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”空の騎士” 第一次世界大戦の航空映画〜スミソニアン航空博物館

2020-10-10 | 航空機

今日は久しぶりにスミソニアン博物館の展示から、第一次大戦時の
「空のヒーロー」、レッドバロンと当時の文化についてお話しします。

レジェンド、メモリー、そして グレートウォー・イン・ジ・エア

と名付けられたセクションに入っていくことにします。
このギャラリーのテーマは第一次世界大戦の航空機

World War I Aviation

という英語の後は、フランス語、イタリア語、ドイツ語、ロシア語、
そして日本語の記述があります。

スペイン語やましてや中国語での記述がないのは、
世界大戦に航空機を創造し、参加した国限定なのでしょう。

ギャラリーの入り口にある解説はこのようなものです。

 

70年以上もの間、航空機にとって最初の戦争というのは
偉大でロマンチックな冒険として記憶されてきました。

そして多くのファクターがこの認識に貢献しています。

戦争中のジャーナリズムと政府のプロパガンダは、軍用機搭乗員を
あたかも勇敢な「空の騎士」(Knight of the air")のような
イメージを創造し続けてきましたし、さらに重要なことは
1930年代の「空心(そらごころ)」溢れたハリウッド映画や大衆文学は
そのイメージを普及し後世に残す中心的な役割を負い続けたことです。

しばしば航空戦の残酷な現実はロマンティシズムという劇薬によって
和らげられ、作家や脚本家はこぞって第一次世界大戦の航空を
魅力的な記憶に書き換えたのです。

こんにち、それらのイメージはいまだに一般大衆に人気がありますが、
空の戦争の現実については、その真実を知る機会は10年、また10年と
時が流れるにつれて、少なくなっていくというのもまた事実です。

ここでいきなり目を引くのはこんなコーナーです。
以前、当ブログ「ソッピースキャメルに乗る犬」という項で、
この犬のキャラクターについてご紹介したわけですが、
ここでは、犬小屋に乗って

「CURSE YOU, RED BARON!」
(くたばれ、レッドバロン!)

と叫んでいる例のキャラクターなど、一見子供用の
第一次世界大戦航空にまつわるグッズが集められています。

この犬はいつもソッピースキャメルに乗って、フォッカー IIの
「レッドバロン」と戦うことを夢想しているわけですが、
決して本当に戦うことはなく、本当にただ空想しているだけです。

今は懐かしいLPレコードに描かれているのは
「スヌーピーと戦っているレッドバロン」のようですね。
いつも夢想していたレッドバロンとの空戦がついに実現したのでしょうか。

「人生ゲーム」のようなボードゲームの空戦版。
カードを引いて指示に従うというのも人生ゲームと同じ。

ちなみに人生ゲーム(The Game of Life)はアメリカ生まれで、
1860年にはこの原型があったといいますから、
1930年代に同じようなシステムのゲームがあっても不思議ではありません。

ランチボックスにプリントされた漫画は、まず犬が
右向きに犬小屋に乗り、

「彼は第一次世界大戦のエースで、今
ソッピースキャメルに乗って空を駆けている・・」

「最も深刻な緊急の事態しか彼を任務から引き返させることはできない」

子供「夕ご飯だよー!」

(犬、それを聞くなり左向きに)

右の写真は前列前で脚を組んで座っているのがレッドバロン、
マンフレート・リヒトホーヘン男爵とすぐわかります。
主役のオーラというのか、なぜか一人だけコートの色が違うんですね。
あ、それは彼がただ一人の士官だからなのか。

左側はリヒトホーヘンを主役にした漫画のようです。
超拡大したので内容までは読めませんが、英語なんですよね。

アメリカも一応ドイツとは敵国だったと思うのですが・・・。

上はこれも子供用ゲームで「スヌーP vs レッドバロン」。
下の絵本はその題もストレートに「ソッピースキャメル」。
ラクダが飛行機の尾翼をつけ、胴にRAFのマークをつけています。

赤に鉄十字というだけで誰でも「レッドバロン」と思い浮かんでしまいます。
よく考えたらこれってすごいことですよね。
で、さっきの説明によると、彼をこれだけ有名にしたのは、当時の映画やメディア、
ジャーナリズムであったと・・・・・・。

ハンサムな若いドイツ貴族の戦闘機エース、というだけで、
当時の創作者たちにはたまらない逸材だったということでしょう。
また、大衆もそのイメージをこよなく愛したのです。

鉄十字の真ん中にあるのが

「レッドバロン」というレストランのメニュー

その下

レッドバロンの横顔をあしらったデザインのシャツ?

フォッカー をあしらったビアマグ

レッドバロンブランドのピザ(ペパロニ)

映画、ドキュメンタリー、そして赤いフォッカー の模型。

左の赤い部分にあるのが

「大衆化された伝説」

右には

「オリジナルの伝説」

とあります。
右側に書いてあることを翻訳しておきましょう。

1918年4月21日、マンフレート・フォン・リヒトホーヘンが亡くなった時、
彼はすでにレジェンドとなっていました。
多くの人々が、彼がドラマチックな空中でのドッグファイトの末、
80機という撃墜記録を挙げたということを知っていたのです。

事実、彼はしばしばステルス&サプライズ戦法によって
瞬く間に敵機を落としました。

彼が亡くなったのは赤いフォッカー Dr.I 三葉機のコクピットだったので、
彼がこの航空機でほとんどの勝利を収めたと考えられていましたが、
彼が最も多く撃墜記録をあげたのは他の戦闘機です。

戦争中、ドイツ政府はフォン・リヒトホーヘンを国家の英雄に仕立て、
それを「悪用」していたといってもいいのですが、彼が空戦で死んだことで
彼は、同国人はもちろん、敵の心にまで同様に、神話を残したのです。

フォン・リヒトホーヘン記念メダリオン。

それでは左側の部分です。

「彼は正々堂々と、全力を尽くして戦い、相手を撃墜し、
そして相手が強敵であればあるほど、自分のためにそれを歓迎した」

The Red Knight of Germany, 1927

「ドイツの赤い騎士」というこの小説?の作者はフロイド・ギボンズ。
イギリス人かアメリカ人かはわかりませんが、英語です。

ベストセラーになったマンフレート・フォン・リヒトホーヘン本で、
リヒトホーヘンを今日のヒーローとしてその人生を
ロマンチックな伝説風味で書き上げたものです。

公式な記録を元にしているというものの、ギボンズはかなり事実を
フィクショナライズし誇張して創作してしまっています。

1920年代から30年代にかけて、あまりにも多くの若い人が
レッドバロンについてこの本に書かれていることをうのみにし、
それだけならともかく、航空機で行われる戦争というものについて、
この「小説」に書かれた誇張を信じこんでしまったということがありました。

うーん・・・我が国にも全く同じようなエース本があったような記憶が。

戦後の日本で誇張した英雄譚仕立ての戦記があっても、
それはせいぜい「零戦ブーム」なるものを作ったくらいでしたが、
当時はこれを読んでレッドバロンに憧れ、空戦をやってみたくて
航空隊に入るという若者もたくさんいたのに違いありません。

彼らは程なく空戦の真実というものを知ることになったでしょう。

このギャラリーには、フォッカー の三葉機ではありませんが、
鉄十字をつけたドイツ軍の戦闘機が展示されています。
(この機体の話はのちほど)

そして、ここはあたかもアメリカのどこかの街であるかのような外灯と、
映画館のネオンが照らすタイトルが

「ハリウッドの空の騎士 主演 ダグラス・フェアバンクスJr.」

本当にそんな映画があったのか検索してみましたが、
彼のバイオグラフィにはそういう映画は登場しません。

 

リチャード・バーテルメスという俳優の「暁の偵察」ポスターです。
ポスターを見ると、ダグラス・フェアバンクスJr.も出ています。

The Dawn Patrol (1930) - Feature Clip

「レッドナイト」がよっぽどウケたのか、二つの大戦の間、
ハリウッドはやたらと「空の騎士」ものを制作しています。

これらの映画に描かれた飛行士のロマンチックなイメージは
非常に持続的であり、今日まで空中での戦争に対する
わたしたちの認識をかたち作るのに役立ってきたといえます。

「ドイツの赤い騎士」などを読んで航空ファンになってしまった人、
 「ヒコーキオタクの部屋」1935年版が再現されていました。

1920年代から30年代にかけて、第一次世界大戦の航空機というのは
大変人気のあるカルチャーで、マガジンやコミック、新聞などで
栄光の空中戦が取り上げられました。

航空マニアは熱心にストーリーを読み漁り、ラジオドラマを聴き、
空戦を描いた映画を観に行き、果ては飛行機模型を・・・・

あれ?こんな人今でも普通にいるなあ。

このギャラリーの手厳しいところは、こういったマニア連中は
その結果、

「空戦が実際にどのようなものであるかについて、
歪んだ見方をすることになった

と切って捨てているところでしょう(笑)

一方、この大衆文化の多くは戦闘機パイロットになることができる
(その資格を持つ)若い白人男性を対象としたものでしたが、
そこにとどまらずより広くアピールする魅力があったのも事実です。

女性やアフリカ系アメリカ人にも航空マニアとなる人は多く、
(彼らはミリタリーパイロットになることを禁じられていた)
彼らもまた大衆文化の中のロマンチックな空の戦争に心を奪われたのです。

彼ら彼女らのほとんどが、白人男性と全く変わらない経緯で、
航空マニアになっていきました。
つまり、熱心に航空雑誌を読み、模型を作り、映画を見るというように。

この映画は有名なのでご存知の方も多いかもしれません。

「地獄の天使」Hell's Angels 1930

は、「飛行機オタク」ハワード・ヒューズが監督を務めたパイロットものです。
(ところでヒューズの綴りってHUGHESだったんですね。今知った)

わたしも観たことがないのでwikiからあらすじを抜粋すると以下の通り。

オックスフォードの学友、ドイツ人留学生のカールと、
ラトリッジ兄弟のロイとモンテの3人と戦争を描いた物語である。

兄、ロイは遊び慣れしたヘレンを貞潔な女性と思い込んでいるほどの硬い男で、
一方、弟、モンテは節操の無い享楽主義者だった。

第一次大戦が始まると、兄弟はともにイギリス陸軍航空隊に入った。
ドイツ空軍に招集されたカールは、ツェッペリン飛行船でロンドン爆撃を命ぜられるが、
イギリスへの愛を断ち切れず爆弾を全部池の中に投下する。
(インターミッションはチャイコフスキーの交響曲第5番第2楽章)

兄弟は修理したドイツ軍の墜落機で敵軍になりすまし
敵の弾薬庫を爆撃する作戦に志願し、出撃。
爆撃は成功するが、2人は撃墜されて捕えられた。

助命の代わりに英軍の作戦行動の機密を売れと脅迫され、
弟モンテは死への恐怖から話す決心をするが、それを知ったロイは
情報提供の代わりに拳銃を要求し、その銃でモンテを撃ち、
自らも祖国を裏切ることを拒んで、銃殺場へと連れられて行く。

ジーン・ハーロウ演じる「悪い女」がやたらクローズアップされていますが、
彼女はどうやらパイロットの物語に色を添えるだけのキャスティングだった模様。

筋全く関係なしの過剰サービス画像

撮影には87機の第一次世界大戦当時の英仏独蘭の戦闘機や爆撃機を購入し、
実際に飛行させており、当時としては破格の製作費をかけた超大作で、
この映画の撮影中の事故で3人のパイロットが死亡しているそうです。

(ただでさえ飛行機の安全性には問題のあった時代ですからね)

映画「アビエイター」でディカプリオが演じていましたが、このとき
ハワード・ヒューズ自身も飛行し墜落、眼窩前頭皮質を損傷する負傷を負い、
この怪我が後の奇行の原因になったといわれているそうです。

ところで、冒頭写真の正体ですが、この白黒写真と同じものです。

プファルツPfalz D.XII

「ハリウッドエースのための戦闘機」という説明があります。

このドイツ機プファルツD.XII戦闘機は、ハリウッドの航空映画で長年使用され、
本物の戦争期間よりずっと長い間第一線に就いていました。

1930年代、これらの映画は空中戦というものを形作り、
WW1パイロットのイメージを騎士道精神溢れた
「ナイト・イン・ジ・エア」として永続させるのに役立ちました。

上記の「暁の偵察」でもこのプファルツD.XIIはその赤の色彩、
胴体に描かれた髑髏のマークと鉄十字で映画の虚構を彩っています。

映画ではスタント「エース」だったフォン・リヒターなる人物が
ステレオタイプの恐ろしいドイツ人としてこれを操縦しました。

実際のプファルツが西部戦線に登場したのは1918年です。
第一次世界大戦後は賠償として連合国に多くが接収されました。

「暁の偵察」で使用された機体は、まさにこの時に取得したもので、
ハワード・ヒューズは同じ機体を「地獄の天使」にも登場させました。

その後、この「ハリウッド戦闘機」はパラマウントが取得し、
1938年度作品の「Men With Wings」にも登場しました。

Menwithwings1938.jpg

スミソニアンでは、この機体を使った映画が会場で流されていました。

 

続く。