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”この素晴らしき世界”〜平成28年度遠洋練習艦隊帰港

2016-11-20 | 自衛隊

平成28年度の遠洋練習航海は5月20日に横須賀を出港し、
11月4日に同じ横須賀に帰港しました。
帰国歓迎の式典については当初お声がかからなかったのですが、
ある事情のため、急遽”駆けつけお迎え”をすることになったのです。

その後、練習艦隊司令の航海報告会が水交会で行われ、
そちらにも参加してきましたので、そういった話を交えながら
この日のことをお話ししてみたいと思います。

その日の横須賀は真っ青な空が澄みわたる快晴日でした。
地方総監部の建物は海を表すブルーで彩られていますが、
ほとんどそれが空と同じ色に見えます。

中央の国旗が半旗になっているのにこの時気がついたのですが、
不敬にもわたしにはその意味がわかりませんでした。

「かしま」の前にはすでに多くの家族が訪れ、待ちわびていた
練習幹部や乗組員との半年ぶりの邂逅を果たしています。
 
練習艦隊の横須賀帰港はこの日ではなく前日であったようです。

なおわたしは家族ではないのでこんな風にのんびりと到着しましたが、
待ちかねた家族の方々は開門に列を作って並び、このときにはすでに
艦内を
幹部に連れられて見学し終わったころでした。

例年晴海埠頭での出港帰港だった練習艦隊ですが、
今回は何か事情があって(実は聞いたけど忘れた)横須賀になったとのことです。

晴海も練習艦隊入港時、岸壁には誰でも入れるわけではありませんが、
横須賀は地方総監部の敷地内となるので、さらに身分チェックは厳しいようです。
出迎えにくる関係者は前もって自衛隊に年齢、職業などを提出してあります。

入り口には各艦別にテーブルが並べられ、名簿と本人を照合して
(ただし身分証明書等の確認はなし)
手荷物検査を受けて、初めて岸壁まで行くことができます。

手前はプロのカメラマン。

向こう側には赤ちゃんを抱いた妻と一緒の海曹がいます。
赤ちゃんの月齢から見ると、もしかしたら半年前は出産したばかりか、
航海中に出産して、実際に会うのは初めてという可能性もあります。

一旦航海に出ると、しばらく帰ってこられないのが
海上自衛官の宿命とはいえ、若い父親が可愛い盛りの赤ちゃんの成長を
見守ることができないのだけは、本当になんとかならないのかと思います。

愛おしそうに我が子の頭を撫でている自衛官の様子をカメラに収める
カメラマンの背中越しに、わたしは勝手に胸を熱くしておりました。 

こちら皆と離れたところで語らう恋人たち。(多分)
若い二人にとって半年はあまりにも長い時間です。

艦をバックにお茶目ポーズをとる可愛いお母さん。

開式前には中央の来賓席だけが空いています。
この頃には幹部も乗員も、全員艦に戻ってしまっていました。

埠頭に「自衛隊の皆様、お疲れさまでした!」とかかれた横断幕が出されました。
防人と歩む会というのは、自衛隊のみならず海上保安庁、警察、消防等、
一身を擲って国民の為活躍して戴いている人々と共に歩みその応援をするために
啓蒙活動を行っている民間団体のようです。

出港行事と違って音楽隊による演奏はありません。
遠洋航海には音楽隊も乗り組んでおり、各地での行事に必要な
式典のための演奏を行うのはもちろん、艦上レセプションや、
あるいは寄港地での親善演奏会などに大活躍しましたが、
昨日の帰港の後音楽隊はお役が終わって現地解散となったのか、
この日は全員の歩調をとるためのドラム奏者一人が奮闘しました。

ドラムのリズムに合わせて、「かしま」から幹部が降りてきました。
先頭の7人(背の高い人の前)までは、訓練幹部の中の
グループリーダーという役目の者でしょうか。

「かしま」艦長かと思ったのですが、違うようです。 
首席幕僚の一佐でしょうか。 

ここで今回の遠洋練習航海の航程を図で見てみます。

日本を出港後ハワイを通過して西海岸(サンディエゴ)着。
パナマ運河を抜けて東海岸に到達した後、ヨーロッパ各地、
そしてジブチのあとはアフリカからフィリプン経由で帰国と、
まさに世界一周の大航海であったことがわかります。

航海日数の169日に対して停泊していたのはわずか54日。
3分の2はずっと航路にあったということになります。

遠洋航海は旧軍時代から新海軍士官に潮気をつけるための
大事な初級訓練として変わることなく行われてきました。

戦前の若者にとっては、当時は一般人にとっては夢のまた夢であった海外に
遠洋航海でいけるということが海軍を目指す大きな動機になったそうですが、
この行程を見る限り、今の若者にとって決してそれが目的にはなるまい、
というくらいハードな旅程です。

機会とその気があれば誰だって飛行機で楽にいけるところにわざわざ船、
しかも豪華客船などではなく軍艦で行きたいとは誰も思わないでしょう。

現代の若者にとって、遠洋航海とはやはり「訓練」以外の何物でもないのです。

しかもこれみてください。
わたしは岩崎司令の講話を聞くまで知らなかったのですが、
訓練航海の間には慰霊と訓練、そして

定期海技試験

中間試験

最終試験

という(幹部にとって)恐ろしいものが実地されていたのです。


この試験ですが、自衛隊というところは企業では考えられないくらい頻繁にあって、
幹部だとそれに常に良い成績を残し続けたものだけが1佐以上になれるそうです。


つまり、わたしが何人か存じ上げている自衛官幹部の「偉い人」って、
実はどれだけスーパー優秀だったのかと今更恐れ慄いてしまうのですが、
それはともかく、これらの試験を含む遠洋練習航海というのは、
彼らにとってその評価によって配置が決まる、すなわち
自衛官人生を方向付ける一里塚であるということなのかもしれません。

報告会ではこんな資料も出されました。
幹部に近海航海開始時、遠航開始時、最終の3回にわたって
面談による配属希望を聞いたものです。

艦艇希望は終わりに行くほど増えていますが、これは
各地に寄港することを楽しいと感じ、なおかつ各地で
親善訓練などを行ったり、防衛駐在官の存在に触れるなどして
艦艇職域の職域の活躍の幅が広いことを実感したため、
という理由によるものだと分析されています。

飛行、パイロット志望は、わたしが独自に行った幹部へのインタビューでも
非常に多いと感じたことがありますが、希望者が航海中に激減しているのは、
やはり「なりたいが、難しい」ということをどこかで実感するせいだとか。

操縦は諦めるが、飛行機が好きで関わっていたいという理由で
航空整備に切り替える人もいたらしいことが表から読み取れます。

さて、「かしま」から新任幹部たちが下艦してきました。
彼らが配属先を聞くのは帰国の少し前だそうです。
希望通りの配属であればいいですが、もちろんそうでない人もいるわけです。

岩崎司令は、このときのことを水交会での報告会でビデオを見ながら、

「彼らはこの直前に配属先を聞いています。
ですから、内心色々と思うところがあるに違いありません」

と説明していました。

その岩崎英俊英俊海将補が、家族席に敬礼をしながら通ります。
水交会でご挨拶させていただきましたが、報告ビデオを見せながら

「これは余興をしているところなんですが」

と、ご自身がサックスを吹いているのをさらっと説明していたのに
鋭く目していたわたしは、その機会に

「 さっきのビデオではサックス吹かれていたようですが・・・」

と尋ねてみました。

「寄港先の誰それ(偉い人)がクラリネットをするということがわかり、
わたしもサックスをするというと一緒にやることになったんです。
” What a wonderful world"という曲だったんですが・・・」

「ルイ・アームストロングの曲ですね。
演奏歴は長くていらっしゃるんですか」

「目黒の幹部学校の副校長をしていたことがあるんですが、
その時の校長だった海将が楽器をされる方でして」

「ええっ!?もしかしたらF元海将のことですか」

F海将に勧められて一から始めたのか、昔取った杵柄でまた始めたのか、
その辺りの話を聞きたかったのですが、何しろ周りから
ひっきりなしに挨拶に来られるので、聞けたのはこれが限度でした。


海軍時代から寄港地での親善行事は大変重要な「公務」でもあります。
今回の遠洋航海においても、慰霊、表敬訪問の他に
艦上レセプションや演奏会などが各寄港地で行われました。

んな場に欠かせないのが音楽です。
司令が報告会でも「音楽隊は大活躍してくれました」とおっしゃっていたように、

異国において音楽は何より言葉を超えた力強いメッセージともなります。

練習艦隊司令官本人が楽器を演奏できるだけでなく、しかも選曲が 

「この素晴らしき世界」

であったというのは、現地でどれほど日本のネイビーのイメージアップとなったでしょうか。

岩崎司令とともに家族席に挨拶する艦長三人。

「かしま」艦長中村譲介一佐、「あさぎり」寺岡寛幸二佐、
そして「せとゆき」の酒井憲二佐。

ちなみに「かしま」艦長の中村譲介一佐のお名前と顔に見覚えがあると思ったら、
去年わたしが観艦式の本番に乗ったときの「ちょうかい」の艦長でした。

着岸が終わった後デッキで写真を撮らせていただいたのですが、
観艦式の後すぐ「かしま」艦長に任命されていたようです。  

ここから帰国報告と式典が始まりました。
わたしはテントで立って見学させていただきました。
練習艦隊幹部の前に各艦の艦長と岩崎司令が立ちます。

武居海幕長に帰国報告を行う岩崎司令。

艦隊を率いて半年間で世界を回る遠洋航海の艦隊司令は
海軍時代から、船乗りならば一度はなってみたいと言われる配置でした。

海軍最初の練習艦隊はあの上村彦之丞を司令官として
明治36年にオーストラリアと東アジアを回りました。

以降、島村速雄、豊田副武、鈴木貫太郎、永野修身、野村吉三郎、
古賀峯一等、海軍史にその名を残す錚々たる軍人が、
練習艦隊司令官として名前を連ねています。


新任幹部にとってだけではなく、幹部にとっても、遠洋練習航海は
自衛官にとっての重要なステップと位置付けられているのではないでしょうか。


続く。




 



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