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アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

夢もニルヴァーナも同じである

2022-11-02 12:59:42 | 究極というものの可能性neo

◎仏も夢や幻のようなもの

 

「夢もニルヴァーナも同じである」は、迷いも悟りも同じであると、ニルヴァーナ至上から一歩突っ込んでいる。

大乗仏教の八千頌般若経にこの一節がある。

 

神々が質問を出してスプーティ尊者がこれに答えているのだが、スプーティ尊者は、「完全な悟りを開いた人(仏)も夢や幻のようなものである」と説明し、神々にショックを与える。

 

さらにスプーティ尊者は、ニルヴァーナも夢、幻のようなもので、まして他のこともそうなのだと説明する。

 

彼は一歩進んで、マーヤーとニルヴァーナは不二であり、別に分けられることはない、とまで言う。

(以上参照:現代語訳*大乗仏典1 般若経典/中村元/東京書籍P121-122)

 

これを理屈、理論で言うことはあり得るが、実体験で確認する者がいる。それは、有なるアートマン、第六身体を越え、ニルヴァーナから生還した数少ない人であって、その際何が起きたかをわかっている人である。

 

起きることは起きたが、何が起きたかをわかっている人は稀なものだと思う。

 

人は肉体死を経れば、多く三途の川を渡ったなどと言うが、死の直前からその時点まで何が起こったかをすら承知している人は稀であるように。

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