アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

クンダリーニ・ヨーガの源流-2

2024-05-13 06:17:58 | 【アートマン】【ザ・ジャンプ・アウト-10】neo

◎仮死で「ただある」

(2014-11-05)

 

(承前)『五感の知覚も思考力も停止し、理性も活動しない時、それを人々は最高の帰趨という。

その確固とした感覚器官の保持を、人々はヨーガと理解する。そのとき人は心を散らさなくなる。なぜならばヨーガは(内的な力の)発現であり、(最高の帰趨への)没入であるから。

ことばによっても、思考力によっても、視覚によっても、それ(アートマン)は得られない。それは「ある」という以外には、どのようにして理解されよう。

 

ただ「ある」というようにのみ、それは理解されるべきである。両者(理解するものとされるもの)の同一である状態として。ただ「ある」というように理解されたとき、(両者の)同一である状態が明らかになる。

 

彼の心を拠りどころとするすべての欲望が追放されるとき、死すべきものは不死となり、この世においてブラフマンに到達する。

 

この世において心の結び目がすっかり解きほぐされるとき、死すべきものは不死となる。

 

以上が(このウパニシャッドの)教えである。』

(世界の名著 バラモン経典/中央公論社P150から引用)

 

五感も停止、思考も停止、理性も停止するとは、肉体機能が停止し、アストラル体に帰属する感情も動かず、メンタル体に帰属する想念も動かない状態と見ることができよう。ここでは冥想による仮死状態が前提とされていると見ることができよう。

 

まず「その確固とした感覚器官の保持」ともあるので、クンダリーニ・ヨーガ特有の聞き守る、見守るという冥想の基本がここで確認されている。

 

この時心の散乱がないということであるから、ダーラナー(総持)という心の一点集中を経て、冥想する対象と冥想する自分がつながりディアーナ(定)の状態となる。密教では、冥想(観想)対象として多数の尊格を用いるが、ウパニシャッドでは、その対象が何であるかは、最終段階ではあまり問題にする必要はないものであると見ていることがわかる。

 

最後に冥想する者と冥想する対象が一体となる、サマーディ(三昧)の状態となり、ただ「ある」だけとなる。

 

例によって「ただある」というアートマンに到達したら、論理的説明抜きで、次のブラフマンに行ってしまうかのようだ。

 

 

【チャクラと七つの身体-320】

◎アートマン-24

2.ウパニシャッド ◎クンダリーニ・ヨーガの源流-2

(ザ・ジャンプ・アウト374)

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