◎悟りを開いて初めてわかること
LGBTの影響か、日本人と仲良くするよりも外国人と仲良くすべきだと思っている人が少なくない。
ところが、自分には本当に好きな異性がいて、それが魂の伴侶だとわかるには、どうも大悟覚醒せねばならないようだということがわかって来た。
悟りを開いて初めて、自分の本当に好きな異性が誰かわかり、自分の本当に好きな国がどれであって、自分に本当にふさわしい宗教がわかるようになる。そうなって初めて愛国心である。
その辺は、自分本人の抵抗感も強いだろうから、ダンテス・ダイジも性愛冥想の中でちらっとしか触れていない(男女の霊的因縁をふまえた相手)。
国家意識のある宗教のことも出口王仁三郎は、あまり強弁していない。どちらも自分でわかってもらう類のことなのだから。
参考までに出口王仁三郎の愛国の極みは、国のために死ねるということで、恋愛の極みで相手のために死ねるということと同じ。
以下は、出口王仁三郎の「大本史料集成 2 第2部 昭和期の運動 第1章 運動の概要 第4節 随感録 (一)八面鉾 第3章 至聖殿落成所感」をGEMINIで当用漢字と現代仮名遣いに修正しました。
『尊皇という事ですが、日本の国民は生まれながらにして、尊皇の心を持っていない者はいません。どんな者でも陛下に敵対する者は一人もなく、皇室の尊いという事を知っています。ただし愛国心という事は日本人特有のものではありません。外国人も皆自分の郷土、国家を愛するという事は知っています。この愛国というのは世界普遍的な魂で、ただ尊皇という事は日本人特有の魂であります。しかし尊皇だけではいけません。
なぜかというと、明治元年三月十四日の御宸翰に、
前略、汝億兆、旧来の陋習に慣れ、尊皇のみを朝廷の事となし、神州の危急を知らず。朕一度足を挙げれば非常に驚き、種々の疑惑を生じ、万口紛紜として朕が志を為さざらしむる時は、是れ朕をして君たる道を失わしむるのみならず、従って列祖の天下を失わしむるなり。汝克く朕が志を体認し、相率いて私見を去り公議を採り、朕が業を助けて神州を保全し、列聖の神霊を慰め奉らしめば、生前の幸福なれ。
と仰せられておりますが、尊皇は一般的なものです。これは何をしても敬神勤皇報国でなければいけないのです。尊皇の精神というものは、ただこれを尊重するばかりではいけません。一旦緩急ある時は、「海行かば水漬く屍、山行かば草むす屍、大君の辺にこそ死なめ、長閑には死なじ顧みはせじ」というように、大君の馬前に屍をさらすという魂が無ければなりません。皇室の安泰のためには生命はいらない。これが即ち勤皇という事であります。どうしても尊皇だけではいけません。勤皇の大精神でなければ臣子の本分を良く勤める事はできません。国民は元々勤皇でなければならないのです。
皇道大本は敬神勤皇報国の団体でありますが、勤皇という事を今言いますと、明治維新の際に勤皇の志士が起ってきて、時の政府即ち徳川幕府を叩き潰したのですから、大本教が勤皇という事を唱えますと、一部の人は現政府を叩き潰すのであるとか、或は現政府に反対の為に言うのだなどという位に、神経過敏な政府は感じるかもしれません。それが為に我々は勤皇と言いたいけれども、言う事はできない。しかし行いは勤皇である。口で唱えている事は尊皇であるけれども、行っている事は勤皇であります。ここは良くお考えを願わなければならない所であります。
前に申しましたように愛国は一般的なもので、報国という事は国恩に報ずる、国家に報いるというのであって、一生懸命に国家の為には身命を投げ出さなければなりません。これでなければ敬神報国はできないのです。愛国という事は、どこの国でも国を愛している、けれども報国という事はありません。この報国には生命があり、働きがあるのです。』