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バーキン片手に靖國神社

「そうりゅう」型潜航訓練装置〜潜水艦教育訓練隊

2018-04-09 | 自衛隊

 

呉から帰ってきてすぐに「せいりゅう」の入港式典に立ち会ったため、
そちらのご報告が先になりましたが、もう一度呉観桜会の日に戻ります。

観桜会の日、会場入りの前にてつくじで総監ドッグをいただいたわたしたち、
その前に潜水艦訓練基地、通称『潜訓』の見学を行いました。

 

ところで、アレイからすこじまに行けば、係留されている潜水艦を見ることができ、
ここも呉観光の一つのポイントになっているにも関わらず、
その道を隔てて向かいの潜水艦基地についてはあまり知られていない気がします。

潜水艦そのものが「秘密の塊」であることから、おそらくその訓練施設や基地は
まず一般には公開される機会も少ないのだろうと思っていたのですが、
今回その中の訓練施設を見学するという大変貴重な機会をいただいたわけです。

訓練施設については写真の許可を得ておりますので、ブログでの公開についても

「全く問題ない」

と現役自衛官から保証していただきましたので、安心して進めたいと思います。 

わたしたちを乗せた車が第一潜水隊群の門を入っていきますと、
駐車場の端に可愛らしい潜水艇が展示してありました。

潜水艇「ちひろ」です。

先日就役を見届けた潜水艦救難艦「ちよだ」が搭載しているDSRVとは、
何らかの理由で浮上できなくなった潜水艦の乗員を救助するために
潜水艦にドッキングさせ、乗り移らせて救助するものです。

この「ちひろ」はそれらの導入に先立ち、各種研究を行うための実験艦で、
昭和50年、川崎重工によって建造されました。

戦後、レスキューチャンバーという救難装置、つまり脱出カプセルというか
鐘のようなものを潜水艦のところまで降ろして人員を救う、という方法が
それまでの「潜水艦を丸ごと引き上げる」のに変わって編み出されました。

しかしこの方法は、脱出した時に潜水艦にいた人員は、どうしても
深海の圧力に晒されることになり、潜水病の危険は避けられません。

チャンバーは潜水救難艦からワイヤで降ろす方式ですが、その方法では
たとえば潜水艦が横になっていたり、チャンバーが海流で流されても
うまくハッチに接続することはできません。

そこで一歩進んで、自走する潜水艇で潜水艦のところまで行って、
ハッチに被せたスカートを通って脱出するという方法が考えられました。

それが深海救難艇、DSRV(Deep Submergence Rescue Vehicle)です。

「ちひろ」が技術研究本部に導入されてから10年後、DSRVを搭載した
最初の潜水艦救難母艦「ちよだ」が就役しました。

これが先日就役した潜水艦救難艦「ちよだ」の先代となります。

 

潜水艦救難艦の命名基準は「城の名前」です。
個々の潜水艦を城に仕える武士に見立てているようですね。

救難艦でもなんでもないので、この救難艇の実験艦には「ちよだ」「ちはや」、
どちらにも似た、(しかし城ではない)「ちひろ」という名が与えられました。

DSRVが就役を行うことによって、その役目を早々と終えた「ちひろ」ですが、
廃棄されずにここ第一潜水隊軍の敷地内に記念として残されているのは
彼女に対する深い感謝と敬意の表れに違いありません。

見学する「潜訓」の正式な名称は、

潜水艦教育訓練隊本部

といい、国内でここだけのサブマリナー養成機関です。
かつてニューロンドンにある潜水艦基地博物館見学記の一項で、

「グロトンがアメリカのサブマリナーのふるさとならば、
海上自衛隊のサブマリナーの故郷は呉である」

と書いたことがありますが、ニューロンドンの潜水学校のように、
日本の潜水艦乗りも、初級訓練で全員がここに学び、
節目節目でまた戻ってきて訓練を受けることになっています。

「つまり自衛隊の潜水艦乗りは全員ここの出身です」

伺ったところ、現在進行形で訓練を受けているのが全部で200名。
そのうち幹部が約20名といったところだそうです。

「昨今は以前より増える傾向にあります」

 

うーん・・・潜水艦は今、海国日本の最前線だからなあ。

海上自衛隊の潜水艦徽章はしゃちほこのような対の魚です。

潜水艦徽章といえば、ちょっとこれ見てくださいます?

先日扱った、「ダウン・ペリスコープ」(イン・ザ・ネイビー)という映画の
劇中、第二次大戦の生き残りのじーちゃんが、

「生きててよかったぜ!DBF!ディーゼルボート・フォーエバー)」

と叫んでいたことから調べて見たところ、在日米海軍に当時まだ存在していた
ディーゼル式潜水艦の乗組員が作ったこのDBFバッジのことがわかり、
そのストーリーについてはここでもお話させていただいたわけですが、
その後、検索していて
アメリカのミリタリーショップでこれを見つけました。

日本人(横須賀)の業者が作った割には人魚の顔とか雑すぎる気がしますが、
ともかく、これが下士官兵用のDBFバッジの本物です。

人魚の下の6個の穴は貫通しており、「原潜を助けた回数」だけ
星をつけることができるようになっていました。

このように、徽章というのは魚とかイルカ、人魚が必ず
向かい合うデザインが圧倒的に多いような気がします。

 

さて、閑話休題。
本日案内してくれる士官と一緒にこのエントランスを入っていきますと・・、

 

さすがは自衛隊、「愚直たれ」ほどインパクトはないものの、
各課程ごとに指導方針が標語となって書き記されております。

スマホの方のために書き出しておきますと、

幹部専修科潜水艦過程

一、幹部の視点で考え、積極先取の姿勢で臨め

二、幹部に必要な素養を高めよ

幹部専修科潜水艦戦術過程

自己の弱点を把握し克服せよ

第二九〇一期海曹士専修科 潜水艦武器システム過程

技能を磨け

第二九〇一期海曹士専修科 潜水艦救難艇操縦過程

努力を惜しむな

第二九〇一期海曹士専修科 潜水艦過程

一、潜水艦を知れ

二、同期を大切にせよ

三、心身を鍛えよ

 

「努力を惜しむな」とか「技能を磨け」とか、
当たり前のことしか言っとらんじゃないか、などというべからず。
標語というものは本来そういうものなのです。
それを心に刻み愚直に実践することに意味があるのです。

ここで特筆すべきは「潜水艦を知れ」。
出たよノウユアボート。

潜水艦といえばノウユアボート、ノウユアボートといえば潜水艦。
最初にして最後、いわば彼らの「心臓」となる言葉でもあります。

ほら、ここにもありますでしょ?
昭和44年に制定されて、一度たりとも変更されていません。

ということは、今現役のサブマリナーは全員この基本方針で鍛えられたってことね。

実はここの潜水艦基地は、戦前も潜水艦基地でした。
さらにその前はここに神社が祀ってあったということです。

「この階段は昔参道だったのをそのまま使っています」

階段の下左側に見えているのは昔手水に使われていました。

「はー・・・古いですねえ・・もしかしたらあれ防空壕跡ですか」

「防空壕だったところです。
地下には地下道が掘られていて、庁舎まで続いていたという話です」

 自然の崖の斜面を生かして壕を作っていったんですね。
奥の建物も終戦前のもののようです。
窓を取り替えたりしながら使い続けているんですね。

旧海軍時代もここは潜水艦基地で、桜の木が大木となって花を咲かせていました。

小説「海軍」では、主人公(真珠湾の軍神になった横山正治少佐がモデル)
の谷真人が、海軍を諦めて海軍画家となった親友の牟田口がここに案内し、
当時「6号艇神社」として飾ってあった(おそらく『ちはや』の場所)
佐久間勉艦長の殉難潜水艦を見学するシーンがあります。

第6潜水艇は終戦後進駐軍によって解体を命ぜられましたが、
その船体は桟橋となり、一部は密かに残されて、現在同敷地内の
潜水艦教育訓練隊資料室で保存されているということです。

終戦間際にあった呉の大空襲の際、ここは爆撃を受けませんでした。
進駐後、自分たちが使うことを想定していたからです。

念のために案内の自衛官に伺ってみると、今左手に見えている建物も
その時に攻撃一つ受けず、生き残って現在も使用されているものです。

わたしたちが案内されたのは「そうりゅう」型潜水艦の訓練装置棟でした。

真ん中のイラストが、訓練装置の全容です。
上部の構造物そのものが、操舵に忠実に動くようになっており、
潜水艦操縦におけるあらゆるシチュエーションを模擬体験することができます。

建物には靴を脱いで入ることになっていて、このシミュレーターには
ステップから乗り移ります。
まさにテーマパークのアトラクションに乗り込むような感じです。

 

「どうぞお座りください」

「えっ、座っていいんですか」

操舵席に座らせてもらいました。

「動かしても構いませんよ」

「わーい」

調子に乗って一気にぐいーーんと前にレバーを押してみました。
これが本当の『ボールズ・トゥ・ザ・ウォール』だ。
レバーのボールはちょっと小さいみたいだけどね。

しかし何も考えず、気持ちの赴くまま押していると、

「お・・おお?」

床があっという間にものすごい角度で傾き、立ってられないくらいの傾斜に。
わたしは座っていたので大丈夫でしたが、座席の下にサングラスが落ち、
ずずーいと前方に行ってしまいました。

「潜水艦で潜航するって、本当にこんな風なんですか」

「そうですよ」

何を当たり前のことを言うのか、と言う顔をされてしまいました。

何年か前モルジブで遊覧潜水艦に乗ったことはありますが、
こんな急速潜航をしたわけではないので(そらそうだ)
これがわたしの体験した初めての潜水艦の動きと言うことになります。

「うーん・・・なかなか気持ちの悪いものですね」

「潜水艦に最初に乗る前に、学生はここで潜水艦内部の動きを体験します」

 

TOにも操舵を変わってあげました。

このシミュレーターのパネルについても、現地で写真許可が出ていたのですが、
これを公開してもいいかどうか潜水艦関係者にこっそり伺ってみたところ、

まさかとは思いますが、深度計(安全潜航深度までの目盛りがついている
「深深度計」の方です。)にカバーがかかっていることを念のためご確認ください。

と返事をいただきました。

深深度計といわれましても・・・・・ここには写ってませんよね?

「そうりゅう型」シミュレーションとはいえ、例えば最新の「せいりゅう」などでは
もうこんな前時代的な機器は搭載されていないような気がするのですが。

「合戦準備盤」と言う言葉は物々しいですが、自衛隊では普通に「合戦」を
アメリカ軍の「バトル」と同じ意味で使っているようです。

「外から見たほうが、どんな動きをするかわかりやすいでしょう」

と言うことで、一旦退出してから、中に残った人がシミュレータを動かしてくれました。

スノーケルによる吸排気の配線?配管図も、現場に大きなパネルになっていました。
訓練者学習用です。

と言うところで「そうりゅう」型の訓練室の見学を終え、資料室に向かうことに。
途中には「おやしお」型潜航訓練講堂がありました。

ここにも今のようなシミュレータがあるのだということです。
潜水艦の訓練を受ける者は、

「すべからくどちらの型の潜水艦をも知るべし(ノウユアボート)」

と言うことで、両方の潜水艦に関する基礎を当分に叩き込まれます。

海上自衛隊初の潜水艦、それはアメリカから貸与されたガトー級「ミンゴ」でした。
「くろしお」と名付けられたその潜水艦を、海軍潜水隊出身の自衛官たちが
アメリカから持って帰ってきた、という話はここでもしたことがあります。

その「初代くろしお型」のために設置された潜航訓練装置です。

かつてはここに備え付けられて、くろしお型に乗組む潜水艦員たちが
訓練を行ったものですが、戦後初の国産潜水艦「おやしお」が就役した時、
その役目を終えて、撤去されたものと思われます。

 

さて、わたしたちはこの後、ここでサブマリナーとして訓練を行う自衛官たちが
精神的な心構えを学ぶための大切な施設、資料館を見せてもらうことになりました。


続く。





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3 Comments

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みなさま (エリス中尉)
2018-04-11 15:26:01
unknownさん
unknownさんのような方はおそらく系統図をしっかり見られるだろうと思ってました。
わたしはとりあえず全部の部分の名前を確かめて「はえー」で終わりです(笑)

この間ご紹介した映画でも、バラオ級潜水艦のヘルムスマンは
バスケットボールの選手と彼のチームに賭けて負けたギャンブラーがコンビでした。
最後の「くろしお」、つまりガトー級ミンゴの操舵も同じように舵輪?が二つあります。

そうりゅう型は、右と左のジョイスティックがこれまでの「二人分」を行うことが
できるようになったということになるんでしょうか。

鉄火お嬢さん
おそらく設定すれば海底に鎮座する際に行う操作なども
シミュレートできるんだと思いますが、とりあえず相手が素人なので、
電源を入れてただ動かせるだけだったのではないかと思います。

スティックを押し続けると衝撃音が出て画面が「 GAME OVER」に変わる、
というような仕組みではないので自分がどうなっているかは前のモニターから
淡々と読み取るしかないのですが、おそらくこの時の航跡だけを辿れば
海の中をふらふらしているだけだったはずです。

岩国でわたしもホーネットのパイロットが訓練を行うシミュレータに乗りましたが、
横であれこれ指示す海兵隊パイロットの英語を頭で翻訳しながら操作していたら、
案の定あっという間に殉職しました
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まさかこんな(笑) (鉄火お嬢)
2018-04-09 16:02:43
航空機のは知ってますが、潜水艦のシュミレーターがあるとは!!浜松のエアパークには戦闘機のを簡易なゲームにしたようなのがありますが、上級になるとかなり難しくなり、いきなりそれにチャレンジした私は、3回は勝手に墜ちました(笑)エリス中尉の潜水艦は海底に激突したりしませんでしたかww
返信する
SNK (Unknown)
2018-04-09 06:22:38
以前「SNK」って何だろうと思っていましたが、系統図を見てわかりました。スノーケルのことなんですね。

シミュレータの写真を見て「スノーケルやるんだ」と驚きましたが、系統図を見るとAIPで主機を動かす系統とスノーケルで直接ディーゼル主機を動かす系統があるんですね。とは言え、蓄電池の充電は出来なさそうなので、蓄電池(小型のリチウムイオン電池)が復活するのでしょう。

発令所の操舵系統を見ると、ジョイスティックが二本に席が一つしかないので、そうりゅう型からは操舵員は一人なんですね。フムフム。続編期待しております。
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