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アメリカの"レジェンド"〜エンパイアステート航空科学博物館

2020-03-31 | 航空機

ESAM、ニューヨーク州の北部にある小さな空港、
スケネクタディ空港に併設された航空科学博物館の
外庭に展示されている軍用機をご紹介しています。

グラマン S-2トラッカー(Tracker)

現地にある説明を読んで一番驚いたことが、
このトラッカーを導入したことのある国のなかに
我がじゃぱ〜んが入っていたことでございます。

そうなんだっけ、と日本での運用の歴史を見てみると、
日本では「あおたか」と呼ばれていたあれですってね。

それならわたしは鹿屋で実物を見たことがあるんだったわ。
全くアメリカで見ているのと結びつかなかったけど。

S-2は海上自衛隊に米海軍から軍事無償援により60機、
昭和32年から供与されていたそうです。

その前に海自は訓練を受けるための派遣隊を編成し、
対潜空母「プリンストン (CV-37)」で発着艦とや整備作業の研修を行い、
到着したノースアイランド海軍航空基地において訓練を受けています。

受領した航空機はアラメダから最終的に鹿屋航空基地に届き、
まず鹿屋基地に航空隊が編成されました。 

米国に派遣されたパイロットには、空母への離着艦の訓練も行われました。
これは、艦載機の訓練のマニュアル上そうなっているから、
アメリカ海軍としてもその通りに実施しただけだと思われますが、
このため、海自の中の人たちは

「S-2と一緒に空母が供与されるかも?」(((o(*゚▽゚*)o))ワクワク

と期待半分で噂していたそうです。
今にして思えばありえない話だったんですけどね。

というかいくらなんでも空母をおまけにくれるほど
アメリカさんだって気前良くないだろうて。

このトラッカー、アメリカではあちこちで見てきましたが、
いつ見てもこの翼の畳み方が無理やりだなあと感じます。
もう少し翼がなんとかきれいにたためなかったんですかね。

歴史的なS-2トラッカーの位置付けとしては、これが
最初に生まれた対潜戦の機能を持つ軍用機だったということです。

トラッカー以前の「ハンターキラー」=対潜水艦掃討作戦といえば、
それはグラマンの「ガーディアン」とか「アベンジャー」の役でした。

トラッカーは冷戦における対ソ連潜水艦戦のアイコンとなったのです。

そのためにソノブイと捜索のためのブーム、サーチライトを持っており、
サーチアンドデストロイ のための魚雷と爆、ミサイルを搭載していました。

その中には時節柄原子力のものも含みます。

ロッキードがジェット機S-3「バイキング」を開発後、
置き換えられて引退していきましたが、2008年になって
カリフォルニアで大規模な火災が発生した時、なんと
まだ動ける何機かのトラッカーが、老骨に鞭打って800ガロンの水と
化学消化剤を運ぶという活躍をしています。

ここにあるトラッカーを横から撮ってみて気がつきました。
「イントレピッド」と書いてあります。

 

この機体は最後の頃練習機になっていたそうですが、
ニューヨークの博物館「イントレピッド」に展示されるために
名前が入っているのだそうです。
おそらくイントレピッド航空博物館から借りているのでしょう。

ダグラス A-4 スカイホーク(Skyhawk)

皆さんは「brainchild」という英語表現をご存知ですか。

頭脳の子供=人の頭から生み出されたもの

という言い回しで、新機軸だったり新発明だったり、
とにかく頭抜けた才能の持ち主によって生み出された、
というものをあらわす時にこの言葉が使われます。

This variation of rice omelet was the brainchild of
Juzo ITAMI and was developed by Taimeiken,
the old establishment of yoshokuya
(restaurants serving Western food) in Nihonbashi, Tokyo.

などという文章に使われたりする言葉ですね。
(しかしあの、ナイフでカットして卵を広げるオムライスが
伊丹十三のアイデアだったとはしらなんだ)

とにかく、何が言いたかったかというと、このスカイホークは
鬼才エド・ハイネマンの「ブレインチャイルド」といわれていた、
ということです。

いうまでもなくハイネマンはアメリカの航空デザインの世界で
最も有名で最も成功した設計者でした。

「スクーター」というあだ名もあったというこのA-4は、
種別記号はAでありながら、爆撃機よりも戦闘機に似ています。

おそらくこの小さな入れ物に、これだけ盛り沢山に
機能を詰め込んだ攻撃機はかつて存在しなかったでしょう。

まずその堅牢な構造により、戦闘ダメージを吸収する能力。
これはまさにレジェンド級といわれました。

A-4のオペレーションは1956年に開始され、生産は
1979年まで、生産台数は約3,000機、派生型は
17種類に及び、アメリカ海軍、海兵隊、そして
いくつかの外国海軍に配備されました。

もっとも活躍したのがベトナム戦争時代です。

戦争中は全天候型機として飛び、海軍が1970年になって
レンジが大きく、より重量の爆弾をロードでき、さらに
洗練されたアビオニクスを搭載したA-7コルセアに
次第に置き換えて行ったのですが、特に海兵隊は最後まで
この「スクーター」を気に入ってギリギリまで使い続け、
そんなこんなで一番最後のA-4が引退したのは2003年でした。

A-3は亜音速で、最高速度670 mphを達成することができましたが、
爆弾を搭載し、低空で密な待機状態で飛行している場合、
まるで止まっているかのように見えました。

典型的な搭載武器は5000発の爆弾で、あとは内蔵された
2基の20 mm砲と、1つか2つの外部燃料タンクがありました。

ESAMにあるスカイホークは、海軍所有だったもので、
ベトナム戦争時にはUSS「ハンコック」の艦載機でした。

最後の配置はバージニア州の海軍基地で、
アグレッサー(敵の役)をしていたのだそうです。

A-4は非常に駆動性に優れた機体であるため、
ブルーエンジェルスに採用されていたことがありますし、
F-14戦闘機は空戦の技術を軽快なスカイホークに学びました。

ノースアメリカン RAー5C ビジランティ(Vigilante)

「ミッドウェイ」のハンガーデッキ展示でも見ることができるので、
このビジランティについては以前もお話ししたことがあります。

1958年に初飛行を行った、当時の戦略爆撃機で、最初は
核爆弾を積んで飛び回っていた、というあれですね。

当時ヴィジランティは超先進的な技術をこれでもかと取り入れた
イノヴェーティブな近未来の代名詞のような存在でした。

揚力コントロール機能として、たとえばエルロンの代わりに
ウィングスポイラーを搭載するとか、ヒンジ付きの方向舵の代わりに
一体成型の垂直尾翼が使用されているとか言った具合です。

「ミッドウェイ」艦上で実際に見た時も、その平べったく
うっすーい機体はただものでないといったたたずまいでしたが、
高度なパフォーマンス能力を持つその滑らかでかつ壮大な機体。
ヴィジランティは、空母艦載機として史上最大の大きさでした。

しかし、こうやって真正面から見ると後退翼のせいで
いうほど大きく見えません。

動力はGEのJ-79を搭載し、トップスピードはマッハ2.1です。

1963年のことです。

アメリカ海軍は突然航空機での核爆弾の運用を取りやめました。
このことによって、その日から

A-5は仕事がなくなってしまいました。

しかし捨てる神あれば拾う神あり、折しも当時
ベトナム戦争が激化していたため、戦況に必要とされていたのが
空母艦載型のハイパフォーマンス型偵察機です。

結果として、すでに配備されていたA-5と、48機の
新しく作っられたばかりのA-5は、急遽偵察機使用に改装され、
その名前もRA-5Cと変えました。

可変的なスピード、そして長い航続距離、最先端のレーダー。
もともと持っていたこれらの強みが、RA-5Cを
偵察機として比類のない存在に変えたのです。

いやー、こういうのを「至る処青山あり」というんでしょうか。
ちょっと違うかな。

爆弾を搭載するためにあった胴体下のカヌーと呼ばれるポッドには
横向き空中レーダー(SLAR)、赤外線センサー、そして
カメラが搭載されることになりました。

写真は「カヌー」の一部、カメラ搭載部分だったところ。

 

これはカヌーの下に潜り込んで後脚を撮ったもの。
なぜこんなところにベンチがある(笑)

ベトナム戦争の間、RA-5Cは、爆弾の効果を評価するミッションを
行っていましたが、 そのうち対空防御が専門になりました。

生産された130機のビジランティのうち18機は
全てそのときの任務遂行中に喪失しています。

ESAMの偵察型RA-5Cは海軍の偵察部隊第5偵察隊のもので、
USS「レンジャー」艦載部隊としてトンキン湾の
「ヤンキーステーション」にいたことがあります。

その後退役して「イントレピッド」航空博物館が所蔵していました。

リパブリック F-105G サンダーチーフ(Thunderchief)

「サンダー」(雷)の「チーフ」なので、雷の親玉。
そんな名前がついたサンダーチーフ先輩。

アメリカ人の作成した説明は、どうもなんでもかんでも
「レジェンド」にしてしまう傾向があるわけですが、
このサンダーチーフパイセンも、

「ベトナム戦争の最も伝説的(レジェンダリー)な飛行機」

と高らかに称賛されております。

ここにあるサンダーチーフは滑らかな機体にシャークマウスの
マーキングを施された印象的な一つの見本です。

 

アメリカ空軍が運用していた単発エンジンの軍用機の中で
最も大きな機体をもち、また最もパワフルでした。

小さな翼のエリアに強力プラットアンドホイットニーJ-75
ターボジェットエンジンを内蔵し、低空でのミッションにも
最適化されただけでなく、会場でマッハ1、
3万フィート上空ではマッハ2を出すことができました。

F-105 は1958年に運用が開始され、わずか6年後の
1964年には800機を製造し空軍に配備して生産終了します。

機種指定としては「F」がついていますが、デザインは
どちらかというと爆撃機よりで、特に原子力ミサイルを搭載し、
対ソ戦略でヨーロッパの基地から音速で飛ぶことを目的としていました。

ベトナム戦争が起こると、それらは急いで従来の爆弾を
搭載できるようにモディファイされ、タイの基地に配備されました。

F-105は北ベトナムにおいて非常に危険なミッションの
ほとんど矢面に立っていたため、生産された400機のうち
およそ半数が戦没しています。

ESAMのF-105は1964年に空軍に配備され、長い間
その任務を全うしていたラッキーな機体の一つです。

ベトナム戦争の時には第355戦闘機群の一員として
嘉手納基地をベースに飛び、戦争が終わってからは
ジョージア州のエアーナショナルガードに所属していました。

 

 

続きます。

 

 



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2 Comments

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Wild Weasel (Unknown)
2020-04-01 06:10:08
海上自衛隊は自衛隊となる以前の警備隊の時代から、何度か航空母艦を要求していますが、認められることはありませんでした。S-2Fの導入は自衛隊となってから初めての試みの時代(昭和30年代半ば)のことで、20数年、飛びました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E4%B8%8A%E8%87%AA%E8%A1%9B%E9%9A%8A%E3%81%AE%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%AF%8D%E8%89%A6%E5%BB%BA%E9%80%A0%E6%A7%8B%E6%83%B3

タレントの哀川翔さんのお父さんはS-2Fの搭乗員で、事故で殉職されています。お母さんが出産直前で、お父さんのお通夜、葬儀には当時小学生だった哀川翔さんだけが参列したそうです。私が入隊した頃にはすでにS-2Fは退役していましたが、先輩の中には、その姿を見たこともある方がいました。

海上自衛隊では、S-2Fは第三航空群所属でした。現在、第一、第二、第四、第五航空群がP-3CあるいはP-1固定翼哨戒機部隊ですが、第三航空群はS-2F退役以来欠番のままです。もしかしたら、いつの日にかの固定翼艦載機部隊のために取ってある?のかもしれません。

RA-5(A-5)は非常に大きいですが、設計段階でNorth Americanはちょうど今の戦闘機のように、垂直尾翼を二枚にすることを提案したそうです。垂直尾翼は機体の大きさに沿った面積が必要で、一枚なら大きくする必要がありますが、二枚なら小さ目でもよく、空母に格納することを考えると、高さに制限があるので、二枚という提案になったそうですが、海軍は異形ということで認めず、一枚で大型にしたそうです。そのため、案の定、そのままでは空母に格納出来ず、垂直尾翼が折れるようになっています。

F-5ですが、展示機はF-5Gで世界初のWild Weasel機という意味合いでレジェンドなのだと思います。

ベトナム戦争当時、ベトナム軍には強力な空軍力はなかったため、米軍の航空兵力の任務は主として陸上部隊に対する近接航空支援や爆撃でした。そのため、ベトナムはソ連の支援を得て、最新鋭の地対空ミサイルを導入し、低空侵入には機銃、高高度侵入には地対空ミサイルという防空網を築きましたが、これは非常に効果的で、米軍はかなりの損害を受けました。

この防空網への対抗策として考えられたSEAD戦術(Suppression to Enemy Air Defense:敵防空網制圧)で、それを実現した世界初の機体がF-5Gです。

地対空ミサイルは警戒管制レーダーで侵入する敵機を探知し、近接する場合にはミサイル照準用のイルミネータに目標を引き継ぎますが、このイルミネータを妨害あるいは停止させれば、地対空ミサイルは発射出来ません。そのため、大型のF-5Gの機内のあらゆる場所に敵のレーダー波を受信するためのアンテナを張り巡らせ、敵のレーダーの位置を正確に割り出し、妨害を掛け、ダメ押しにARM(Anti Radiation Missile:対ふく射ミサイル)という、イルミネータにホーミングするミサイルを発射します。

ARMを撃たれたら、イルミネータを停止しない限り、ミサイルが飛んで来るので、防御側としては沈黙せざるを得ません。こうして時間を稼いで、Wild Weasel機が敵の防空網を制圧している間にIron Handと呼ばれる爆撃隊が攻撃します。

海軍ではEA-6B Prowlerが同じことをしますが、この飛行機に乗っていた知人がいました。パイロットではなく、ナビゲータで、目標に近付くまでは低空飛行で敵の探知を避けるので、谷間とか高圧電線の下を潜り抜けるような飛び方をするそうです。

パイロットはかなりの緊張を強いられますが、ナビゲータは怖いだけでやることがなく、怖くて怖くてたまらないので、パイロットに「なんとかならないか」と聞いたら「死ぬ。死ぬ」(I’m gonna die!)と叫んどけと言われたそうです。ずっと叫んでたら、怖さは飛んだと言ってました。
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A-4 (お節介船屋)
2020-04-01 10:43:30
小型、軽量、取り扱い容易、ローコストで成功し、1954年から1979年まで2960機(555機複座練習機)が生産されました。
小型ゆえ折り畳み機構不要、高強度の左右一体構造のデルタ翼で兵装搭載量に優れていました。

アメリカ以外のアルゼンチン、オーストラリア、ニュージランド、シンガポール、マレーシア、インドネシア、イスラエル、クウェート、ブラジルで使用されました。

アルゼンチンはフォークランド紛争で使用、空母「ベインテシンコ・デ・マヨ」の搭載機もありましたが重巡が英潜水艦に撃沈され、帰港してしまい、空軍のA-4が撃墜もされましたが、英駆逐艦「コベントリー}を撃沈しました。

イスラエルは米海軍、海兵隊の中古機を含め360機以上を運用し中東戦争で大活躍させ、2015年まで使用しました。核爆弾も搭載しているとの噂や小説にもなった事がありました。

ブラジルはクウェートから中古機購入し、空母「ミナス・ジェライス」(旧英空母ヴェンジャンス)の後身、2001年除籍)、空母「サンパウロ」(仏空母フォッシュの後身、2017年除籍)の艦載機で使用しました。この搭載機は2010年代「オーバーホールやイスラエルの最新レーダーやコンピューター、大型ディスプレーに換装をし、2025年まで使用する」としていましたので2017年空母が除籍されましたが陸上でまだ使用しているものと思われます。
長長寿命ですね。
全幅8.4m、全長12.3m、重量11,113㎏、推力3,856キロ、速力1,080㎞/h、兵装20㎜機銃2基、爆弾等搭載量4.2t、乗員1名
参照せきれい社「世界航空機年鑑」、海人社「世界の艦船」No685
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