ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

海賊対処行動水上部隊「いかづち」への功労章授与

2019-02-18 | 自衛隊

無事に「いかづち」が第31回海賊対処行動を終えて帰国しました。
我々は乗員家族とともに「いかづち」を横須賀に迎え、
彼らに功労賞を授与する帰国式典に立ち会うことになりました。

天気が良ければ帰国行事はいつもの逸見岸壁だったかもしれませんが、
流石に氷雨まで降ってきてしまっては、実施場所を屋内にせざるを得ず。

まあ、お天気が良かったとしても厳寒期の埠頭にずっと立っているのは
一般人にはなかなか辛いものがあったと思われるので、
この変更は歓迎すべきことだったといえましょう。

おかげで横須賀地方総監部の体育館に初めて入れたし。

他の家族が入場してくる前にわたしは体育館に到着しましたが、
写真を撮るため、パイプ椅子には最初から座らず立っていました。

儀仗隊がすでに整列をしており、横須賀音楽隊が待ち時間の間
「宇宙戦艦ヤマト」などマーチを中心に演奏を行なっています。

二階通路の手すりには

「いかづち おつかれさまでした」

というシンプルなバナーが掲げられました。

「おとうさん おかえりなさい \(^▽^)/」

AAはおそらくこれ\(^o^)/が原型だと思うのですが、
これ\(^o^)/は実は 、オワタ\(^o^)/という意味のAAであるため、
ちょっとアレンジしたのではないかと思われます。

ところで、「おとうさん」・・・・・とは?
もしかしたら「いかづち」には「おかあさん」はいないってことですか。
そういえば東一佐以外の女性自衛官を一人も見なかったなあ。

もしかしたら、海賊対処行動の遠征には女性の隊員は参加しないのでしょうか。

来賓席には早くから海上保安庁の偉い人たちの姿が。
わかりにくいですが、向こうから一等海上保安官(甲)
一等海上保安官(乙)、海自でいうと海将と海将補、
管区本部長や次長クラスの人が三名来ているようです。

そこへやってきて挨自衛艦隊司令がやってきて海保代表と挨拶を交わしました。
その向こうは横須賀地方総監、椅子から立ち上がっているのは
アメリカ第7艦隊の中佐です。

程なく「いかづち」乗員が入場してきました。

本来ならラッタルを「軍艦」の調べに乗って降りてくるはずで、
その写真が撮れなかったのは少し残念でした。

「軍艦」の調べに乗って乗員代表と司令官、艦長、そして
海上保安官全員が整列します。

手前の赤さんにそっくりな自衛官も、もしかしたらこの中にいるかもしれません。

日本の海軍史で初めて、派遣部隊を率いた女性司令官、東一佐。
そして「いかづち」艦長櫻井敦二等海佐。

海保職員は四名ずつ2列で整列しています。

海保の最先任は、「いかづち」艦長の二等海佐のカウンターとなる
三等海上保安官監であろうと思われます。

防衛副大臣が入場してくるというアナウンスがありました。
保安官を含む全員が大臣の入場してくる入り口を見ていますが、
自衛官とアメリカ海軍軍人は一切頭を動かさず、正面を向いたまま。

こういうところにも「軍人」と一般人との意識の違いが出ますね。

原田防衛副大臣は絵に描いたような「政治家」タイプですが、
その政策を見る限り

憲法改正に賛成
村山談話・河野談話を見直すべき
女性宮家の創設に反対
選択的夫婦別姓制度の導入に反対

防衛族としては個人的に「ヨシ!」(by 現場猫)と思われる政治家です。
所属団体は

神道政治連盟国会議員懇談会
みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会
自民党動物愛護管理推進議員連盟
国際観光産業振興議員連盟

など。(最後はちょっと微妙)

音楽隊の演奏する「栄誉礼冠譜および祖国」に続き、
「巡閲の譜」の調べの中巡閲を行う防衛副大臣。

儀仗隊長が捧げ銃で終了の合図。

どなたか来賓席の(おそらく)政治家とご挨拶。

続いて、防衛副大臣に司令官より任務終了の報告がされ、
大臣の挨拶、続いて表彰が行われました。

まず、内閣総理大臣より授与される特別賞状。

海賊対処行動のみならず、インド海軍をはじめとする
各国海軍との共同訓練によって、各国との防衛協力を強化した、
ということも賞状には記されています。

受け取ったあとには、防衛大臣、司令官が共にそれを持ち、
写真撮影が行われるので、東良子司令個人に授与された
賞詞の内容もこのように写真に撮ることができました。

「右の者は 派遣海賊対処行動水上部隊指揮官として卓越した
指揮・統率力を持って職務を遂行し 国際社会の取り組みである
海賊行為の抑止に大いに寄与すると共に 各国指揮官等の信頼関係を醸成し
ソマリア沖・アデン湾の平和と安定に寄与し持って
自衛隊に対する国内外の理解と信頼を深めた
これは事故の職責をよく自覚し 旺盛な世紀任官と不断の努力をもって
職務に邁進した賜物であり 推賞に値する顕著な功績である
よってここに第一級防衛功労章を添えて表彰する」

授与者は岩屋防衛大臣となっています。

続いて来賓の紹介が行われました。
紹介されると皆一言ずつ簡単な挨拶を述べます。
海上保安庁の偉い人。

これをもって「いかづち」の帰国行事は終了。
退場前に、防衛副大臣は隊員家族の前に来て、労いと感謝の言葉をかけました。

賞状と盾は、いったんテーブルに安置され、誰でも見ることができます。

こちらが派遣部隊に対する賞状。

これによると、水上派遣部隊が現地に到着したのは9月5日。
それから今年の1月4日に至るまで、そこで任務に就いていたことになります。

ソマリア沖・アデン湾における海賊対処行為に関する業務の遂行
派遣海賊対処行動水上部隊(第31次)

 

「いかづち」の後は、第32次派遣隊として、12月2日に呉地方総監部から
護衛艦「さみだれ」 が現地に向かっており、1月5日には現地で
交代を行なって現在任務を行なっているということです。

ちなみに、第30次の「あけぼの」はDD-108、「いかづち」は107、
現在の「さみだれ」がDD-106、ということは、その次の第32次派遣は
DD-105の「いなづま」になるんでしょうか。

帰国式典が終了し、「いなづま」乗員に対する個別表彰式が始まりました。
周りを家族に囲まれての功労章表彰となります。

賞状を授与するのは自衛艦隊司令山下海将補です。

表彰は続いていましたが、わたしたちは体育館をあとにすることにしました。

館内にさりげなく置いてある南極の石。
これいつかどこかで見たことがあったなあ。

マジンガーZのアニメが1年前公開されましたが、その便乗ポスター。
前にもサンダーバードとコラボしたポスターを見たことがあります。

体育館からは「いかづち」の係留されている桟橋がよく見えます。
雨のおかげでこんな角度からの横須賀港を見ることができました。

突堤にも「いかづち」にも人影は全くありません。

何を待っているのか、三名のレインコートを着た自衛官の姿あり。

同じ吉倉桟橋の枝分かれした先に「むらさめ」がいました。
そういえば、前回の観艦式でこの岸壁(今『いかづち』がいるところ)から
先導艦だった「むらさめ」に乗ったことを思い出します。

海賊対処行動には第5次、第11次、第21次と参加しています。
2015年の第21次派遣では今回の「いかづち」と共に行動しました。

変わった形の船を見つけました。

水中処分母船といい、水中処分員の作業を支援する船です。
処分員の乗るボートを搭載しているほか、船内には減圧症に対応する
チェンバーや洗身・洗浄区画、乾燥区画を備えているそうです。

YOの「O」はオイルのO、ということで2隻とも油ぶねと言われる
艦艇用燃料補給船です。

ちなみに支援船には必ず「Y」がつきますが、これは「yard」、つまり作業を意味します。
YDTは yard diving tenders で、tenders の意味は「補給船」ですね。

そのまま歩いて駅前で連れと別れてから、わたしは一人で
メルキュールのレストランに飛び込み、冷え切った体に燃料補給を行いました。

窓の下には先ほどまでいた横須賀地方隊と「いかづち」の姿が見えています。

 

迂闊なことですが、わたしは先日の東京音楽隊定期演奏会で司会が言っていた、

「今こうしているこの瞬間にも、わたしたちのために
世界のどこかで任務に就いてくれている自衛官たち」

の中に、かように継ぎ目なく派遣されているソマリア沖・アデン湾への
海賊対処行動部隊が含まれることを、この日実際に帰国した部隊を
横須賀に迎えるまで、強く意識したことはありませんでした。


半年もの間国を離れる遠征任務、これに、転勤などによって、
幾度も参加しているような自衛官もいるかもしれません。

帰国式典会場で見かけた赤ちゃんの父親がそうであったように、
可愛い盛りの我が子の成長を半年間も見ることがなかった自衛官も数多くいたことでしょう。

そういった自衛官個人の生活に思いを馳せる時、その家族たちに対してもまた、
隊員に対するのと同じくらい、深い
感謝と尊敬の気持ちを抱かずにいられません。

皆さん、お帰りなさい。そしてお疲れ様でした。

 

 


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6 Comments

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YO,YW (お節介船屋)
2019-02-18 14:57:16
YO35、36
油船35、36号
平成7年と9年就役、長崎の前畑造船鉄工で建造 各地方に数隻ずつ配備され燃料を艦艇に補給したり、艦艇修理時には修理地回航前に回収したりしています。
同じ油船との名称ですがYGとの記号で二百番台の番号の船がほぼ各地に1隻ずついますがこれはヘリ用航空燃料補給用です。
排水量490トン 全長46.5m
YGは270トン、全長37.7m

YO35と36の間にYW24がいますが水船24号です。平成12年これも前畑造船鉄工建造。
岸壁から真水搭載出来るよう整備され、数少なくなっていますが、災害、渇水時には災害派遣で真水配布等にも活躍しており、ブイ係留や真水搭載不可能な岸壁もあり、必要な船とおもいますが、予算や他の支援船建造の絡みから、この24号以降建造されていないのではと思います。
排水量310トン、全長37.7m
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頑張れ!海上自衛隊 (Unknown)
2019-02-18 21:17:36
そうなんです。海上自衛隊はこの瞬間も南西やアデン湾に展開しているんです。冷戦時代は、宗谷、津軽、対馬海峡に、誰かが1年365日張り付いていました。

P-1のレーダー照射事案で、国民には韓国の対応に関して怒りの声も出ました。ありがたいことだと思います。でも、毎日ではないですが、ああいうことはままありました。なので、当の海上自衛隊からはそれ程「怒りの声」はないのではないかと思います。確かにルール違反ではありますが「あんなもん」なんです。

「おとうさん、お帰りなさい」と迎えてくれる家族もあれば、お別れになる恋人達もいます。昔からそうでした。これからもそうでしょう。頑張れ!海上自衛隊。
返信する
YDT (お節介船屋)
2019-02-19 11:15:42
水中処分母船3号
6隻在籍しており、5地方隊に各1隻と沖縄基地隊に1隻です。
1,2号は横浜ヨットで平成12年建造、横浜ヨットが無くなって、3~6号は平成13~15年佐世保の前畑造船鉄工で建造されました。
排水量300トン、全長46m、速力15kt

大手造船所も施設削減、リストラ、数社合併が実施されていますが、中国、韓国の造船量の増加や荷動き、船価等でこのところ一層元気がありません。
海自の支援船を数多く建造していました小造船所も浮き沈みがあり解散、合併されています。
支援船建造量の多かった横浜ヨット、吉浦造船、石原造船も今はありません。

前畑造船鉄工初代社長は呉海軍工廠で作業主任として戦艦大和建造に携わった芳井一夫技術大佐でした。
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Unknown (bpmana)
2019-02-27 17:28:12
私の息子が派遣されたのが24次
その息子の第一子が派遣中に誕生
ご対面は4ヶ月後でした
そのときも生憎の雨で厚生センターでの
帰国行事でした
半年間の派遣で地面に足をつけられたのは
2日だけ なんとも過酷な任務です

今回東さんの胸になぜ防衛記念章が一つもないんで なんで?と思ってましたが
表彰のときに防衛功労章他を付けてもらうためだったんですね 納得しました
最近は綬付で左胸に付けるので見栄えは
良くなったようです
返信する
Unknown (エリス中尉)
2019-02-27 19:32:18
「お別れになる恋人たち」が一定数いることは避けられないことなのですね(涙)
中学校時代に出会ってお付き合いを続け、防大に合格したことがわかって
すぐに結婚を申し込んで、任官してから
約束通り結婚、単身赴任の間も休みの日には必ず自宅に帰って子供と遊ぶ。
お互いを尊敬し合う仲睦まじい夫婦という自衛官を知っていますが、
「上の方」に行く人には、自衛官に限らず家庭がうまく行っている人が
圧倒的に多い気がします。
若いうちにベストパートナーに合うことが、もしかしたら
男を出世させる最大の秘訣なのかもしれないと思ってみたり。
返信する
bpmamaさん (エリス中尉)
2019-02-27 19:37:44
>半年間の派遣で地面に足をつけられたのは
2日だけ
わたしたちの想像を遥かに上回る過酷さをこれほど端的に表す言葉はないかと・・・。

息子さんも行かれてたのですね。
お母様としても長い半年だったこととお察しいたします。

わたしも東さんが何もつけておられないのはなぜだろうと思っていましたが、
そういうことだったんですね。コメントをいただいて初めて納得しました(笑)
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