アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

古事記の屋根を突き破るという布石

2024-03-20 03:36:33 | ジェイド・タブレット

ジェイド・タブレット-10-1

◎垂直上昇への仕掛け-1

◎導師が頭頂の封印を切る

 

人間にとって、限界あるいは天井を突き破る経験とは、メンタル体での脱身の場面とコーザル体の上昇が最終的にブラフマンに突入する2場面に限られると思われる。

最初の脱身では、頭頂の封印を切りに2、3柱の神霊がやってくると言われ、ブラフマン突入シーンでは、突入するというだけで、詳細は分かっていない。

これについて、日本の誇る神話古事記では、上方から天井を破るモチーフと下方から天井を破るモチーフの両方を出してくれている。この両方を実現することにより、人は神になる、あるいは人は自分が神であったことに気づく。

上方から天井を破るモチーフは、素戔嗚尊(スサノオノミコト)が、天の安の河原で天照大神と誓約を交わし両性具有を行った直後に起きた事件であって、この事件により天照大神が天の岩戸にお隠れになった。

具体的には天照大神が高天原の被服工場にいた際に、素戔嗚尊がその工場の天井を破り、その穴から皮を剝いだまだら馬を真っ逆さまに落とし、これを見て驚いた女工が陰部を機織りの部材に突き刺して亡くなったもの。

 

これは、上方から屋根を破るというのが、脱身時に頭頂の封印を導師が切るのに当たる。頭頂の封印を切ってもらって、メンタル体で出るが、アストラル体での脱身では、ニルヴァーナに到達しないことは、既に知られている。

メンタル体で出ることと、ニルヴァーナに到達することは別のことだが、人間にとって、肉体から出るというのは、とても驚かされる出来事であることは、OSHOバグワンやダンテス・ダイジも表明している。

なによりメンタル体で肉体を出ることは、悟りではないが、悟りの前段階として重要なエポックなのだ。

 

一方、下方から天井を破るモチーフは、意外なことに古事記の海幸彦山幸彦の段にある。山幸彦は、神武天皇の祖父だが、山幸彦が老いたる子であるウガヤフキアエズノ命(鵜葺草葺不合命)を産むのが、神秘家にとっては悟りに当たる。山幸彦は人間界より一段下の竜宮界で修行して後、竜身の妻が、屋根を鵜の羽で葺きおわっていない産屋でウガヤフキアエズノ命を産み落とす。この屋根が完成していない世界で、人間として完成した完全人であるアダムカドモンであるウガヤフキアエズノ命を産むというのが、人間が完成に至るエピソードになる。

完全人は、既に頭頂の口が開いていて神人合一するばかりの状態で生まれてきたということ。

 

古事記に注目する神秘家には、この2件の屋根の破れは、注目すべき伏線として扱われてきた。最初の屋根の破れは神々の世界で起き、最後の屋根の破れは人が神になる発端として起きた。

屋根が破れていることは、人と神の間には不壊なる壁などないことを示す。禅では啐啄同機(そったくどうき)と示す。

完全人であるウガヤフキアエズノ命は、第五身体コーザル体のシンボルでもある。コーザル体は頭頂の封印が破れれば神に向かって上昇するのだ。

古事記は、上つ巻、中つ巻、下つ巻とあって、上つ巻は、ウガヤフキアエズの段で終わっている。上つ巻の内容は、この時代にすべて現実化する予言であると言われている(出口王仁三郎)。

それはすなわち、すべての人間が、老いたる子を産んで大悟覚醒するという意味であって、誰か特定の人物だけが悟りを開くということではない。

 

人は個の極みから神・仏へと進むが、順路として第五身体から第六身体、第七身体、あるいはコーザル体、アートマンからブラフマン、ニルヴァーナと機序が示されるわりには、その間には深淵が横たわっており、そこでは逆転が起こることはつとに知られている。

古事記のウガヤフキアエズのところでは、卑しい竜女がウガヤフキアエズという人間を産むのだが、これが人間の進化すなわちジャンプアウト(垂直上昇)を象徴している。これは逆転の示唆でもある。

さてコーザル体の上昇が最終的にブラフマンに突入するシーンは、これが悟り、大悟覚醒と呼ばれるものである。大悟覚醒には、有の側と無の側があるが、どちらも人間から見れば悟りであって、最初に有の側の悟りがある。この際個たる人間は、宇宙全体、時間全体、すべての物質そしてすべての物質でないものであるところの神と合一する。これを入我我入、サビカルパ・サマーディ、自分が神であったことに気づくなどと表現する。

その先に無の側の悟り、ニルビカルパ・サマーディがある。

また、このような天国も地獄も超える話は、しばしば、菩薩オンリーと限定される場合がある。死を超える話、悪を相手にする話は、誤解されることが多いからである。

菩薩とは見神、見仏、見性を経た人のこと。

この一章は、見神、見仏、見性を経た人専用として読まれた方がよいかもしれない。

  海幸彦山幸彦-1(無間勝間(めなしかたま)の神船に乗り神を知る)
  海幸彦山幸彦-2(恐るべきライフ・スタイルの統一化と日本)
  海幸彦山幸彦-3(潮乾珠、潮満珠、両方揃って伊都能売の魂)
  海幸彦山幸彦-4(聖王鵜葺草葺不合命が誕生し世界の経綸は完成)

※『『天照大御神、忌服屋に坐まして、神御衣織らしめ給ふときに、其の服屋の頂を穿ちて、天の斑馬を逆剥ぎに剥ぎて堕し入るるときに、天の御衣織女、見驚きて梭に陰上を衝きて死せき』
 斯う云ふ事件が起つたので御座います。ここで機を織るといふことは、世界の経綸といふことであります。経と緯との仕組をして頂いて居つたのであります。すると此経綸を妨げた。天の斑馬暴れ馬の皮を逆剥にして、上からどつと放したので、機を織つて居た稚比売の命は大変に驚いた。驚いた途端に梭に秀処を刺し亡くなつてお了ひになつたのであります。さあ大変な騒動になつて来た。』(霊界物語 第12巻第29章 子生の誓から引用)

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