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アメリカ5州博物艦巡りの旅③〜ニューヨーク州バッファロー

2022-07-21 | アメリカ

クリーブランドはほぼエリー湖沿いにある街です。
ここで一泊したあとはエリー湖に沿うような道を北に向かって進みました。

途中で一瞬ペンシルバニア州を通過しますが、これはアメリカの州あるあるで、
ペンシルバニア州が水路(つまりこの場合エリー湖岸使用の権利)
を確保するためにほっそーく伸ばした触手の部分となります。

さらに北上したところはニューヨーク州ですが、これも同じ理論で、
つまりニューヨーク州がエリー湖岸の地権を獲得した結果です。

知らない人は、なぜこんなところにまでニューヨーク州が、と驚きますが、
州境を決定するとき、各州がそれぞれ利益を主張しあった結果、
このような一見不思議な州の形が決まっていったということなのでしょう。

■ バッファロー・ネイバル・パーク到着


エリー湖沿いのニューヨーク州の街、バッファロー。
ここのウォーターフロントにはこの地域最大のネイバルパーク、

バッファロー・アンド・エリー郡海軍・軍事公園

があります。

もしかしたら覚えておられる方もいるかもしれませんが、当ブログでは
去年の冬、お正月明けにナイアガラ参りをしてその帰りに、
ここの存在を知り、車を停めて立ち寄った時のことをお話ししています。

その時にはアメリカもCOVID19の自粛規制真っ最中だったため、
艦艇の中を見学することはできずに外側の写真だけをアップしました。

その後夏に訪れた時にもまだ自粛が続いているっぽい雰囲気だったので、
様子を見ているうちに滞在期間が過ぎてしまったのですが、
今年はMKも大学院進学で西海岸に文字通り河岸を移すことになり、
最後のチャンスなので、なんとしてもここは制覇するつもりだったのです。


アメリカのパーキング事情は年々進化していっており、最近では
アプリをダウンロードすれば携帯で支払いができ、もし出先で
追加が必要になった場合も現地に戻ることなく支払いができます。

ただし、それはアメリカに住んでいる人には便利なシステムですが、
我々のように海外から来ている旅行者は、いきなりQRコードを出されて
ダウンロードしてここで支払ってください、と言われても、
ダウンロードがうまくいかなかったりするわけです。

この時も、ダウンロードの段階で先に進めず、諦めて
駐車管理係が回ってきた時、ウィンドウに挟んでいく紙に従い、
ペナルティ付きの(といっても銀座と比べればタダのような値段)
駐車料金をネットで支払うことにしました。

アメリカの交通違反は、日本のように免許の点数制などは付随せず、
違反を切られたら料金を払いさえすれば刑事罰にもならないので、
堂々と日頃メーターにお金を入れず停め続け、運悪く違反を切られたら
それを駐車場代として支払うという主義の人もいます。

MKの友達の一人がそうらしいのですが、日本人であるわたしには
どうも気持ちが悪くてどうしてもできないことの一つです。



前回は閉店していたチケット売り場併設のシーフードレストランで
見学の前にお昼ご飯をいただくことにしました。

この日は快晴の夏日で、日差しが平気なアメリカ人たちは
外のテーブルに座るために順番待ちをしていましたが、
わたしたちは迷わず中に席を取りました。



ここバッファローは言わずと知れたバッファローウィングスの発祥の地です。

ただしウィング(アメリカ人はこう呼ぶ)の歴史は新しく、
80年代にテレビを通じて有名になったという程度のものだそうです。

赤い色はカイエンペッパーで、たいていピリリと辛く、
それをセロリと白いランチドレッシングで中和していただきます。

バッファローに着いたので、早速これを注文しました。


わたしは「ブッダボウル」なるミックスサラダ的ボウルを頼みました。
どの辺がブッダかというと、豆腐ステーキや枝豆、
アメリカ人が和風と考えるところの、スパゲティ状のメカブを
ごま油で和えたもの、生姜のガリが入っているあたりでしょう。

TOは何かのタコス風ロールを頼んでいます。


レストランの建物は、戦跡や戦争記憶を後世に残すための
各種団体や組織の活動拠点になっていると思われます。

艦艇の管理やメインテナンスもここで請け負うのでしょう。


レストランの反対側にある売店のカウンターでチケットを買うと、
手首に支払い済みの印として紙テープを巻いてくれます。

カウンターの中年の女性は、わたしが時計をしている手を差し出すと、

「反対側の手につけさせてちょうだい。
潜水艦に乗るときにバランスが取れていないといけないから」


と言って片頬で笑わせてくれました。



そしてネイバルパークの見学開始。


前回は誰もおらず、凍った雪で歩くのが大変だったこの通路も、
週末だったこともあり、全く違う顔を見せています。

右側の一角は陸軍の戦車や戦闘機などを展示していて、
中には入れませんが外から間近で機体を眺めることができます。

ネイバルパークは、全部で三隻の軍艦を「品」という漢字の形状でつなぎ、
岸壁の駆逐艦「ザ・サリヴァンズ」の右舷から入って、
奥の軽巡洋艦「リトルロック」の後甲板から入って行き、それがすんだら
右舷前方から潜水艦「クローカー」に下りる、というコースで見学します。

■ 沈没した「ザ・サリヴァンズ」



「セルフガイドで見学してください」

と聞いていたので、「ザ・サリヴァンズ」に乗艦すると、そこには
ヴォランティアの解説が待っていて、見学にあたっての説明、
黄色い見学用の線に沿って進むこととか、
展示されている三隻の艦の大まかな説明をしてくれました。

「ザ・サリヴァンズ」の艦名は第三次ソロモン海戦で沈んだ
軽巡洋艦「ジュノー」に全員が乗っていたため、
全員が戦死した悲劇で知られるサリヴァン兄弟に因んでいます。

わたしはこの話を以前ここで紹介したこともあり知っていたのですが、
解説の方が次に続けた言葉に驚きました。

「実はサリヴァンズは4月に沈没してしまったのです」

沈没して全員戦死した兄弟の名前の記念艦が沈没って、なんの悪い冗談?

USS The Sullivans navy ship sinking


解説の人によると、COVID19の自粛は2月には解け、
平常に公開し始めて2ヶ月後の4月、「ザ・サリバンズ」が夜のうちに沈み、
右舷に大きく傾き、着底しているのが翌朝発見されたそうです。

すぐさま緊急修理クルーと水中ダイビングチームが
現場で破損の原因究明と救出を行った結果、裂け目は右舷の中船尾にあり、
船が後方に傾き、右に傾く原因になっていたことがわかりました。

関係者は、艦を平衡に戻すためポンプで一晩かけて水を排出し、
現在の状態に戻して「ポンツーン」としての役目を取り戻しました。

水深が浅く、沈没しても着底だけだったことで
復元がなんとか可能だったということです。

しかし、流石にまだ内部を公開するという状態には至っておらず、
従ってわたしは今回も内部を観られませんでした。


■ 軽巡「リトルロック」と潜水艦「クローカー」


軽巡洋艦USS「リトル・ロック」の展示の目玉は、なんといっても
この艦が備えていた「タロス・ミサイル」のシステムでしょう。

ミサイル発射室は、この右側の黄色い線に沿って入って見学します。

その後は甲板下の設備を下に向かって順に進み、
もう一度同じ甲板の後方に出てくるのですが、さすがネイバルパーク、
内部の展示はとても機能的でわかりやすく、充実の見学となりました。


「リトル・ロック」の舷側からは、エリー湖に続く港口を臨みます。

この日は週末ということでたくさんの人々が
湖上にボートなどで繰り出して楽しんでいました。


自家用ボートのオーナーはここぞとばかりに。



拡大してみると、ポーズをとるお子様と、
操縦しながら彼女の写真を撮るお母さんの姿がありました。



この手前の二人の立ち漕ぎボートも楽しそうです。



波がない湖上をこんなサイクルボートで散策するのもいいですね。



「リトルロック」の見学をすべて終えて甲板に上がると、
(ちなみに艦橋の公開はしていない様子だった)
眼下には潜水艦「クローカー」の甲板が見渡せます。



「リトルロック」から「クローカー」までは、
ご覧のラッタルを降りて移動します。



「クローカー」は前部発射管から後部発射館室まで隈無く見られました。
説明も多く、大変満足の見学となりました。


「リトルロック」から見える巨大国旗竿。
この時は安倍元首相に対する半旗の期間は終了していました。



前回、氷と雪で真っ白に覆われた同じ場所を、足元を取られながら歩き、
記念碑の写真を撮りながら歩いたのと同じ場所とは思えません。

今回は逆にあまりの日差しの強さに、日陰を選って歩いたほどでした。

ただ、この地域は冬寒いだけあって、日陰に入りさえすれば
凌ぎやすいというか、むしろ暑さが心地よく感じるほどです。

逆に日本の湿度の高い暑さが身体に堪えるものなのか実感しました。



前回人っ子一人いなかった通路には、アイスクリームや
氷の屋台が軒を並べていました。

それにしても、ディープフライ(油揚げ)オレオのインパクトがすごい。
フライした上にフロストシュガーまでかけてあるんですがこれは。



■ バッファロー



というわけで怒涛のネイバルパーク見学を終え、まだ夕方にならないうちに
以前もナイアガラに来た時に泊まったレジデンス・インに到着。



前回も窓から見えていたこの彫像付きの建物ですが、
今回門柱の文字を撮影してみたら、ここは
セオドア・ルーズベルトが大統領に就任した場所だとわかりました。

セオドア・ルーズベルトは、副大統領であった1901年、
ウィリアム・マッキンリー大統領が一般市民の前に姿を見せた際、
狙撃されて死亡したため急遽大統領に就任しています。

大統領射殺の報受け、ルーズベルトは休暇先から急いで戻ってきました。
(当時、”急いで”移動することは並大抵のことではありませんでした)。

ここは元々学者で弁護士の私邸だったのですが、どういういきさつか、
急遽ルーズベルトの就任式が行われることになったということです。



バッファローの歴史的に最も価値のある建造物とされており、
就任式が行われた重厚な図書館は、大勢の人々が詰めかけ、
ルーズベルトが借りたスーツで宣誓を行った時のまま保存されています。

また、就任式の混乱の最中、カメラマン同士が諍いで揉み合った末、
一人が誤ってカメラを地面に叩きつけ、レンズを粉々にしたのですが、
その場所もそのまま残されているということです。

ちなみに当のルーズベルトが騒ぎに激怒して二人を追い出したので、
この出来事を記録した写真は存在していません。



部屋は前回と同じツインで、これもダイニングテーブル付き。

このホテルの気に入っている部分は、一階のロビーと
スターバックスがつながっていて、宿泊客は10%引きしてもらえることです。


その日の晩御飯は、ホールフーズのデリでバッファローウィングスを取って
部屋で食べようということになったのですが、
行ってみるとなぜかデリのコーナーが終了していました。

アメリカでは日曜の夕食くらい従業員に家でご飯を食べさせてあげよう、
という親心?なのか、店やモールが早々に閉まってしまうことがありますが、
どうやらこの日のホールフーズもそれだったようです。

仕方がないので車で走りながらレストランを探します。
しばらくいくつかのお店をパスしながら走っていると、
バッファローウィングス専門店の看板を見つけました。

いかにも昔のダイナーのような建物で、あまりいい予感はしませんでしたが、
駐車場に異常なくらいの車が停まっているので、もしかして?
と思い、入ってみることにしました。



20分くらい待たされている間、そのウィングスの店が
オリジナルのTシャツやグッズまで作っており、しかも壁には
いろんな賞を受けた「名店」に選ばれているという記事がずらり。

もしかして、これは当たりを引いたか?



だってねー、オバマも来てるんですよ。
多分遊説のついでにルーズベルト就任の家に寄ったりして、
何かの弾みで来てしまったんじゃないかと思うんですが。



なぜか宇宙飛行士も4人来ていましたし、このほかにも
ロックバンドの「The Guess Who」(ゲスフー)が来ていたようです。

「The Who」なら知ってるけど・・。

ということで、この日曜日の夕刻、
アメリカ人が喜んでかぶりついているバッファローウィングスとは。



元々夜は二人ともあまり量を食べないので、とりあえず
ウィングとこの部分を5ピースずつ頼んでみました。

「フライはどうしますか?」

と聞かれて、いらない、と答えると、フレンチフライなしで食べるなんて
なんて変わった人なのみたいな顔をして驚かれました。

確かに周りをみると、まるで洗面器のようなボウルに山盛り入ったフライを、
(ウェイトレスがテーブルにばんと置くと3〜4本転がり落ちる)
皆当たり前のように標準装備してむしゃむしゃやっています。

しかし、要らんものは要らんのだ。

そして運ばれてきた件のバッファローウィングはというと、
はい、不味かったです。

あんまり、とか微妙、とかいうラインを突き抜けて、
はっきり言ってこんなまずいチキンは食べたことがないというレベル。

まずこの見た目ですが、バッファローウィングスじゃなくて、
ほぼ唐揚げですよね?

この唐揚げの外側が、とにかく猛烈に硬い。そして辛い。
その辛いというのも、バッファローウィングス特有のチリの辛さではなく、
とにかく塩っ辛い。精魂込めて極限まで塩を叩き込んだ味がします。

一応我慢して一つ完食しましたが、チキンの身に辿り着くまでに、
まるでゲンコツ揚げのような外側の岩塩をそのまま塗ったような
揚げ粉の部分を、あたかも「恩讐の彼方に」の洞窟掘った人みたいに
根気よく少しずつ噛み砕いて行かねばなりません。

一口食べるなり二人ともむっと押し黙り、
セロリとニンジンをポリポリポリと齧り、申し合わせたように
もう一種類のウィングスも一口トライして、同時にやめました。

そして言葉少なに感想を述べ合いました。

「辛い」

「硬い」

「不味い」


人は不味いものを食べた時、どうして惨めな気持ちになるのでしょう。

チェックを頼んだら、ウェイトレスはほとんど手付かずのウィングを見て、
何かを察したはずなのに何も言いませんでした。

それにしても不思議なのが周りのアメリカ人たちです。

確かにサンフランシスコやピッツバーグにいる人たちのような
インテリっぽい人はあまりいないようでしたし、
皆が皆判で押したように太っていましたが、
本当に皆こんなダダ辛い代物を美味しいと感じて食べているのか。
オバマも本当にここのチキンを美味しいと思ったのか。


バッファローウィングスのリベンジは翌日に持ち越されることになります。


続く。