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「平成最後の桜」〜江田島・第一術科学校春季広報行事 観桜会

2019-04-10 | 自衛隊

さて、江田島の第一術科学校で行われた春季広報行事としての観桜会、
招待客のほとんどが参加した校内見学ツァーを終え、グループごとに
会場となる食堂まで到着しました。

江田島市長明岳氏が続いてご挨拶。

呉でも思いますが、それ以上に江田島という土地は、自衛隊、というか
第一術科学校と幹部候補生学校と地元との関係が良いと感じます。

それは生徒が下宿で民間の家にお世話になるときに決して不義理をしない、
一度何か災害が起これば生徒が救援や支援に身を惜しまず出動する、
といったことで醸成されてきた海軍兵学校以来の強い信頼関係が
10年の空白期間を経て今もなお受け継がれていることを意味します。

これも中畑学校長の挨拶によると、学校長は江田島を去る少し前に

週一度の習慣となっている古鷹山登山を最後に行いました。

そして頂上から下を見て第一術科学校の広さをあらためて確認すると同時に、
海軍がこれだけの土地を獲得することができたのも、100年前移転を余儀なくされた
従来の住人たちの協力のおかげであると思わずにいられなかったと語りました。

もちろん当時は江田島も今のように人がたくさん住んでいたわけではなく、
基本用地となったのは、主に人の住んでいない広大な海沿いの部分だったのですが、
それでも何軒かの民家や、出来たばかりの神社もこのため移転しています。

昨年夏、水害に遭った一軒の民家に候補生らが災害支援に駆けつけた時、
その家は江田島に兵学校が出来たときに立ち退きをしていたことがわかった、
という学校長から聞いた話をここに書いたことがありますが、このとき
学校長はもう一度その話をされました。

その際実際に学校長が遭遇した話のように書いてしまいましたが、聞き間違いで、

「あの時の恩返しが出来た」

という言葉もご本人に告げたのではなく、学校長を始めそれを知った人たちの中で
密かにそう思った、というのが正確なところのようです。

昨夕の呉地方総監部観桜会でもご挨拶された寺田稔先生。

 

続いて今日の観桜会の料理を作った給養の方々が紹介されました。

「得意料理は筑前煮です」

「今日のカレーはわたしが作りました」

などの一言を皆が付け加えての自己紹介です。

学校長、政治家などの皆さんによる鏡割りが行われました。

樽の「同期の桜」というお酒は江田島銘醸株式会社という地元の酒造会社のお酒で、
同社のブランドにはラベルに赤煉瓦の生徒館が描かれた「江田島」
そしてその名も「古鷹」、焼酎には「ヨーソロ」という商品があるそうです。

こんな時のために用意された「第一術科学校」とプリントされた法被を着て。
阪神基地隊の、餅つきの時にもこういうのを着ますが、
これって洋服が汚れないためのものなんですね。

巻き寿司もおいなりさんも手作り。
焼きそばパンという食べ物を自衛隊の宴会で見たのは初めてですが、
食べてみたTOによるとなかなか美味しかったそうです。

一術校カレーなるオリジナルカレーの屋台には始まるやいなや列ができていました。

なんと、

大豆・オリーブ(の実?)牡蠣・チリメンジャコ

が入っているカレーということでした。
牡蠣らしい内容物は残念ながら入っていませんでしたが、
昨日の呉地方総監部カレーと比べても少々甘口に感じたのは
オリーブの実が入っていたせいでしょうか。

わたしが思うに一番味に特異性を与えていたのはチリメンジャコ。
カレーのトッピングとしてこれはありだなと感心しました。

会場となっている食堂にはこのような号鐘が置かれていて、
観桜会の開始時にカンカーンと鳴らされました。

まず号鐘の説明として

「鑑定において、時刻や火災などの緊急事態の発生を知らせる場合や、
錨泊中など濃霧の場合に他船に存在を知らせ、
高校の安全をはかるために使用する鐘」

「コンピュータ制御で最新の警報装置を備えた現在でも、
電源遮絶に備え、法律で設置が義務付けられている」

とありました。
どんな艦船にも鐘があるのは飾りやシンボルという意味ではなく、
電源喪失の場合を想定してのことだったんですね。

そしてこの号鐘は、「練習船12号」に備えられていたものです。
昭和57年に防衛庁技術研究本部が、

強化プラスチック(FRP)の掃海艇への適用を調べるための

実験艇として就役しましたが、役目を終えて
(結局機関から水中への放射雑音レベルが高く、掃海艇に使用されず)
その後、練習船として第一術科学校で運用され、平成28年に除籍となるまで、
延べ2万9千人の学生の航海訓練を行いました。

会場の一角では、説明がなかったので術科学校生か職員かわかりませんが、
軽音楽部として地元のイベントでも演奏を提供しているという軽音バンドが

「Feel Like Makin' Love」

などのポピュラーを中心に、BGMを演奏して楽しませてくれました。

一術校の幹部でギターを弾く「偉い人」に

「今日は演奏なさらないんですか」

と(冗談のつもりで)聞くと、

「今日立場上遠慮しました」

 本来は一緒に演奏をしていたのか・・・・。

会場の窓からはこんな角度で教育参考館が見えます。
手前の桜が満開になれば、ここからの眺めは最高のものになるでしょう。

宴会が半ばまで過ぎた頃、ケーキのお披露目がありました。
この日のために特別に作られたその名も

「平成最後の桜」

というケーキがカットされ皆に配られることになったのです。

ケーキにちりばめられたチョコレートは、おそらく
桜の木の枝と幹を表しているのだと思われます。

先ほど紹介された給養員の方々の紅一点がこのケーキの担当です。
ケーキが配られ、皆は早速列を作りました。

わたしもいただいてみました。
スポンジは固めで、どうもポピーシードが入っているようです。
フルーツ入りのクリームが挟んであり、お花はバタークリーム製。

昔誕生日会のために母親が家で焼いてくれたケーキのような
素朴で、しかし心がこもった味がしました。

終わりになって幹部学校長南海将補がご挨拶を。
やはり話の中心は明日を限りに転勤になる一術校長のことになります。

特に耳に留まったのは、両校の関係が大変上手くいっていたという意味の

互いに相思相愛といってもいいくらいです」

という言葉でした。
うーむ、それほどまでに・・・・。

挨拶を聴く一術校長、江田島市長、そして手前の米陸軍軍人は
東広島にある弾薬廠を管理している

米陸軍第83兵器大隊(83rd Ordnance Battalion)

の司令官だろうと思われます。

閉会が告げられると、わたしたちは即座に外に出ました。
この後、TOが広島から新幹線で仕事に向かう予定があり、
フェリーに乗る予定をしていたからです。

駐車場までは、ツァーで説明をしてくれた自衛官がわざわざ
送ってくれ、話をしながら構内を歩きました。

ここは赤煉瓦の影になるせいかほとんど花が咲いていませんが、
これを見ながらおっしゃるには、

「昨日、学生たちが桜の木に向かってみんなで
『咲け〜!咲け〜!』と声をかけていたんですよ」

「そういえば昨日は呉で『江田島はもっと咲いていない』と聴きました」

「それで『咲け』か・・・『酒〜!』かと思った(笑)」

この日一部の桜が花開いていたのはそのおかげだったようです。

ここを通るとき、いつも「号令を聞いて育つためまっすぐ伸びる松」
の話を聞くのですが、帰り道には

「号令が聴こえるところにある桜は、あまり大きく育たないんです」

という衝撃的な話を聞いてしまいました。

大講堂の横の桜はそれなりに大きいですが、この道を挟んで
向かい側に並んでいる桜はなぜかあまり高く伸びず小ぶりなままなのだとか。

「松はまっすぐ伸びますが、桜は萎縮しているんじゃないかと言われてます」

それはあまりにも面白すぎる。
しかし、こうとも考えられませんでしょうか。

「あまり花をたくさんつけると花びら掃除が大変だから、桜は
候補生に気を遣って大きくならないようにしているのかもしれませんよ?」

 

さて、この後が大変でした。
全く観桜会と関係ないですが、ちょっと聞いてください。

まず、TOがスマホで調べ、小用で乗るつもりをしていた船は高速艇で、
車を搭載できるフェリーではなかったことが港に着いてから判明。

「地道で行くしかないねえ」

と訪ねた人に言われたのを真に受けて、そうしようというのに対し、
わたしはきっぱりと、

「ちょっと待って!切串港から広島行きフェリーが出てない?」

路肩に車を停めてiPhoneで検索させると、なんと、
9分後に広島行きが出航するというではありませんか。

グーグルマップで調べると車での所要時間は11分。
わたしは
それを聞いた途端アクセル全開、切串までの道をかっ飛ばし、
海沿いのくねった道を華麗なハンドルさばきで切り抜けて、
ギリギリ最後の一台となってフェリーに滑り込んだのでした。

車を停めたその瞬間、フェリーは出航、二人は脱力感でしばらく絶句。
性能の良いプリウスを借りていて本当によかったと思った瞬間です。

 

広島駅の新幹線口でTOを降ろした後は、空港に到着し、
広島空港でいつも利用するメローブラウンカフェで時間を潰し、
予約していた便で無事帰宅することができました。

ところで、これが江田島構内で見た最後の桜となったわけですが、
翌週、呉地方総監部からこんなものがお礼状とともに送られてきました。

なんと、呉地方総監部に咲いた桜の花をパウチにしたものです。

呉での桜を楽しんで貰えなかったから、ということでしょうか。
観桜会場となったあそこの桜が満開になってからわざわざ花を集めて
加工したものをプレゼントしてくださったというわけです。

わたしはこのちょっと思いつかないような、粋で斬新なアイデアに
「さすがは海上自衛隊!」と唸りました。

そしてこの桜花パウチに書かれた「平成最後の桜」という言葉は、
奇しくも江田島で
皆に振る舞われた特製ケーキにも名付けられていたものです。


このような海上自衛隊の皆様の心のこもる温かいおもてなしのおかげで
今年の観桜会は桜を観るだけに優る印象深く楽しいひと時となりました。
皆様にこの場をお借りしてお礼申し上げます。

平成最後の桜の思い出を、ありがとうございました。