アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

無学祖元

2023-08-01 06:38:34 | 達磨の片方の草履

◎人空にして法も亦(ま)た空

 

無学祖元は宋末の禅僧で、元による難を避け日本に渡来してきた。彼は、蒙古の第2回侵寇弘安の役(1281年)の二年前、執権北条時宗に招請されて来日。鎌倉の円覚寺の開山。

 

中国の政権の瓦解が見えてくると中国の宗教者や青年が日本に渡って来るものだが、今回はどうか。青年はいるが宗教者はいないのだろう。

東洋経済online2023年07月31日10:30の“結婚が「10年で半減」中国で何が起きているのか”という記事では、中国の婚姻件数は9年連続で減少し、10年足らずで半減し、2013年の約1350万組から2022年約680万組となった由。これもその前兆である。

一方五公五民の日本では、若者が子供二人もまともに育てられない人生設計にしかならない日本に見切りをつけ、海外移民を目指すシーンも出てくるのではないか。生活の場として、日本が良くて中国が悪いというのは、もはや現実ではなく単なる先入観かもしれない。

バブル期に日本が良くなりすぎ、30年の無成長の結果、重税・重社会保険料・重い再エネ賦課金により、いつしかジリ貧国家となり、若い日本人が日本を見切る時節も見えて来た。

 

無学祖元は、元寇対応で有名な北条時宗の禅の師として有名である。13歳で父を失い出家、杭州径山寺の無準和尚に参じ、無字の公案を与えられた。七年後、寺僧の打つ木版の音を聞いて開悟したが、無準老師は、これを小悟と退けた。

無準遷化後も無学祖元は、さらに十数年も冥想修行を継続、36歳の時、道端で井戸水を汲む轆轤(ろくろ)がくるくる回っているのを見て、廓然として大悟した。

 

折しも元兵の兵難に追われ、浙江省台州真如寺から温州能仁寺に移ったが、そこにも元兵が乱入してきた。無学祖元は、ただ一人坐禅していたが、首に刀を当てられたところで、一偈を唱えた。

 

乾坤弧笻(こきょう:竹の杖)を卓(た)つるに地無し

喜び得たり人(ひと)空(くう)にして法も亦(ま)た空なるを

珍重す大元三尺の剣

電光影裡に春風を斬る。

 

大意:

天地の間に竹杖一本を卓てるところはない、喜ばしくも気づいてしまった、人は空であり法もまた空であることを。

大元の三尺の大剣を有難く受けよう

(私を斬っても)春風を一瞬にして斬り裂くようなものだ。

 

気押された元兵は去って行った。これは、辞世の偈である。『喜び得たり人(ひと)空(くう)にして法も亦(ま)た空なるを

』とは、首に剣を当てられて、もう一度大悟したということだろうか。恐怖の恵み。

 

『春風』という軽さが、彼のいた境地の本物であることを示しているように思う。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« グルは人間か高級神霊かそれ... | トップ | 仏法東漸してニューヨークに到る »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

達磨の片方の草履」カテゴリの最新記事