さて、ニコルズ艦長の指揮下で、案外無事に12回目の哨戒をこなした、
第二次世界大戦中の「ガトー」級潜水艦、「シルバーサイズ」。
前回、ふとしたきっかけから、「シルバーサイズ」の、
歴代艦長と副長のその後の華々しい軍歴に話が及んでしまいました。
今日は改めて、第13次哨戒から検証します。
■ 第13次哨戒1945年3月9日〜4月29日
🇺🇸
13回目の哨戒で、「シルバーサイズ」は
「ハックルバック」(SS-295)、「スレッドフィン」(SS-410)
と共に九州沖を哨戒し、連携攻撃群の一員となった。
🇯🇵
3月9日
「シルバーサイズ」は13回目の哨戒で
「スレッドフィン」 (USS Threadfin, SS-410)、
「ハックルバック 」(USS Hackleback, SS-295) と
ウルフパックを構成し日本近海に向かった。
僚艦2隻とウルフパックを組んだということになります。
「シルバーサイズ」行動調書の13回哨戒プロローグは次の通り。
「シルバーサイズ」は1945年2月12日にミッドウェイで12回目哨戒を完了。
通常の改装は、USS「エーギル」(Aegir)と潜水艦部門241が担当した。
歴代艦長と副長のその後の華々しい軍歴に話が及んでしまいました。
今日は改めて、第13次哨戒から検証します。
■ 第13次哨戒1945年3月9日〜4月29日
🇺🇸
13回目の哨戒で、「シルバーサイズ」は
「ハックルバック」(SS-295)、「スレッドフィン」(SS-410)
と共に九州沖を哨戒し、連携攻撃群の一員となった。
🇯🇵
3月9日
「シルバーサイズ」は13回目の哨戒で
「スレッドフィン」 (USS Threadfin, SS-410)、
「ハックルバック 」(USS Hackleback, SS-295) と
ウルフパックを構成し日本近海に向かった。
僚艦2隻とウルフパックを組んだということになります。
「シルバーサイズ」行動調書の13回哨戒プロローグは次の通り。
「シルバーサイズ」は1945年2月12日にミッドウェイで12回目哨戒を完了。
通常の改装は、USS「エーギル」(Aegir)と潜水艦部門241が担当した。
Aegirはeagreというスペルもあり、
「潮の流れが原因で起こる高波」という意味を持ちます。
「エーギル」なのか「イージア」なのか読み方はわかりませんが、
潜水艦テンダー、つまり潜水母艦です。
潜水母艦は、前進根拠地や泊地などにおいて潜水艦を接舷させ、
食料、燃料、魚雷その他物資の補給を行う役目を持ちます。
「イージア」(エーギルかも)がそうだったように、
補給だけでなく修理・整備能力を持つものもあります。
ミッドウェイでは本格的な設備がないので、
「エーギル」(イージア)と現地の部門で改装を行いました。
改装した部分は右舷サウンドヘッドの更新
SJAレーダートランスミッターを新しいユニットに変える
耐圧外殻を通す全ての回路に、
ドレインホールを備えた追加のジャンクションボックスを設置する
燃料バラストタンクベントバルブの上に
ワイヤースクリーンケージとデッキハッチを設置
前方燃料油充填接続の取り外し
JPソナーマウントの解放の防止
ダミーログとして使用するためのピットログへの変更
チューブ・ポペットバルブのトリップ機構にローラーを取り付け
艦内の排気管機ターミナルを撤去
一応翻訳してみましたが、なんのことかさっぱりです。
なんとなく雰囲気だけでもお伝えするために、書いておきました。
改装は二週間ほどで完成しています。
改装後、士官と乗員は艦に戻り、2月27日2月2日、
全ての装置、音響設備のテストを実施し、潜水、
演習魚雷6発を発射するなどの訓練を行いました。
次の士官は修理及び訓練期間中に離職しました。
CF・リー中佐(USN) 副長兼航海長
CC・エイデル予備大尉(USNR) 機関長
WJ・ツェウィンスキー少尉(USN) 砲雷長
次の士官はこの期間の乗艦が記録されます。
中佐 WC・ヴィックレーJr. (USN)
予備大尉 LLT・アレン(USNR)
少尉 LJR・ハモンド(USN)
面白いのは、転勤した機関長が予備大尉であり、
新しい機関長もまた同じ予備大尉であることです。
機関士官は、特により専門的な知識を必要とするため、
大学で工学などを専門に学んだ予備士官が充填されたのかもしれません。
🇯🇵
新しい機関長もまた同じ予備大尉であることです。
機関士官は、特により専門的な知識を必要とするため、
大学で工学などを専門に学んだ予備士官が充填されたのかもしれません。
🇯🇵
4月6日夜
潜水艦USS「スレッドフィン」が探知した、
戦艦「大和」以下の第一遊撃部隊(伊藤整一中将)を、
情報に基づいて捜索したが見つけられず、都井岬方面に引き返した。
通信を受けた時には大物の捕物に関われるチャンス!と盛り上がったのに、
結局空振りとなって、さぞがっかりしたことでしょう。
この部分、「シルバーサイズ」行動日誌からです。
0525 都井岬沖で日中哨戒のため潜水
0900 数隻の漁船を南西で視認
1028 正体不明の単発エンジン偵察爆撃機北方コース上空
1125 210−245に漁船数隻
1727ー1923 いくつかのはっきりした爆発音が東方から聞こえる、明瞭
1955 海面に浮上、コース艦首方向に設定
2130 「スレッドフィン」からの内容報告を受信、
敵の位置、進路、速度を表す内容
速度を最大に上げコースを変更
(略)
SJが正常に作用していないと確信する。
サンドスウィープのために遅くなる。コンタクトなし。
現在の機機動部隊は今夜浮上した地点、
ヴァン・ディーメン海峡方面に向かっている。
現在FOXのスケジュールで多くのコンタクトを取得しているが、
全ては時間が経過した情報なので、我々の手の及ばないところにある。
一部の報告は不明瞭なため、位置が特定できなかった。
こっちは一生懸命やりましたが、「スレッドフィン」の報告が不明瞭で、
そのため、機動部隊に近づくことはできませんでしたよと。
そう言いたいわけだな?
🇯🇵
潜水艦USS「スレッドフィン」が探知した、
戦艦「大和」以下の第一遊撃部隊(伊藤整一中将)を、
情報に基づいて捜索したが見つけられず、都井岬方面に引き返した。
通信を受けた時には大物の捕物に関われるチャンス!と盛り上がったのに、
結局空振りとなって、さぞがっかりしたことでしょう。
この部分、「シルバーサイズ」行動日誌からです。
0525 都井岬沖で日中哨戒のため潜水
0900 数隻の漁船を南西で視認
1028 正体不明の単発エンジン偵察爆撃機北方コース上空
1125 210−245に漁船数隻
1727ー1923 いくつかのはっきりした爆発音が東方から聞こえる、明瞭
1955 海面に浮上、コース艦首方向に設定
2130 「スレッドフィン」からの内容報告を受信、
敵の位置、進路、速度を表す内容
速度を最大に上げコースを変更
(略)
SJが正常に作用していないと確信する。
サンドスウィープのために遅くなる。コンタクトなし。
現在の機機動部隊は今夜浮上した地点、
ヴァン・ディーメン海峡方面に向かっている。
現在FOXのスケジュールで多くのコンタクトを取得しているが、
全ては時間が経過した情報なので、我々の手の及ばないところにある。
一部の報告は不明瞭なため、位置が特定できなかった。
こっちは一生懸命やりましたが、「スレッドフィン」の報告が不明瞭で、
そのため、機動部隊に近づくことはできませんでしたよと。
そう言いたいわけだな?
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4月11日深夜
北緯30度45分 東経131度57分の種子島近海で
特設監視艇「白鳥丸」(愛知県、269トン)に魚雷を3本発射したが回避され、
さらに4本発射し1本を命中させて撃沈。
「シルバーサイズ」の方では、この相手を
「ゴールポスト2つ、煙突ひとつの2,000トン小型貨物船」
ついでに
「タイプD ・シュガー・チャーリー・ラブ」
(Type D: Sugar Charlie Love)
と識別しています。
「シュガー・チャーリー・ラブ」ってなんですか?と思って調べたら、
戦争中アメリカが、日本の民間船につけていた認識名でした。
肝心のタイプDの船体の絵がありませんご容赦ください
「シルバーサイズ」日誌によると、
このシュガーチャーリーラブに2300に魚雷発射し、失敗。
翌日0012に2本目を発射、爆発音を聞き、内部で爆発したらしく、
すぐに沈没を始めたことが確認されたようです
北緯30度45分 東経131度57分の種子島近海で
特設監視艇「白鳥丸」(愛知県、269トン)に魚雷を3本発射したが回避され、
さらに4本発射し1本を命中させて撃沈。
「シルバーサイズ」の方では、この相手を
「ゴールポスト2つ、煙突ひとつの2,000トン小型貨物船」
ついでに
「タイプD ・シュガー・チャーリー・ラブ」
(Type D: Sugar Charlie Love)
と識別しています。
「シュガー・チャーリー・ラブ」ってなんですか?と思って調べたら、
戦争中アメリカが、日本の民間船につけていた認識名でした。
肝心のタイプDの船体の絵がありませんご容赦ください
「シルバーサイズ」日誌によると、
このシュガーチャーリーラブに2300に魚雷発射し、失敗。
翌日0012に2本目を発射、爆発音を聞き、内部で爆発したらしく、
すぐに沈没を始めたことが確認されたようです
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4月19日
北緯32度57分 東経145度03分の小笠原諸島海域で
特設監視艇「海龍丸」(大澤半兵衛、180トン)を砲撃により破壊した
4月19日
北緯32度57分 東経145度03分の小笠原諸島海域で
特設監視艇「海龍丸」(大澤半兵衛、180トン)を砲撃により破壊した
「海龍丸」についての撃沈記録は、
「シルバーサイズ」日誌によると以下の通り。
「艦首から4基の魚雷を発射。震度3フィート、
レーダーレンジとTBTベアリングを夜間水上攻撃にセット。
発射前のソリューションはTDCとプロットによって完全にチェックされた。
「シルバーサイズ」日誌によると以下の通り。
「艦首から4基の魚雷を発射。震度3フィート、
レーダーレンジとTBTベアリングを夜間水上攻撃にセット。
発射前のソリューションはTDCとプロットによって完全にチェックされた。
最初の魚雷、ヒット。
ターゲットは爆破されて沈没。
命中部分は船体中央部わずか後方の位置。
深度のために1.1節のスピード補正を使用した」
深度のために1.1節のスピード補正を使用した」
アメリカ側の記述によると、簡単に、
🇺🇸
この時も価値のある目標はほとんど見つからなかったが、
4月29日に真珠湾に戻る前に、大型貨物船に損傷を与え、
トロール船を沈めることに成功した。
撃沈させられた船が2隻もあるというのに、
「価値ある目標はほとんど見つからなかった」
とはご挨拶ですなあ。(嫌味)
■ 第14次哨戒 1945年5月30日〜7月30日
さて、名実ともにこれが「シルバーサイズ」最後の哨戒となりました。
ニコルズ艦長になってから、ほぼ同じ海域に3回出動し、
ほぼ同じ地域での哨戒となっていたわけですが、
第14次哨戒は、真珠湾からサイパン、紀伊水道と四国の下側を哨戒し、
そこからサイパンに戻ったところで終了しています。
その理由は、7月30日に第14次哨戒を終了し、
サイパンで次の哨戒の準備をしていたら、終戦になってしまったからです。
それでは、最後の2ヶ月、彼女はどのような活動を行ったのでしょうか。
この時期、日本はもうほぼ海運手段を破壊され尽くしており、
(そもそも聯合艦隊すら消滅していたという状態だったので)
潜水艦の哨戒任務は通商破壊ではなくなっていました。
むしろ、今後のことを考えたアメリカ首脳部によって、
民間船舶の攻撃は禁じられていた頃です。
そこで、哨戒と言いつつ、潜水艦は、本土空襲の支援で、
海上に撃墜されたパイロットの救出を行ったり、
機雷の処分といった補助作業に終始していました。
哨戒中「シルバーサイズ」が救出したパイロットは二人。
この時のことは、行動日誌に以下のように記されています。
7月22日
この時のことは、行動日誌に以下のように記されています。
7月22日
0430 USS「スキャバード・フィッシュ」の通信をキャッチ。
(『スキャバード・フィッシュ』はこの時7名のパイロットを救出している)
0544 ピート(ゼロ式観測機)を視認。
1030 ピート、『S(?)tono岬』近くの航空基地に着陸
1243 B-29数機、ムスタング戦闘機を視認する
1415 ボーイング戦闘機が激しく攻撃を受けているという通信を受ける
1418 パイロットが機体よりベイルアウトするのを視認。
その直後、機体は海にダイブしてクラッシュ。
パイロットの救出に落下地点に直ちに急行する。
イマージェンシー・スピード。
1434 パイロットを救出、
ジェームズ・E・〇〇NKIE中尉、
陸軍認識番号0-829861 、USAAF。
少々の外傷と打身の痕を除き、外見は問題なし。
救命ボートは壊れて沈んだとのこと。
(その後ライフガードステーションに搬送)
7月24日
1238 パイロットが沖ノ島近海で救助要請という通信を傍受
救出に向かう
1430 乗っていた飛行機はもう沈んでおり、
パイロットは海上で我々の救出を待っている状態と連絡あり
1435 V.●URTOH大尉、125053 USNRを救出。
USS「インディペンデンス」艦載機乗組。
健康上の問題なし。
パイロットの名前が悉く伏字になっていますが、
別に彼らの個人情報に配慮したというわけではありません。
この頃の日誌を清書した時のタイプライターのインクカートリッジが
切れかかっていて、インクが薄くて字がかすれて読めないのです。
パイロットの名前だけでなく、至る所文字を解読するのに苦労しました。
USS「インディペンデンス」艦載機乗組。
健康上の問題なし。
パイロットの名前が悉く伏字になっていますが、
別に彼らの個人情報に配慮したというわけではありません。
この頃の日誌を清書した時のタイプライターのインクカートリッジが
切れかかっていて、インクが薄くて字がかすれて読めないのです。
パイロットの名前だけでなく、至る所文字を解読するのに苦労しました。
いくら哨戒中でも、インクのカートリッジはちゃんと取り替えて欲しいです。
🇯🇵
🇯🇵
7月14日
北緯33度57分06秒 東経136度21分02秒の地点で
450トン級トロール船に対して魚雷を2本発射したが命中せず、
この哨戒唯一の攻撃は成功しなかった。
北緯33度57分06秒 東経136度21分02秒の地点で
450トン級トロール船に対して魚雷を2本発射したが命中せず、
この哨戒唯一の攻撃は成功しなかった。
このことは行動日誌にこう記されます。
攻撃タイプ:晴天、波穏やか、白波立たず。中位のうねり。
ターゲットは潜望鏡によって補足される。
ジグザグ航行はしていないが、前進全速で航行中。
魚雷を深度6フィートにセット。
ターゲット、魚雷発射に対して警報なし。
魚雷は普通にターゲットの下方を通過、
ターゲットは木造で選手と船尾が丸みを帯びており、
上部構造物の側面に191の文字が描かれているように見えた。
船は100度の曲線の外にあり、
ダイオウサキからミキサキ?までのコースで
高速で海岸線を下っていった。
再び接近して攻撃することは不可能であった。
トルネード管の故障は、インターロック・システムの
「発射準備」レバーを上げることができなかったために起こった。
このチューブの発射を試みた。
このため、次回の改装時に調査する予定である。
魚雷がうまく発射できなかったのは、
レバーを上げることができず、故障してしまったからです、
攻撃タイプ:晴天、波穏やか、白波立たず。中位のうねり。
ターゲットは潜望鏡によって補足される。
ジグザグ航行はしていないが、前進全速で航行中。
魚雷を深度6フィートにセット。
ターゲット、魚雷発射に対して警報なし。
魚雷は普通にターゲットの下方を通過、
ターゲットは木造で選手と船尾が丸みを帯びており、
上部構造物の側面に191の文字が描かれているように見えた。
船は100度の曲線の外にあり、
ダイオウサキからミキサキ?までのコースで
高速で海岸線を下っていった。
再び接近して攻撃することは不可能であった。
トルネード管の故障は、インターロック・システムの
「発射準備」レバーを上げることができなかったために起こった。
このチューブの発射を試みた。
このため、次回の改装時に調査する予定である。
魚雷がうまく発射できなかったのは、
レバーを上げることができず、故障してしまったからです、
という言い訳でよろしいか。
ともあれ、この哨戒唯一の失敗した魚雷発射が、
第二次世界大戦の強豪艦「シルバーサイズ」の最後の攻撃となりました。
■ PEACE!(終戦)
ところで冒頭のこの写真は、「シルバーサイズ」が
第14次哨戒を終えて、サイパンではなくグアムにいたとき、
日本が降伏するという知らせを受けてのち撮られた記念写真です。
終戦となって初めて撮られた写真というのに、
写っている人の誰一人、笑っていないのが不思議です。
ともあれ、この哨戒唯一の失敗した魚雷発射が、
第二次世界大戦の強豪艦「シルバーサイズ」の最後の攻撃となりました。
■ PEACE!(終戦)
ところで冒頭のこの写真は、「シルバーサイズ」が
第14次哨戒を終えて、サイパンではなくグアムにいたとき、
日本が降伏するという知らせを受けてのち撮られた記念写真です。
終戦となって初めて撮られた写真というのに、
写っている人の誰一人、笑っていないのが不思議です。
全員で戸惑っているんでしょうか。
まだ実感がないのか、それとも気が抜けたのか。
ピース!
14回目のパトロールを終えたわたしたちは、
グアムに創設された新しい潜水艦基地でのんびりしていました。
わたしたちの任務はそれまでと変わり、人命救助になっていました。
既に壊滅状態だった補給船の攻撃はむしろ禁じられることになり、
その代わりに、墜落した機体のパイロットを救出するのです。
今回の任務でも帰還までに二人を救出した「シルバーサイズ」は
15回目の紹介に向けて修理が行われていました。
乗員たちは誰もが、日本本土への上陸について話していました。
ヨーロッパで疲弊した連合軍の部隊は、
「最後の一押し」のために太平洋に送り込まれていました。
その時、広島が一発の閃光の元に消え去り、
数日後には長崎も同じ運命が訪れました。
日本はついに陥落し、わたしたちは家に帰ることになったのです。
そして、帰還の時の記念写真。
まだ実感がないのか、それとも気が抜けたのか。
ピース!
14回目のパトロールを終えたわたしたちは、
グアムに創設された新しい潜水艦基地でのんびりしていました。
わたしたちの任務はそれまでと変わり、人命救助になっていました。
既に壊滅状態だった補給船の攻撃はむしろ禁じられることになり、
その代わりに、墜落した機体のパイロットを救出するのです。
今回の任務でも帰還までに二人を救出した「シルバーサイズ」は
15回目の紹介に向けて修理が行われていました。
乗員たちは誰もが、日本本土への上陸について話していました。
ヨーロッパで疲弊した連合軍の部隊は、
「最後の一押し」のために太平洋に送り込まれていました。
その時、広島が一発の閃光の元に消え去り、
数日後には長崎も同じ運命が訪れました。
日本はついに陥落し、わたしたちは家に帰ることになったのです。
そして、帰還の時の記念写真。
「潜水艦勤務に伴う興味深い『副作用』のひとつ、
それは『髭コンテスト実施』でした」
そして、ニコルズ中佐の件で一度アップしたこの写真ですが、
その節は失礼しました。間違いでした。
これは哨戒前の壮行会の写真ではなく、このパネルによると、
「戦争が終わり、『シルバーサイズ』が退役することになったので、
その『デコミッショニング・パーティ』をした時のもの」
あったことがわかりました。
最後の方は老体に鞭打って働いていた感のある「シルバーサイズ」ですが、
戦争も終わったことなのでもうお役目ごめんとなったのです。
本来ならばスクラップになって次の軍艦に生まれ変わるところですが、
彼女は違いました。
「彼女が残した偉大な記録は、彼女を廃棄から救い、
訓練艦としてもう一働きするためにシカゴに曳航されていきました」
さて、次回ですが、ここでまとめの一つとして、
「シルバーサイズ」の評価と日本の潜水艦との比較を行います。
続く。
それは『髭コンテスト実施』でした」
そして、ニコルズ中佐の件で一度アップしたこの写真ですが、
その節は失礼しました。間違いでした。
これは哨戒前の壮行会の写真ではなく、このパネルによると、
「戦争が終わり、『シルバーサイズ』が退役することになったので、
その『デコミッショニング・パーティ』をした時のもの」
あったことがわかりました。
最後の方は老体に鞭打って働いていた感のある「シルバーサイズ」ですが、
戦争も終わったことなのでもうお役目ごめんとなったのです。
本来ならばスクラップになって次の軍艦に生まれ変わるところですが、
彼女は違いました。
「彼女が残した偉大な記録は、彼女を廃棄から救い、
訓練艦としてもう一働きするためにシカゴに曳航されていきました」
さて、次回ですが、ここでまとめの一つとして、
「シルバーサイズ」の評価と日本の潜水艦との比較を行います。
続く。
この時点で、もう航空部隊(飛行機)が大和部隊を食っちゃっているなとわかったので
>1955 海面に浮上、コース艦首方向に設定
となったと思います。
いつぞやの映画紹介で、沖縄戦を描いた映画が酷評でしたが、この「シルバーサイズ」でも、哨戒航行中、九割以上の時間はただ警戒監視をしていたはずです。なので、あの沖縄戦の映画をまだ見てはいないのですが、ブログを読む限り、なかなかの佳作なのではないかと思う次第です。
ウクライナ戦争は、実際に戦闘に参加している人達の気持ちがツイッター等のネットメディアにリアルタイムに流れる、初めて?の戦争だと思いますが、日本人の義勇兵(傭兵?)もいるようで、日本語の書き込みもあります。
「サバゲとは全然違う」と言いながら、至近弾をくらって、脳震盪で動けなくなった自撮りがあったりしますが、擱座したロシア軍の戦車におしっこしている犬の画像もあったりします。戦争は、映画みたいにカッコいいものではないですが、笑える写真を撮る余裕もあるんだなぁと思いました。
3月19日南方ルート最後の船団が資源満載でシンガポールを出港しました。
ヒ88丁船団と名付けれたこの船団南方にあった大小いろいろな船が集められ、参加船8隻にこれもかき集められた護衛艦8隻でした。
出港して間もなく仏印沿岸で米陸軍機B-24と米潜水艦に3月20日から29日攻撃され全滅しました。
また投下機雷で下関海峡だけでも4月16隻2万トンが沈没、9隻2万トンが損傷しました。沖縄敵上陸で日本本土と台湾間も放置されました。
6月には米潜3隻3組計9隻が機雷等で厳重警戒していた対馬海峡を突破、日本海に侵入され、17日間で27隻5万4千トンを撃沈され、宗谷海峡から脱出されました。なんとか七尾港沖でボーンフィッシュSS-223を6月18日撃沈出来たのみでした。
門司大連、門司青島間も敵機敵潜脅威で航路放棄され、物資輸送、資源輸送も途絶してしまいました。
参照原書房大井篤著「海上護衛参謀の回想」
鉱石運搬船K型5300総トン(120m、10kt)
油槽船TL型10000総トン(153m、15kt)、TM型5200総トン(120m、11.5kt)、TS型1010総トン(60m、10kt)とありました。
戦後日本の資料と突き合わせてある表と思います。
なお上記は第1次計画であり、建造に手間取り、商船損失に間に合わなくて、2次計画として略称の上に二を付けた二A型等呼ばれた、徹底的な簡易建造とされ1943年7月から実施されました。徹底した工程短縮、材料の節約、乗組員の居住性無視、腐食等耐用性無考慮、2重底等安全性廃止で建造されたので、航海器具不具合、各種機器作動不良、機関故障、水漏れ等トラブルが絶えることが無く、粗製乱造がひどく、戦後生き残っても改造で二重底設置、機関交換等を実施しなければ使える代物ではありませんでした。
乗組員は十分な護衛もなく、浮かんで物を積んで低速力で動くのがやっとという船で敵機、敵潜の危険な海を航海しなければならず、その苦労や努力に頭が下がります。それも彼らの命と共にほぼ泡と消えてしまいました。
参照光人社大内堅二著「輸送船入門」