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偵察衛星ガンビットとアメリカの諜報〜スミソニアン航空宇宙博物館

2022-03-15 | 博物館・資料館・テーマパーク

前回、スミソニアン博物館の展示から、アメリカが冷戦時代に打ち上げた
ディスカバラー計画という名の実はコロナ偵察衛星に搭載された
コロナカメラをご紹介したわけですが、今日はもう一つの偵察衛星、

KH-7 GAMBIT in the house

について書いてみようと思います。

前回取り上げたコロナ計画が立ち上がったのは1960年.
対して、今日のガンビットKH-7が立ち上がったのは1963年です。

■セイモス計画と偵察衛星GAMBIT



1963年7月12日。
極秘の偵察衛星GAMBIT、別名エアフォースプログラム206の1号機
アトラス・アジェナロケットに搭載されてカリフォルニアの空に飛び立ちました。

ガンビットはアトラス・アジェナブースターを製造したコンベア社とロッキードが、
それまでの、何度もミッションに失敗してきたロケットに代わって、
初めて次世代ロケットシステムを使用して打ち上げられました。

あまりにも失敗が続くのでこれはNASAと空軍の打ち上げの手順が
バラバラだからではないかい?と第三者機関が勧告し、これによって
ブースターの材料やら試験方法やら手順を統一した結果だそうですが、
三軍バラバラで宇宙開発をやった結果、ソ連に先を越されたということに
反省はなかったん?と思わず突っ込んでしまいますね。

さて、GAMBITについて読んでいると、いきなりこんな文章にぶち当たりました。

GAMBITは、1960年にアメリカ空軍の
セイモス(SAMOS)計画の灰から生まれた

不死鳥のような存在である。

コロナ計画もガンビットも、そもそもそんな名前初耳だが、
とおっしゃる方はこれを読んでいる人にも多いかと思うのですが、
それもこれも、偵察衛星事案は国家機密だった期間が長かったせいです。

おそらく、セイモス(SAMOS)計画についてもご存知と言う方は稀でしょう。

わたしも、この偵察衛星について調べ出して以来、次々出てくる衛星の名前に、
一体この国はどれだけこの時期、偵察衛星をこっそり上げまくっていたのか、
とはっきり言って呆れております。

しかし、名前が出てきたからには説明しないといけませんね。
セイモス計画は、

Satellite And Missile Observation System, SAMOS, Samos E,
「衛星及びミサイル観測システム」


で、やはり1960年第初頭に開始されていつの間にかひっそり終わった計画です。

セイモス計画は、空軍主導で行われたさまざまな偵察衛星の開発を言います。
最初のプロジェクトは、セイモスE-1とセイモスE-2と名付けられました。

簡単にいうと、従来のフィルムで画像を撮影し、軌道上でそれを現像し、
ファックスに相当するもので画像をスキャンする「フィルム読取衛星」でした。

その際、空軍はリスクヘッジのため、「フィルム回収衛星」として
セイモスE-5、E-6なるものを運用する予定にしていたそうです。

その頃アメリカでは、ソ連のICBMのより解像度の高い画像を収集するために
GAMBIT衛星計画がアイゼンハワー大統領によって承認されました。

GAMBITは、イーストマン・コダック社が開発したカメラと、
ゼネラル・エレクトリック社が開発した衛星を使用し、
長時間録音可能なフィルムを搭載し、撮影後は再突入機に格納し、
それを地球に送り返すというシステムになっていました。

1963年初頭、GAMBIT計画は波乱万丈のうちにスタートしました。

最初の衛星はバンデンバーグ空軍基地でさあ打ち上げというとき、
ブースターに充填中の推進剤に気泡が発生し、排出バルブが損傷します。

このせいで、ロケット全体が地面に崩れ落ち打ち上げは失敗。

あーあー

火災や爆発こそ起こりませんでしたが、地面との衝撃でカメラが押しつぶされ、
レンズが破壊されたため、衛星はかなりの被害を受けます。

もちろんアメリカとしてはGAMBIT偵察衛星を乗せていることは秘密で、
関係者以外にはその姿を見られることなく終わりました。

何度も話していますが、アメリカは宇宙開発の陰で実は偵察を目的にしており、
「コロナ」をわざわざ「ディスカバラー」と言い換えたように、
セイモスの飛行も、一般には科学的なミッションとして宣伝されていました。

しかし、さすがにこれだけ度重なると、科学的なデータが得られなかった理由を
それらしく説明するのは難しくなってきました。

流石のアメリカも言い訳の種が尽きてきたのかもしれませんし、下手な嘘をつけば、
世界中からのツッコミは避けようがないと思ったのかもしれません。

そこでアメリカは嘘をつくのはやめました。

堂々と隠蔽することにして(おい)1961年末、ジョン・F・ケネディ大統領
偵察プログラムそのものを隠匿する=秘密のベールをかけるよう命じます。

1963年のGAMBITのデビューまでに、国防総省の発表には
「機密ペイロード」の打ち上げ以外の詳細は一切記載されなくなりました。

■アメリカの諜報活動は有人打ち上げを予測した


「The President Daily Briefing」

秘密といえば、このコーナーにはこんな資料もあります。
ジョージ・W.ブッシュ大統領時代のもので、ファイルの下方には
「トップシークレット」と書かれています。

50年以上、CIAが作成していた日報の表紙の写真ですが、
これは毎日のブリーフィングで取り上げられた重要な政治案件、軍事関係、
そして経済発展と世界情勢などに関するテーマが綴られています。

この日報を見ることができたのは、大統領とその側近など、ごく限られた人々のみ。

諜報機関(インテリジェンス・エージェンシー)は、1950年代以降、
外国の兵器システムから特定の国の政治的な発展に至るまで、
幅広い主題に関する国家諜報活動の見積レポートを作成してきました。

それらは、行政機関のほんの数人の高官、および軍関係者にのみ配布されます。



これはCIAの「レビュープログラム」。
日付は1960年の5月3日で、まさにこのGAMBITが打ち上げられた頃となります。

冒頭には、機密解除になった印にTOP SECRET
とわざわざ取り消し線が引かれています。

この国家諜報活動の見積(Estimate)は、そのタイトルも

「ソビエトの誘導ミサイルおよび宇宙船の能力」


黄色くハイライトされたところだけ訳しておきます。
この報告が、ある意味恐ろしいくらいその後の未来を言い当てています。

いかにアメリカの諜報能力がものすごかったかということでしょう。

我々はソ連が来年中には次に挙げるうちの一つ以上を達成できると考える

a. 垂直またやダウンレンジ飛行と有人カプセルの回収;

b. 無人の月面衛星または月面着陸;

c. 火星または金星の近くの探査;

d. 装備、動物、そしてその後、おそらく人間を乗せて
カプセルを軌道に乗せ、その後回収すること;

:(;゙゚'ω゚'):

1960年5月から始まったこの国家諜報活動の「見積」には、
ソビエトの試験飛行の監視、諜報活動に基づき、

「ソ連が来年中に人類を軌道に送り、宇宙に送って回収することができるだろう」

と書いてありますが、このまさに1年後の1961年4月12日、
ソ連はユーリ・ガガーリンを宇宙に打ち上げることに成功しました。

この諜報活動とその分析が正しいことが証明されたのです。
ここでふと思ったのですが、アメリカの諜報は、1957年当時、
スプートニクの打ち上げを全く予測できなかったんですよね?

つまり、アメリカのこの時点=1960年当時の諜報能力は、わずか3年で
ここまで相手の動向を手にとるようにわかるほどになっていたってことですよね。

うーん・・・やっぱりアメリカすごいわ。


これはもう少し時代が下って、1973年の国立写真解釈センターのレポートです。

このレポートは、エジプトの地対空ミサイルの種類と場所を
詳細に説明する内容となっています。

同センターはいくつかの諜報衛星からの画像取得ミッションに基づいて、
これらの内容のレポートを定期的に作成しました。

一部の報告には、U-2S R-71ブラックバードなど、
戦略偵察機から撮影された写真が組み込まれていて、
どちらの方法もいまだに現役であることを表しています。

■GAMBIT、その後



GAMBITの前には、アメリカの諜報活動についての資料として赤字で

「大統領と政策立案者に情報を提供し続ける」

と書かれています。
衛星偵察とは、まさにそういう目的のための発明なのです。


さて、GAMBITの打ち上げに失敗してしまったアジェナは、
その後修理のためロッキード社に送り返され、アトラス(201D)ロケット
1963年7月12日に最初のGAMBITミッションの打ち上げを行いました。

アトラスロケットは完璧な性能を発揮し、GAMBITを高度189kmの極軌道に投入。
空軍はこれをミッション4001と命名しています。


GAMBITは、長いチューブの両端に2枚の大きな鏡がついていました。
一方の鏡は、衛星の下の地面を筒の中に反射させ、もう一方の鏡に当て、
集光して筒の中の細いスリットに通された大きなフィルムに光を送り返します。

このカメラシステムは、高解像度で地上の細長い画像を露光することができました。



この図面では、ペイロードデータの「ステレオストリップカメラ」の型番、
その他見られてはまずい?ところが黒塗りされています。

GAMBITミッションは、その後何機かが成功したりしなかったり、
多くのミッションでは画像が不十分だったりそもそも画像がなかったり、
まあ結構な問題が発生していたようです。

当時の記録システムはワイヤ記録システムで信頼性に乏しく、
打ち上げたうち2機が太平洋の藻屑となっています。
それからバッテリーが爆発したり画像が戻ってこなかったり、
いくつもの失敗はありましたが、全体として見ると、これでも成功と言ってよく、
国家偵察局と大統領に質の高い情報を提供することができたとされます。


GAMBITは40機製造され、1967年6月に最後の1機が打ち上げられました。
2015年6月30日、ワシントンDCのスミソニアン航空宇宙博物館に、
最後に残ったGAMBITの1機が展示されることになりました。

■NASMのGAMBIT

国立航空宇宙博物館で展示されているスパイ衛星「GAMBIT」。



1995年、CIAと米国の情報衛星を管理する国家偵察局は、
まずCORONAと呼ばれる最初の写真偵察衛星プログラムの機密を解除し、
スミソニアン博物館にCORONAカメラシステムを引き渡しました。



過去20年間、ワシントンDCの国立航空宇宙博物館で展示されてきたCORONAは、
飛行物体ではなく、プログラム後期のエンジニアリングカメラ1台と
モックアップの機材が含まれています。

CORONAが機密解除されると、情報当局は、それに続くシステムである
GAMBITとHEXAGONの機密解除を検討し始めます。
そして1996年には数年以内に両システムの機密解除を計画していました。

スミソニアン国立航空宇宙博物館で展示されているスパイ衛星GAMBITは、
1997年、当時の国家偵察局長官キース・ホールが博物館を訪れ、
大型偵察機数台を博物館に寄贈する計画について博物館関係者と協議を行いました。

ホールは寄贈するつもりのものが何かを伝えなかった(なぜかしら)と言いますが、
博物館の学芸員は置き場所を考えるために、その寸法を伝えました。

これはお互い口には出さなくとも通じ合っていて、
「スミソニアン、お主も悪よのう」「長官様こそ」みたいな?


その中には、ソ連邦の変化を探るためにエリアサーチを行った巨大な衛星
「HEXAGONカメラシステム」、そして
GAMBIT(ガンビット)衛星が含まれていたのです。

ヘキサゴンカメラシステムはまだスミソニアンで見ることができません。

ちなみに、この頃打ち上げられたKHと呼ばれる偵察衛星を、
まとめて最後に列挙しておきたいと思います。

 KH-1、KH-2、KH-3、KH-4 コロナCORONA


KH-6ランヤード LANYARD

KH-8ガンビット GAMBIT

KH-9 ヘキサゴン HEXAGON

KH-10有人軌道実験室(MOL)

KH-11 ケンナンKENNAN

KH-12

KH-13

続く。