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アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

悟りとご来迎

2025-07-03 03:25:57 | 人と神の「実際のところ」

◎尊い仏たちのご来迎に騙されてはならない

悟りと臨終時のご来迎について、黄檗禅師が言及している。
『およそ人が命の終ろうとする時には、おのが肉体を構成する五蘊はみな実体なきものであり、四大には自我はな く、ただ本源の真心のみは姿かたちをもたずに、去ることも来ることもなく、わが身が生まれた時にそのもの自体が宿り来たったのでもなく、わが命果てる時にそのもの自体が離れ去るのでもないと諦観すれば、その人の境地は 円かな静寂のなかに安らいで、心と境とは一つになるであろう。

もしこのように端的な頓悟に至りえたならば、もはや過去現在未来の業縁に縛られることはなく、そのままで出世間の人――この現世を超脱した人である。ただそこにはチラリとでも志向があってはならぬ。たといその臨終の枕もとに、尊い御姿の仏たちが迎えに来られて、さまざまのありがたさを現わされたとしても、そのおん後に随いまつろうという心は起こらず、またたとい悪魔の相がさまざまに現前しても、恐れの心はさらさらない。ただ一心を忘却して万法と一体となれば、無碍自在の身となる。ここが、かなめのところである。 』
(禅の語録 8 伝心法要・宛陵録 筑摩書房p41-42から引用)

尊い仏たちのご来迎に騙されてはならないし、悪魔の現前を恐れてもいけない。ならばどうすればよいかといえば、『ただ一心を忘却して万法と一体となる』。

尊い仏たちのご来迎は天国的だが、それさえも悟りではないということは、以外に世間では語られていないので、改めて上げた。

わが一心を忘れれば、すべてのすべてとなる。

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