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「ホット・ショット」〜フォートポイント・サンフランシスコ

2017-12-05 | アメリカ

 

ゴールデンゲートブリッジのあるサンフランシスコの最西北端は、
真珠湾攻撃後、ここに多くの砲台が設置され、
まるでハリネズミのように太平洋から向かって来る外敵を排除する
防衛の要所であったことをお話ししたことがあります。

元々は南北戦争の時に陸軍が沿岸防衛のために要塞を作った場所で、
今でもその史跡が「フォート・ポイント」として公開されています。

いつもサンフランシスコに来たら一度は散歩するクリッシーフィールド。
昔陸軍の飛行場があったフィールドにはまだ格納(手前)も残されています。

うっすらと向こうにアルカトラズ島が煙っています。

この日もクリッシーフィールドからフォートポイントまで歩き、
往復しようと歩き出しました。

ダウンベストにマフラーのスタイルですが、8月の映像です。
気温の低く風の強いここでは夏でも防寒着が必須。

「プリンセス・ダイアリー」という映画では、ハイスクールのパーティが
ここで行われたという設定でしたが、あれを見て

「あそこで、しかも夕方、こんなピラピラのドレス無理だって」

とここの気候を知っている人なら皆思ったでしょう。

今日は全体的に快晴で、ブリッジだけが霧で隠れています。

午後には晴れることが多いですが、午前中はだいたいこんな感じです。

Caspian Tern、オニアジサシという水鳥がいました。

日本でも旅鳥として飛来することがあるそうですが、
大抵単独でやって来るのだそうです。

ダイサギもご飯を探し中。

ペリカンが何か捕まえた!と思って写真を撮ったら海藻でした。
ミネラル補給のために海藻も食べるんでしょうかね。

観光地なので自転車を借りて走る人もあり。
彼らはゴールデンゲートブリッジをバックに家族で記念自撮り中です。
子供がつまらなさそう(笑)

犬の散歩のメッカ?でもあります。
フィールドの小道沿いには始末用のプラスチックバッグ供給スタンドがあり、
バッグに入れればトラッシュボックスに捨てても構いません。
ゴミは1日一度、必ず自治体の清掃車が集めに来ます。

いつも思うんですが、日本の自治体って、住民一人一人の道徳心に
甘えすぎというか、頼りすぎって気がします。
犬を飼ったことがないのでわかりませんが、散歩に出て
いちいち袋を家まで持って帰るというのは、いかに愛犬のものといえど
結構煩わしいものではないかと思うんですよね。

ちなみに、この近くには陸軍がいた時代からのペット墓地があります。

サンフランシスコ・ペット・セメタリー

古い墓石には「大佐」「少佐」など、必ず階級が書かれていて、
ペット所有者が軍人であることを表しているのだそうです。

おなじみ、犬の散歩業者。
契約した家の犬をピックアップしてまわり、散歩させる専門業です。

いろんな意味でアメリカにしか存在しなさそうな職業ですね。

霧が少し晴れて、ブリッジの頭が見えてきました。

こんな日は行き交う船の汽笛が数分おきに鳴り響きます。

鵞鳥が綺麗なV字を描いて飛んでいきます。

いつもこのポジションはどのように決まるのだろうと不思議です。
先頭を飛ぶ鵞鳥は明らかにリーダーだと思うんですけどね。

フォートポイントが見えてきました。
元々ここは海面5mまで切り崩されていたため、花崗岩を巧みに組み合わせ、
その隙間を鉛で塞ぐという工法で護岸壁が構築されました。

以来ここで100年以上荒波を防ぎ驚異的な強度を誇ってきましたが、
1980年代に再建築するとともに、強大な波の力を弱めるために防波堤を設置しました。

さて、写真を撮りながらクリッシーフィールドを突き当たると、そこはフォートポイント。
もちろんブリッジができる前に建造されたレンガの要塞です。

大抵は閉鎖されているのですが、この日は珍しく公開されていました。

入ってみることにします。
ちなみに要塞の入り口はここだけです。
「出入り口」と呼ばず「出撃路」と呼んでいたのが要塞ならではですね。

「太平洋沿岸全域へのキーポイント」

と言われたこの場所には難攻不落の要塞が必要とされました。

入り口上部のアーチ部分のレンガの積み方は、海軍兵学校のレンガの生徒館、
元呉鎮守府の庁舎と全く同じ方法です。
兵学校の生徒館は1888年、こちらは1861年と、20年の開きはありますが、
ほぼほぼ同時代の建築ということでレンガの積み方には共通点も多いのです。

一つしかない入り口から入り、ゲートを抜けるとそこは建物に囲まれた広場です。
全体は三階建ての回廊式で、堅牢に城壁が周りを囲んでいます。

ちなみにこの博物館、見学は無料。
ゲートが開いていれば入ってくることができますが、こういうところの常として
常に寄付を募っていますので、入ったところにある寄付金箱に
いくらか寸志をいれてから見学した方が良いかもしれません。

この写真に見えている一つ一つのドームが砲郭になっています。

一つの砲郭につき一基ずつ大砲を備え、窓から砲口を外に向けます。
こちらの鉄製は台座のみ。

これを見る限り、砲口を出せば窓がふさがりますが、どこから敵を見て
目標を定めたのか不思議といえば不思議です。

こちらは南北戦争時の木製台座と上に乗っているのは「コロンビヤード」砲。

重い砲弾を高角・低伸いずれの軌道にも投射する能力をもち、かつ
大口径・前装式、長い射程を誇る滑空砲で、沿岸用警備兵器に重宝されました。

1811年、アメリカ陸軍のジョージ・ボンフォード大佐が開発し、米英戦争から
20世紀の初頭まで使用されていたものです。

地面のピヴォットのレールを見ればわかる通り、稼働角度は180度未満ですが、
中には360度回転させることのできる砲台もあることはあったようです。

砲台は重量が重く、いちど据え付けられたものは移動せずにそのまま使用しました。

こちらは火器士官であったトーマス・ジェファーソン・ロッドマン
「コロンビヤード」砲を改良開発した進化形、「ロッドマン砲」

圧力により砲弾を打ち出すことによりより爆発が強力な方式を開発しました。

ミニチュアの可愛らしい砲ですが、もしかしたらこれも本物?

南北戦争の写真や映画で見覚えのある大砲といえばこれでしょう。
「12インチナポレオン砲」というそうです。

敏速に馬で移動させることができるように、大砲に大きな車輪をつけ、
さらに実弾、榴弾、キャニスター弾など多目的に撃つことができ、
革命的な野戦兵器と言われた傑作です。

砲郭に展示されていた説明板。

「ゴールデンゲートの防衛」というタイトルですが、内容は
当時の砲兵がいかに大変な任務であったか、ということにつきます。

それによると・・・・、

一つの砲を担当する砲員5人は、連日、朝から晩まで
通称「42パウンダー」の装填と発射の厳しい訓練を行いました。
堅牢なレンガの壁は耳をつんざくような爆発音を始終反響させ、
発砲されるたびにあたりを鉄粉が充し、視界がなくなるほどだったと言います。

また、暴発や砲身がノッキングすることによって怪我する可能性など、
彼らの訓練には命の危険がつきものでした。

幸いだったのは、ここで実際に戦闘が行われるような状況にはならず、
厳しい訓練が結論として実戦に役立つ日が来なかったことでしょう。

当時の大砲による艦船攻撃の方法を書いた図がありました。
なんと驚くことに、砲弾を直接船に当てるのではなかったようです。

穏やかで波のない海面にはね飛ぶことによって、砲弾は威力を失わず
確実に大きな船舶の船腹に命中させることができたはず、だそうです。

本当にこうなるのかは、実戦に至らなかったので永遠の謎ですが。

砲身に弾を込める装填棒が立てかけてありました。

要塞には当初141門の大砲が装備されることになっていましたが、
1861年10月の時点で、24ポンド、32ポンド、42ポンド砲および
10インチと8インチのコロンビアード砲、合わせて69門の火器が
要塞内および周辺に設置されていました。

南北戦争後、軍はロッドマンが開発した強力な

「10インチ ロッドマン式 コロンビアード砲」

を要塞底部の砲郭に導入しました。
これらの大砲は、128ポンドの砲弾を使用し、2マイル以上の射程を誇りました。

かくも重武装されていたこの要塞ですが、さらに強力な兵器、
「ホットショット」なるものを使用することが可能でした。

そういえばチャーリーシーンの映画にそういうのがあったわね、
と思い出したりしたわけですが、最近観た映画の中でも、

「イケてる人」

という意味合いで" You're hot shot. "と使われていましたっけ。

武器としての「ホットショット」とは専用の砲弾用加熱炉です。
鋼鉄製の 砲弾を真っ赤になるまで加熱し、 大砲に装填・発射すると
木製の敵艦 を燃え上がらせることが可能でした。

加熱した砲弾のことも「ホットショット」と称したようで、転じて

急行貨物列車  、有能な[ぶる]人 、やり手、偉い[ぶる]人

(スポーツの)名人 
例:He's a hotshot at archery. 彼は弓術[アーチェリー]の名手だ

有能な[ぶる]、やり手の、得意がる、気取った

という意味で現在は使われています。

 

赤くなるまで熱した砲弾をどうやって装填したんでしょうか。

とにかく、サンフランシスコ防衛の要として、どんな敵をも撃退するため、
厳しい訓練を通じてそんな兵器も扱えるようにしていたということです。

去年車で走っていて偶然発見した、ブリッジを渡った向こう岸、
サウサリート側の
「ライムポイント」、そしてこの「フォートポイント」が、
サンフランシスコ湾内に敵を入れないための最初でかつ最重要な砦であることが、
この図を見てもお分かりになると思います。

それは敵が「北軍」の時代から「日本軍」と変わっても全く同じでした。

横から見た架台とコロンビヤード砲。

次回は建物内部の展示と兵士たちの生活についてお話しします。

 

続く。

 

 

 

 



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3 Comments

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大型火挟み (お節介船屋)
2017-12-05 20:17:37
>赤くなるまで熱した砲弾をどうやって装填したんでしょうか。

丸い砲弾を掴む挟みでつかんで装填しますが、先込め砲ですので発射薬の黒色火薬が砲尾に入れてありそのままだと砲弾の熱で発射薬に火がついてしまい危険です。
発射薬の流し込み後、突き棒で砲尾に送り込みその前に粘土で着火しないよう蓋をして砲弾を装填しました。装填部分の火薬も拭き取っておく必要もあります。
粉の黒色火薬を火薬庫から取り出し、砲側まで運びますので艦内は火薬が充満しており、戦闘時火気厳禁であり、砲弾加熱炉の使用は要塞であり、艦艇には搭載使用されませんでした。
以上は海洋冒険小説ホーンブロワー、ボライソーシリーズからの受け売りでした。
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反跳爆撃 (Unknown)
2017-12-06 04:54:36
フォートポイントの艦船攻撃のように、水面を跳ねて目標を攻撃する方法を反跳爆撃と言います。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E8%B7%B3%E7%88%86%E6%92%83

この手法を用いて第二次世界大戦ではイギリス空軍がドイツのダムを攻撃しています。その後、アメリカや日本でも試されましたが、イギリス程の戦果は得られていません。

海軍の最初の特攻の指揮官だった関大尉は、元々は反跳爆撃要員でした。航空自衛隊も空対艦ミサイルが導入される前のF-4の時代までは反跳爆撃による対艦攻撃の訓練をやっていました。

陸上自衛隊の総合火力演習に登場する各種火力ですが、戦車は直接射撃と言って、射撃する側が直接目標を見て照準しますが、それより前に登場する、より射距離の長いりゅう弾砲は前方監視員(Forward Observer:FO)が照準し、指揮所(Fire Direction Center:FDC)がFOからの情報を元にどの砲はどこへ向けて射撃するかを計算、指示して、各砲台ではFDCからの指示通りに砲を向け射撃します。そのため、各砲台では直接目標を見てはいません。

フォートポイントは間接射撃をやっていたのでしょう。建屋の屋上にFOがいて、どこかにFDCがあったはずで、各砲台はFDCからの指示で自らは照準をせずに射撃していたと思います。

戦艦等の射撃も同じやり方で、艦橋トップの方位盤がFOに当たります。戦闘被害等で方位盤が故障した際には応急的に各砲塔でも照準は出来ますが、視点が低いため、艦橋トップ程遠くが見えないので、照準出来る距離(=射距離)は短くなります。
返信する
みなさま (エリス中尉)
2017-12-10 22:50:05
お節介船屋さん
なるほど、危険な作業だったんですね。
周りに燃えそうな木の全くない砲台でしか使用できなかったというのはもっともです。

これがもし艦船に直撃したら、甚大な被害を与えることができたに違いありません。

ところで「ホーンブロワーシリーズ」というのが初耳だったので調べてみると
「18世紀末から19世紀前半を舞台に、1794年1月に17歳で士官候補生として
英国海軍に入ったホーンブロワーが、平民出身のハンディを克服して、
バス勲爵士・海軍元帥・男爵に上り詰めるまでの一代記である」
これものすごく面白そうなんですが・・・とりあえず映画化してないかな?
と思って調べたら、1951年、グレゴリー・ペックがホーンブロワーに扮した
「艦長ホレーショ(ホーンブロワー)」というのがありました。
DVDがもう少し安ければなあ・・。

unknownさん
いろんな疑問に一気に答えていただきありがとうございます。
砲郭の窓は小さく、方針を出したら外が全く見えないんですよ。
これでどうやって狙いを定めたのか不思議でならなかったのですがよくわかりました。

イギリス空軍の「ダム・バスターズ」について最近書いたばかりでしたが、
ダムバスターズが使ったのが反跳攻撃であったとは。

そういえば総火演での各種砲撃も、FOがいて FDCが指示を行ってるんですね。
一口で「砲撃」といっても、分業制が普通だということは一般人の思いおよびもつかないことです。




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