ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

チャールズ・リンドバーグはナチスシンパだったのか〜スミソニアン航空博物館

2022-07-10 | 飛行家列伝

リンドバーグという人物にたとえ全くの興味がないひとはいても、
その名前を聞いたことがないという人はまずいないのではないでしょうか。

わたし自身もそれほど多くを知っていたわけではありませんし、
今回スミソニアンの資料を点検して初めて
彼らが日本を訪れ、靖国神社参拝まで行っていたことも、
航空会社の依頼を受けて航路を開拓したことも知ったくらいですが、
それでも、かなり昔から知っていたことがあります。

それは、彼が愛児を誘拐され殺された悲劇の父親となったこと、
ナチスの親衛隊の服装をした恐ろしい形相のリンドバーグを
戯画化したことに表される、彼とナチスドイツとの関係、
そしてアメリカとヨーロッパで二つの家庭を持ち、
どちらでも父親と呼ばれていたことなどです。

それまで誰もしたことがなかった単独による大西洋横断飛行。
この偉業を成し遂げたがゆえに、後世の人々は彼にあらまほしき英雄像を重ね
のみならずその行動から彼を理解しようとします。

しかし、特にこの人物を完全に理解することは、
飛行から数十年経った今でも、どんな識者にも容易ではないと言われます。

伝記作家A.スコット・バーグは、この有名な飛行家について

「事実上孤立の中に育った人物」

と述べています。

「深い私的な性質を備えて生まれ、自立と不適合の原則に従って育てられ、
そして、偉大な行いは必然的に誤解を生むという代償がつきものだと
本能的にリンドバーグは理解していた」

【チャールズ・リンドバーグJr.誘拐事件】

CRIME OF THE CENTURY: Lindbergh Kidnapper Brought to Justice | History's Greatest Mysteries: Solved

Huluでシリーズ化されているわたしの好きな番組で、リンドバーグの息子、
チャールズ・リンドバーグJr.の誘拐を取り上げています。

以下、このビデオからの情報です。

犯人は梯子で赤ん坊の寝ている部屋に侵入し、わずかな隙に誘拐して
15000ドルを身代金として要求しました。

乳母がそれを発見してから30分で世間は大騒ぎになったといいますから、
それだけでもリンドバーグの有名ぶりがわかります。

息子の遺体はその後、家の近所に埋められて発見されました。

ビデオによると、犯行を疑われていたハウスキーパーの女性は、
尋問に耐えられずに精神を壊し、公聴会の前日に自殺していますが、
FBIの捜査では彼女は関与していないと結論づけられました。

ここで後に大統領にまでなるJ・エドガー・フーバーが登場し、
間違いだらけの脅迫状から犯人が教養のないドイツ系であると判断します。
そして現場に残されたノミなどの証拠から、
犯人は木工を行う職場で働いている、という情報が上がってきます。

ここでコンドンという訳のわからない怪しげなおっさんが出てきて、
仲介役を引き受け、身代金を渡した際に犯人の顔を目撃。

そして身代金のナンバーに相当する札をガソリンスタンドで使ったとして
ドイツ系の大工、ブルーノ・リチャード・ハウプトマンに容疑がかかります。

自宅からは札と、脅迫状そっくりの筆跡が見つかり、
彼は第一級殺人の疑いで逮捕され、裁判の結果有罪となって
電気椅子で処刑されました。

ただ、
このハウプトマンも冤罪ではないのか?
国民的英雄の関連する事件だけに警察やFBIが結果を逸り、
それらしい犯人をでっち上げたのでは?という説もあるそうです。

ブルーノ・ハウプトマン〜殺人博物館
(閲覧注意)

【ナチスとリンドバーグ】



リンドバーグは1936年から1938年にかけて数回ドイツを訪れ、
ドイツの航空を評価していますが、これはアメリカが依頼した任務です。

このときアメリカ人として初めて、ドイツの最新爆撃機ユンカースJu 88
戦闘機メッサーシュミットBf 109を調べ、操縦することを許された彼は、
特にメッサーシュミットBf109について、

「構造の単純さとこれほど優れた性能特性を併せ持つ追撃機は他にない」

と激賞しています。

ここまでの情報から鑑みるに、ドイツにリンドバーグを派遣したのは
アメリカであり、当時のドイツが彼を歓迎したとしても当然です。

この時のことを、あのハップ・アーノルド将軍も、

「リンドバーグが帰国するまでヒトラーの空軍について
我々に有益な情報を与えてくれた者はいなかった」

とそれが至極普通のことであったと表明しています。


アドルフ・ヒトラーに代わって
リンドバーグに勲章を贈呈するゲーリング

この時にナチスの高官にメダルをもらって機嫌良くしていたことが、
数週間後「水晶の夜」と後に呼ばれるようになるユダヤ人排斥が起きると
彼への大非難となって炎上していくのです。

いやしかし、そもそもこの夕食会も、駐独アメリカ大使が企画し、
ゲーリングやドイツ航空界の中心人物を招いたのもその大使なんですが。

リンドバーグがこの時ゲーリングから受け取った勲章を突き返していれば、
もしかしたらアメリカ国民はそこまでヒステリックに
彼を非難することはなかったのかもしれません。

しかしリンドバーグは勲章の返還を断りました。

「平和な時代に友情の証として与えられた勲章を返還しても、
何の建設的効果もないようだ」

「もし、私がドイツの勲章を返上するとしたら、
それは不必要な侮辱になると思う」

「このような状況下で贈られた勲章を拒否すれば、
良識に反する行為であると感じていた。
(夕食会は大使公邸で行われたため)そこでは
大使の客人に対して不快な行為であったろう」

ここまでは至極真っ当に思われますし、これだけなら
その後もそれほど非難されることはなかったのかもしれませんが。


■不干渉主義とアメリカ第一主義

1938年以降、リンドバーグは各国の航空機の現場を視察することで
政治的な事情に深く関わらざるを得ない立場に入り込んでいきます。

彼の私見は一貫して不干渉主義とアメリカ第一主義でした。

具体的には、ヒトラーのチェコスロバキアとポーランドへの侵攻の後、
リンドバーグは脅威にさらされている国々に援助を送ることに反対し、
次のように発言しています。

「武器禁輸を廃止することがヨーロッパの民主主義を援助するとは思わない」

「戦争をしている一方を援助するという考えのもとに武器輸出をするなら、
なぜ中立という言葉で我々を惑わすのか」

「海外で武器を売ることで自国の産業を発展させようとする人々に応える。
我が国はまだ戦争の破壊と死から利益を得たいと思う段階には至っていない」

今なら、ウクライナ軍に武器を売る国を非難するようなものでしょうか。
これも、中立のふりをして武器を売って儲ける企業の思惑に乗るな、
ということを言っているだけのような気がします。

しかし、リンドバーグがヒステリックなまでに叩かれるようになったのは、
それだけでなく、彼が「アメリカ第一主義」を唱える中で
国内のメディアをユダヤ系が牛耳っていることに疑問を呈したからでしょう。

世界のヒーローとなったリンドバーグの発言が影響力を持ち始めた時、
必ずしも彼の考えを歓迎しない巨大な勢力もまた存在し、
彼を存在ごと潰そうというキャンペーンが繰り広げられた。
彼の発言の内容からはこんな仮定が自然と導き出されます。

1940年後半、リンドバーグは非干渉主義をモットーとする
アメリカ第一委員会のスポークスマンとなっていました。

マディソン・スクエア・ガーデンなどで行われた演説で、彼は
アメリカにはドイツを攻撃する筋合いはないということを力説しています。

演説するリンドバーグ

「私は深く懸念していました。
アメリカという潜在的な巨大権力が、無知で非現実的な理想主義に導かれて、
ヒトラーを滅ぼすためにヨーロッパの“聖戦”に参加するかもしれないことを。

そしてその結果、ヒトラーが滅亡すれば、今度はヨーロッパが
ソビエト・ロシア軍の強姦、略奪、野蛮にさらされ、
西洋文明が致命的な傷を負わせられるであろうことを理解せずに」

結論としてはアメリカは参戦し、ヒトラーは滅亡して
その後アメリカはソビエトとの冷戦に突入することになりましたから、
ある意味リンドバーグは慧眼だったことになります。

アメリカが参戦しなかった世界が現実のそれより良きものになったか?
という仮定にはもちろん誰も答えを出すことはできませんが。



■ルーズベルトとの確執

フランクリン・ルーズベルト大統領は、リンドバーグの意見を
「敗北主義者、宥和主義者」と断じました。

リンドバーグは直ちにアメリカ陸軍航空隊の大佐を辞職し、
アメリカ・ファーストの集会でこのように述べています。

「この国を戦争に向かわせる3つのグループ、それは
イギリス人、ユダヤ人、そしてルーズベルト政権だ」

「アメリカ・ファースト」を掲げたドナルド・トランプが、
民主党的リベラルやユダヤ系のメディア、GAFAに嫌われたように、
ルーズベルトの「アメリカ・ファースト」も、それは排他主義、
そして民族主義だと非難の謗りを受ける運命でした。

今にして見れば勇気のいる発言だったと思われる、
当時のリンドバーグのユダヤ系に対する意見をご覧ください。
今ならその地位がなんであっても社会的抹殺されそうな種類のものです。

「ユダヤ人がなぜナチス・ドイツの打倒を望むのかを理解するのは
難しいことではありません。
彼らがドイツで受けた迫害は、どのような人種であれ、
激しい敵を作るに十分だと思います。

人類の尊厳の感覚を持つ者は、誰であっても
ドイツにおけるユダヤ人に対する迫害を容認することはできません。

しかし、誠実で先見の明のある人なら、彼らの戦争推進政策を見て、
そのような政策が我々にとっても彼ら自身にとっても
危険であることを見抜かないわけにはいかないでしょう。

この国のユダヤ人グループは、戦争を煽るのではなく、
あらゆる手段で戦争に反対すべきです。

寛容は、平和と強さに依存する美徳です。
歴史は、それが戦争と荒廃に耐えられないことを示しています。
少数の先見の明のあるユダヤ人はこのことを理解し、
介入に反対する立場をとっています。
しかし、大多数はまだそうではありません。

この国にとっての彼らの最大の危険は、映画、報道、ラジオ、
そして政府における彼らの大きな所有権と影響力にあるのです。

私は、ユダヤ人とイギリス人のどちらを攻撃しているのでもありません。
どちらの民族も、私は賞賛しています。

しかし、私が言いたいのは、イギリスとユダヤの両人種の指導者たちは、
我々から見て好ましくないのと同様に彼らの視点からも理解できる理由、
つまり「アメリカ的ではない」理由で、
我々を戦争に巻き込みたいと考えているということなのです。

彼らが利益と信じるものに注意を払うことを責めることはできませんが、
私たちもまた、我々の利益に注意を払わなければなりません。

私たちは、他国民に備わった感情や偏見が、
我が国を破壊に導くことを許すことはできないのです。」


長いので3行でまとめると、アメリカはアメリカファーストであるべきで、
ユダヤ人が主導する組織が、ドイツでのユダヤ人のために
アメリカを戦争に巻き込もうとするのは間違っていると。

ユダヤ人の苦境は十分に理解した上で、それでも
アメリカは不干渉を貫くべきだと言っているわけですね。



そしてこうなる

アン・モロー・リンドバーグ夫人は、彼の演説に対する批判に対して、
リンドバーグの評判が不当に汚されることを懸念しました。

「リンドバーグの誠実さ、勇気、そして本質的な善良さ、公平さ、優しさ、
その気高さ・・私は一人の人間としてリンドバーグを最も信頼している。

それなのに、彼がしていることについて
私が深い悲しみを感じているのは、どういうわけだろう?

もし彼が言ったことが真実なら(そして私はそう思いたい)、
なぜそれを述べることがいけなかったのだろう?

彼は戦争を支持するグループを名指ししたのだ。
彼が英国や政権を名指ししても誰も気にしない。

しかし、『ユダヤ人』と名指しすることは、
それが憎しみや批判なしに行われたとしても、非米国的である。
なぜなのだろうか。」

アンは、リンドバーグが敵に回した勢力の巨大さと
その力に、底しれぬ恐怖を感じているように見えます。


しかし彼はユダヤ人の迫害までを容認していたわけではありません。

1938年11月「クリスタル・ナハト(水晶の夜)」が起こりました。
これに対しリンドバーグは不快感を示しています。

「(こんなことは)ドイツ人の秩序と知性に反しているように思える。
彼らは間違いなく困難な "ユダヤ人問題 "を抱えていたのに、
なぜこれほど理不尽に処理する必要があるのか」

彼は、全人口に対するユダヤ人の割合が高くなりすぎると、
必ず反動が起きるおで、適切な割合に調整するべきだとして、

「適切なタイプの少数のユダヤ人は、どの国にとっても
財産であると思うので、残念なことである」

と述べ、この考えは多くのアメリカ人に深く共鳴され、
彼の優生学と北欧主義は社会的に受け入れられていきますが、
ナチスの優生学とリンクしており、肝心のナチスが彼を称賛したため、
ナチスのシンパであると疑われていました。

ルーズベルトはリンドバーグの政権の介入政策への率直な反対を嫌い、
財務長官ヘンリー・モーゲンソー(ユダヤ系)に

「もし私が明日死ぬとしたら、これだけは知っておいてほしい、
私はリンドバーグがナチだと絶対に確信している」


といい、陸軍長官ヘンリー・スティムソンにも

「リンドバーグの演説を読んだとき、これは
ゲッペルス自身が書いたとすればこれ以上ない表現だと感じた」

繰り返しますが、リンドバーグはユダヤ人の迫害に
一度たりとも賛同したことはありません。
実は白人の優位性を信じ、ユダヤ嫌いであったかもしれませんが、
それはそれ、これはこれという態度です。

終戦後まもなく、ナチスの強制収容所を見学した彼は、

「人間、生と死が最低の品位にまで達している場所であった」

と激しい不快感を示しました。

優生学といえば、彼はヨーロッパ系の血の継承を尊重、つまり
外国の軍隊による攻撃と外国の人種による希釈から自分たちを守る限り、
アメリカは平和と安全を得ることができるという考えでした。

「科学と組織に関するドイツの天才、
政府と商業に関するイギリスの天才、
生活と人生に対する理解に関するフランスの天才」

「アメリカではそれらが混ざり合って、
最も偉大な天才を形成することができる」

と信じていたといいます。

ホロコースト研究家(つまりユダヤ系側の人間)にとって彼は、

「善意はあるが、偏見に満ちた誤ったナチスのシンパであり、
その孤立主義運動のリーダーとしてのキャリアは
ユダヤ人に破壊的な影響を与えた」


リンドバーグのピューリッツァー賞受賞の伝記作家A・スコット・バーグは、

「リンドバーグはナチス政権の支持者というよりも、
自分の信念に頑固で、政治工作の経験が比較的浅かったため、
ライバルが自分をそう描くことを簡単に許してしまったのだ」


と主張していて、わたしはこちらが公平な視点かと思われます。

時代がそういうことにしてしまったからこそ
ナチスシンパなどという色に染められたリンドバーグでしたが、
ナチスから勲章をもらったのも当時のアメリカ政府の手引きでしたし、
その考え方は戦間期のアメリカでは一般的なものであり
多くのアメリカ人の意見でもあったということを忘れてはなりません。


■ スピリット・オブ・セントルイスの卍


真ん中にハーケンクロイツが書かれたスピナーキャップ。
これは外されてしまいましたが、オリジナルのリンドバーグの愛機、
「スピリット・オブ・セントルイス」に装着していたものです。

1927年5月12日、リンドバーグがロングアイランドに到着した後、
スピナーシュラウドに亀裂が発見されたのでノーズコーンが交換されました。

この時航空機の仕事をした男女は、皆でノーズコーンにサインをしました。

その名前の中には、ライアン航空の社長だったB・F・マホニー、
ライアンの工場長で有名な飛行機設計者ホーレー・ボウラスがあります。

スピナーの真ん中にある鉤十字にギョッとしてしまったのですが、
よく見てください。
日本の神社の印と同じで、鉤の向きが反対です。
これはスミソニアンによると、

「ネイティブアメリカンのグッドラックシンボルです」

なのだそうです。

SWASTICA(卍)がなぜスピナーの真ん中に描かれたか、
そこまでスミソニアンの説明にないのですが、
おそらく卍の周りにあるマホニー、ボウラスと後二人が
何か意図してこれを書いたのかもしれません。

ただ、マホニーもボウラスも、およそネイティブアメリカンとは
血縁的にも全く関係なさそうなのが何やら不気味ですが・・・。


続く。