに載っています。

さて、次にこの探索を行ったガジェットについての説明が
技術者の立場から行われました。

スキャニングの方法は大まかな方から三通りあります。

まずどこにあるかの初期的な探索を行うための方法。
船を当確海域に走らせて海底を上からスキャンします。

水深が20mくらいならかなり鮮明な画像が得られますが、200mとなるとこう。
「潜水艦らしきものがある」という感じですね。

潜水艦の場所が特定できたら、ソナーを船で曳航し、
横からのスキャニングを行う方法でアプローチします。

しかしここまででは各潜水艦の特定をするほどの情報は得られません。
そこでROV(遠隔操作型の無人潜水機)を投入して詳しい画像を得ました。

これで伊58、呂50が特定できたというのが「←今ここ」なのですが、
これらの報告を聞いていて思ったのが、特定を阻む要素、つまりその艦体が
なんであるかを見極めるのを阻害している原因の一つとして、

「漁網が絡みついて」

という文言がほとんどの艦に当てはまるくらい出てきたことです。

漁網というのはそんなにあちこちに絡みつき、放置されるものなんでしょうか。

この後一番右の勝目純也氏(潜水艦関連の著書多数)が
特定された潜水艦についての戦歴などを説明されました。

項目を箇条書きしておきます。

●昭和21年4月1日に米軍によって五島沖で廃棄処分された潜水艦は24隻

●日本海軍の潜水艦の歴史は明38〜昭20までの40年

●その間海軍が保有した潜水艦は241隻

●実戦に参加したのは3年8ヶ月、154隻参加し127隻が戦没

●戦果は艦艇撃沈13隻、撃破撃破8隻、船舶撃沈撃破220隻

●戦没艦127隻中114隻が全員戦死、戦死者総数10,817名

●兵学校60〜70期の配置別戦死率78.1%(飛行機70.9% 水上艦40.5%)


「潜水艦は撃沈されたら全員が運命を共にする」

というのは、当ブログでも常々書いてきたことですが、勝目氏は
そのことにより一層悲劇性を感じる、とおっしゃっていました。

五島沖で処分された潜水艦たちは消耗率の高い潜水艦の中でも
奇跡的に生き残り終戦を迎えた「強運艦」だったというわけです。

伊号第36潜水艦(横須賀、2代目艦長は神戸商船大出身)

伊号第47潜水艦(佐世保、回天特攻金剛隊多々良隊を発進)

伊号第53潜水艦(呉、アンダーヒルを撃破)

伊号第58潜水艦(横須賀、橋本以行艦長、回天戦でリー撃破)

呂号第50潜水艦(三井玉野、揚陸艦1隻他撃沈)

このように戦果を多数挙げてもいます。

この後

「まとめ 日本の潜水艦の伝承は継承されている」

として、2016年の2月に海上自衛隊で行われた
日本国潜水艦運用100年、海上自衛隊潜水艦部隊創設60周年の
式典の様子、そして先日の「しょうりゅう」進水式の写真が紹介されました。

せっかくですのでわたしが進水式執行者の呉地方総監部から送っていただいた
生写真をここぞとばかりに掲載させていただきましょう。

潜水艦を建造する技術を持っている国は世界でも少なく、
それを戦前からほぼ途切れることなく続けてきたということは
日本のものづくりの底力とその継続力を表しているというお話でした。

最近しかし、製造業の現場に不祥事があいつぎ、日本人の原点である
ものづくりの心が失われつつあるのではないかという危惧もある、
というようなお話もありました。

今後のプロジェクトとして、舞鶴湾の海底にある呂500と、
日本郵船の大洋丸についても探索を行うそうです。

艦内の通路に壁全面を使った艦艇のモデルコーナーが設えられていました。
前には見た覚えがありませんので、最近新しく設置されたようです。

後半のパネルディスカッションでは、高校生らしき男性が、先日
ポール・アレン氏の調査チームがスリガオ沖で「山城」を発見したことの
感想を求めていましたが、主催の浦氏は

「こういう調査はどこも補助が出るわけではないので、寄付金に頼るか
ポール・アレンのような大富豪が道楽でやるしかない。
こういう人がこういうことをやってくれるのは大変ありがたい。
日本にはポール・アレンのような人がいないので、
我々の活動に賛同された方はぜひ寄付をお願いしたい」

と訴えておられました。

同学会では、今後全24潜水艦を詳細画像の撮影と特定を行い、
2年後くらいには

「24潜水艦記念バーチャルメモリアルの構成」

を目指しています。
そして最終的にはそこから

「戦争のない世界の実現」

に結びつけていきたい、ということを謳っておられます。
皆様ももしかしたらそうお感じなるかもしれませんが、
正直わたしのようなプラグマティストには、即座に真顔で

「いやそれは無理だろう」

としか言えない飛躍的かつ実現不可能な目標です。

(というか、バーチャルメモリアルの構成を戦争のない世界に
どう繋げていかれるおつもりなのかそのメカニズムに大変興味はあります。
講演でどなたかが『潜水艦を作る技術力と保有していることは抑止力であり
戦争を起こさせないために有効だ』と言っておられたので、おそらく
お花畑的イマジン的なストーリーを思い描いての文言ではないでしょう)

まあこれも穿った見方をすれば、戦時、軍事遺産を保存しようとすると
必ず「軍国主義の復活」とか「いつかきた道」、「軍靴の足音」が
見えたり聞こえたりする特殊なバーチャルリアリティが体験できる方々に向けての
「魔除けの呪文」というところなのかもしれません。

ともあれ、こんな活動を通して歴史を次世代に残そうとする
プロジェクトに興味を持たれた方はぜひニコニコ動画をフォローして、
彼らの活動に賛助をぜひお願い致します、と主催者に勝手に成り代わって
ここでお願いしておきます。

HPによると、Tシャツも販売しているということです。

ラ・プロンジェ深海工学会

 

 



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6 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
ィー58、ロー50 (お節介船屋)
2017-12-04 14:26:33
イー58は米重巡インディアナポリスを撃沈した事で有名ですが乙型改2(伊54型)3隻の1艦です。
要目は水上2,140トン/水中3,668トン、全長108.7m、幅9.3m、デイーゼル2基主電動機2基、蓄電池240基、2軸、水上4,700馬力、水中1,200馬力、水上17.7Kt、水中6.5Kt
533mm魚雷発射管6門(艦首)魚雷19本、安全潜航深度100m、乗員94名
昭和19年9月横須賀工廠就役時水上偵察機1機、格納庫、射出機を装備していたが撤去し、回天搭載艦に改造。

ロー50
中型(呂35型)18隻の1艦 昭和19年9月三井玉野で竣工
要目は水上960トン、水中1,447トン、全長80.5m、幅7.05m、デイーゼル2基主電動機2基、蓄電池240基、2軸 水上4,200馬力、水中1,200馬力、水上19.8Kt、水中8.0Kt、7.6cm単装高角砲1基、魚雷発射管(艦首)4門魚雷10本、安全潜航深度80m、乗員61名、昭和20年2月スリガオ海峡近傍でLST-577撃沈
海上自衛隊で海将となられた今井梅一艦長が操艦し、米軍引渡前の艦内配置写真が有名です。

イー53
丙型改(伊52型)3隻の1艦、公称丙であるが実質乙型改2と同一の設計で航空施設を除いた艦、昭和19年2月呉工廠で竣工

イー156とイー158
イー156は海大3型b(伊56型)5隻の1艦 昭和4年呉工廠竣工で大戦初期は作戦に従事したがその後は練習潜水艦
水上1,635トン水中2,300トン、全長101m、水上20kt、水中8kt、安全潜航深度60m、乗員63名

イー158は海大3型a(伊53型)4隻の1艦 昭和3年横須賀工廠竣工で大戦初期は作戦に従事したがその後老朽から一線を退く。
水上1,635トン水中2,300トン、全長101m、水上20kt、水中8kt、安全潜航深度60m、乗員63名

呂-500
ドイツから通商破壊戦用潜水艦を建造しインド洋で作戦する事を期待して昭和18年5月譲渡を受け、ドイツ海軍シュネーヴィトン大尉艦長以下乗員の手で8月呉着。
しかし、兵器、予備品、乗員訓練などの面から実戦使用困難として調査、実験、研究に使用。音響対策、攻撃力、急速潜航性、静粛性、堅牢性、量産性に優れ、電気溶接、補機、艤装等優秀であり急速多量建造が可能であったが当時の日本の能力では困難であった。
型は違うが同大のU-1224を呂ー501として昭和19年2月ドイツで受領、日本海軍乗員で3月末キールを出港、日本へ向かったが5月中母大西洋で戦没。
参照海人社「世界の艦船」No791
返信する
潜水艦 (ハーロック三世)
2017-12-05 02:22:44
改めて見ると潜水艦の消耗率の高さに驚かされます。

以前述べた、「兵はフンドシ1枚、士官は威厳を保つためにチジミのシャツとステテコが制服」とのたまわった父の友人の強運に感心せざるを得ません。

元潜水艦長と先日話したのですが、くだんのアルゼンチンの潜水艦はおそらく早い段階で絶望的だったとのことです。

シュノーケルの逆流弁が不調で海水が大量に流れ込み、硫化水素が大発生。
メインタンクブローで浮上して一刻も早く水素を排出すべきところ、潜行状態で作業を続けていたらしいそうです。

その結果、程なく水素爆発。水没したであろうとの見解でした。
返信する
つらいです (Unknown)
2017-12-05 04:57:53
まだ本調子ではないのですね。これから寒くなるのでお大事になさって下さい。

私財をなげうって、これ程大規模な調査をされること。それをこうして立派な記事にして紹介して頂けることは大変ありがたいと思う一方、船に乗っていた人なら、こんな姿を見たくないという気持ちもあり、つらいです。

確か、イ58はちょうど沈めたインディアナポリスと同じ日に発見されたと記憶しています。橋本艦長は、同艦が原子爆弾をテニアン島に届けた後に撃沈したと戦後知って激しく後悔したと聞きますが、この海底に突き刺さっている姿を見たら、数日間は食事が喉を通らないと思います。

戦争に負けるということは、こういうことなんですね。負ける訳には行かないと改めて思いました。
返信する
みなさま (エリス中尉)
2017-12-05 08:44:37
お節介船屋さん、ありがとうございます。
各艦についての詳細についても説明があったのですが、
ブログ中では紙(ブログ)幅の関係で言及することができませんでした。
インディアナポリス撃沈と橋本艦長についてももちろん触れられていましたが、
以下同文の理由で割愛した次第です。

呂500については、それまでの国産潜水艦ではどうしても静謐性に欠けていたのを
この艦体を研究して向上したとおっしゃってましたね。
後、ドイツは形を一旦決めたら絶対にそれを変えず、同じのを作り続けたが、
日本は何かあるたびに改良したり大きさを変えたりしてしまうので
(日本人らしい)それが特定を難しくしているということでした。


あまりに消耗率が高いので、潜水艦配置になったら
「もう終わりだな」と覚悟を決めるのが当時の海軍での風潮だったと言いますね。

助かるか助からないかはもう運次第。
いくら優れた艦長が乗っていてもあまり関係ないというか、それゆえに
「この艦長のフネは沈まない」と度重なる出撃から帰ってきた艦長の元には
「ゲンを担いで」乗組員になりたがる者が殺到したと言います。

ゲンを担ぐといえば、伊三十三号のせいで「潜水艦に3は縁起が悪い」
というジンクスができてしまったというのが世間に知られていますが、
実は3が縁起が悪いというのはその前から言われていて、
不思議なくらい末尾に3のついた伊号潜水艦はすぐ戦没してしまうのだそうです。
(検証していないので覚えているのをそのまま書いてます念のため)
まあ結局遅かれ早かれ末尾の番号に関わらず戦没してしまった訳なので、
これは単なる「当時のジンクス」に過ぎないのですが。

海没処分された24隻は、強運だった27隻のほとんどだったということになりますが、
その中にいる末尾3の伊53は「ジンクス破り」だったと言われていたそうです。

橋本艦長はこの廃棄処分の時に現場に行って海没を見守ったということです。

潜水艦に乗っていたものにとって、海没処分は何よりも辛い、
自分の身が引き裂かれるような思いがする、とある方がおっしゃったそうですが、
橋本氏の断腸の思いは想像するにあまりあります。

伊58がインディアナポリスと同日に発見されたこともこの日は出ていました。
「因縁を感じます」と主催者がおっしゃっていました。

>戦争に負けるということは、こういうこと

潜水艦をまとめて廃棄させた米軍の意図は、それがソ連に利用されることを防ぎ、
さらに日本の技術力を封印するということであったと聞きました。

それだけに年一隻ずつ最新鋭の潜水艦を生み出し続けている現在の日本の技術について
それを可能にした先人の血の滲むような努力があってこそここに至った、と思わざるを得ません。

返信する
日米の差 (お節介船屋)
2017-12-05 10:28:56
冷厳な事実をきさねばなりません。
太平洋艦隊潜水艦部隊指揮官ロックウッド中将の自慢は日本の喪失艦船の55パーセントを米海軍軍人のわずか1.6パーセント、約5万人の兵力で成し得たという事です。
すなわち艦艇201隻、54万トン、商船1,113隻、478万トン、合計1,314隻、532万トンをガトー級を主に200隻余りで実行出来た事です。52隻3,506名の犠牲が伴いましたが。
日米の余りの差に驚いてしまいますが、多分に日本海軍の作戦、工業力で自滅させた面もあると思います。
技術面では太平洋戦争での主力であった乙型(伊15型)計20隻は船体鋼材が歩留まりの悪いDS鋼であり、その後MS材に変更した改2(伊54型)3隻の建造で終わりました。いくら用兵側からの要求とはいえ30種類以上の多品種少量生産は戦時要求上からも非効率でした。
また漸減作戦面の要求から水上高速力のため大馬力高速デイーゼルエンジンは生産量が少なく、後半ではスピードを落としても製造容易な型に変更しましたが、静粛性は困難でした。また蓄電池は大容量化の努力が重ねられましたが生産性の問題から耐久力の低いもので忍ばねばなりませんでした。
ガトー級はプロペラをモーターで回転させる現代の通常型と同様でしたが日本潜水艦は水上高速力要求のため主機で水上では回し、水中では主機の縁を切って、モーターで回すと複雑でした。
魚雷の搭載量もアメリカは24本、ドイツUボートは排水量が半分くらいなのに22本、日本潜水艦は通常17本一番多かった乙型改2で19本、ガトー級より一回り以上大きいのに大きさの割に少なかったようです。
レーダー、逆探の装備が遅れた事も大いに災いしたでしょうが、ドイツ派遣艦をみたドイツ海軍が驚いた音の問題も大きかった事でしょう。
作戦面ではドイツがしきりに通商破壊戦を要望したり、現場の潜水艦長から艦隊決戦や輸送は困難で通商破壊戦を第6艦隊への上申を無視しただでけでなく罵倒した参謀もいました。この第6艦隊司令部救出のため確か2隻の潜水艦も戦没したと思います。また戦後潜水艦で撃沈商船乗員を殺傷したとして司令官、参謀等が巣鴨刑務所に収監され長く刑にあったとは。
潜水艦の乗員の努力、苦労があったのも関わらず、戦果すくなく、犠牲が多かったこの事実、戦訓は忘れる事なく、また静粛性、堅牢性、合目的性等総合科学力の不断の努力が必要でしょう。
返信する
潜水艦隊 (お節介船屋)
2017-12-05 15:16:09
井浦祥二郎元海軍大佐著出版共同社、朝日ソノラマ、学研文庫出版「潜水艦隊」が太平洋戦争でのわが潜水艦の戦史が詳しいと思います。
軍令部、第6艦隊参謀でしたが、昭和18年19年はペナンにいて伝聞が多いですが全般を知る本となっていると思います。
作戦面の不備も書かれており、「あ」号作戦時の呂ー104、105、106、108、116の5隻は散開線を察知され、いもづる式に一挙に撃沈された事やサイパン島にいた第6艦隊司令部救出やサイパン、テニアン方面の敵攻撃で伊ー5、6,10,55,184,185、呂ー36,42,48,111,114,117と12隻も一挙に失っています。
潜水艦乗員の戦死も悲しいですが、被害も戦艦金剛は夜間荒天下で1000名をはるかに超える乗員を始め、空母「雲龍」「大鳳」「信濃」、輸送船の船員、乗船中の陸軍軍人は数十万人の戦死となっていると思います。
航空機を始め護衛艦の貧弱な対潜戦、頻繁な作戦変更等人為的な不都合や技術装備面の不備が被害を大きくした事でしょう。
本の紹介と思いましたが、本当に悲しい事実です。合掌
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